幻想回帰節   作:北宮 涼

29 / 41
29の節:紅い霧の異変、その12

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

◆ side:博麗霊夢 ◆

 

 紅魔館の屋上を包んでいた朝風が、途端に冷たくなった。

 紅霧の余韻を運び去ったはずの空気が、再び淀み始める。

 まるで、夜そのものが逆流してくるみたいに。

 私は霊符を握り直した。

 

「……戦いは、まだ終わってないみたいね」

 

 レミリアは無言で頷き、片手を空にかざす。

 紅の光が指先に集まり、翼が音を立てて広がった。

 月の残光を背に受け、彼女は再び“夜の王”の姿を取り戻している。

 

「案内するわ。――妹の部屋へ」

「ええ、道案内くらいはしてもらうわ」

 

 軽く言い返しながら、私は彼女と並んで飛び立った。

 紅魔館の屋根を蹴り、空を切る。

 朝の光がまだ届かない館の奥へと、二人の影が滑り込んでいく。

 

 廊下は、夜のままだった。

 紅い絨毯が長く続き、シャンデリアの鎖が小刻みに揺れている。

 誰もいないはずなのに、空気の端に気配が残っている。

 霊力の残滓――霊石の影響がまだわずかに漂っているのかもしれない。

 

 レミリアが前を飛ぶ。

 その背中から、焦燥と決意が入り混じった気配が伝わってくる。

 彼女は何も言わない。けれど――わかる。

 “姉”としての思いと、“吸血鬼”としての誇り。

 その両方を胸に抱えたまま、彼女は前だけを見ていた。

 

 そのとき。

 

 廊下の先に、ひとつの影が現れた。

 月明かりの残滓を受けて、銀髪が微かに光る。

 冷たい青の瞳――十六夜咲夜。

 

 息を呑んだ。

 あの戦いの中で錯乱していたはずの彼女が、今はまっすぐ立っていた。

 

「……咲夜」

「お嬢様……ご無事で」

 

 その声はまだ掠れていたが、確かに正気を取り戻していた。

 霊石の支配から、解き放たれたのだ。

 

「もう大丈夫なの?」

 

 私が問うと、咲夜は小さく微笑み、頷いた。

 

「はい。……博麗の巫女に、感謝を」

「礼はいいわ。下から何か来てるんでしょ?」

 

 咲夜の表情が引き締まる。

 

「ええ……地下室から、尋常ではない圧が。霊力とも妖気とも違う、もっと――不安定なものです」

 

 レミリアの顔が強張った。

 その紅い瞳に、はっきりとした恐れが宿る。

 

「フラン……。やっぱり、起きたのね」

 

 再び、地が鳴った。

 壁の絵画が揺れ、床板が悲鳴を上げる。

 紅魔館そのものが、地下から吹き上がる力に軋まされていた。

 

「行くわよ」

「もちろん」

 

 咲夜が一礼して前に出る。

 空間が微かに歪み、彼女が指先を弾くと、廊下が一瞬で流れた。

 時を切り取ったような感覚。

 その中を、私とレミリアは飛翔して駆け抜ける。

 

 長い階段を降りるたび、空気が冷たくなる。

 紅の残光が薄れ、代わりに紫がかった靄が漂い始める。

 その中心から、鼓動のような“震え”が伝わってきた。

 ……まるで何かが、泣いているような。

 

「ねぇ、レミリア」

「なに?」

「一応、自己紹介しとくわ。さっきまで名乗ってなかったし」

 

 彼女が横目でこちらを見る。

 薄く笑って、言う。

 

「そうね。名前も知らないまま、殺し合ってたんだもの」

 

 私は息を吐き、前を向いた。

 

「――博麗霊夢。幻想郷の端っこで普通の巫女をやってるわ」

 

 レミリアが小さく笑う。

 

「ふふ。私は、レミリア・スカーレット。夜を統べる吸血鬼にして、この館の主」

「まったく……揃いも揃って、肩書きだけは大層ね」

「そういうあなたも、博麗の巫女って肩書きがあるじゃない。何が普通よ」

「巫女は巫女よ。幻想郷が穏やかなら、ただの巫女でいたいだけ」

 

 言葉を交わす間にも、震動は強くなっていく。

 階段の終わりが見えた。

 吹き飛ばされた分厚い鉄扉。そこから、淡い紅の光が滲み出している。

 その中には、この館に来るまで同行していたあの少年――時崎創英が、七色の翼を持つ少女に首を締め上げられている姿があった。

 

⸻⸻⸻

⸻⸻

 

◆ side:時崎創英 ◆

 

 扉の残骸がまだ床を転がっていた。

 その中で、彼女はまるで何事もなかったみたいに微笑んでいた。

 

 金の髪がランタンの光を反射して揺れる。

 七色の結晶のついた翼が、空気にきらめきを落とす。

 幻想的というより……現実離れしている。

 けれど、なぜだろう。俺の胸の奥が、少しだけ温かくなった。

 

「ラッシュ……?」

 

 フランドールが首を傾げて、まるで夢を見ているみたいな声を出した。

 ラッシュは一瞬、息を呑んで、でもすぐに膝をついて頭を下げる。

 

「お久しぶりです……フランドール様」

「……やっぱり。ラッシュだ。ねえ、どうしたの? なんでそんな顔してるの?」

 

 無邪気な笑顔。

 その声に、ラッシュの肩が小さく震えた。

 言葉を返そうとして、結局何も言えずにいる。

 

 俺は、一歩前に出た。

 

「初めまして、フランドール・スカーレット。俺は――」

「ひと、だぁ」

 

 名前を言う前に、フランが目を輝かせて近づいてきた。

 その歩き方はまるで幼子のようで、けれど軽やかで、音もなく。

 距離が詰まるのが異様に早い。

 

「わぁ、ほんとに人間だ! 咲夜以外の人間なんて初めて見た! ねえ、ねえ! どこから来たの? どうしてここにいるの? もしかしてお姉さまが呼んだの?」

 

 矢継ぎ早に問いが飛ぶ。

 戸惑いながらも、俺は苦笑を浮かべて答えた。

 

「……まぁ、そんなところだ。ちょっと話を聞きに来たんだ」

「ふぅん……」

 

 フランは俺の周りをぐるぐる回りながら、まるで新しい玩具を眺めるみたいにじっと俺を見ていた。

 その瞳の奥には、恐れも疑いもない。純粋な好奇心だけが揺れている。

 

「……変わらない」

 

 背後でラッシュが小さく呟いた。

 それは懐かしさというより、痛みに近い響きだった。

 俺はフランの動きを見ながら、静かに問いかけた。

 

「ここに、一人で?」

「うん。ずっと。……でも、退屈じゃないよ。お姉さまが絵本をくれたし、ラッシュも時々来てくれたから。それに、一人でいるのは楽だし」

 

 ラッシュの顔が強張った。

 フランの言葉の「時々」という部分に、彼女自身が反応しているのが分かる。

 きっと、その“時々”が、どれほどの時間を空けたものだったのかを知っているのだろう。

 

「そっか」

 

 俺は短く返す。

 言葉を選ぶ余裕なんてなかった。

 ただ、この部屋に満ちる空気の異様な静けさが、俺の心を締めつけていた。

 

「ねえ、人間のお兄ちゃん」

 

 フランが、俺の目の前に立つ。見上げるように、まっすぐな目で。

 

「お兄ちゃんには、家族いる?」

 

 ――絢香の顔をした少女が、そう問い掛ける。

 脳裏に過ぎるのは過去の思い出。

 楽しかった、そして、悲しかった過去。

 今は失った。でも確かに、そこにあった『家族の思い出』。

 

「……いたよ」

 

 短い沈黙のあと、フランが笑った。

 けれど、その笑顔はどこか歪んでいた。

 

「そっかぁ……いいなぁ。わたしにもね、いたんだよ」

 

 その瞬間、空気が変わった。

 彼女の声が少し掠れて、笑顔が微かに震える。

 七色の光が一瞬、赤く濁ったように見えた。

 

「お姉さまも、ラッシュも、みんな……優しかった。なのに、わたし、ねぇ……どうしてだろう。どうして、あんなこと、しちゃったんだろう」

 

 言葉の終わりが、泣き声に変わる。

 フランはふらりと膝をつき、両手で頭を抱えた。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 その声が、鉄扉の残骸に反響して広がっていく。

 何度も、何度も。

 俺は息を呑んだ。

 ラッシュが手を伸ばしかけて――震える指を止める。

 

「フランドール様……」

 

 次の瞬間、フランが顔を上げた。

 その瞳に、涙と笑顔が同居していた。

 

「ねえ、人間のお兄ちゃん」

 

 頬を血に染めながら、無邪気な声で笑う。

 

「――私と遊ぼうよォ」

 

 その瞬間、視界が弾けた。

 風でも光でもない、“力”そのものが空間を歪ませた。

 

 床が砕け、天井が軋み、空気がねじれる。

 紅魔館の地下が震動する音が、遠く地上まで響いた。

 

 ……あぁ。これが、暴走――。

 

 遅れて理解した時には、すでにフランの姿が目の前にあった。

 その手が俺の首を無造作に掴み上げる。

 

「――あは。やっぱり、あったかいね。人間の体って。咲夜とおんなじだぁ」

 

 息が詰まる。

 視界が霞み、意識が遠のく。

 不味いと分かっている。なのに、力が強くて拘束から抜け出せない。

 

(これが、妖怪の膂力……!)

 

 このままでは、死ぬ。

 助けるはずの相手に、殺されてしまう。

 

「フラ、ン……ッ!」

 

 無我夢中で手を伸ばす。その手が、フランドールの頭に意図せずして触れた、そのとき。

 胸の奥で“何か”が弾けた。

 

 内から湧き上がってくる制御不能な程のその本流は、ある感情を伴い、喉元や手先へ、まるで出口を求めるかのように噴き出してゆく。

 

 それは――寂しさ。

 一人孤独となったことがあるからこそ分かる、心許なさ。

 触れられ、触れた場所からつぶさに流れ込み、そして……今度は、俺の中からも心が相手へ向けて流れ込んでゆくのを感じた。

 

 それを知ってか知らずか、フランドールの目が俺をじっくりと覗き込む。

 同時に、俺も――彼女の“奥”を覗いていた。

 

 

 首を絞められたまま、視界がぐにゃりと歪む。

 その瞬間、俺の頭の中に“誰かの心”が流れ込んできた。

 世界が反転し、時間の感覚が失われる。

 そして――気づけば、俺は紅魔館の地下にいた。

 

 いや、違う。

 今のそれは、俺の知っている地下ではない。

 もっと明るく、清潔で、温かみのある場所。

 紅いカーペット、冷感のある石造りの壁、そこに柔らかな灯りが差し込んでいる。

 

 視界の端に、小さな少女がいた。

 金の髪を揺らし、七色の結晶を光らせながら、本を抱えて座っている。

 

 フランドールだ。

 その横顔は穏やかで、どこか安らいでいるようにも見えた。

 

『咲夜、今日はお姉さまのところに行くんでしょ?』

 

 扉の外から聞こえた声に、少女が顔を上げた。

 廊下を行き交う足音。

 そこには、俺の知らない“誰かたち”の姿が見えた。

 

 ――淡いピンクのドレスを着た吸血鬼。

 その隣でティーセットを運ぶ銀髪のメイド。

 図書の束を抱える薄紫の魔女と、その助手と思われる悪魔のような翼を持った赤いロングヘアの少女。

 そして、彼女らの背後で笑う見覚えのある門番……紅美鈴に、フランドールに付き従うように控えているラッシュ。

 

 皆、楽しそうだった。

 紅茶の香りが廊下を包み、談笑の声が心地よく響く。

 その中心で笑うのは、ドレスの吸血鬼。

 

 その光景を、フランドールは静かに見つめていた。

 扉の隙間から、そっと。

 まるで、窓の外の景色を覗くように。

 

『……いいなぁ』

 

 その一言が、小さく零れた。

 胸の奥に、細い針が刺さったような痛みが走る。

 孤独を恐れているわけじゃない。

 ただ、“輪の外に立っている”という感覚が、彼女を少しずつ削っていった。

 

『……私、いなくても平気だもん』

 

 そう呟いて、フランは笑った。

 けれど、その笑みはどこか歪んでいた。

 

(一人でいても平気ではあるんだろうな。でも、家族が居るのに一人にされるのは……寂しいんだな)

 

 胸の奥で何かが軋む。

 この“感じ”を、俺はよく知っている。

 誰かから明確に拒まれたわけじゃないのに、どこにも居場所がない時の、あの静かな痛み。

 

 フランドールは本を閉じ、立ち上がる。

 歩きながら、壁に掛けられた鏡の前に立った。

 だが、そこには何も映らない。

 反射するのは、部屋の明かりだけ。

 

 彼女は鏡の前で微笑もうとして――やめた。

 

『……わたし、ほんとにここにいるのかな』

 

 鏡の表面に手を当てた瞬間、ひび割れが走る。

 ぱりん、と乾いた音。

 七色の翼の結晶が、かすかに赤く瞬いた。

 

 扉の外から声がした。

 

『フラン、入っていいかしら?』

 

 先程の吸血鬼の声だ。

 

『お姉さま……』

 

 声が震える。

 扉が開き、紅い影が差し込んだ。

 月光ではない。ランプの灯りが、姉妹の間を照らしていた。

 

 姉と呼ばれた吸血鬼――この少女がレミリアか――は、柔らかい笑顔でフランの頭を撫でた。

 

『本は楽しい?』

『うん。でも、……わたし、たまには外にも行きたいな』

 

 レミリアの手が止まる。

 その瞳に、わずかな陰りが走った。

 

『……ごめんなさい。外は危ないの。あなたの力は――』

『知ってる。壊しちゃうんでしょ?』

 

 その声が冷たくなった。

 レミリアが息を呑む。

 部屋の空気が、一瞬で凍りついた。

 

 ……フランは笑っていた。

 それは無邪気で、残酷な笑顔。

 

『でも、壊したのは……“私”だけじゃないよね?』

 

 その言葉と同時に、空気が爆ぜた。

 部屋の明かりが弾け、壁の紋様が歪む。

 レミリアが制止の声を上げた瞬間、風が吹き荒れ、部屋の半分が吹き飛んだ。

 

 紅い光。

 破壊の音。

 そして――沈黙。

 

 フランはその中に立っていた。

 無表情で、ただ一点を見つめながら。

 その目の奥に浮かんでいたのは、怒りではなく、絶望だった。

 

『ねえ、お姉さま。わたしね――』

 

 声が震える。

 血のように紅い光が、彼女の頬を染めていく。

 

『わたし、ちゃんと“家族”でいたかったの』

 

 その呟きが、心臓を撃ち抜いた。

 次の瞬間、全てが赤く染まり、音が消えた。

 

 世界が瓦解する。

 フランの心が、崩れていく。

 それでも、彼女は笑っていた。

 

 笑うしか、なかったのだ。

 誰も、その涙を見てくれなかったから。

 ――『孤独』しか、寄り添ってくれなかったから。

 

⸻⸻⸻

⸻⸻

 

◆ side:フランドール・スカーレット ◆

 

 ――暗闇が、弾けた。

 次に目を開けたとき、私は知らない世界に立っていた。

 

 あたりはまぶしくて、空気が違っていて、紅魔館の湿った空気とはまるで異なっている。

 柔らかくて、暖かくて……何より、明るい。

 

 天井の向こうから光が降っていた。

 それが“太陽”だと気づくまでに――少し時間がかかった。

 

(……ひ、日差し?)

 

 思わず、私は腕で顔を覆った。

 だって、光を浴びるのが怖かった。

 肌が焼ける。燃えて灰になってしまう。

 そう思って反射的に身を隠した。

 でも――燃えなかった。

 

(……あたたかい)

 

 それが、信じられないくらい優しかった。

 背中を撫でる風が、甘く匂う。

 光が髪を透かして、金色に染めていく。

 

(これが……太陽? こんなに、きれいなんだ……)

 

 胸の奥がざわめく。なぜだろう。

 この光の下で笑う人たちが、あまりにもまぶしすぎて……どうしようもなく、“妬ましい”と思った。

 

――あはははっ!

 

 不意に、音がした。

 誰かの声。笑い声。

 子どもの、声。

 

『にぃに、こっちこっち!』

 

 振り返ると、家の前で金髪の少女が男の子の袖を引っ張っていた。

 ……あれ? どこかで見たことがある顔だ。

 でも、どこで見たんだっけ。

 

 紫色の瞳。金色の髪。

 その笑顔は、まるで紙に書いた似顔絵みたいに――そう。

 それは。

 

 私に、似ていた。

 

(……この子……)

 

 そんな女の子の頭を、男の子が笑って撫でていた。

 どこか疲れた顔。けれど、優しい顔。

 この顔には見覚えがある。

 ……そうだ。あのとき、私が首を掴んでいた“人間”だ。

 

「これは……記憶? あの人間の……?」

 

 私は思わずつぶやいた。

 けど、誰も答えない。

 だけど見えてくる。感じる。

 “彼の心”が、まるで風みたいに私の胸の中を通り抜けていく。

 

 喜び。

 後悔。

 愛おしさ。

 全部混ざって、つぶさに流れ込んでくる。

 

 ――あの少女の名前は絢香と言うらしい。

 創英。あの人間の男の子の妹。

 彼女は無邪気で、素直で、優しすぎるほどだった。

 けれどその笑顔の奥に、うっすらとした痛みがあることに、私はすぐ気づいた。

 

(この子……)

 

 心を読んでしまう。

 誰かの悲しみを拾ってしまう。

 それは私の知らない感覚だったけど、いまの私なら少しは理解できる。

 きっと、それは辛いことだ。

 だからこそ、優しくなれる。

 だけど、同時に壊れやすくもなる。

 ……まるで、私みたいだ。

 

 ――場面が変わる。

 障子の隙間から、柔らかい光が差していた。

 四人分の影が、畳の上に並んでいる。

 母親の笑い声。父の低い声。

 穏やかで、温かい。

 私は息を飲んだ。

 

「……いいなぁ」

 

 その言葉が、思考より先に零れた。

 胸の奥が、ひどく熱くなっていく。

 この光の中で生きる彼らは、どれだけ幸福だったんだろう。

 自分とは違う、何もかもが違う世界。

 それが、どうしようもなく妬ましかった。

 

(こんな光の下で、生きてみたかったな……)

 

 絢香が笑って、創英がそれに苦笑して、

 母が手を合わせて笑って、父が「やれやれ」と肩をすくめる。

 その一瞬一瞬が、完璧で、壊すのが怖くなるほどに美しかった。

 

 ――だけど、その美しさは長く続かなかった。

 

 世界が赤く染まった。

 悲鳴。破壊音。

 血と炎の匂い。

 

 創英が泣いていた。

 声にならない叫びを上げて、妹の体を抱きしめていた。

 絢香の髪が、私と同じ金色に光って――そのまま、静かに動かなくなった。

 

 その瞬間、私は胸を掴まれたような痛みに息を呑んだ。

 まるで、彼の悲しみが私の中にそのまま流れ込んでくるみたいで。

 

(痛い……いたいよ……)

 

 心が、焼けるように痛い。

 彼は泣いている。

 泣きながら、自分を責め続けている。

 

『守れなかった……守って、やれなかった……ッ!』

 

 その声が耳にこびりつく。

 涙と血が、畳に落ちる。

 その赤が広がっていく。

 

(……にぃに……)

 

 気づいたら、そう呟いていた。

 それが彼の妹の呼び方だと、どこかで分かっていた。

 けれど、それでも言いたかった。

 この人間を、本当の意味で“お兄ちゃん”と呼びたかった。

 

 ――もし、私が絢香の位置にいたなら。

 ――この人の隣で、同じ光の中で笑えていたなら。

 

 私は、幸せになれたのかな。

 

 そんなことを思った瞬間、胸が潰れそうになった。

 狂おしいほどの妬ましさと、どうしようもない温かさが同時に溢れてきて、涙が止まらなかった。

 

 身体が震える。

 目の前で泣き崩れる少年を見つめながら、私は、初めて“理解”した。

 

(痛かった? 苦しかった? 辛かった? 生きていたかった?)

 

 失って、後悔して、それでもまだ、誰かを守ろうとしてる。

 自分を責め続けながら、それでもと立ち上がる。

 そんな”兄”を見つめながら――。

 

(ねぇ、絢香。あなたは……幸せだった?)

 

 そう呟いた瞬間、世界が白く弾けた。

 光の中で、太陽が揺らめいた。

 暖かくて、でも痛くない、焼けるような淡い光。

 

 それでも私は、手を伸ばした。

 その光の中に、絢香の姿が見えた気がしたから。

 

『にぃに、だいすきだよ』

 

 その声が、私の中に溶けていく。

 

 そして――世界が、再び闇に沈んだ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。