幻想回帰節   作:北宮 涼

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31の節:紅い霧の異変、その14

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

◆ side:レミリア・スカーレット ◆

 

 紅魔館の地下は、まるで嵐が過ぎ去った跡のようだった。

 砕けた壁、抉れた床、漂う霧と埃。

 ついさっきまで、すべてを呑み込み破壊し尽くす狂気が渦巻いていた。

 それが今は、息を潜めたように静まり返っている。

 

 ――中心に、二人がいた。

 

 血に染まりながら眠る少年と、その胸に顔を埋めて静かに眠る、私の妹。

 

 汚れも少なく、安心し切ったような顔で眠る妹とは対照的に、少年は戦いで傷つき、ボロボロになって泥のように沈黙している。

 誰が見たって死に体だ。それなのに――妹から離れることは無かった。

 まるで、抱きしめる形のまま凍りついたように……意識を失っていても、交わした約束だけは反故にしないと言わんばかりに。

 

 その光景を見て……胸の奥が、鈍く痛んだ。

 

(……フラン)

 

 名前を、呼ぼうとした。けれど、声にならなかった。

 喉の奥が……微かに震えただけだった。

 誰より近くにいたはずなのに。“姉”であるはずなのに。

 私は結局、最後まで、この両の手で抱きしめてやれなかった。

 

 そんな、あの子へしてやれなかったコトを、ほんの一瞬でやってみせたのは――名も知らぬ人間だった。

 

 悔しさだとか、羨望だとか。

 もっともっと沢山の想いが混ざった、複雑な感情が胸の奥へ沈んでいく。

 ……それを破ったのは、巫女の息だった。

 

「ほんっと、無謀な奴ね」

 

 霊夢は、呆れたように言う。

 けれど、声がわずかに震えているのがわかった。

 

「普通の人間なら、とっくに死んでるわよ。それも何度も。……あの状態で、立てるわけないんだから」

 

 霊夢は少年を見下ろしたまま、そっと息を吐いた。

 

「止められるなんて思ってなかった。結界を破壊されて、封印も破られて……私には、フランドールを傷付けずに止めるのは無理だった。なのに、創英は……」

「ほんと、無茶苦茶だなアイツ」

 

 パチェと一緒に来ていた魔理沙とか呼ばれていた人間が、魔女を連想させるような帽子のつばを持ち上げながら、霊夢の言葉に同調するように言う。

 

「正気じゃないぜ、あんなの。誰に言われたわけでもないのに、あんなの……どうしてできちまうんだよ」

 

 ぎゅっと、横一文字に引き絞られた口元。

 それに呼応するように握りしめられた魔理沙の拳は、細かく震えていた。

 

「見えてたんだよ。途中で何度ぶっ倒れてもおかしくなかったってのに……それでも、行ったんだ。誰が止めても、絶対に止まらなかった」

「本当に……常軌を逸したバカね」

 

 霊夢も小さく頷いた。

 その言い方には、皮肉も呆れも無く――ひどく、優しい声色だった。

 

 私は目を伏せた。

 霊夢や魔理沙とは、まだ知り合って一日も経っていない。

 ほとんど話もしていないし、気安く語り合った覚えもない。

 だけど。この二人は、少年の背中を“理解していた”。

 そうでなければ、あんな声は出ない。

 

 胸が軋んだ。

 どれだけ距離を置いても、誤魔化せない痛みだった。

 

 横で、咲夜が立ち上がる。

 

「……お嬢様」

 

 包帯も巻けていない傷だらけの身体で、それでも気丈に立っていた。

 彼女の視線は、少年とフランの元から離れなかった。

 

「フランドール様は……助かりましたね」

 

 その声は、微かに震えていた。

 

「……咲夜、あなたも限界だったでしょう」

「ええ。どんな術も効かず、時間停止すらも破られました。私などでは……敵わなかった」

 

 そこで咲夜は言葉を切り、わずかに唇を噛んだ。

 

「それでも……あの人は止めた。フランドール様に届いた。何一つ持たない状態で」

 

 “自分ではできなかった”という悔しさ。

 “救われた”という安堵。

 その両方が滲んでいた。

 

 パチュリーが、肩で息をしながら本を閉じる。

 

「……知識も、魔法も、術式も……全部、無意味だったわ」

 

 自嘲と、認める苦さが入り混じっていた。

 

「魔力の衝突では勝てない。封印も隔離も破壊され、焼き切られた。計算も理論も通じない。結局――心の問題だった」

 

 小悪魔が隣で震える声を絞り出す。

 

「パチュリー様でも、止められなかったのですね……」

「ええ。フランを救ったのは、魔法じゃない。……あの人間の声と、手よ」

 

 まるで、負けを認めるかのように。

 でも、顔はどこか穏やかだった。

 

 誰もが静かに息を呑む中――地下室の中で、足音が響いた。

 

「創英さんっ!!」

「創英様っ!!」

 

 美鈴とラッシュだった。

 血まみれの服で、足を引きずりながら、それでも全力で駆けてきた。

 美鈴が少年を抱き起こし、ラッシュが震える手で脈をとる。

 一瞬――その顔が真っ青になった。そして。

 

「……生きてる……っ」

 

 腰を抜かすようにその場に座り込み、ラッシュは涙をこぼした。

 

「よかった……よかった……っ!」

 

 安堵からか、声を押し殺すように泣き始める美鈴。

 その泣き声は、きっと誰よりも優しいものだった。

 

「……ごめんなさい……ごめんなさい……っ……! わ、わたし……フランドール様に勝てなくて……守れなくて……!」

 

 土埃と涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、小さな手で創英の服を掴むラッシュ。

 そんなラッシュの肩に、咲夜がそっと手を置く。

 

「そんな事はないわ。あなたのおかげで、私は生きている」

 

 弱く、それでも確かな声だった。

 

「あなたは確かに守ったわ。私も、そしてあの人も」

 

 ラッシュは唇を噛み、涙をこぼしながらも頷いた。

 

「で、でも……創英様を止められなくて……あんなに、傷だらけだったのに……っ!」

 

 それでも泣き止まないラッシュに、しゃくりあげながらも、美鈴が優しく微笑んだ。

 

「大丈夫ですよ。彼は……創英さんは、強い人間よ。あなたも、最後まで諦めなかったでしょう?」

 

 その言葉に、ラッシュはさらに泣いた。

 けれど――初めて、泣き声に少し安息が混じった。

 

 そんな、ラッシュの泣き声に反応したのか。

 少年の腕の中で、フランが小さく指を動かした。

 ぎゅ、と。まるで、離したくないとでも言うように。

 

 私の胸は、また痛んだ。

 

 ――ようやく。

 ようやくフランは、誰かに『触れて』もらえたのだ。

 その『誰か』が私であれば、どれほど良かったことか。

 

 私は近づき、そっと膝をついた。

 震える手で、フランの髪に触れた。

 

「……フラン」

 

 今度はちゃんと声が出た。

 けれど、名前を呼ぶだけで喉が詰まりそうだった。

 

「眠りなさい。もう、大丈夫。これからは、あなたを独りになんてしない」

 

 手が震えていた。

 指先が冷たいのに、掌が熱かった。

 

 ……私は、ずっと間違っていた。

 閉じ込めたことが正しいと思っていた。

 触れられないようにすることが守ることだと信じていた。

 けれど――この少年は、違う手段で守ってしまった。

 

 壊れた心に触れて、泣き声を聞いて、抱きしめて。

 そして、救ってしまった。

 姉である、私を差し置いて。

 ……気づけば、フランは笑っていた。

 

「……フラン。あなた、ようやく笑える日が来たのね」

 

 崩れた天井の隙間から、柔らかな光が差し込んだ。

 埃の舞う中に、温かい陽光が落ちていく。

 

 まるで――夜の終わりを告げる、小さな朝のようだった。

 

 私はゆっくりと目を閉じ、呟いた。

 

「創英。創英ね……ふふ、気に入ったわ」

 

 そして、ほんの少しだけ笑った。

 

⸻⸻⸻

⸻⸻

 

◆ side:ラッシュ・ホルン ◆

 

 紅魔館に、久しくなかった静けさが戻っていた。

 

 あの戦いから七日が経ち、今は地下室を初めとした館の修繕も終わっている。

 あの異変以降、紅霧はすでに晴れ、その日の内に霊夢と魔理沙も帰途についた。

 表向きは以前の紅魔館に戻っている。けれど、館の空気はどこか落ち着きがなかった。

 まるで誰もが――まだ「何かを待っている」ような、そんな様子だった。

 

 それもそうだ、と私は思う。

 何故なら、少年……時崎創英は、あれから一度も目を覚ましていないからだ。

 そしてそれは、妹様……フランドール様も、同様だった。

 

 あの後、あまりの深手ゆえにその場から動かすのも不味いと判断した美鈴によって、地下室に集結した皆で慎重に館の客室へと運び込まれた。

 そしてそれ以降、目覚めることも無いまま、お嬢様が咲夜メイド長に用意させた客室のベッドの上で浅い呼吸を繰り返している。

 その傍らには……私こと、ラッシュ・ホルンが膝をついていた。

 主たるフランドール様を護るべき立場でありながらも、今は特例の元で彼の看護に付きっきりになっていた。

 

「本当に、不思議な人間ですね。紅魔館の誰一人としてできなかったことを……たった一人でやってしまうなんて」

 

 彼の頬に触れ、呼吸と共に上下する胸を見つめる。

 彼の胸に残る傷は深く、癒えかけてはまた疼くようで、時折苦しそうに呼吸を繰り返している。

 それでも……彼の表情は穏やかだった。

 まるで、あの嵐の夜の出来事さえ赦しに変えてしまったかのように。

 

 私はそっと掌を組み、祈るように目を閉じた。

 

「どうか、妹様が……創英様の想いを忘れませんように」

 

 ……その祈りが届いたかのように。

 館の二階――東向きの一室で、妹様が目を覚ましたことを知ったのは、それからすぐの事だった。

 

 

◆ side:フランドール・スカーレット ◆

 

 瞼の裏に、光が差し込んでいた。

 柔らかく、温かい。

 けれど、そこには焼けるような痛みはない。

 

(……ここ、どこ?)

 

 私は、ゆっくりと上体を起こした。

 見慣れない部屋。けれど、どこか懐かしい香りがした。

 壁の向こうから、小鳥の囀りが聞こえる。

 紅魔館の地下では決して聞こえなかった音。

 

 ――カーテンによって光が遮られ、それが淡く微かに室内を照らす。

 夜明け前の金色。始まりを告げる輝き。

 空を暁黎に染める、その刹那の光。

 その光がカーテンの隙間から漏れて、一条の線となって薄暗い部屋に引かれる。

 

 私は、それに向かって恐る恐る手を伸ばした。

 指先が光の線を掠めた瞬間――。

 

「っ!」

 

 ジュッ、と。

 かすかな音が、静寂を裂いた。

 

「……あ」

 

 焼ける匂い。

 けれど、痛みはすぐに消えた。

 ただ、その熱に胸の奥がじんわりと満たされる。

 

(これが……本物の、太陽の光)

 

 そう思った瞬間、胸が締めつけられる。

 懐かしさではない。

 ただ、届かないものへの憧れと、一時味わった温もりへの郷愁が、そこにはあった。

 

「……そうだよね。わたしは、夜の子だもの」

 

 静かに呟いて、焼けた手を胸元に抱いた。

 寂しく思ったのも一瞬で、今はどこか安堵が勝っていた。

 

「でも――あったかい、ね」

 

 誰に宛てるでもない私の声は、静かな部屋に溶けて消えた。

 

「……目が覚めたのね」

 

 そんな折に、扉を開いて誰か入ってきた。

 その声の主は……お姉様のモノだった。

 夜明けの光に焼かれぬように気を付けながら、カーテンを背にして立つその姿は、まるで影絵のようだった。

 

 私はは小さく息を呑み、姉を見つめた。

 

「おねえさま……」

 

 声が震える。何故だか、緊張してるみたい。

 でも……もう、あの時のような寂しさも、壊してしまう怖さも、胸の中にはなかった。

 

 お姉様は静かに歩み寄って、ベッドの傍に膝をついた。

 

「フラン。私は……あなたに、謝らなきゃいけない」

 

 静かな声。

 その言葉の一つひとつに、長い長い沈黙が積もっていた。

 

「私は、あなたを怖がっていた。どう接していいのか、分からなかった。それで、閉じ込めて、離れて……“守る”なんて言葉で誤魔化していたの」

 

 私は、何も言わなかった。

 ただ俯いて……小さく唇を噛んだ。

 

 わかってた。みんなが、私の力を怖がっていたのは。

 でも、いざこうして告げられると……すこし、参ってしまう。

 

 ……その沈黙の中で、お姉様は続ける。

 

「でも、あの人間の少年が――あなたを“怖れずに”抱きしめた。血を流しながら、痛みを引き受けながら、それでもあなたを離さなかった」

 

 レミリアの声が、少しだけ震えた。

 

「それを見て、気づいたの。私は“姉”をやめていたのね」

 

 お姉様の肩が揺れた。

 ゆっくりと顔を上げると、お姉様の頬には……涙の跡が伝っていた。

 

「……違うよ」

 

 寝起きで上手く喋れない私の掠れた声が、薄明るい部屋の中でぼんやりと響く。

 

「おねえさまは、おねえさまなりに、わたしを守ってくれてた。……ずっと、怖かったんでしょ? わたしの力が」

「フラン……」

「でも、もうだいじょうぶだよ。だって……」

 

 言葉を区切る。

 思い浮かべるのは、血の繋がらない”兄”の姿。

 私よりもはるかに年下の、頼れる”にぃに”の笑顔。

 

「……“あの人間”が教えてくれたもん。壊すのが悪いことじゃないって。壊したぶんだけ、また作れるって」

 

 その言葉に、お姉様の瞳が揺れた。

 私の口からそんな言葉が出てくる日が来るなんて、きっと思いもしなかったんだと思う。

 ……私は、触れることの叶わない光に手をかざしたまま、静かに続けた。

 

「ねぇ、おねえさま。……創英、どこ?」

 

 レミリアは小さく微笑み、首を横に振った。

 

「まだ眠っているわ。でも……きっともうすぐ目を覚ます。あの少年は、そういう人間よ」

 

 私はその言葉に小さく頷くと、ベッドから降りた。

 頭が少しだけクラクラするけど、きっともう大丈夫。

 ――歩いていける。独りでいる必要も、もう無くなった。

 そう確信できるほどに、私の心は晴れやかだった。

 

 

◆ side:紅美鈴 ◆

 

 館の中庭。

 紅いバラが風に揺れるその中心に、一人の少年が立っていた。

 包帯だらけの身体を支えながらも、背筋を伸ばして。

 

「……目を覚ましたんですね」

 

 庭の手入れをしていた手を止め、少し笑いながら彼の元へ駆け寄る。

 

「全く! 創英さん、あなたは無茶しすぎですっ! あの時は……ほんとに、死んじゃったかと」

「あはは……俺もそう思ったよ」

 

 彼は笑い、空を見上げた。

 紅霧のない空は澄み切っていて、光が眩しかった。

 

 私はその横顔を見て、目を細めた。

 

「……あなたに、恐れはないんですね。あんなに強い存在の前でも、逃げませんでしたし」

「怖くなかったわけじゃないさ」

 

 私の言葉に対し、彼はゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「ただ――あの時は、誰かを“ひとりぼっち”にはしたくなかったんだ。ただ、それだけだよ」

 

 その答えに、私は少しだけ呆れが来てしまう。

 けれど同時に、そんな”祈り”にも近い想いへ、私は尊さを感じた。

 

「……ほんと、どうしてそんな真っすぐなんでしょうね」

「はは。たぶん、不器用だからだろ」

 

 ――そうやって笑う彼の遠景には、私達の会話を見守る影があった。

 それはレミリア様とフランドール様だった。

 かの姉妹は並んで日陰のバルコニーに立ち、少年を見つめながら何かを喋っている。

 ……こっそりと、唇を読んでみた。

 

『この紅魔館を変えたのは、奇跡でも、魔法でもなかったのね』

 

 フランドール様が隣で笑う。

 

『うん。――“にぃに”の、優しさだよ』

 

 その言葉に、レミリア様はそっと目を細めた。

 そして、フランドール様の肩に手を置く。

 

『フラン。あなたの笑顔、やっと見られたわ』

『おねえさまもね』

 

 姉妹が微笑み合う。そんな二人につられて、私も笑った。

 

「美鈴?」

「ふふ。なんでもありませんよ」

 

 風が吹き抜け、紅の花弁が宙に舞う。

 その光景は、まるで紅魔館そのものが息を吹き返したようだった。




どうも。北宮涼です。
いやぁ、今話も難産でした……
投稿予定時刻を約1時間過ぎましたが、ようやくお出しできました。
赤い霧の異変編、これにて終わりでございます。
後は後日譚として1話投稿しまして、1度充電期間を設けたいと思います。
(お話のストックも切れちゃったし、案も色々考えたいし)

ですので、次のお話である32の節を投稿後、具体的な期間は未定ですが、少なくとも1週間はお休みさせていただきます。
長くても2週間以上は間を開けずに戻る予定なので、更新をお待ちいただくようお願いいたします!
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