※本日より連載を正式に再開いたしました。今後の更新予定については前話の前書きをご確認ください。
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十月に入ってから、稗田邸の朝にひとつ音が増えた。
かん、かん、と乾いた槌の音が、里の出入口の方角から風に乗って届いてくる。
遠すぎて耳障りではないものの、かといって無視もできない程度の音量。
秋の澄んだ空気に響くその音は、まるで俺の胸の内側にまで少しずつ形を作っていくようだった。
縁側に腰を下ろし、手元の籠に入れた芋の泥を落としながら耳を澄ませていると、まだ見ぬ自分の家の柱や梁が、頭の中で勝手に組み上がっていく。
——俺の家が建つらしい。
いや、他人事みたいに言う話じゃないな。実際に建ててもらっているのは俺の家なのだから。
里の大工たちは『変な間取りだなぁ』と笑いながらも、俺が描いた拙い絵や口頭の説明を真面目に聞いてくれた。
洋間だの廊下だの台所だの、外の世界寄りの構造を何とか幻想郷の建築に落とし込もうとしてくれている。
和室も一室ほしいと言った時には『そこは普通なんだな』と変な感心のされ方をしたが、あれは俺が悪いのだろうか。
それでも、槌の音が鳴るたび、少しずつ実感が近づいてくる。
稗田邸で過ごす時間が終わるわけではない。阿求との縁が切れるわけでもない。
それなのに、自分の居場所が別にできるという事実は、嬉しいのと同じくらいには、ソワソワと妙に落ち着かなかった。
「創英さん。お芋、洗い終わりましたか?」
声を掛けられて顔を上げると、阿求が縁側の奥からこちらを見ていた。手には帳面を抱えている。記録の途中だったのだろうが、視線は筆ではなく俺の手元に向いていた。
「もう少しで終わるよ。これ、今日の茶菓子に使う分なんだろ?」
「はい。お客様がいらっしゃるかもしれませんから」
「かもしれない、ねぇ……」
阿求の言い方に含みを感じて、俺は泥を落とした芋を水桶へ沈めながら苦笑した。
稗田家には客が多い。記録を求める者、相談を持ち込む者、ただ飯を食いに来る巫女、何かを借りに来て何も返さない魔法使い。だから、来客に備えること自体は珍しくない。
だが、今日の阿求は妙に落ち着いている。……というより、少し楽しみにしているように見えた。
「誰が来るのか、知ってるのか?」
「さあ。私は何も」
「その顔で言われても説得力ないんだけど」
「気のせいです」
阿求は澄ました顔でそう言い切った。こういう時の阿求は、たいてい何か知っている。
けれど、無理に聞き出したところでのらりくらりと躱されるのが目に見えていたので、俺は大人しく芋洗いに戻った。
その時、玄関の方から控えめな声が届いた。
「失礼いたします。阿求様、創英様。紅魔館より、フランドール様をお連れいたしました」
聞き覚えのある、けれど紅魔館で聞く時より幾分硬い声だった。
「いらっしゃったようですね」
「ラッシュの声か。って、阿求はフラン達が来ることを知ってたのか?」
「いえ。ですがそろそろ、兄成分が不足する頃かと思いましたので。来るとしたら今日あたりかと」
何だかよく分からないことを口にする阿求。
余程変な顔をしていたのか、阿求は俺を見て小さく笑いながら袖を引いた。
「ほら、創英さん。お二人のお出迎えをお願いします」
「あ、ああ」
少し困惑しながらも、促されるままに腰を上げようとする。
だが、俺が立ち上がるより早く、廊下の向こうから軽やかな足音が跳ねてくる。
「にぃにー!」
次の瞬間、金色の髪と紅い気配が視界いっぱいに飛び込んできた。
「うおっ!?」
水桶をひっくり返さないように咄嗟に身体を捻り、飛びついてきた小さな身体を受け止める。
勢いの割に軽い。けれどすっぽりと俺の腕の中に収まったフランは、こちらの事情などお構いなしに俺の胸元へ頬を擦り寄せてきた。
背中の羽がきらりと揺れ、色硝子のような光が瞬く。
「久しぶり、にぃに。遊びに来たよ!」
「久しぶりってほどでもないだろ、フラン。……それに、来るならもう少し普通に来てくれ。心臓に悪い」
「うん? 普通に来たよ?」
「……今のが普通なら、紅魔館の普通はまだ俺には早いかな」
腕の中のフランは楽しそうに笑った。その笑顔を見ると、文句の半分くらいは喉の奥で溶けてしまうから困る。
館の地下で初めて会った時のような、壊れそうな笑みではない。外の光の中であっても、日傘と従者を伴って誰かのところへ遊びに来られるようになった……そんな、充足と希望に満ちた顔だ。
それだけで、少しだけ胸が温かくなる。
「フラン様。創英様を驚かせてはいけませんよ」
遅れて姿を見せたラッシュが、玄関先で深々と頭を下げた。
妖精メイドの服は紅魔館で見る時と同じく整っているが、今日の表情にはわずかな緊張がある。
紅魔館の中ではなく、稗田邸という人里の名家を訪ねているからだろう。背筋を伸ばし、両手を前で揃えた姿は立派な従者そのものだった。
「ようこそ、フランさん、ラッシュさん」
阿求が穏やかに迎えると、ラッシュはさらに姿勢を正した。
「阿求様。本日は突然の訪問となり、申し訳ございません。レミリア様より、フラン様の外出許可と共に、稗田家へご挨拶をと仰せつかっております」
「まあ。わざわざありがとうございます」
「また、メイド長の咲夜様より、阿求様方へ、こちらをお預かりしております」
ラッシュが差し出した包みを阿求が受け取る。丁寧に布で包まれたそれは、紅魔館の茶葉か菓子だろう。咲夜さんらしい隙のない気配がある。
俺はフランを抱えたまま立ち上がろうとして、足元の水桶を見下ろした。
「フラン。とりあえず、一回降りてくれないか。俺、このままだと転んじゃいそうだ」
「えー?」
「えーじゃない」
「じゃあ、あとで撫でてね?」
「それくらいならいくらでも」
俺がそう言うと、フランはぱっと顔を明るくして腕を離した。素直なのか、交渉上手なのか分からない。……まぁ、たぶん両方だろう。
ラッシュがその様子を見て、ほんの少しだけ口元を緩めたのを俺は見逃さなかった。
「なんだよ」
「いえ、別に。仲睦まじいなと思っただけですよ」
「……そうかい」
小さく息をつきながら、俺とラッシュは薄く笑い合った。
——客間へ移る頃には、稗田邸の空気はすっかり柔らかくなっていた。
阿求が紅魔館からの包みを開けると、中からは香りの良い茶葉と、小さな焼き菓子が出てきた。
俺は洗った芋を厨房へと運び、簡単な甘味を用意することにした。
蒸かした芋を潰し、少し砂糖を混ぜ、丸めて焼く。外の世界で食べたものとは違うが、こういう素朴な味の方がフランには合う気がした。
茶の支度をして戻ると、フランは阿求の隣に座って、紅魔館の近況を身振り手振りで話していた。
「それでね、美鈴が門のところで寝てたから、後ろからわぁってやったの。そしたら、すごくびっくりしてね」
「フラン様。それは咲夜様に叱られたでしょう」
「ちょっとだけ」
「ちょっと、ではありません。咲夜様はかなり真剣に注意されていましたよ。門番のお仕事を邪魔してはいけませんと」
「でも、美鈴も怒られてたよ?」
「それは、まぁ……美鈴様が寝てたからですね」
ラッシュが律儀に訂正するたび、フランは頬を膨らませる。阿求はそれを聞きながら、時々相槌を打ち、筆で簡単なメモを取っていた。
記録者としての顔と、年相応に話を楽しんでいる顔が重なっている。
「パチュリーさんは、最近どうなんだ?」
皿を置きながら尋ねると、ラッシュが答えた。
「パチュリー様は、霊石の件についてまだ調査を続けておられます。創英様が紅魔館で回収された残滓についても、魔力や霊力とは異なる性質があると仰っていました」
「やっぱり、まだ気にしてたか」
「はい。ただ、根を詰めすぎて咲夜様に休憩を命じられることもございます」
「はは、命じられるって。パチュリーさんらしいと言うか、なんというか」
紅魔館の大図書館で、咳をしながらも本を手放さないパチュリーの姿が簡単に想像できた。
あの魔女はおそらく、自分が納得するまで止まらない。霊石の正体が掴めない限り、ずっと眉間に皺を寄せ続けるだろう。
「お嬢様は?」
「レミリアお嬢様は……」
ラッシュは一瞬言葉を選んだ。フランが隣でにこにことしている。
「フラン様の外出が増えたことを、とても喜んでおられます。ただ、表向きには『スカーレットの妹に相応しい振る舞いを学ばせるため』と仰っています」
「ああー……あのお嬢様なら言いそうだな」
「お姉様、素直じゃないんだよ」
フランが芋の菓子を両手で持ちながら、どこか嬉しそうに言った。
その言葉に棘はない。以前なら届かなかった姉の不器用さを、今は少しずつ受け取れるようになっているのだろう。
「でもね、にぃにのところに行くって言ったら、ちゃんと許してくれたよ。咲夜も、お菓子持って行きなさいって。ラッシュも一緒ならいいって」
「そりゃ、ラッシュが一緒なら安心だしな」
何気なく言うと、ラッシュが小さく目を見開いた。
「私が一緒なら、ですか?」
「そりゃそうだろ。フランのことをよく見てるし、何かあった時にもすぐ動ける。紅魔館からここまで任されて来てるんだから、お嬢様にも咲夜さんにも信頼されてる証拠だ」
言い終えてから、少し照れくさくなった。褒めるつもりで言ったのは確かだが、真正面から言いすぎた気もする。
ラッシュは数秒ほど固まり、それから視線を落とした。頬がわずかに赤い。
「……ありがとうございます、創英様。そう言っていただけるのは、光栄です」
「にぃに、ラッシュばっかり褒めてる」
低い声が横から飛んできた。
見ると、フランが芋菓子を持ったまま、じっとこちらを見上げていた。目が笑っていない。いや、少し笑っているのが逆に怖い。
「いや、今のは別にそういうワケじゃなくてだな」
「フランもちゃんと来たよ。お行儀よくしたよ」
「飛びついてきた時点でお行儀の判定は怪しいけどな」
「でも水桶は倒さなかったもん」
「そこを基準にするのかぁ……」
阿求が口元を袖で隠した。笑っている。ラッシュも肩を震わせかけて、慌てて真面目な顔に戻した。
フランは俺の隣へにじり寄ると、膝の上に手を置いてきた。
「約束」
「約束?」
「あとで撫でるって言ったもん」
「ああ、はいはい」
俺は苦笑しながら手を伸ばし、フランの頭をやさしく撫でた。
柔らかな金髪が指の間をくすぐる。フランは目を細め、猫みたいに喉を鳴らしそうな顔で身を寄せてきた。
こうして甘えてくる様を見る分には、普通の少女にしか見えない。
吸血鬼で、紅魔館の妹君で、地下に閉じ込められていた強大な力の持ち主だなんて、うっかり忘れそうになる。
だが、忘れるわけにはいかない。
強いから大丈夫、ではない。強くても寂しい時はある。強くても、誰かに撫でられたい時はある。甘えたい時はある。
それを知っているから、俺は手を止めない。
「フラン様。あまり創英様を独占されますと、阿求様にもご迷惑が」
ラッシュがそっと注意しようと身を乗り出した。その時、フランがさらに俺の方へ寄ってきて、俺は体勢を崩しかけた。支えようと伸ばした手が、狙いを外す。
ぽん、と。
俺の手は、フランではなくラッシュの頭に乗っていた。
「ひゃっ」
「あ……」
空気が止まった。
ラッシュは小さく声を漏らしたあと、目を見開いたまま硬直していた。
俺の手の下で、整えられた髪がわずかに沈んでいる。慌てて手を引こうとしたが、その前にラッシュの頬がみるみる赤くなっていった。
「わ、悪い。今のは、その、間違えた」
「い、いえ……その……ふ、不快ではありませんでしたので」
ラッシュは反射のようにそう答えた。答えてから、自分の言葉に気づいたらしく、さらに顔を赤くした。
阿求の筆が、紙の上で止まっている。目だけがこちらを見ている。記録していいのか迷っている顔をしていた。
やめてくれ。これは記録しなくていいことだ。
そうしていると、フランが無言で俺の袖を掴んだ。
抗議の意が物凄い圧として伝わってくる。
「にぃに」
「はい」
「フランの方が先」
「はい」
「もっと撫でて」
「……はい」
俺は言われるまま、今度こそフランの頭を撫でた。
フランは満足そうに目を細めたが、ちらちらとラッシュの方を見ている。ラッシュは姿勢を正そうとしているのに、時々自分の頭へ意識が向かってしまうらしく、耳まで赤い。
「ラッシュ」
「は、はい、フラン様」
「ラッシュも撫でてほしかったの?」
「そ、そういうわけではございません。ただ、創英様のお手が、その、思いのほか……」
「思いのほか?」
「……温かかった、だけです」
言った瞬間、ラッシュは完全に俯いた。
フランは今度こそむっとした顔で俺に抱きついてきた。
「やっぱり、もっと撫でて」
「分かった。分かったから、菓子を落とすな。あと、阿求の前で暴れるな」
「暴れてなんかないもんっ」
阿求がとうとう小さく笑った。
——しばらくして緊張が解けると、客間には柔らかい空気が戻ってきた。
茶の香りと芋の甘さ、紅魔館から持ち込まれた焼き菓子の香ばしさ。遠くからは、相変わらず槌の音が聞こえている。
その音に気づいたのか、フランがふと窓の外を見た。
「あれ、何の音?」
「俺の家を建ててる音だよ」
「にぃにのお家?」
「ああ。まだ柱が立ち始めたくらいだけどな」
フランの顔がぱっと輝いた。
「私、遊びに行く!」
「完成してからな。それと、ちゃんとお嬢様たちに許可を取ってからな」
「泊まってもいい?」
「いきなり話を進めるな」
「お部屋はある?」
「客間は作る予定だけど、フラン専用の部屋はないぞ」
「じゃあ作って」
「家が完成する前から増築要求する奴があるか」
フランは楽しそうに笑った。冗談半分、本気半分。そのくらいの温度なのだろう。
ラッシュは困ったように眉を下げたが、止める声は少しだけ遅れた。
「フラン様、まずはお嬢様の許可をいただいてからです」
「じゃあ、ラッシュも一緒に来ればいいよ」
「私も、ですか?」
「うん。そしたら安心でしょ?」
ラッシュは答えに詰まった。俺はその様子を見て、思わず笑ってしまう。
「まあ、完成したら招くよ。紅魔館にも、阿求にも、世話になった人たちにもちゃんと礼をしたいしな」
「新築祝いですね」
阿求が静かに言った。
「そうなるな。とはいえ、俺一人の家なのに大袈裟な気もするけど」
「大袈裟ではありませんよ」
阿求は帳面を閉じ、俺を見た。
「創英さんがこの幻想郷で自分の家を持つ。それは、記録する価値のあることです。外来人でありながら人間の里に暮らし、変な家の一件では子供たちを救い、霊石の騒動でも里の危険を退け、紅い霧の時にも誰より早く異変の兆しを知らせてくれた。だからこそ、里の皆さんも貴方に腰を据えてほしいと考えたのでしょう」
「……俺としては、そこまで大層なことをしたつもりはないんだけどな」
「そういうところも含めて、です」
阿求は少しだけ呆れたように、けれど穏やかに微笑んだ。
「それに、里の出入口近くに退魔師が住んでいるというのは、皆にとっても心強いことです。これは褒美であると同時に、信頼の証でもあります」
信頼の証。
そう言われると、急に胸の奥が重くなった。嬉しいのに、簡単に頷いてはいけない気がした。
「……なら、ちゃんと応えないとな」
「はい。ですから、記録する価値があるのです」
その言い方は少しだけ堅かった。
記録者としての言葉にも聞こえるし、それだけではないようにも聞こえた。
稗田邸で過ごす時間が減ることを、阿求がどう感じているのか。聞けばきっと、彼女は笑って「良いことです」と答えるだろう。
だから俺も、今は深く踏み込まなかった。
「完成しても、飯を作りに来なくなるわけじゃないぞ」
代わりにそう言うと、阿求は一瞬だけ目を丸くして、それから小さく微笑んだ。
「それは助かります。稗田家の者は、もう創英さんの味を覚えてしまいましたから」
妙に真面目な顔で言われて、俺は苦笑した。
フランはそのやり取りを見て、何が楽しいのかにこにことしている。
ラッシュは少し不思議そうに、けれど穏やかな目で俺たちを見ていた。
午後の日差しが傾き始める頃、フランとラッシュは紅魔館へ戻ることになった。咲夜さんに決められた帰館時刻があるらしい。
フランは最後まで名残惜しそうにしていたが、ラッシュが『遅れるとお嬢様や咲夜様に叱られますよ』と告げると、少しだけ肩を竦めた。
「にぃに。お家ができたら、絶対に呼んでね?」
「ああ。約束する」
「それと、にぃにの方からも、たまには紅魔館に来てね。今度は私と弾幕ごっこしよ?」
「はは、お手柔らかに頼むよ」
「やだっ」
「そ、即答か……」
フランは笑いながら、俺の手をぎゅっと握った。
冷たいはずの吸血鬼の手は、なぜだかほんの少し温かく感じた。
ラッシュは俺と阿求に向き直り、丁寧に頭を下げる。
「本日はありがとうございました。阿求様、創英様。フラン様も、とても楽しまれておりました」
「こちらこそ。ラッシュもお疲れ様」
「いえ。私は付き添いですので」
「付き添いでも、客は客だ。今度来る時は、ラッシュの分の菓子も多めに用意しておく」
「……ありがとうございます」
ラッシュは少しだけ困ったように微笑んだ。その表情は、紅魔館の地下で罪悪感に押し潰されそうになっていた時より、ずっと柔らかい。フランと並んで外を歩ける日が来たことを、彼女もまた大切にしているのだろう。
二人の姿が空へ消えていくまで見送ってから、俺は縁側へ戻った。阿求も隣へ並び、しばらく何も言わずに空を見ていた。
かん、かん……と、遠くで槌の音が鳴る。
「賑やかな家になりそうですね」
阿求がぽつりと言った。
「全くだ。まだ建ってもいないのにな」
「建つ前から、もう訪ねる人が決まっていますからね」
フランが来る。ラッシュが来る。霊夢や魔理沙は勝手に上がり込むかもしれない。文は取材と称して窓から入ってきそうだし、紅魔館の面々や八雲の連中も、何かにつけて顔を出す未来が見える。……阿求も、きっと来るのだろう。
まだ柱と梁しかないはずの家が、俺の中ではもう誰かの笑い声で満ち始めていた。
それは、少し怖いくらい幸せな想像だった。
「……ん?」
ふと、庭の端に視線が向いた。
誰かがいた気がした。ほんの一瞬、草の影か、木漏れ日の揺らぎか、その向こうで小さな笑い声が弾んだような気がしたのだ。
けれど目を凝らしても、そこには誰もいない。風に揺れる庭木と、秋の日差しだけがあった。
「どうしました?」
阿求が尋ねる。
「いや……何でもない。気のせいだと思う」
「そうですか」
阿求はそれ以上追及しなかった。俺も首を傾げながら、視線を庭から外す。
また、槌の音が響いた。
かん、かん、と。
俺の家が、少しずつ形になっていく。そこがいつか、誰かを迎える場所になるのだと考えると、胸の奥がくすぐったいように熱くなった。
幻想郷での日々は、こうして増えていく。
ひとつの縁が、また別の縁を呼ぶ。
その輪の中心に、自分の家が建とうとしている。
俺は水桶の中に残っていた芋を拾い上げ、台所へ戻る前にもう一度だけ、里の出入口の方角を見た。
まだ見えないはずの家の屋根が、秋の空の下で静かに俺を待っているような気がした。