幻想回帰節   作:北宮 涼

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44の節:縁の集う家、前編

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 十月も末に差しかかった朝、目を覚ました俺は、いつもと違う静けさに気づいた。

 

 障子の向こうでは、庭木の葉を擦る風が乾いた音を立てている。炊事場からは朝餉の支度をする人々の気配が届き、遠くの通りでは、店を開ける商人たちの声も聞こえていた。それなのに、ここしばらく朝の一部になっていた音だけがない。

 

 里の出入口から響いていた、槌の音。

 あの規則正しい音が、今日は聞こえなかった。

 

「……もしかして、終わったのか」

 

 布団の上で身を起こした瞬間、胸の奥が落ち着かなくなる。

 工事が休みという可能性もある。だが、昨日の夕方に見た家は、細かな仕上げを残すばかりになっていた。

 

 俺は身支度を手早く整えると、朝餉の席へ向かった。

 食事を終えるなり外へ出ようとした俺を、阿求が縁側から呼び止めた。

 

「創英さん。どちらへ?」

「家の方を見てくる。今日は槌の音がしないから、もしかしたら完成したのかと思ってさ」

「やはり、気になっていたのですね」

「そりゃあ気になるよ。俺の家なんだからさ」

 

 答えてから、少し妙な気分になる。

 

 俺の家。ここ最近、何度も口にした言葉だ。

 それでも、まだ自分のものとして舌に馴染みきってはいない。十三歳の自分が家を持つという現実は、何度考えてもどこか浮ついていた。

 

 阿求は読みかけの帳面を閉じ、膝の上から退けた。

 

「では、私もご一緒します」

「いいのか?」

「今日が引き渡しなら、記録しておきたいですから。それに――」

 

 阿求はそこで言葉を切ると、ほんの少しだけ視線を逸らした。

 

「私も、完成した創英さんの家を見てみたいのです」

「……そっか。じゃあ、一緒に行こうか」

 

 阿求が頷くのを待ってから、俺たちは並んで稗田邸を出た。

 

 里の出入口へ近づくにつれて、建物の姿が道の先に見えてくる。

 外観は、周囲の家々と大きく変わらない。深く張り出した軒に、雨を流すため傾斜をつけた屋根。柱や壁にも、この辺りで使われている木材や土が用いられている。遠くから見ただけなら、少し新しいだけの里の家に見えるだろう。

 けれど、戸を開けた先は俺の希望をかなり取り入れてもらっていた。

 

 玄関で履き物を脱ぎ、真っ直ぐ伸びた廊下を挟んで部屋を分ける。炊事場は火を扱う場所と食材を整える場所を近くにまとめ、立ったまま作業しやすい高さに調整してもらった。

 居間には椅子や卓を置けるよう板張りの床を広く取り、その隣には畳敷きの和室がある。間の戸を外せば、二つの部屋を繋げて大勢を迎え入れることもできる造りだ。

 

 工事を始めた頃、棟梁たちは俺の描いた拙い図を囲みながら、何度も首を捻っていた。

 その図にしかなかった家が、今は朝の光を受けて俺の目の前に建っている。

 

「来たか、創英」

 

 門口で立ち尽くしていた俺へ、棟梁が声を掛けてきた。後ろには数人の職人が残っており、道具を荷車へ積み込んでいる。

 

「おはようございます。……もしかして」

「ああ。昨日で仕事は全部終わった。今朝は道具を片づけに来ただけだ」

 

 棟梁は腰へ下げていた小さな鍵を外し、俺の掌へ置いた。

 

「これで、今日からお前さんの家だ」

 

 金属の冷たさが、掌へ沈む。

 鍵そのものは小さい。けれど、握った指には、それ以上の重さがあった。

 

「……本当に、出来たんですね」

「おう。変な注文の多い家だったがな」

「そこはまだ言うんですか」

「今まで見たこともねえ炊事場を作らされて、黙っていろって方が無理だろうが。立ったまま包丁を使いたいだの、居間に椅子を並べたいだの、部屋の境を丸ごと外せるようにしたいだの」

 

 棟梁が笑うと、荷造りをしていた職人たちからも笑い声が上がった。

 

「でも、全部きちんと形にしてくれたじゃないですか」

「仕事だからな。それに、作ってみりゃ悪くなかった。住みやすいかどうかは、お前さんがこれから証明しろ」

 

 棟梁はそう言いながら、完成した家を見上げた。日に焼けた横顔には、仕事を終えた者の満足が浮かんでいるように見える。

 俺は掌の鍵を強く握り、棟梁たちへ向き直った。

 

「ありがとうございました」

 

 頭を下げる。

 

「俺が口で説明しただけのものを、こんなに立派な家にしてくれて。本当に、ありがとうございます」

 

 頭上から、困ったような吐息が落ちてきた。

 

「頭を下げすぎるな。俺たちは頼まれた仕事をしただけだ」

「それでもですよ」

「だから……ったく、困った奴だなお前は」

 

 棟梁の大きな手が、俺の頭へ一度だけ置かれた。乱暴に髪を撫でられ、思わず顔を上げる。

 

「この家は、里の連中がお前さんにいてほしいと思った証だ。変な家の騒ぎでも、紅い霧の時も、お前さんは里のために動いた。……だから、貰ったものにいつまでも遠慮してねえで、しっかり受け止めてくれや」

「……はい」

「それと、いくら丈夫に作ったとはいえ、家の中で弾幕ごっこはするなよ」

「しませんよっ!」

 

 即座に返すと、棟梁たちはまた笑った。

 その笑い声を聞いているうちに、ようやく胸の奥まで実感が降りてくる。

 柱だけだった場所が、俺の家になった。

 幻想郷へ来た日には、想像もしなかった居場所が。

 

「ほら、入ってみろ」

 

 棟梁に促され、俺は新しい鍵で玄関の戸を開けた。

 

 戸の向こうから、真新しい木の香りが流れ出す。

 一歩踏み込むと、磨かれた床板が靴下越しに硬く触れた。工事中に何度も入ったはずなのに、道具も木屑もなくなった屋内は、以前よりずっと広く感じられる。

 

 廊下を歩き、居間へ入る。東側の窓から射した光が板張りの床を照らし、その先の和室では、まだ青さの残る畳が清涼な匂いを放っていた。

 炊事場へ回れば、俺の身長に合わせて作られた作業台があり、棚も鍋も、手を伸ばせば届く位置へ収められるようになっている。

 

「想像していた以上ですね」

 

 後ろから入ってきた阿求が、珍しそうに室内を見回した。

 

「創英さんの説明を聞いた時は、もう少し奇妙な家になるかと思っていました」

「それ、どういう意味だよ」

「そのままの意味です。椅子を使う居間と畳の部屋を隣り合わせにするなど、最初に聞いた時は随分と無理のある造りだと思いましたから」

「でも、戸を外せば広く使えるだろ?」

「ええ。宴会を開くには便利そうですね」

 

 阿求は和室との境を見上げ、それから小さく笑った。

 

「まだ誰もいないのに、不思議と人が集まる姿を想像できます」

 

 その言葉に、建築途中の梁の上で出会った少女の声が蘇る。

 

 ――まだ空っぽなんだ。でも、もう賑やか。

 古明地こいし。あの妖怪の子が言った言葉だ。

 

 あの時は、建ちかけの家を見て何を言っているのか分からなかった。だが完成した室内に立ってみると、少しだけ彼女の言葉が理解できる気がする。

 

 椅子へ座る霊夢。勝手に棚を開ける魔理沙。

 フランが廊下を走り、その後をラッシュが追う。

 阿求が呆れながらも、どこか楽しそうに皆の様子を書き留める。

 

 まだ何も置かれていない部屋へ、いくつもの姿が浮かんでくる。

 

「……そうだな」

 

 俺は光の差す居間を見渡し、頷いた。

 

「ここには、たぶん大勢来るよ」

 

 

 

 

 引っ越しは、その日の昼過ぎから始めることになった。

 

 俺が幻想郷へ来た時に持っていたものは少ない。衣服と風花、巻物や呪符を作るための道具。それに、外の世界から偶然持ち込まれた僅かな私物くらいだ。

 だが、稗田邸で生活するうちに物は少しずつ増えていた。

 阿求から借りたままになっていた書物。自分で買った筆と帳面。料理に使う小道具。霖之助さんの店で見つけた品。紅魔館や八雲家から貰った土産物。子供たちが折った紙細工や、フランが置いていった歪な形の人形まである。

 ひとつひとつは小さいのに、箱へ詰めていくと、想像していたより多くなった。

 

「これも、創英さんの物ですよね」

 

 阿求が机の隅にあった紐飾りを摘み上げる。

 

「ああ。それは寺子屋の子供たちが作ってくれたやつだな」

「では、こちらへ入れておきますね」

「壊れないように頼むよ」

 

 畳の上には荷箱が並び、部屋の壁際は少しずつ空いていく。床の間に置いていた物を下ろし、本棚から最後の一冊を抜くと、これまで使っていた部屋が急に他人行儀に見えた。

 

 ここへ初めて通された日のことを思い出す。

 変な家の調査を終え、行く当てもなかった俺へ、阿求は稗田邸で働かないかと声を掛けてくれた。人の屋敷に住み込みで働くことへ不安がなかったわけではない。だがこの部屋で朝を迎え、食卓を囲み、庭を眺めるうちに、稗田邸はいつの間にか帰る場所になっていた。

 

 最後の荷箱を閉じると、室内へ残されたのは借りていた机と寝具だけになる。

 

「……こうして荷物が片付くと、広く感じるな」

「創英さんが来る前は、この状態だったはずなのですけれどね」

 

 阿求は部屋の中央に立ち、静かに辺りを見渡した。

 

「今ではもう、こちらの方に違和感がありますね」

「なぁに、仕事を辞めるわけじゃないんだ。明日も来るさ」

「それは、分かっていますが……」

「夕餉を一緒に食べることだってあるだろうし、阿求が記録をまとめる時には手伝う。何かあれば、すぐ駆けつけるさ」

「……ふふ、そうですね」

 

 阿求は同じ言葉を繰り返し、それから困ったように微笑んだ。

 

「それでもっ。朝起きれば同じ屋敷にいることと、歩いて会いに行かなければならないことは違いますっ」

「あっはは! そうだな、確かにそうだ」

 

 軽く否定することはできなかった。俺にとっても違う。

 明日の朝からは、阿求の声ではなく、自分で用意した目覚まし代わりの仕掛けで起きる。朝餉も一人分を作り、一人で食べる。忘れ物をしたからといって、廊下を戻れば済むわけではない。

 ほんの短い距離なのに、生活の境目は確かにそこへ生まれるのだ。

 

「——今まで、本当に世話になった。ありがとう」

 

 俺は阿求へ向き直り、頭を下げた。

 

「阿求に沢山助けられた。住む場所だけじゃない。幻想郷のことも、人里のことも、全部阿求が教えてくれた。俺がここで暮らせるようになったのは、阿求のおかげだよ。だから……」

「創英さん……」

「……ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします」

 

 頭を上げると、阿求は僅かに目を伏せていた。袖口を握る指へ力が入っている。

 やがて阿求は息を整え、いつもの穏やかな表情を浮かべた。

 

「……こちらこそ、ありがとうございました。創英さんが来てくださってから、稗田邸は随分と賑やかになりました」

「迷惑も掛けたけどな」

「ええ。寝込んでいるのに抜け出そうとしたり、危険な調査へ一人で向かったり、報告を後回しにしたり」

「ゔっ……そっ、そこまで並べなくてもいいだろ!?」

「ふふふ……まだありますよ……?」

「勘弁してください阿求様……」

 

 俺が両手を上げると、阿求は堪えきれずに笑った。

 湿りかけていた空気が、少しだけ軽くなる。

 

「ですが、出ていかれるからといって、縁が途切れるわけではありません」

「ああ」

「創英さんの新しい家にも、私は遠慮なく伺います。むしろ、記録のために頻繁に訪ねる必要があるでしょう」

「……記録のためだけか?」

「ふふっ♪ さぁて、どうでしょうか?」

 

 阿求は答えを濁し、閉じた荷箱を持ち上げようとする。

 ……だが、箱は思った以上に重かったらしい。腕へ力を入れたまま動かなくなったので、俺は横から箱を引き取った。

 

「これは俺が持つよ」

「……お願いします」

「無理するなって」

「創英さんにだけは言われたくありませんっ」

 

 それには反論できなかった。

 

 荷物を新居へ運び終えた頃には、空が茜色へ染まり始めていた。

 阿求や稗田家の人々にも手伝ってもらい、寝具や衣類はそれぞれの部屋へ収めた。炊事場の棚には鍋や食器が並び、居間には小さな卓と椅子が置かれる。

 和室へ座布団を重ねると、ようやく人が暮らす家らしい姿になった。

 

「これで、ひとまず生活はできますね」

 

 玄関で履き物を整えながら、阿求が言った。

 

「ああ。ありがとう、随分助かったよ」

「明日はいつも通り、こちらへ?」

「その予定だ。朝の仕事には間に合うように行くよ」

「寝坊しないでくださいね」

「子供じゃないんだから大丈夫だよ」

「十三歳は十分に子供です」

「阿求だって同い年だろ」

「私は御阿礼の子ですので」

「それ、こういう時だけ便利に使ってないか?」

 

 阿求は小さく笑い、玄関の外へ一歩出た。

 見送るため俺も外へ出る。夕暮れの道の先には人里の家々が並び、その灯りが少しずつ点き始めていた。

 稗田邸までの道は見慣れている。走れば本当にすぐの距離だ。

 

「それでは、創英さん」

「ああ。また明日」

 

 さようならではない。阿求もそれを分かっているのか、満足そうに頷いた。

 

「ええ。また明日会いましょう」

 

 遠ざかる後ろ姿を見送り、俺は初めて自分の家の戸を閉めた。

 

 ——その夜、家は驚くほど静かだった。

 湯を沸かす音。包丁がまな板へ当たる音。椀を卓へ置く音。これまでは人の声や足音に紛れていた一つひとつが、広い室内へはっきりと響く。

 夕餉を一人分だけ作り、居間の卓へ運ぶ。向かい側の椅子には誰も座っていない。二人分の茶を用意しかけ、湯呑みをひとつ棚へ戻した時には、自分でも少し笑ってしまった。

 

「……慣れって怖いな」

 

 食事を終え、片付けを済ませてから縁側へ出る。

 秋の夜気が頬へ触れた。庭はまだ何も植えられておらず、踏み固められていない土が月明かりを淡く返している。家の背後では森の葉が鳴り、里の内側からは、誰かの家の笑い声が微かに届いていた。

 

 静かではある。けれど、寂しいとは思わなかった。

 この家へ誰が来るのか、もう知っているからだ。

 

 阿求は明日も来る。フランは遊びに来ると約束した。紅魔館の面々も、新築祝いへ招けばきっと顔を出してくれるだろう。

 霊夢や魔理沙なら、知らせなくても食べ物の匂いを嗅ぎつけて現れそうな気さえする。

 

 完成したばかりの家へ耳を澄ます。

 木が乾いて小さく鳴る音の向こうで、まだここにはいない誰かの笑い声が重なったように感じた。

 

 ――まだ空っぽなんだ。でも、もう賑やか。

 あの少女の言葉を思い出し、俺は暗い庭へ目を向ける。

 

「……完成したぞ、こいし」

 

 返事はない。ただ、風が庭を横切り、軒先を軽く鳴らしただけだった。

 それでも、どこかで小さく笑われたような気がして、俺はしばらく夜の庭を眺めていた。

 

 

 

 

 それから数日が経った。

 新居の居間には、朝から墨の匂いが漂っていた。

 

 卓の上へ紙を並べ、俺は新築祝いの文を書いている。家が完成した報告と、十月末日にささやかな宴を開く旨を記し、世話になった人々へ送るためのものだ。

 隣には阿求が座り、完成した文面へ目を通している。

 

「『ささやかな宴』というには……招待する人数が多すぎませんか?」

「うーん……書き始めた時は、もう少し少ないつもりだったんだけどなぁ……」

「紅魔館の皆さん、八雲の皆さん、霊夢さん、魔理沙さん、慧音先生、妹紅さん、霖之助さん……既に十分な人数ですね」

「ここから更に、チルノと大妖精も呼びたいと思ってるんだ」

「うーん。さらに増えましたね」

 

 阿求が筆先で名簿をなぞる。

 

「料理は大丈夫なのですか?」

「そこは何とかするよ。作り置きできるものもあるし、咲夜さんが手伝うって言ってくれてたから」

「紅魔館のメイド長が? 彼女を宴の手伝いへ数えてよいのでしょうか」

「本人が言ってくれたんだから、いいんじゃないか?」

「創英さんがそう言うのでしたら、まぁ……」

 

 阿求は苦笑し、紅魔館宛ての文を丁寧に畳んだ。

 博麗神社と魔法の森へ送る文は、里から出る行商人へ途中まで託せる。慧音先生と妹紅には人里で直接渡せばいい。

 霖之助さんへは香霖堂を訪ね、紅魔館へは湖へ向かう際に届けるつもりだった。

 問題は、八雲家である。

 

「……これ、どこへ送れば届くんだ?」

 

 宛名へ『八雲紫様』と書いた文を持ち上げる。

 

「紫様の事ですから、机の上へ置いておけば、そのうちお持ちになるのでは?」

「まさか、そんな……」

 

 言いながら文を卓へ戻した直後、その真下へ細い裂け目が開いた。

 封書が音もなく隙間へ落ち、空間は何事もなかったように閉じる。

 俺と阿求は、文の消えた場所をしばらく見つめた。

 

「………………と、届いたな」

「届きましたね」

「いや、っていうか。見てたなら普通に取りに来ればいいのに」

 

 すると、どこからともなく紫さんの含み笑いが聞こえた気がした。

 俺は天井を見上げたが、返事はなかった。

 

 ——紅魔館へ文を届けた帰りには、湖の畔でチルノと大妖精を見つけた。

 チルノは水面へ薄く張った氷の上へ腹這いになり、その向こうで大妖精が心配そうに声を掛けている。何をしているのかと思えば、氷の下を泳ぐ魚を捕まえようとしているらしい。

 

「二人とも、少しいいか?」

 

 声を掛けると、大妖精がこちらへ振り返った。

 

「あ、創英さん。こんにちは」

「そーえー! 見てなさい、今からこの魚を凍らせて捕まえるからっ!」

「氷の下にいる魚まで凍らせたら、食べられなくならないか?」

「……あっ」

 

 チルノは氷越しに魚を見つめ、それから何事もなかったように立ち上がった。

 

「き、今日は見逃してあげるわっ!」

「逃げられただけじゃ……」

「大ちゃんは黙ってて!」

 

 大妖精の小さな指摘を遮るチルノへ苦笑しながら、俺は二人分の文を差し出した。

 

「家が完成したんだ。十月の末に新築祝いをするから、良ければ二人も来てくれないか?」

「宴会!?」

 

 チルノが封を開けるより早く食いついた。

 

「行く! 絶対行く! 食べ物はある!?」

「もちろん。ちゃんと用意するよ」

「じゃあ行くっ!」

「せめて日時くらい確認しようよ、チルノちゃん……」

 

 大妖精は文を受け取り、書かれた内容へきちんと目を通した。

 

「十月末日の夕方ですね。分かりました。チルノちゃんと二人で伺いますね」

「ああ。待ってるよ」

「ねえそーえー、家の中を凍らせてもいい?」

「駄目に決まってんだろ」

「ちぇー」

 

 棟梁から釘を刺されたばかりなのだから、本当に勘弁してほしい。

 

 妹紅へは、自分たちへの招待状とは別に、もう一通の文を託した。

 宛名は、迷いの竹林で出会った鈴仙とてゐ。俺は二人の住処を知らず、竹林の奥を不用意に探すつもりもなかった。

 そこで竹林をよく知る妹紅に、会えた時で構わないので渡してほしいと頼んだのだ。

 

「随分と律儀だな」

 

 妹紅は封書を懐へ収めながら言った。

 

「一度会っただけの相手まで呼ぶのか?」

「一度とはいえ、一緒に霊石の騒ぎへ巻き込まれたからね。それに、鈴仙には既に迷惑も掛けた後だし、声くらいは掛けておきたかったんだよ」

「まあ、渡すだけなら構わないよ。見つけたら渡しておく」

「ありがとう」

 

 そうして、返事が届いたのはその翌日だった。

 新居を訪ねてきた妹紅が、折り畳まれた一枚の紙を俺へ差し出す。

 

「返事だ。今回は来ないってさ」

「思ったよりも大分と早かったな……」

「たまたま見つけやすいところにいたんだよ。詳しいことは聞くな」

「ああ、分かった」

 

 妹紅の言葉通り、俺は詮索せず文を開いた。

 整った字で、招待への礼と欠席の詫びが記されている。事情により宴へ伺うことはできないが、新居の完成は心からめでたく思っている。

 直接祝いに参じる代わりに、ささやかな祝辞をもって返礼とさせていただきたい――そのような内容だった。

 二人の名は最後に並んでいるが、どこから送られたのかも、普段どこで暮らしているのかも書かれていない。

 

「……これは、断られたか?」

 

 文を覗き込まず、妹紅が尋ねる。

 

「ああ。でも、祝いの言葉は貰ったよ」

「なら十分だろ」

「そうだな」

 

 来られない事情はあるのだろう。

 それでも返事を寄越してくれたことが嬉しかった。俺は文を丁寧に畳み、新居で増え始めた手紙の箱へ収めた。

 

 招待状を出し終えると、返事は驚くほど早く集まった。

 霊夢からは『食事が出るなら行く』と簡潔な返答が届き、魔理沙は返事の代わりに窓から入ってきて日程を確認していった。

 慧音は祝いの品を持って伺うと記し、霖之助さんからは商いを早めに切り上げるとの返事が来る。

 紅魔館からは、咲夜さんの手で整えられた出席者の名簿が届いた。レミリアお嬢様、フラン、咲夜さん、美鈴さん、パチュリーさん、小悪魔さん、ラッシュ。全員の名が並んでいる。

 八雲家からは返書ではなく、ある朝、台所の棚へ見覚えのない重箱が置かれていた。

 

 蓋を開けると、紫さんの字で『当日は三人で伺います。家の境目は、広めに空けておいてちょうだい』と書かれた紙が入っている。

 

「普通に玄関から来る気はないのかねぇ……」

 

 思わず呟いたが、その日のうちに玄関の位置と廊下の幅を記した簡単な図を返しておいた。

 そうして名簿へ丸印を付けていくうち、卓上の紙はほとんど丸で埋まった。

 

「……本当に、全員来るのか」

「創英さんがご自分で招待したのではありませんか」

 

 阿求の正論が痛かった。

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