◆◇◆◇◆◇◆◇◆
長く感じられた八月も、もうすぐ終わる。
夏の盛りみたいな熱気はとうに過ぎて、幻想郷の空を流れる風も、どこか秋の匂いを含み始めていた。
陽射しはまだ強いのに、影の輪郭だけが少し長くなってきた頃合いだ。
そんな日和の午前。俺は一通の「呼び出し」を受けて、ひとり紅魔館へ向かっていた。
差出人は、もちろんあの吸血鬼様。
要件は――
『創英。暇なら顔を出しなさいな。ちょうどいい用事があるわ』
――という、ざっくりした一文のみ。
「……ちょうど良くねぇ予感しかしないんだけどな」
そんな愚痴を飲み込みつつ、湖畔を抜けて紅い館の門へと辿り着く。
「こんにちは、創英さん」
門の前では、美鈴さんがいつもの笑みで迎えてくれた。
「こんにちは。今日は呼ばれて来たんですが、お嬢様は?」
「お待ちかねですよ。……なんか、今日はいつも以上にテンション高そうです」
「……それはまた、厄介なときに呼ばれた気がするなぁ」
軽口を交わしつつ門をくぐり、エントランスを抜け、真紅の絨毯の上を歩く。
案内も頼まずにレミリアお嬢様の私室へ向かうのは、もう何度目だろう。
最初に足を踏み入れた時の、あの場違い感は――今は、少し薄れていた。
扉の前でノックを二度。
「創英です。お声がけいただいたため参上しました」
「入りなさい」
即答。
相変わらず、こちらの来訪を見越していたかのようなタイミングだ。
扉を開けると、予想通り――いや、予想以上の笑顔で、お嬢様が椅子に腰掛けていた。
「来たわね、創英」
「ご機嫌よう、お嬢様。ご用命と伺いましたが――」
「博麗神社へ向かうわ」
食い気味に、宣言された。
「……へ?」
間抜けな声が出る。
俺が状況の理解を放棄した間に、レミリアお嬢様は立ち上がり、くるりとマントを翻した。
「ここ最近、何かと騒がしかったでしょう? 異変だの霊石だの、フランの件だの。だから区切りをつける意味も込めて、博麗神社へご挨拶に行くことにしたのよ」
「それは……良い心掛けだとは思いますが……」
それを聞いて真っ先に頭をよぎったのは、あの巫女の呆れ顔だった。
(……絶対、面倒くさそうな顔するだろうな、霊夢)
ため息が出そうになるのを堪えていると、お嬢様は当然のように続ける。
「それで、ここからが本題なのだけど……創英、あなたも一緒に行きなさいな」
「……俺も?」
「当たり前じゃない。紅魔館の“関係者”として、しかるべき顔を揃えておくべきでしょ。フランの“義兄”であるあなたを置いていくなんて、あり得ないわ」
実にもっともらしい理屈で釘を刺される。
「確かに義兄とは認められましたけど――」
「細かいことはどうでもいいのよ」
ばっさり切り捨てられた。
「咲夜の案内無しでここまで通している、その時点であなたはこっち側よ。私がそう認めたの。諦めなさい」
「……そういう理屈の通し方、なんだか紫さんに似てきてませんか?」
「あら、あの胡散臭い妖怪と一緒にしないで頂戴。私はもっと人情味があるでしょう?」
どこに? と言いかけて、飲み込んだ。
反論したところで、絶対に引かないパターンだ。
「……断る理由も、無いですしね。分かりました。ご一緒させていただきます」
「よろしい」
お嬢様が満足げに微笑み、パチンと指を鳴らす。
その瞬間、両肩を「ぽん」と叩かれた。
「それじゃあ協力よろしくね、創英」
「頼りにしてますよ、創英様」
左右を見れば、いつの間にかパチュリーさんと咲夜さんが並んでいた。
何時背後を取られたのかだとか、書斎から出てこないパチュリーさんが珍しく外にいるだとか、気になることは色々あったけど、それ以上に嫌な予感しかしない流れに冷や汗が垂れる。
「……あの。なんの協力ですかね?」
「もちろん、防犯よ」
パチュリーさんが、あくまで当然のように告げる。
「今日は紅魔館の主力がほぼ全員外出することになる。レミィ、私、咲夜、美鈴、フラン……場合によっては小悪魔も。
こんな日に限って、泥棒が入らないとは限らないでしょう?」
「まぁ、世の中そういうタイミングを突いてくる奴は多いですしね」
というか、この館には日常的に一人いる。
「だから、あなたに協力を頼みたいのよ。館全体に対する防御結界の構築をね。内部構造と術式の接続は私がやるから、外枠と霊力供給を手伝って頂戴」
「成程。そういうことなら、力を貸します」
咲夜さんも、横で小さく頷いた。
「私もある程度は補助しますが、館の隅々にまで目を配るとなると、どうしても人手が足りません。創英様の結界術、先日の“変な家”で見ていて感心していましたので」
「………………見られてたんですね、あれ」
「ええ。その際の戦いぶりも。今はあの時から、更に磨きがかかっているようですが」
どうりで、妙に話が早い訳だ。
「簡単に言えば、“留守番用の鍵掛け”みたいなものよ。内側から侵入を遮断し、不審な干渉があればアラートを上げる。あなたの霊力なら、この館全体を一時的に覆うくらいはできるでしょう?」
「できなくは無いですが、規模が規模ですからね。やるなら早めが良いかと」
俺が頷くと、お嬢様が楽しそうに笑った。
「決まりね。じゃあ、出発前にさっさと済ませてしまいましょう」
「……ところでレミリアお嬢様」
ふと気になって、問いかける。
「何かしら?」
「お嬢様は、今日はどう移動なさるおつもりなんです? 皆で飛んでいくんですか?」
普通に考えればそうだ。
吸血鬼もメイドも魔女も妖精も、空を飛べる。
そこに俺も混ざるだけの話――のはずだが。
「あら、それなんだけどね」
レミリアお嬢様は少し意味ありげに視線を逸らした。
「その話は、フランに聞いてあげてちょうだい」
フラン? と思う間もなく、扉の向こうから足音が駆けてくる。
「にぃにーっ!」
扉を開いて、勢いそのままに飛び込んできたのは、たった今噂をした張本人だった。
俺はフランを抱き止めると、勢いを殺すためにプランごとその場でくるりと回った。
「やぁフラン。今日はご機嫌みたいだな」
「うん! だって、みんなでお出かけする日なんだもん!」
両腕をぱっと広げ、紅い瞳を爛々に輝かせて笑う。
「ねぇねぇ、お姉様から聞いたよ? にぃにも一緒に博麗神社行くんでしょ?」
「ああ。今さっき決まったよ」
「ならさ――」
フランは、俺の袖をきゅっと掴みながら言った。
「みんなで、歩いて行こうよ」
その一言に、室内の空気が一瞬だけ止まる。
「……歩いて?」
「そう。空を飛ぶんじゃなくて、地面を歩くの。湖も、森も、畑も、ちゃんと横を通って。この前ね、にぃにと一緒に中庭歩いたとき、すっごく楽しかったから……もっと、いっぱい歩いてみたいの」
言いながら、どこか不安そうな目でお姉様を見上げる。
「だめ、かな?」
レミリアお嬢様は、ふっと息を吐いた。
「……別に、急ぐ用事じゃないものね」
肩をすくめて、どこか照れくさそうに笑う。
「いいわよ。たまには“人間の時間”に合わせて歩くのも悪くないでしょう。ねぇ、創英?」
「俺は大歓迎ですよ。皆で歩くなんて、ピクニックみたいで楽しそうじゃないですか」
そう答えると、フランはぱぁっと顔を輝かせた。
「やったぁ!」
その様子を見て、パチュリーさんもわずかに口元を緩める。
「じゃあ、結界を急がないとね。……咲夜」
「はい。では創英様、準備のため一度外へ出ましょう。魔力の流れを把握するには、館全体が見渡せる場所がよろしいかと」
「了解です。それではお嬢様、フラン、少し行ってきます」
「しっかり頼むわよ、“紅魔館の留守番役”さん」
「にぃに、がんばってね!」
軽く手を振る二人に会釈して、俺と咲夜さん、パチュリーさんの三人は館の外へ出た。
⸻
紅魔館の中庭は、相変わらず整然としていて、それでいてどこか不自然な静けさを纏っている。
赤い館、広い芝生。
高い塀の向こうには霧の湖が光を反射していて――見慣れたはずの光景も、こうして改めて見ると、雄大な自然そのものの貌に圧倒される。
「まずは、館の魔力構造をおさらいしておくわね」
パチュリーさんが、指先で空をなぞる。
淡い魔力光が軌跡を描き、紅魔館の簡略図が宙に浮かび上がる。
「この館は、元々レミィの結界と、私の補助術式、それから咲夜と美鈴の“人力防衛”で守られているわ。今日はレミィも私も表に出るし、咲夜も同行する。だから――」
「外枠を強化して、内部からのバックアップを省力化する必要がある、ということですね」
俺の言葉に、パチュリーさんが頷いた。
「そう。あなたには、外からの侵入そのものを弾く“外殻”を担当してほしいの。あなたの結界は、霊力の質が素直で扱いやすいから、私の術式とも相性がいい」
「評価していただけるのは光栄です」
やや照れながら答えると、咲夜さんが静かに口を挟む。
「紅魔館をぐるりと覆う形で、結界の“柱”を四箇所に建てましょう。北・南・東・西。創英様は、霊力の“流れ”を意識して頂けますか?」
「任せてください」
俺は深く息を吸い、静かに目を閉じる。
――霊力を、巡らせる。
足元から、館全体へ意識を広げる。
紅い石壁の冷たさ、湖面から立ち上る湿った気配、館そのものが持つ独特の“癖”。
(……なるほど。これは、確かに)
この館は、ただの建物じゃない。
ひとつの“生き物”みたいだ。
レミリアお嬢様の妖力と、パチュリーさんの魔力による術式、咲夜さんの能力による時間操作、美鈴さんの放つ気の流れ……そういったものが渾然一体となって、ひとつの大きな“身体”を形作っている。
「……面白いですね、この館の防衛構造」
思わず口にすると、パチュリーさんが鼻を鳴らす。
「そうでしょうとも。手間暇かけて育ててきたんだから」
「では……その身体に、軽く膜を貼るイメージで行きますよ」
手を組み、掌を上に向ける。
霊力を凝縮し、四つの“点”へと意識を飛ばす。
霊力が四方へ満ちる感覚を確かめ、俺は静かに息を落とす。
「――天つ統、地つ鎮。四方正しき理にて、ここを境と定む」
声とともに、空気が張り詰める。
「――オン・サンマヤ・サトバ・ウン。オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン……」
迸る霊力の線が、紅魔館を静かに包み込む。
「封て、護り、乱を退けよ――此処より内は安寧の地とする」
静かな詠唱と共に、紅魔館の四隅に淡い光の柱が立ち上がった。
北。
南。
東。
西。
四つの柱を霊力で繋ぎ、たわませるようにして館全体を包み込む。
柔らかく、しかし強固に。
衝撃を受け流し、侵入の気配を掬い上げるように。
(……霊夢の結界ほど強力には出来ないが、留守番の鍵掛けくらいにはなるはずだ)
額にじんわりと汗が滲む。
紅魔館という“巨体”を覆うだけの霊力を巡らせるのは、それなりに骨が折れる。
「……ふぅ」
最後の一本を結び終えたところで、そっと息を吐いた。
視界の隅で、咲夜さんが静かに拍手を送る。
「お見事です、創英様。これなら、そう簡単には入り込めませんね」
「ありがとうございます。あとは、パチュリーさんの術式と同期させれば――」
「もうやってるわよ」
パチュリーさんは、本から目を離さないまま淡々と告げる。
その声に続くように、空気がふっと変わった。
図書館の深部でしか感じられない、あの独特の魔力の圧。
パチュリーさんが、ゆっくりと本を閉じ、指先を軽く掲げる。
「――Ignis, move. Terra, stabilis. Aqua, purifica.」
低く、研ぎ澄まされた声が響く。
「――Ferrum, prove. Lignum, breathe. Sol, stand. Luna, guard.」
七つの語が紡がれた瞬間、淡い魔力光が彼女の足元から広がり、俺の結界と触れ合うように重なっていく。
炎が輪郭を与え、土が支え、水が澱みを洗い流し、金属の規律が形を整え、木が生命の循環を満たす。
太陽が力を与え、月がそれを包み込む。
「――Septem artes, una custodia.Hic locus est clausum.」
最後の宣言と共に、紅魔館全体が一度だけ、深く呼吸するように脈打った。
「……これでよし」
パチュリーさんが息をひとつ吐き、こちらに視線を向ける。
「あなたの結界の縁に、私の診断術式を噛ませておいたわ。不審な干渉があれば、すぐに私のところへ報告が来る」
「それは安心ですね」
館の外壁が、ほんのわずかにきらりと光った気がした。
幻覚かもしれないが、心なしか紅魔館の輪郭がくっきりしたように見える。
「それにしても、あなたの結界は素直で助かるわ。調整がほとんど要らなかった」
「ありがとうございます。単純ですが、それだけに強度のある結界を貼らせて頂きましたので、余程の事でもない限りは突破されないかと思います」
「でしたら、これで留守番は万全という訳ですね」
咲夜さんが満足げに頷く。
「では――創英様」
「はい?」
「防犯の次は、腹ごしらえですわ」
そう言って、咲夜さんはくるりと踵を返した。
「今度は厨房にて、皆様の昼食のご準備に協力して頂きます。……歩いて博麗神社に向かうのなら、途中でお腹が空いてしまいますから」
「……まあ、確かに」
思わず苦笑すると、咲夜さんは涼しい笑みを浮かべた。
「光栄に思ってください。紅魔館の胃袋を満たせる人材なんて、そう多くはありませんわ」
「はは……お気に召したようで何よりですよ」
肩をすくめつつ、紅い館の中へ戻る。
結界は張った。
留守番の準備は整えた。
あとは――
(みんなで歩いて、神社まで、か)
夏の終わり。
吸血鬼と魔女と悪魔と妖精たちと、一列になって道を行く光景が、ふと脳裏に浮かぶ。
どう考えても、平穏なものにはならないだろう。
それでも、不思議と悪くない。
そんなことを思いながら、俺は厨房への廊下を歩き出した。
⸻
厨房に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
書斎のひんやりとした静謐さとも、廊下の規律正しさとも違う――湯気と香辛料と、忙しない気配に満ちた“生活の匂い”だ。
「創英様、こちらを」
咲夜さんから流れるような動作でエプロンを着せられる。
有無を言わせぬ調子で首にかけられ、紐を結ばれ……その一連の動きがあまりに手慣れていて、反応する隙すらなかった。
「では、今日は簡単な昼食で構いませんね。歩いて向かうことになりましたから、重すぎないものを用意します」
「了解です。何を作りますか?」
「和・洋・中を少しずつ。せっかくですから、味の違いを楽しめるように」
やはり、こういうところは抜かりがない。
まな板に食材が並べられ、包丁の音が小気味よく響き始める。
咲夜さんの動きは流れる水のように美しく、無駄がない。
(……相変わらず、惚れ惚れする仕事ぶりだ)
内心でそう思いつつも、集中して自分の分担に取りかかる。
俺は純和風。
おにぎり、出汁巻き、簡単な煮物と浅漬け。
神社で食べるなら、このくらいが丁度いいだろう。
そこへ、不意に扉が勢いよく開いた。
「おっ、やってるな!」
おなじみの声で、霧雨魔理沙が顔を覗かせる。
「……なんでいるんだ。というかどうやってここまで入ってきた」
「外に居たパチュリーに声を掛けたら入れて貰えたぜ」
魔理沙の発言で全てを察した。
パチュリーさん、ご愁傷さまです。
「宴会って聞いたら来るに決まってるだろ! なぁ咲夜、私も混ぜてくれよ」
「あなたに台所を貸すと惨事になる確率が高すぎます」
「そこをなんとか! 今日はちゃんとやる!」
妙に真剣な顔で訴える魔理沙に、咲夜さんが一瞬だけ逡巡し――そして観念したようにため息をついた。
「……創英様が監督するという条件で、です」
「はっ!?」
「よっしゃ任せろ!」
魔理沙が親指を立てる。
俺の頭の上に、なぜか責任の重みが乗っかった気がした。
――こうして、思いがけず三人での料理時間が始まった。
咲夜さんは中華風。
香り豊かな炒め物と点心を手際よく仕上げていく。
魔理沙は洋風。
パスタにオムレツ、ハーブを効かせたサンドまで作り始めた。
「……意外とやるな、魔理沙」
「意外とはなんだ意外とは。前にも話したか覚えてないが、霧雨家は自炊派だぜ?」
「普段の態度からは想像しづらいだけだ」
味見をして、素直に頷く。
「おお、良い味付けだな。普通に美味い」
「だろ? 外で生きてくってのはな、こういうとこが大事なんだ」
どこか誇らしげな声が、ちょっとだけ可笑しかった。
咲夜さんも淡々と評価を下す。
「……質が安定していない部分もありますが、味そのものは悪くありませんね」
「ほめてんのかそれ」
「事実を述べているだけです」
そんなやりとりをしながら、作業は進み、いつの間にか時計は昼を回っていた。
再び皆が広間へ集まり、料理を籠へと詰め終えた頃、予定通り出発の時間となった。
⸻
「……いや、多くないか?」
「そりゃあ、今日は紅魔館総出だからな」
紅魔館の正門前。
勢揃いした面々は、さながら“引っ越し”でもするかのような人数だ。
レミリアお嬢様にフラン、美鈴さん、パチュリーさん、咲夜さん、小悪魔、そして俺と魔理沙。
華やかすぎて、近隣の妖怪たちが遠巻きに視線を向けているのが分かる。
「それじゃあ、行きましょうか」
レミリアお嬢様の一声で、行列は動き出した。
湖畔を回り、森を抜け、ゆったりとした足取りで博麗神社へ向かう。
フランは俺の隣で楽しそうに跳ねていた。
「ねぇにぃに、ここ通るの初めて!」
「この道はな、夜になると妖精が集まってくるんだ」
「わぁ〜! きらきらしてて、すき!」
その言葉に、美鈴さんがふふと笑う。
「こうして見ると、皆で散歩っていうのも悪くないですねぇ」
「たまにはこういうのもいいものよ。ね、創英?」
「ええ。……どこか、遠足みたいです」
ちらりと見ると、レミリアお嬢様もどこか上機嫌だ。
普段の気品ある佇まいとは違う、少し柔らかな笑みを浮かべている。
(……案外、こういうのが好きなのかもしれないな)
そんなことを思いながら、道を行く。
⸻
やがて視界が開け、鳥居が見えた。博麗神社だ。
時刻は、ちょうど午後二時頃。
「……多くない?」
石段の上に立った霊夢の第一声がこれだ。
腕を組み、露骨に警戒した目でこちらを見下ろしている。
それもまぁ、無理はない。予想できて然るべき展開だろう。
「何よこの人数。紅魔館ごと引っ越してきたわけ?」
「挨拶に来ただけよ、博麗の巫女」
「その“だけ”が一番信用ならないのよ」
そうは言っているが、キツめの視線はこちらを一瞥する。
そして――少しだけ、眉が緩んだ。
「……あんたもいるのね、創英」
「ああ。今日は紅魔館の一員として同行してる」
「そう。まぁ……あんたがいるなら、まだマシか。で、なんで魔理沙もいるわけ?」
「私はただ着いてきただけだぜ」
ため息交じりではあるが、ひとまず警戒を解いた様子だった。
「勝手に暴れるなら即退去だからね?」
「分かっているわよ。今日は“遊び”に来ただけ」
レミリアお嬢様がそう断言すると、霊夢は半目になりながらも道を開けた。
「……はぁ。もう好きにしなさい」
こうして、紅魔館一行と魔理沙は、無事に博麗神社へと迎え入れられたのだった。
……夏の終わりの陽射しの下。
この時点では、俺を含めて、まだ誰も気づいていなかった。
この後に広がる、“少しだけ奇妙な気配”の予兆に――。
⸻
博麗神社の台所――というには少し雑然とした一角に、俺たちは陣取った。
霊夢の「好きに使っていいけど、片付けはちゃんとやりなさいよ」という投げやりな許可をもらい、持参した食材を広げると、一気に“準備モード”へと切り替わる。
「さて……ここは腕の見せどころですね」
静かに微笑む咲夜さんの一言で、自然と空気が引き締まった。
「役割はどうします?」
「分担しましょう。創英様は和、私は中。魔理沙、あなたは……」
「はいはい洋風な。もう決まってんだろそれ」
魔理沙は勝手に頷きながら、食材を引き寄せる。
それぞれが作業台に立ち、包丁の音と火のはぜる音が神社に響き始めた。
俺は和食担当として、冷やし茶漬け用の出汁、鶏の照り焼き、季節野菜の煮びたしを準備する。
夏の終わり、火照った体にちょうどいい優しい味を意識して。
(……こういうのも、悪くないな)
神社の静けさと、料理の匂い。
3人も詰めれば流石に手狭ではあるが、どこか不思議な、けれど落ち着く空気が台所を満たしていた。
「おい創英。味見してみろよ」
魔理沙が差し出してきたのは、ハーブが香るミートパイ。
ひと口食べて、思わず目を瞬く。
「……本当に、どうした」
「失礼だな!? コレが私のデフォルトだぞ!」
「いや、料理する姿が想像できなかっただけだ」
咲夜さんも自分の料理を差し出す。
「こちらも、ご確認を」
「……これは……」
中華風の冷菜と小籠包。
香りだけで完成度が伝わってくる。
「文句なしです」
「当然です」
さらりと言ってのけるあたり、実に咲夜さんらしい。
そして、俺の作った煮物をふたりに差し出すと――
「……うんまっ」
魔理沙が思わずそう呟いた。
「派手さはないけど、落ち着く味だな。幾らでも食べられそうだ」
「ええ。とても丁寧で、真心が込められています。創英様らしいですね」
その言葉に、少しだけ頬が緩む。
料理を通して、“敵”でも“異変仲間”でもない、ただの時間を共有している感覚が、どこか不思議で……悪くなかった。
⸻
やがて、空は茜色へと染まり始める。
西日が鳥居を照らし、境内に長い影を落としていた。
「そろそろ、運びましょうか」
咲夜さんの一言で、料理は大広間へと移される。
レミリアお嬢様は満足そうに頷き、フランは今にも飛びつきそうな勢いで目を輝かせていた。
「すごーい……おいしそう……!」
「ちゃんと座ってから頂きましょうね、妹様」
美鈴さんに軽く止められながらも、興奮を隠せない様子だ。
神社の広間には、和・洋・中の料理がずらりと並び、まさに“宴会直前”の空気になっていた。
皆がそれぞれ席に着き、杯も用意される。
――その時、ふと俺は思った。
「……あのさ」
視線が一斉にこちらに集まる。
「阿求も、呼んでいいか?」
「阿求?」
霊夢が眉を上げる。
「稗田阿求。せっかくの場だし……あいつも呼びたいんだ。こういうの嫌いじゃないだろうし」
少しの間。
そしてレミリアお嬢様が、くすりと笑った。
「構わないわ。むしろ歓迎しよう。知識ある人間は嫌いじゃないからね」
「じゃあ決まりね」
霊夢が肩をすくめる。
「どうせ人数は飽和してるし」
軽く苦笑してから、俺は刀を手にして境内へ向かう。
柄を握り、腰だめに構えて静かに息を整える。
「ちょっと驚かせるかもしれないけど、害はないから安心してくれ」
そう前置きし、宙を一閃する。
――風花《かざはな》。
白い風が渦を描き、空間を裂くように境内の空気が揺らぎ、刀の軌跡をなぞる様にして宙が裂けた。
そして、その裂け目の奥に広がるのは――稗田邸の庭。
「……は? 何だそれ」
「空間を、繋げた?」
「……ほう」
魔理沙、霊夢が唖然とし、レミリアお嬢様が目を細める。
『空間を裂いて別の場所に繋ぐ』。俺がやったことはそれだ。
変な家ではこれのお陰で圧死せずに助かったが……コレを行ったのは、今回が3度目だ。
紫さんがやった事が俺に出来るのはよく分からないが、多分この刀の能力なのではないかと俺は考えていた。
「刀の能力……かしら?」
「そう見えるわね」
それは、周りの反応からしても“俺自身の能力”だとは思っていない事の証だった。
少なくとも、この時点では……そうだった。
……話を戻すとして。
生じさせた裂け目をくぐり、阿求を呼び出すと、事情を飲み込んだ彼女は少し驚きつつも、静かに微笑んだ。
阿求はこの力事態は2度目の当たりにしているから、驚きはしても特に何か言及はしてこなかった。
「……賑やかですね、今日は」
「だろ? たまにはいいかなって」
こうして、宴の客はもう一人増えた。
⸻
杯が掲げられ、笑い声が境内に響く。
人と妖怪が入り混じり、笑い、語らい、杯を交わす。
夏の終わりの夜に相応しい、幻想的な光景。
だが――その最中。
ふわりと、霧が立ち込めた。
「……?」
俺の肌に、微かな違和感が走る。
(妖気……?)
けれどそれは、殺意でも悪意でもない。
むしろ、どこか楽しげで、軽やかな感情。
「霊夢、これ……」
「……気にしなくていいわよ」
彼女はすぐに視線を外した。
「危険な感じじゃないでしょ?」
「……まあ。“楽しい”って、そんな感じしかしないな」
その言葉に、霊夢は小さく鼻を鳴らす。
「宴会を楽しみにしてる妖怪が、どっかで覗いてるだけでしょ。よくあることよ」
……そういうものか、と納得しながら、俺は再び杯を取った。
霧はすぐに薄れ、風に溶けて消えていく。
誰もそれ以上、気に留めようとはしなかった。
それが――後に“何か”へと繋がる予兆であるとも知らずに。
……こうして。
八月最後を飾るにふさわしい、賑やかで幻想的な宴会は、楽しげな笑い声に包まれながらゆるやかに夜へと溶けていった。
人も妖怪も関係ない。
ただ――「今」を楽しむ時間だけが、そこにあった。
杯は何度も満たされ、料理は見る間に消えていく。
フランは終始楽しそうに料理をつまみ、レミリアお嬢様は気品を崩さないまま、しかし確かに場を楽しんでいる様子だった。
咲夜さんはさりげなく周囲を気遣い、美鈴さんは誰よりも屈託なく笑い、魔理沙は妙にご機嫌で、霊夢はいつも通り素っ気ない顔をしながらも、どこか機嫌が良さそうだった。
阿求はそんな光景を、少し珍しそうに眺めながら言う。
「……幻想郷というのは、やはり不思議な場所ですね」
「今さらか」
「いえ、改めてです」
そう言って、彼女は小さく笑った。
「人と妖が、こうして一緒に笑っている光景は……記録には残りにくいものですから」
「じゃあ、今日は記録に残してくれ」
「ええ……きっと、特別な一頁になるでしょう」
その言葉に、ほんの少しだけ胸が温かくなった。
⸻
夜はゆっくりと更けていく。
虫の声が増え、風は少しだけ涼しさを帯び始めていた。
夏の終わり特有の、どこか名残惜しい空気。
ふと隣を見ると、フランが俺の袖をちょん、と引いた。
「にぃに、たのしいね」
「ああ、楽しいな」
そう返すと、満足そうに頷いて、また料理に目を向ける。
(……こんな時間が、ずっと続けばいいのにな)
そんなことを考えるのは、甘いだろうか。
でも、その“甘さ”を一度くらい許してもいいと思えるくらい、良い夜だった。
やがて、霊夢がぽつりと告げる。
「そろそろお開きにするわよ。明日もあるんだから」
「名残惜しいわねぇ」
「飲みすぎた吸血鬼の介抱をするのは誰だと思ってんのよ」
「失礼ね。嗜む程度よ」
軽口が交わされ、皆がゆっくりと立ち上がる。
それぞれの帰路へ向けて、夜の境内に別れの気配が流れた。
紅魔館の面々も、来た道を戻る準備を始める。
「今日は楽しかったわ、創英」
「こちらこそ、お嬢様」
「また、こういう場を設けましょう。今度は紅魔館でね」
くすりと笑って、去っていくその背に深く頭を下げる。
魔理沙は最後に、肩をぽんと叩いてきた。
「じゃあな、創英。次は弾幕だけじゃなく、飲み比べでもしようぜ」
「ほどほどにな」
「それは無理だな!」
そう言って、夜空へと飛び去っていった。
⸻
そして、境内には静けさが戻る。
残ったのは、俺と霊夢と阿求。それに、まだほろ酔いの余韻。
「……平和ね」
「そうだな」
霊夢が空を仰ぐ。
「でも、こういう平和が続くほど、嵐は唐突に来るもんなのよ」
「嫌なこと言うな」
「経験則よ、経験則」
だがその声には、どこか穏やかさもあった。
俺はそっと夜空を見上げる。
月は丸く、冴え冴えと輝いている。
(これで、八月も終わりか)
季節は移ろい、何かが少しずつ変わっていく。
けれど今は、この静かな余韻を大切にしていたかった。
人も妖怪も、立場も違う。
それでも、同じ時間を笑って過ごせた今日という一日。
それだけで、十分だった。
⸻
やがて、俺は阿求と共に帰路につく。
境内を離れながら、ふと微かな風が頬を撫でた。
それはどこか、昨日の霧と似た感触だったけれど――
今はもう、気に留める理由もない。
「創英さん」
「ん?」
「……今日は、本当に良い夜でしたね」
「ああ」
静かに頷く。
「また、こんな時間が過ごせるといいな」
「ああ……そうだな」
夜道に、柔らかな虫の声。
遠くで響く笑い声の残響。
幻想と現実の狭間で生きる日々。
その中で、確かに刻まれた“八月最後の夜”は、
静かに、穏やかに――幕を下ろした。