幻想回帰節   作:北宮 涼

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35の節:激突!? 星の爆窃団!

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

◆ side:時崎創英 ◆

 

 紅魔館の図書館は、いつ来ても空気が重たい。

 

 高く積み上げられた書架、薄暗い照明、紙とインクと古い魔力の匂い。

 その全てが静まり返っていて、咳払いひとつでもしたら本に睨まれそうな、そんな空気だ。

 

 ……まぁ、実際に睨んでくるのは本じゃなくて、そこの魔女なんだが。

 

「それで、人間の里の状況は?」

 

 机の向こうから、仏頂面のパチュリーさんが本とコチラを交互に見ながら尋ねてくる。

 俺は用意してきた報告を、淡々と整理しながら口にした。

 

「霊石の反応は、少なくともここ一週間は落ち着いてます。里の警らも増員されてるし、妖怪側も妙な動きは……今のところ、ないですね」

「“今のところ”って言い方が、いかにも不安要素を残してる気がするけれど」

「正直に言うしかないですからね。……気配そのものは、完全に消えたとは言い切れません」

 

 ページをめくる手が、ほんのわずかに止まる。

 

「ふうん。霊的残滓、って訳ね。気にかけておくわ」

「お願いします。俺の方でも、分かる範囲では探っておきますけど」

 

 今日は、フランの様子を見に紅魔館へ来たついでに、書斎へご挨拶に寄った、という流れだ。

 フランはレミリアお嬢様と中庭で日向ぼっこ中。俺は少し時間をもらって、パチュリーさんに近況報告をしていた。

 

「にしても……」

 

 ぐるりと見回せば、相変わらず本、本、本だ。

 

「ここ、一部屋潰して簡単な運動スペースでも作った方が健康に良いと思うんですが」

「私に運動を勧める人間って、あなたくらいだと思うわよ」

 

 呆れたように言いながらも、声に棘はない。

 こうして何気ない会話ができるくらいには、俺も紅魔館に馴染んできたのだと思う。

 

「……そろそろ、お暇します。長居すると怒られそうですし」

「誰に?」

「主に咲夜さんあたりから、“お仕事増やしてもいいんですよ?”っていう圧が」

「それは自業自得っていうのよ」

 

 パチュリーさんがくすりと笑う。

 その笑顔を見届けてから、俺は軽く頭を下げた。

 

「それじゃ、また来ます。何かあれば、里の方に文でも――」

 

 言い終わる前に。

 

 空気が、震えた。

 

 ごう、と。

 耳の奥を殴るような魔力の奔流。

 次の瞬間、扉の向こうから怒鳴り声が飛び込んできた。

 

「恋符《マスタースパーク》!!」

「――はあっ!?」

 

 反射的に、霊力が走る。

 考えるより先に、身体が結界を展開していた。

 

 白い奔流が図書館の入口をぶち抜き、一直線に突っ込んでくる。

 光、爆音、衝撃。

 結界にぶつかった魔力が弾け、周囲の本棚が大きく揺れた。

 

「ぐっ……!」

 

 腕に痺れるような負荷が走る。

 それでも、何とか受け止めきった。床が焦げ、紙片がひらひらと降り注ぐ。

 

「……今のは」

「決まってるでしょ」

 

 パチュリーさんが、きわめて低い声で呟く。

 

「霧雨魔理沙よ」

 

 煙の向こうから、軽い笑い声が聞こえた。

 

「いやー、相変わらず頑丈だな、ここの本棚は!」

 

 箒にまたがった金髪の魔法使い――霧雨魔理沙が、悪びれもせずひらひらと手を振る。

 

「よっ、パチュリー! 本、借りに来たぜ!」

「“借りに”じゃなくて“盗りに”でしょ、あなたの場合は」

 

 パチュリーさんの目が、ひくりと震えた。

 さっきまでの穏やかな空気は、跡形もない。

 

 ……いや、穏やかじゃない方が普通か。今のは。

 

「魔理沙」

 

 俺は一歩、前に出た。

 まだ結界を張りっぱなしの腕に、じん、とした余韻が残っている。

 

「なんだよ、創英。久しぶりじゃないか」

「久しぶりにしてはずいぶん派手な挨拶だな。図書館にマスパをぶち込む奴があるかよ」

「入口から素直に入っただけだぜ?」

「入口ごと破壊してどうすんだ」

 

 言葉遊びみたいに軽口を叩いてくるが――さすがに笑って済ませていい話じゃない。

 魔力の余波で、一部の本は床に崩れ落ちている。

 よくこれでパチュリーさんが爆発しなかったな、と感心するレベルだ。

 

「本当にもう……」

 

 パチュリーさんが腹の底から低く深く息を吐き出す。

 目からはハイライトが消えているようにも思えて、魔理沙の所業に対して相当我慢をというか……いや、これはむしろ今にも爆発しそうな、そんな気配がする。

 

「創英。あなた、ちょうど良かったわ」

「はい?」

「代わりに、彼女をとっちめてちょうだい」

「はい!?」

 

 すごく、真顔で言われた。

 

 魔理沙が「お?」と目を輝かせる。

 

「いいじゃねぇか。紅魔館の本を守るガーディアンってとこか?」

「そんな設定はない!」

 

 ないが――。

 ここで曖昧に笑って流したら、たぶん俺の中の何かが許さない。

 

「はあ……分かりましたよ」

 

 返答し、息を吸う。

 魔理沙と、まっすぐに視線を合わせた。

 

「と、言うわけで……霧雨魔理沙。生憎だけれど、今日は逃がさないわよ」

「おー、言うじゃないか」

 

 パチュリーさんの発言に、魔理沙がニヤリと笑った。

 

「肩を並べて戦ったことはあったが、お前とやるのは初めてだな。それじゃ……続きは弾幕で話そうぜ。外来人」

 

 その挑発に、俺も思わず口の端を吊り上げる。

 

「ああ。望むところだ、魔法使い」

 

 こうして、紅魔館屋上での“お仕置き弾幕ごっこ”が決まった。

 

 

 屋上へと続く階段を上がりながら、魔理沙は機嫌よく鼻歌すら口ずさんでいた。

 

「いやぁ、パチュリー直々の依頼で決闘とか、なかなかレアだぜ?」

「レアって。普通ならそんな機会すら無いはずなんだがな? 少しは迷惑かけてる自覚は持ったらどうなんだ」

「迷惑じゃないぜ? 刺激だよ刺激」

「図書館に火気をぶっぱなすのを刺激とか、普通は言わないぞ」

「紅魔館基準ってやつだな」

 

 まったく反省の色がない。

 だが、だからこそ――詰めがいがあるとも言える。

 

 屋上に出ると、開けた空と夜風が広がった。

 月明かりが白く濡れた石畳を照らし、眼下には紅魔館の中庭が広がる。

 

「ここなら、多少暴れても問題ないでしょう」

 

 そう言って肩をすくめたのは、先に様子を見に来ていた咲夜さんだ。

 

「創英様、あくまで“お仕置き”ですからね。建物を半壊させるようなことはお控えください」

「……努力します」

「そこは即答で“任せてください”でしょうに」

 

 溜息をひとつ残して、咲夜さんは姿を消す。

 その背中に見送られながら、俺は魔理沙と向かい合った。

 

「それで? 説教タイムか?」

「いや」

 

 ゆっくり息を吐く。

 

「今日のは“話が通じない相手には分からせる”ってやつだ」

「へぇ、やっと分かってきたじゃないか」

 

 魔理沙は嬉しそうに箒をくるりと回す。

 

 パチュリーさんのぼやいた声が、背後から響いた。

 

「勝負のルールは簡単よ。スペルカードあり、殺しなし、流れ弾で私の書庫をこれ以上壊さないこと」

「一番難易度高い条件だぜそれ」

「文句言わないの」

 

 パチュリーさんは軽く咳をしながらも、こちらをちらりと見てくる。

 

「創英、任せたわよ。この盗人を少しは反省させて」

「……善処します」

「“善処”じゃ足りないんだけど……」

 

 ぼそっと呟かれたが、聞かなかったことにした。

 

 魔理沙が、ニヤリと笑う。

 

「じゃあ行くぜ? 難しい理屈は抜きだ。勝ったほうが正義な」

「どこで覚えてきたんだ、その理屈」

「さあな!」

 

 ふっと、空気の密度が変わる。

 互いの霊力が緩やかに高まり、肌にひりつく感覚が走った。

 

 俺も深く息を吸い、構える。

 

「使用スペルは二枚ずつでいいな?」

「望むところだぜ」

 

 魔理沙が高らかに宣言する。

 

「魔符《スターダストレヴァリエ》! 恋符《マスタースパーク》!」

 

 空にきらめく星屑の予兆。

 それを見上げながら、俺も名前を口にした。

 

「鎌鼬《斬滅風刃》……そして、飛剣《翔霊波》」

 

 空気が震える。

 

 夜空に二人分の霊力が満ちていく。

 

「いくぞ、創英!」

「来い、魔理沙!」

 

 箒と翼。

 互いに地を蹴り、闇を裂いて飛翔を開始した。

 

 

 夜空を切り裂く風の中、俺と魔理沙は互いに距離を取りながら旋回していた。

 月を背にした彼女の姿は、やけに楽しそうで――腹が立つほど軽やかだった。

 

「おいおい、異変のときより安定してるじゃないか」

 

 魔理沙の声が風に乗って届く。

 

「結構ちゃんと扱えてるぜ、その霊力の翼」

「……褒めてるのか、それ」

「半分な」

 

 そう言った瞬間、魔理沙の箒が大きく傾く。

 

「まずは肩慣らしだぜ!」

 

 カードを高らかに掲げ、叫ぶ。

 魔符《スターダストレヴァリエ》宣言――魔理沙を起点に、夜空に星屑が散る。

 

 無数の光弾が尾を引きながら、雨のように降り注いできた。

 単なるばら撒きではない。進路を潰し、逃げ道を削る、魔理沙らしい“物量制圧”。

 

「……容赦ないな」

 

 俺は息を整え、霊力を集中させる。

 

「鎌鼬《斬滅風刃》!」

 

 此方もスペルカードを宣言。放たれた刃のような風が、放射状に拡散しながら星弾を薙ぎ払う。

 弾幕が砕け、削がれ、夜空に霧散していく。

 

 ――だが、それだけじゃ終わらない。

 

 斬り裂いた空気は、元の位置へ戻ろうと“逆流”を始める。

 引き寄せられるように、魔理沙の飛翔進路が狂う。

 

「っ……!? そう来るか!」

 

 箒を強引に捻り、ぎりぎりで体勢を立て直す魔理沙。

 だが、その隙に俺は距離を詰め、通常弾幕を叩き込んだ。

 

「ちっ、そっちも洒落にならないな……!」

 

 光弾をかわしながらぼやく声には、明らかな手応えが滲んでいた。

 

(……ちゃんと、強くなれている)

 

 俺自身も、それを実感していた。

 異変のときの“必死な随伴”とは違う。

 今の俺は、空で戦えている。まともに対応できている。

 

「でもな!」

 

 魔理沙は口角を上げる。

 

「まだまだ“慣れた程度”だぜ!」

 

 再び広がる星屑。

 密度の増した光が、空間そのものを埋め尽くす。

 

 避けきれないと判断し、俺は回転しながら斬撃を重ねる。

 風と光がぶつかり合い、夜空に細かな火花が散った。

 

 引き寄せ、弾き、削る――。

 鎌鼬《斬滅風刃》は確実に通用している。

 だが魔理沙の弾幕も、決して甘くなどない。

 

「へぇ……面白くなってきたじゃんか」

 

 魔理沙の声が、どこか楽しげに跳ねる。

 

「いい面構えになったじゃねーか。“付いていくのに必死な顔”じゃない、ちゃんと“戦ってる顔”だ」

「褒め言葉として受け取っておく」

「もちろんだ!」

 

 そして――空気の圧が変わった。

 魔理沙の霊力が、明らかに跳ね上がる。

 

(……来るか)

 

 その予感と同時に、彼女は大きく距離を取った。

 箒の上に立ち、ミニ八卦炉を水平に構え、目を細めて笑う。

 

「そろそろ決めようぜ、創英」

 

 次に来るのは、切り札。

 俺も自然と風花を構えた。

 

 夜空に張りつめた緊張が走る。

 そして――決着の刻が、迫る。

 

 

 空気が張り詰める。

 夜空が、静かに息を潜めた。

 

 魔理沙が大きく息を吸うのが見える。

 構えるミニ八卦炉の先に、圧縮されていくのは膨大な魔力――。

 

「行くぜ……!」

 

 迷いを微塵にも滲ませないままに――彼女は、声高らかに叫んだ。

 

「恋符――《マスタースパーク》ッ!!」

 

 轟音と共に、極太の光が夜を裂いた。

 視界を灼くほどの奔流。破壊の意思をそのまま形にしたような、一直線の輝き。

 

「……っ!」

 

 その迅滅の光を前に、俺も――霊力をフルに引き出した。

 

「飛剣――《翔霊波》ァ!!」

 

 無数の霊刃が翼のように広がり、魔力の奔流へと突き進んだ。

 剣閃が飛ぶ。霊が唸る。風が悲鳴を上げる。

 

 光と刃がぶつかり合い、夜空が瞬く間に白く染まる。

 衝突の中心で、弾幕の渦がねじれ、爆ぜた。

 

「うおおおおっ!!」

「……くっ!!」

 

 押し合う、削り合う。

 霊力が軋み、視界が歪む。

 とんでもない圧力に吹き飛ばされそうになる。

 だが、どちらも譲らなかった。

 

 そして――

 

 轟音。

 閃光。

 衝撃。

 

 空に巨大な光の花が咲いた。

 

 最後の轟音と共に、俺と魔理沙は弾き飛ばされる。

 空中で回転しながら、なんとか制御を取り戻して体勢を立て直し、紅魔館の屋上へと降り立った。

 

 煙が晴れる。

 

 互いに息を荒くしながら、顔を見合わせる。

 

「……へへ」

 

 先に笑ったのは、魔理沙だった。

 

「引き分け、だな」

「……ああ。その様だ」

 

 正直、悔しい。

 だが同時に、不思議と清々しい。

 

「なかなかやるじゃねーか、退魔師」

 

 魔理沙は肩をすくめ、屋上にぽんと一冊の魔導書を放り投げた。

 

「負けはしなかったけど、勝てもしなかったし……今日の所は潔く引いてやるよ。これも置いてくぜ」

「……助かるよ。けど次は――」

「――勝つ、だろ?」

 

 にやりと笑い、箒にまたがる。

 

「それ、こっちの台詞な!」

 

 そう言って、夜空へと飛び立っていった。

 

 魔理沙の残した風が吹き抜ければ、後には静寂が戻ってきた。

 俺は手のひらを見つめる。

 まだ、微かに震えていた。

 

(引き分けた。魔理沙に勝てはしなかった……けど、ちゃんと戦えた)

 

 少しだけ、胸の奥が熱くなる。

 

 紅魔館の夜は静かだった。

 だがその夜空には、確かにひとつの“決着未満”が刻まれていた。

 

 ――次は、勝ってみせる。

 

 そんな小さな決意を、俺は月に誓った。

 

 

◆ side:十六夜咲夜 ◆

 

 私は、パチュリー様のすぐ傍に控えながら、屋上の様子を見上げていた。

 

 空を裂く音。

 魔力がぶつかり合う衝撃。

 それらすべてが、紅魔館の天を震わせていた。

 

「……これが、創英様の“戦い”」

 

 これまで何度もお会いし、言葉も交わしてきた。

 穏やかで、気遣いがあり、どこか影のある外来人。

 

 退魔師だと聞いてはいたが――こうして戦っている姿を見るのは、初めてだった。

 

 弾幕の軌道は、どこか理詰めで、それでいて不器用。

 だが、その一つ一つに迷いがない。

 

 剣閃を飛ばすという戦術も、刀を扱う者らしい選択ではあるのだろう。

 けれど、その精度は想像以上だった。

 

 力任せではない。

 相手の動きを読み、風を操り、間合いを測り、弾幕を確実に“通そう”としている。

 ――弾幕ごっこの手練である魔理沙との戦いで、あれほど互角に渡り合える人間はそう多くはない。

 

(……危うい方)

 

 それが、最初に浮かんだ正直な感想だった。

 

 創英様は、恐らく“戦うために生きてきた人間”ではない。

 それでも、誰かを守るためならば迷わず前に出る。

 命を賭す覚悟を、躊躇なく選べてしまうタイプ。

 賢いとは言い難いが――だからこそ、その力は真に迫る。

 

 視線の先、弾幕の光の中で、創英様がわずかに歯を食いしばっているのが見えた。

 

 退かない。

 誤魔化さない。

 逃げない。

 

(……まるで、騎士のようですね)

 

 ふとそんな言葉が浮かんで、私は小さく息を吐いた。

 

「パチュリー様、いかがですか?」

 

 そっと問いかけると、パチュリー様はぼそりと答える。

 

「……思ったより、ずっと真面目ね」

 

 その声には、呆れと僅かな評価が混じっていた。

 

 空で交差した光が、やがて爆ぜ、そして霧散する。

 相打ち……引き分け。

 今回は勝敗は付かなかった。

 ――けれど。

 創英様の戦いぶりは、私の中に確かな印象を残していた。

 

 優しいだけの人間ではない。

 だが、冷酷な戦士でもない。

 恐れを知り、それでも立つ人間。それが、時崎創英という人間。

 

 それは紅魔館という“異界”において、少しだけ異質で、だからこそ印象深い存在だった。

 

(創英様は……)

 

 あの方はきっと、自分のためにはあまり戦わない。

 誰かのためにだけ、不器用に剣を振るうのだろう。

 

 そしてその姿は、きっと。

 誰かの心を、知らず知らずのうちに救ってしまう。

 

 私は視線を落とし、静かに微笑んだ。

 

(……とても厄介で、それでいて優しい方ですね)

 

 紅魔館に招かれた“外来人”。

 けれど、今やその存在は、ただのよそ者ではない。

 

 少なくとも――私にとっては。

 

 創英様という男は、“信頼に値する人間”である。

 

 そう、静かに結論づけながら。

 私は再びパチュリー様の隣に、控えの姿勢を取った。

 

 

◆ side:パチュリー・ノーレッジ ◆

 

 書斎に、ようやく静けさが戻った。

 

 焦げた紙の匂いと、わずかに残る霊力の余韻。

 天井の煤を見上げながら、小さく息を吐く。

 

「まったく……騒々しいにも程があるわね」

 

 誰に向けたでもない呟き。

 だが、その言葉の裏にある感情は、決して苛立ちだけではなかった。

 

 あの瞬間。

 マスタースパークが突き破ってきた刹那。

 創英は、迷いなく結界を展開した。

 防御の精度。判断の速さ。

 そして何より――“間に合った”という事実。

 

(……大したものよ)

 

 机の上に積まれた本に、そっと指を這わせる。

 焦げ一つないページ。

 

 防がれていなければ、これらはすべて灰だっただろう。

 

 屋上での弾幕勝負も、遠くから感じ取っていた。

 空を翔ける霊力の流れ。

 魔理沙の荒々しい魔力と、それに真っ向から応じる異質な波動。

 

(“退魔師”なのに、退け破壊するよりも、守護と制御を優先する……奇妙な男)

 

 妖怪を敵と見なしながら、決して憎まない。

 警戒しながらも、理解しようとする。

 

 彼の在り方は、どこか歪だ。

 だがそれは、不安定とは違う。

 

(……危ういけれど、嫌いじゃないわ)

 

 そう思ってしまう自分に、少しだけ苦笑する。

 

 霊夢とも魔理沙とも違う。

 そして、幻想郷の人間とも、完全には重ならない。

 けれど彼は――確かにこの場所に“根を張ろう”としている。

 

(フランも……随分と彼に懐いているわね)

 

 あの子が、あれほど他者に寄り添う姿を見るのは久しぶりだ。

 それだけで、あの男の価値は測れる。

 そんなことを考えていると、書斎の扉の向こうから足音が聞こえる。

 控えめにノックが一つ。

 

「……入っていいですか?」

 

 創英の声だった。

 

「構わないわ」

 

 彼はゆっくりと入ってくる。

 どこか気まずそうに、少しだけ頭を下げた。

 

「……先程はすみませんでした。迷惑をかけましたね」

「“かけた”のは、あなたじゃないでしょう?」

 

 そう言うと、少しだけ目を丸くする。

 

「あなたがいなければ、ここは瓦礫の山よ。礼を言うべきなのは、こちらね」

 

 彼は困ったように笑った。

 

「そんな大層なことじゃないですよ」

 

 けれど、その目には確かな疲労と、わずかな達成感が滲んでいる。

 

(成長している……確実に)

 

 あの紅霧異変の頃よりも、はっきりと。

 戦える“幻想郷の住人”になりつつある。

 

 それが、少しだけ嬉しいと思ってしまった。

 

「……無茶はしないで」

 

 ふと、そんな言葉が口をついて出た。

 

「え?」

「あなたはもう、“ただの余所者”じゃない。ここで倒れられると……色々と困るの」

 

 彼は一瞬、驚いたように目を瞬かせてから、柔らかく頷いた。

 

「……ええ。気をつけます」

 

 それだけで、十分だった。

 

 再び静けさが戻る書斎。

 本の匂いと、微かな霊力の残滓。

 

 私はそっと頁をめくる。

 

 だが心のどこかで、こう思っていた。

 

(この“縁を紡ぐ退魔師”……どこまで行くのかしらね)

 

 夜は静かだ。

 だが、確かに変化は始まっている。

 

 本の合間に忍び込む風が、少しだけ心地よかった。

 

 

◆ side:霧雨魔理沙 ◆

 

 箒の先から、ようやく足を下ろした。

 霧雨邸の屋根を踏んだ瞬間、ぐったりと息が漏れる。

 

「……ちくしょう」

 

 誰に聞かせるでもなく、ぼやく。

 

 身体は重い。

 魔力も、だいぶ持っていかれた。

 それでも不思議と、嫌な疲れじゃない。

 

 むしろ――気分は、悪くない。

 

(相打ち、かよ)

 

 意地張っては去ったけど、正直なところを言えば。

 あれはもう、“負けかけてた側”だ。

 屋上で向かい合ったあいつの姿が、ふと脳裏に浮かぶ。

 

 時崎創英。

 幻想郷の外から来た退魔師。

 紅魔館の異変依頼、縁を紡ぐとかいう妙に気持ち悪い肩書きで呼ばれるようになった持った男。

 

(……飛び方、安定しすぎだろ)

 

 最初に会った頃なんて、空中でふらついてばっかだったくせに。

 今じゃもう、空を“地面みたいに”使ってやがる。

 

 弾幕もそうだ。

 素直すぎて、どこかぎこちないのに――その分だけ、隙がなかった。

 

(あいつ、ちゃんと“学んで”やがった)

 

 まだまだ短い付き合いだけど、剣閃を飛ばすなんて発想はアイツらしいと思った。

 けど、そんな事よりも――私のマスタースパークと撃ち合った、あの翔霊波の精度は……正直、想像以上だった。

 下手すりゃ、避けきれずに直撃していた可能性だってあった。

 何より、マスタースパークを真正面から受け止めようとしたあの覚悟だ。

 おっかなびっくりだったくせに、一切退く気を見せないあの目が、脳裏に焼き付いて離れない。

 

「……ちぇ」

 

 思わず、口の端がゆるむ。

 

(面白ぇ奴だよ、ほんと)

 

 強いだけじゃない。

 怖がりなくせに、逃げずに立ち向かってくる。

 妖怪嫌いになりそうな過去を背負ってるくせに、それでもちゃんと“向かってくる”姿に、素直に好感を持った。

 しかも、妹分に異様に甘いとまで来たもんだ。

 ……フランにあんな顔されりゃ、誰だって守りたいと思うだろうが。

 

(シスコンかよ、やっぱ)

 

 けどまぁ、嫌じゃない。

 

「……次は、絶対に勝つ」

 

 ぽつりと呟く。誰もいない夜空に向かって。

 今日の勝負は預けただけ。

 あいつが成長していくなら、こっちだって負けてられない。

 魔導書を机の上に放り投げ、どさりとベッドに倒れ込んだ。

 

「……あーあ」

 

 天井をぼんやり見つめながら、もう一度思う。

 

(あいつ、どこまで行くんだろうな)

 

 幻想郷に馴染んで、それでもどこか“外”のままで。

 敵でも味方でもなく、ただ真っ直ぐに立っている。

 

 それがなんだか、少しだけ――悔しくて、少しだけ誇らしくて。

 そして。少しだけ、楽しみだった。

 

「次は勝つからな、創英」

 

 改めてそう呟いて、私はようやく目を閉じた。

 

 夜はまだ、深い。

 けれどその闇は、どこか心地よかった。

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