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「それじゃあ、準備はいいかしら?」
「はい、大丈夫です」
支度を済ませ、必要最低限の荷物を背負って紫さんの前に立つ。
朝の喧騒もようやく落ち着きを見せて、諸々の事柄を済ませた頃には既に正午も目前の時刻となっていた。
幻想郷へ渡る予定の時刻は正午頃。
一度渡れば、特別な事がない限りは帰って来れない。
この屋敷はおろか……現代社会との別れが、目前に迫っていた。
「では……創英くん。彼らに別れの挨拶をなさいな」
紫さんに促されるまま周囲を見た。
宗家の屋敷に住み込んでいる十数名の人間のみではあったが、こうして改めて見ると、いろんな人達に囲まれてここで生活していたんだなと思い知る。
腕を組んで力強く笑いかけてくる男性は、体術の師範だ。
この人には幾度もボコボコにされたが、めげずに立ち向かえば必ず褒めてくれたし、一つ技を覚える毎に、まるで自分の事のように喜んでくれたのを今でも覚えている。
その威厳たるや、まるで父のようであった。
「お世話になりました、宗谷師範。俺は、師範の教えを忘れません」
「うむ……!! 幻想郷へ渡っても、研鑽を欠かすなよ!!」
眩しいほどの笑顔に深く頭を下げると、今度はその隣にいる人物に目を向けた。
わずか半年にも満たない付き合いであったにも関わらず、俺との別れに涙を浮かべている女性は、俺の世話役を務めてくれた人だ。
……思えば、この人にはいつも迷惑を掛けていたな。
ジジイに初めて連れてこられた時も、全てを失って自暴自棄になっていた時も……修行で傷だらけになった時や、連日のように見ていた悪夢にうなされていた時でさえ、この人は俺に寄り添ってくれていた。
その献身さたるや、まるで母のようであった。
「お世話になりました、千歳さん。あなたのお陰で、俺はまた前を向けました」
「ええ、ええ……!!」
相手の手を取り、目を見ながらそう告げると……大粒の涙を流しながら頷き返してくれた。
その後も、料理長の神恵(かもえ)さんや、屋敷の運営を取り仕切る清里さん、ジジイの側近である壮瞥さんとも挨拶を交わし……他にも、色々と世話になった人達とも短く会話をした。
圧倒的に辛い事ばかりではあったが……それでも、宗家の屋敷へ来てからは俺一人になることが一度もなかったことを思い出す。
それはひとえに、厳しくも優しい彼らからの……皆からの愛情だったんだと理解した。
「皆……」
一人一人の顔を忘れない為に、改めてゆっくりと見回す。
そして、俺は気付いた。
「あれ……ジジイが居ない?」
さっきまで居た筈のジジイが何処にも見当たらないのである。
一体何処に行ったのかと視線を彷徨わせていると……
「創英や」
……何処からか聞こえてきたその声に、皆が一斉に静かになる。そして、誰ともなしに二手に分かれて道を空けた。
そうしてひらけた視界の先に見えた屋敷の奥から、ジジイが何かを持ってやって来るのが見えた。
「創英や……少し、話を聞いてくれんかの」
改まった様子で声を掛けてきたジジイに、俺は面食らう。
「ワシはの……本当は、お主を幻想郷へ送り出すのは反対しておったんじゃ」
衝撃の発言に、俺は息を呑む。
「妖魔によって全てを奪われたお主を、妖魔の楽園たる幻想郷へと送るというのは……酷が過ぎるとな」
「創厳」
紫さんが何かを言いかけたが、それをジジイが首を振って制する。
「でもなぁ……創英や。ワシは、この半年という極々短い期間の中で、お主の中に光を見たんじゃ」
俺の手を取り、目を見つめてくる。
不思議と、その双眼から目を離すことが出来ない。
小さく息を吐き、再び吸うと、ジジイは再び語り出す。
「俯いておったお主の姿が、最初は小さく、消えかけた灯火のように見えておった。だがしかし、周りの皆の者に助けられ、次第に顔を上げ始めたお主の姿にはもう……その様な弱さは見られなかった」
取られた手に、刀を握り込まされる。
この刀は先日身に付けさせられたものとは違い、豪華とは言えないが、古めかしく厳かな拵えが成されていた。
「さぁ、その刀を抜いて見せよ創英。お主ならば、その刀の担い手になる資格がある筈だ」
言われるがままに柄を握り、ゆっくりと引き抜く。
顕となった刃は鮮烈なほどの緑色で、太陽の光に照らされた刀身は眩く輝いていた。
「これは?」
「霊刀……我が一族に代々伝わるその刀の名は、風花(かざばな)という」
その発言に驚き、困惑する。
こうして目にするのは初めてだったが、名前だけはジジイから聞かされた覚えがある。
この刀は、一族に伝わる宝剣であった筈だ。
それを何故、俺の手に取らせたのか……この時までの俺は、それを理解出来なかった。
「さぁ創英や、その刀の名を呼ぶのだ」
「わ、分かった」
有無を言わさぬその雰囲気に呑まれていた俺は、言葉を返すことも出来ないまま了承する。そして。
「風花……っ!?」
眼前にかざした刀の銘を口にした瞬間のこと。
その刀が微かに煌めいたように見えたと思えば、俺の身体の中に物凄い勢いで何かが流れ込んできた。
冷たく、それでいて清々しさを感じるこの気は……霊力だろうか。
嫌な気配はせず、それ所か寧ろ、流れ込んできたその霊力は俺の身体に驚くほどよく馴染んでいた。
「……刀が、創英を主と認めたようじゃな」
「じ、ジジイ……これは一体どういう事だよ!? きちんと説明してくれ!!」
懇願するように説明を求めると、ゆっくりと頷いてからジジイは話し始めた。
それらを掻い摘んで話すと、こうだ。
――この刀は一族の長たる者が受け継いできたモノであり、本来の所有者はジジイの跡取りである息子であった。
しかしその息子は、妖魔が引き起こした事件の解決に赴いた際、妖魔の魔の手から一般人を守るために激しい戦闘を行い、相打つ形で命を落としたという。
それ以来この刀はジジイが管理していたらしいのだが、ジジイが見そめ、育てたもの達では、この刀は抜けなかったのだとジジイは語る。
彼らは、刀に所有者として認められなかったのだと。
事実、こいつ(風花)には何か自我のようなものがあるみたいで、認められるには身体の強さよりも心の強さを試されるのだという。
「という事は……この刀目線からしたら、俺は使い手に値すると判断されたのか」
刃を鞘に収め、腰のホルダーに差す。
そんな俺の様子を見て、ジジイは再び口を開く
「まだお主は13だ。現代においてはまだまだ子供として見なされ、事実、お主の様な年代の子らは未だ親を必要とする歳頃だ。独り立ちをするには些か若すぎる」
しかし……と、ジジイは言葉を続ける。
「その刀の譲渡を以て、お主を正式な所有者であると認めると共に、一族宗家の人間としても名を刻もう。それと、餞別としてこれも渡しておこうかの」
風花とは別に、巻物を手渡してくる。
「その巻物は対妖魔用の捕縛具だ。御神木より作られた墨で呪文をしたためておる。所有者がその巻物に霊力を込めれば、妖力を持つモノを縛り、無力化する鎖となろう」
使い方を教わりながら、貰った巻物を懐へとしまい込む。
それによって着崩れした衣服を、ジジイが整えてくれた。
「辛くなったらワシらを思い出せ、創英。遠く離れていようとも、心はお主と共にある」
ジジイは、最後にそう締めくくった。
「……そろそろね。さぁ、行きましょうか」
「っ……はいっ」
視界の端が滲むのを堪えながら、みんなに背を向ける。
開かれた空間の中に足を踏み入れると背後から声が掛かった。
「元気でな、創英」
思わず振り返った先にいたジジイは……涙を流しながらも、笑顔を浮かべていた。
「……じいちゃん!!!!」
……。恥ずかしいし、辛いな。
今になっても、この時のことを話すとなると、目頭が熱くなる。
「今まで、めちゃくちゃお世話になりました!! 短い期間だったけどっ……じいちゃん達と居たことを、俺は!! 一生忘れない!!!!」
いつの事だったか……別れの時は、笑顔を浮かべるもんだって聞いたことがあった。
でもまぁ、流石に無理だったし……何ならきっと、涙で顔はぐしゃぐしゃだったと思う。
でも、最後は……最後だけは、言葉としてきちんと口に出したかった。だから。
「じゃあね、みんな……行ってきます!!」
締まらなくてもいい、みっともなくてもいい。
俺は、大きく手を振りながら、みんなと別れを告げた。
きっともう二度と会う事は無い。
だから、一生分のありがとうを込めて手を振ったし……悔いを残したくなかったから、沢山泣いた。
……そんなに涙脆いようには見えない?
バカをいえ。俺は案外直ぐに泣くぞ。
なんだよ、笑ってんじゃないよ。
意外に思った、だって? ……ったく、まぁいい。
そんなこんなで、俺は――この幻想郷へと、やって来たんだ。