幻想郷において、人間とは常に「記録すべき存在」であった。
脆く、短命で、そして恐ろしくもある生き物。
だが、今回筆を執る相手――
時崎創英という男は、そのどの枠にも収まらない。
妖怪を恐れる。
それは当然だ。人間とはそういう生き物であるべきだ。
にもかかわらず、憎まず、拒まず、討たぬ。
それは果たして美徳なのか、それとも愚かさなのか。
その答えを探るため、私はこの取材に臨んだ。
記者としての私が興味を持ったのは、その思想であり、
鴉天狗としての私が警戒したのは、その危うさである。
だが、話を聞くうちに気づいてしまった。
この男は「幻想郷を変えようとしている」のではない。
ただ、自分の過去に嘘をつかぬよう、生きようとしているだけなのだと。
その姿は静かで、だが確かに、どこか恐ろしい。
だからこそ、ここに記そう。
これは単なる“面白い外来人”の記事ではない。
幻想郷が、彼という存在をどう受け入れるかを問う、一つの観測である。
さあ、読者諸君。
この男の言葉と在り方を、どう受け取るかは貴方次第だ。
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文々。新聞
第百十八季 葉月の五
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新進気鋭の外来人!
“縁を紡ぐ退魔師” 時崎創英
―― 妖怪を恐れ、なお拒まぬ男の正体 ――
幻想郷において、近ごろひときわ名を耳にする人間がいる。
稗田邸に身を寄せ、庭仕事から妖怪退治までをこなす外来人、時崎創英である。
彼は先日の紅魔館異変において、博麗の巫女および霧雨の魔法使いと共に館へ侵入し、混乱の只中で原因究明に奔走した中心人物の一人だ。
その行動の裏には、近頃里周辺で問題となっている奇妙な石――霊石(れいせき)の存在があったという。
本人の証言によれば、この石は妖怪の理性を歪め、負の感情を増幅させる危険な代物らしい。
現在、幻想郷において“事件として認識され始めたのもここ数週間ほど前”とのこと。
だが本紙が注目したのは、その実務能力よりもむしろ「妖怪に対する在り方」である。
「怖いですよ。今でも」
創英はそう率直に語った。
力も価値観も生き方も異なる存在——それが妖怪だと認めつつ、それでも彼は続ける。
「でも、だからといって憎みたくはないんです。
俺はもう、“違う”って理由だけで誰かを拒む自分に戻りたくない」
聞けば彼は、かつて妖怪絡みの事件で家族を皆殺しにされ、自身も心に深い傷を負ったという。
半年にわたる入院生活、幾度もの自死未遂、その果てに辿り着いたのは「中立であろうとする意志」だった。
恐れながら、拒まない。
距離を測りながら、踏み込みすぎない。
だが見捨てない。
この姿勢は、妖怪側から見れば極めて特異だ。
創英は“妖怪を恐れない人間”ではない。
だが“妖怪を恐れながらも憎まない人間”なのである。
その思想は、妖怪と人間との境界を曖昧にしかねないという意味で、幻想郷にとっては「希望」にも「不穏」にも成り得る。
だが同時に——確実に、興味深い存在であることは間違いない。
果たしてこの男は、幻想郷に何をもたらすのか。
英雄か、異物か、それとも新たな均衡の象徴か。
今後の動向から、目が離せない。
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記者:射命丸 文
撮影協力:稗田阿求/紅魔館関係者
新聞を刷り終え、自宅へと戻る中で、私はふと立ち止まった。
あの男の言葉が、耳から離れない。
「怖いからって、憎みたくはない」
妖怪である私に向けられた言葉ではないはずなのに、
どうしてだろう。胸の奥が妙にざわついている。
幻想郷は、恐怖によってバランスを保ってきた世界だ。
人は妖怪を恐れ、妖怪は人を狩る。
それが「理」というものだ。
だが、彼は違う。
恐れを抱えたまま、それでも“理解しようとする”。
それは、妖怪にとって最も扱いづらい人間だ。
討つにも討てず、信じるにも信じきれない。
だが――
もし、もしも。
この幻想郷に「恐れを知った優しさ」が存在するとしたら。
それはどれほど滑稽で、どれほど眩しい光だろうか。
記者としては、極めて興味深い。
妖怪としては、極めて厄介。
だが私は、こうも思ってしまった。
――この男が、簡単に折れてしまうような世界であってほしくはない、と。
次に彼の記事を書くとき、
それは警告になるのか、それとも賛歌になるのか。
それを決めるのは、私ではない。
風でもない。
幻想郷そのものだ。
だが一つだけは確かだ。
時崎創英という人間は、
この幻想郷に「波紋」を生んでしまったということを。