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緊張と不安とを綯い交ぜにした心境のまま夜を更かした、翌日の朝。
軽い寝不足でボンヤリする頭をスッキリさせるべく、俺は更衣室へ足を運んだ。
冷たい水が寝起きで滲んだ視界ごと洗い流してゆき、やや暫くした後にようやく鮮明さを取り戻した。
そうして次は髪を整えようとヘアブラシを手に取り、目の前の鏡を見て……
「おわぁぁぁぁぁあ!?」
……と、腹の底から叫び声をあげた。
その日一番の声量を発する羽目になったのにはもちろん理由がある。
洗った顔をタオルで拭いて鏡を見た際に、俺の後ろに笑顔で手を振りながら佇んでいる紫さんの姿が見えたからだ。
更衣室に入った時には間違いなく誰も居なかったと思うし、何なら気配はおろか妖気すらも感じなかった所から察するに、俺が顔を洗っている間に、件の不気味空間から直接ここに現れたのだろうが……全くもって心臓に悪い。
「うるっさ……もう、朝から大声を上げるなんて迷惑な人ねぇ」
朝っぱらから人を驚かせておいてこの反応である。
元凶が、自身の片耳を塞ぎながら、そんな事を言うのだ。
あまりの物の言い方に一発引っぱたいてやろうかなとか考えてしまったが、そこは何とか堪えた。
その代わりに、じっとりとした目で見つめる事で、早朝ドッキリめいた邂逅に抗議の意を示す。全く、一体誰のせいだと思っているのやら。
「あら、警戒させてしまったかしら? そんな表情をしちゃ、可愛いお顔が台無しよ?」
「かわっ!?」
そうすると、今度はそんな言葉を返してきた。
可愛いお顔だなんて、物心がついてから初めて言われた言葉だっただけに、一瞬だけたじろいでしまう。
「かっ可愛いはないでしょう、可愛いは!」
「あらあら、そんなにムキになって否定しちゃって。可愛いわねぇ。それとも……男の子的にはカッコイイと言って欲しいのかしら?」
「い、いや……別にそういう訳では……」
「ふふふ。照れちゃって、まあ。ほんとに可愛いわね貴方」
「勘弁してください……」
彼女の掌の上でひとしきり転がされる。
今もそうだが……この頃から、紫さんに対して苦手意識が働くようになったと俺は思う。
未だに言い負かせる気がしないんだよなぁ、この大妖怪。
「どうした創英!? 物凄い悲鳴が聞こえ……や、八雲様!? 何故こちらに居られるのですか!?」
「あら創厳、おはよう。良い朝ね?」
「あぁおはようございます……って、いやいやいや! もっと他にあるでしょう! こう、お邪魔するわよ〜とか、朝早くに失礼するわね〜とか……」
「それ私の声真似? ちっとも似てないわねぇ」
「そこ突っ込む所ですかっ!?」
俺どころか、ジジイすらも手玉に取るその手腕に、思わず乾いた笑いが出る。
ここまで来れば、多少なりとも付き合いのある連中なら分かるだろう。
この大妖怪、どうやら人をからかうのが好きらしい。
こういう所は出会った頃からちっとも変わりゃしない。
ほんと、勘弁してくれ……
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「ってな訳で、約束の時間にはまだ早いけれど待ちきれなくて来ちゃいました」
「いやいや、なんですか待ちきれないから来ちゃったって。ちゃんと理由を話してくださいよ」
普段とは異なり、賑やかな朝を迎えた宗家の屋敷は絶賛大忙しである。
なにせ、かの大妖怪様が、予定していた時刻よりもだいぶ早い時間に、アポも取らずにやってきたのだ。
それにより、やれ出迎える準備が〜だの、朝食を一人分追加で〜だのと、色々とてんやわんやの大混乱な状況に陥ってしまった。
この突然の来訪にはさしものジジイでさえテンパる事態となり……その結果として、俺はこの端迷惑極まりない妖怪少女をしばらくの間ひとりでもてなす事になってしまったのである。
「やーねぇ、別にそんな仰々しくしなくたっていいのに。朝はのんびりと過ごしましょう?」
「こちらからしたらそういう訳にもいかないんですよ。大事な客人ですし、何より今日は案内役もしていただく訳ですから」
来るにしたって早すぎるし、アポ無しは普通に迷惑です……とは流石に言うことが出来なかった俺は、取り急ぎどうにか出来ないものかと思考した結果として、中庭にある東屋でもてなすのはどうかと考えた。
我が一族の宗家お抱えの庭師による渾身の枯山水は中々見応えがあるし、朝の山中特有の新鮮な空気に包まれながら過ごすのは中々乙なものだと思ったからだ。
ただまぁ……前者は兎も角、後者に限っては、後に幻想郷という環境を知った際に『もっと別の選択肢を模索すべきだった』とひとり後悔する事になった訳だが。
それと、本来ならば来客に対し何かしらお出しするべきなのだろうが、これに関してもタイミングが悪かった。
茶菓子でも出そうと思い向かった先の厨房はなんか戦場みたいになってたし、普段飲んでる茶でも出そうとしたら流石にそれは側近に止められた。
……まぁ、後者は止められて当然ではあったが。
最終的には『すぐに何かしら用意して持って行かせるからはよ厨房から出ていけ(意訳)』と邪魔にされてしまった。
結局は無手ですごすごと引き返す羽目になってしまった訳だが、これでめげていては大妖怪の相手など出来ないと考えた俺は、追い出された厨房に戻って"とあるもの"を冷蔵庫から取り出してくれと頼んだ。
戻ってきた俺に怪訝な顔をした料理人だったが、俺の意図を汲み取った料理人の一人は『これならば確かに満足いただけるかもしれない』と呟く。
それを見て運を天に任せるに足ると判断した俺は、料理人の許可の元に"それ"を携えて紫さんの元へと戻った。
「という訳なので、粗茶のかわりにこちらをお納め下さい」
東屋に移動した俺達はそれぞれ席に着き、幾つかの雑談を交わす。
そしてタイミングを見計らい、とある物を差し出した。
「これは?」
「洋菓子です。俺が手作りしました」
目の前の大妖怪がピクリと反応する。
「貴方、料理できるの?」
「はい」
それ以上は何も言わずに、黙ってお菓子を差し出す。
実はコレ、日々のスパルタ教育に疲れた自分を慰める目的でもって作った代物だ。
元々は妹の喜ぶ顔が見たくて始めた菓子作りだったが、今ではそれが趣味となり、その延長線で色々と料理も嗜むようになった経緯がある。
たまの自由時間に作ったお菓子を側近達に振舞った際には良い反応を貰えたことを覚えていたこの時の俺は、たまたま作り置きしていた事実も相まってか『これなら満足して貰えるかもしれない』と思ったのである。
因みに差し出した洋菓子は何かというと、山の果物をふんだんに使った『フルーツロールケーキ』だ。
キイチゴにサルナシ、スモモにクワといった山で取れる果物をなめらかなクリームと共にフワフワのシフォン生地で巻き上げ、締めくくりに粉糖をまぶしたこのロールケーキは、宗家の屋敷内の甘味愛好家達の間で瞬く間に流行っていった。
なんとあのジジイも側近経由で食べた事があるらしく、本人から直接『あれは美味かった』と言われた程だ。
故にこれは俺の中でも自信作と言える代物であり、これでダメならもうお手上げ。ひっくり返ってバタバタするしか無くなるだろう。
「ふぅん……」
白いクリームというキャンバスに描かれたフルーツ達の可愛らしい模様を堪能している紫さんは、おもむろに、しかし興味津々と言った感じに手に取り、そっと口元へと運ぶと……ぱくっとひと口食べた。そして。
「〜〜〜っ!」
くわっと目を見開き、声にならない声を上げた。
そしてすぐに目を閉じて、噛み締めるようにゆっくりと咀嚼し始める。
そうしてロールケーキを一切れ食べ終わると、余韻に浸るかのような恍惚とした表情を浮かべた。
(よしっ!! 好感触!!)
心の中で静かにガッツポーズを決めた瞬間だった。
「創英くん、貴方……最高よ」
「最高ですか」
「ええ、最高よ」
「左様ですか」
「ええ……これから幻想郷に渡るわけだけど、これなら定期的に食材を仕入れて料理を頼むのも良いかもしれないわね」
「さよ……えっ?」
「そうだ、藍にも紹介しましょう。二人で料理を作ればきっと凄いことになるわね……ふふふふふ、俄然楽しみになってきたわっ!」
「あのー? ゆかりさーん? ゆかりーん?」
「うふふふ……もう逃がさないわよ……」
「ひぇっ」
心の中で静かに頭を抱えた瞬間だった。
どうやら、認めて貰えた所か効果てきめん過ぎてやばいスイッチをオンにしてしまったらしい。
(どうして……どうしてこうなった!?)
――この後、幻想郷へ渡った後も定期的に八雲家へお呼ばれして手料理を振る舞うことになるのは、また別の話である。