幻想回帰節   作:北宮 涼

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53の節:朝餉と二人の侵入者

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 ——妙に温かい。

 

 まだ眠気の残る意識の中で、最初に抱いたのはそんな感想だった。

 

 冬の朝だというのに、布団の中へ冷気が入り込んでこない。右腕には柔らかな重みが掛かり、左脇にも何かがぴったりと寄り添っている。

 

「……ん?」

 

 閉じていた目を開く。

 

 障子の向こうはまだ薄暗い。夜が明け始めたばかりらしく、室内には家具の輪郭が辛うじて見える程度の光しかなかった。

 

 目覚めたばかりの頭で、自分の身体を確かめる。

 

 昨日と同じ男の身体。

 

 さらに伸びた金髪は、眠る前に緩く纏めて背中の上側へ流したはずだ。

 

 ……では。両側から伝わってくる、この温もりは何だ?

 

「…………」

 

 嫌な予感がする。

 

 俺はまず、右側へ視線を向けた。

 

 薄暗い布団の中から、淡い金髪がチラリと覗く。

 

 頭を俺の腕へ載せ、小さな身体を丸めて眠っている少女がいた。

 

「……フラン?」

 

 声にならないほど小さく名前を呼ぶ。

 

 返事はない。規則正しい寝息だけが返ってきた。

 

 見間違えるはずもない。紅魔館にいるはずのフランが、何故か俺の布団へ潜り込み、俺の右腕を枕にして眠っていた。

 

「なんで……?」

 

 突然の出来事に理解が追いつかない。

 

 ——いや待て。そう言えば、まだ左側にも何かいたな?

 

 首だけを、恐る恐る、ゆっ……くりと、反対側へ向ける。

 

 こちらでは、緑色の髪を持つ少女が俺の寝間着の裾を掴み、胸元へ額を寄せて眠っていた。

 

 閉じた第三の眼。見覚えのある帽子。俺の知っている子の中で、そんな特徴を持つ奴はひとりだけだ。

 

 間違いない。フランだけではなく、なぜか古明地こいしまでいる。

 

 その二人が、揃って俺の布団で眠っていた。

 

「――――ッ!?」

 

 腹の奥から悲鳴がせり上がった。

 

 だが、声が喉を抜ける寸前、頭の片隅に近所の家々が浮かぶ。

 

 まだ早朝だ。この時間に絶叫すれば、何事かと人が集まってくる。

 

 新年早々、寝室へ少女を二人連れ込んだと誤解でもされたら、俺は人里を歩けなくなる。

 

「ッ……!」

 

 腹筋に力を込めて息を止め、どうにか声になる前の息を飲み込む。

 

 だが心臓は、飲み込み切れなかった心の悲鳴を一身に受け止めたらしく、声を上げる代わりに胸を激しく叩いていた。

 

 落ち着け、落ち着くんだ時崎創英。確認だ、まず状況を確認しろ。

 

 フランは妹だ。こいしも、まぁ知り合いの妖怪だ。

 

 何か事情があってここにいるんだ。

 

 たぶん。きっと。恐らく。

 

「……事情があっても、俺の布団へ入る理由にはならないだろっ」

 

 小声で、本当に小声で、悲鳴にも似た悪態をつく。

 

 当然だが、二人は起きない。フランは俺の腕へ頬を押しつけ、こいしは寝間着を掴む指へ僅かに力を込めた。

 

 なんでもいいのだが、このままでは起き上がることが出来ない。

 

 右腕を少しずつ引こうとすると、フランの眉が僅かに寄る。反対側へ身体を動かせば、今度はこいしが俺の脇腹へ近づいてきた。

 

「頼むから、もう少し離れて寝てくれぇ……」

 

 届かない願いを口にしながら、まずフランの頭の下へ枕の端を差し込む。

 

 腕へ掛かる重みが僅かに抜けた。

 

 次に、こいしの指を一本ずつ寝間着から外す。

 

 最後の一本を解いたところで、彼女の手が宙を探るように動いたため、代わりに布団の端を握らせた。

 

 ——これで動ける。

 

 俺は二人を起こさないよう、息を止めながら身体を起こした。

 

 布団から膝を抜き、慎重に、音を立てない様に立ち上がろうとする。

 

 しかし。そんな努力を他所に、体重が一瞬強くかかった拍子に床板が小さく軋んだ。

 

「んぅ……にぃに……」

 

 フランが寝言を漏らす。

 

「っ…………!!」

 

 思わずその場に固まる。

 

 しかし、目を覚ました様子はない。こいしも眠ったままだった。

 

 ホッと胸を撫で下ろしつつ、俺は——フランに日光が差さない様に——窓辺のすだれを降ろしてから、どうにか寝室を抜け出し、襖を閉めた。

 

 その瞬間、全身から一気に力が抜けた。

 

「だっ……はぁぁぁぁ。朝から何なんだよ、これ……」

 

 廊下の壁へ背を預け、額を押さえる。

 

 どうして紅魔館にいるはずのフランがいる?

 

 どうして、こいしまでいる?

 

 そもそも二人は、どうやって戸締まりした家の中へ入ったんだ?

 

 疑問は尽きず、考えるべきことは山ほどあった。

 

 だが、今すぐ二人を叩き起こして問い詰める気にもなれない。あれだけ気持ちよさそうに眠っているのだから。

 

 それに。

 

「……起きたら、腹減ったってはじまるだろうな」

 

 結局、最初に考えたのは朝餉のことだった。

 

 

 

 

 顔を洗い、乱れた髪を梳く。

 

 太ももへ届きそうなほど長くなった金髪を、高い位置へ集め直した。炊事の邪魔にならないよう、普段より髪紐を強く締め、毛束の先が散らない様にもう一か所結ぶ。

 

 まだ新しい長さへ慣れていないせいか、結び終えたポニーテールは少し右へ傾いた。

 

「ああもう……いいや、後で直せばいい」

 

 今はそれどころではないのだから。

 

 ——竈へ火を入れ、米を炊く。味噌汁には大根、葱、豆腐を入れた。

 

 昨夜のうちに下拵えしていた根菜の煮物を温め直し、卵を3つ取り出す。

 

 最初は卵焼きを作ろうとしたが、フランとこいしの好みが分からない。

 

 少し迷った末、甘めに味をつけることにした。

 

「フランは甘い方が好きそうだけど……こいしはどうなんだろうな」

 

 答えは出ない。

 

 まぁ……合わなければ、次から変えればいいか。

 

「……いや待て、次がある前提で考えるな俺」

 

 自然に「次」を考えたところで、俺は箸を持ったまま、思わず動きを止めた。

 

 第一に、二人がここにいる理由すらまだ聞いていないのだ。

 

 「朝餉を食べさせたら、それぞれの家へ帰さないとな」

 

 特にフランは、黙って紅魔館を抜け出してきた可能性が高い。今頃、館中で騒ぎになっているかもしれない。

 

 頭ではそう分かっている。それでも、三人分の椀を並べる手は止まらなかった。

 

 飯が炊き上がる頃、廊下の向こうからぱたぱたと軽い足音が聞こえてきた。

 

「にぃにー?」

 

 寝起きらしい、少し掠れた声が聞こえてきた。

 

「炊事場にいるよ、フラン」

 

 返事をすると、襖の隙間からフランが顔を覗かせた。

 

 髪は寝癖で跳ね、片方の翼へ布団の糸屑が引っ掛かっている。

 

「おはよう、にぃに」

「おはよう、フラン」

 

 普通に挨拶を返してから、箸を置く。

 

「……じゃなくてだな」

「うん?」

「どうしてここにいるんだ?」

 

 フランが瞬きをする。その背後から、こいしも顔を出した。

 

「おはよう、そー君」

「おはよう、こいし」

「いい匂いだね」

「ああ。今朝は味噌汁だよ。……いや、だからな? そうじゃなくてな?」

 

 危うく流されるところだった。

 

「二人とも、とりあえず居間で座っててくれ。朝餉を食べる前に聞きたいことがある」

「ご飯の後じゃ駄目?」

 

 フランが尋ねる。

 

「駄目ではないけど、俺の心を落ち着かせるために先に聞かせてくれ」

「そー君、さっきからすごく慌ててるね」

「誰のせいだと思ってるんだよ」

 

 こいしは楽しそうに笑い、フランと並んで卓の前へ座った。

 

 俺も向かいへ腰を下ろす。

 

「はい、まずフラン」

「はーい」

「どうして紅魔館じゃなく、俺の家にいるんだ?」

「抜け出してきたから!」

 

 満面の笑みを浮かべてそう言い放ってきた。

 

 あまりにも堂々とした答えに、不覚にも反応が遅れた。

 

「……えっと、黙って?」

「うん!」

「それは、あー……館の誰にも言わずに?」

「うん!」

「ラッシュにも?」

「うん!」

「レミリアにもか?」

「言ってない!」

「何でそんなに元気よく答えるんだよ!?」

 

 思わず声が大きくなる。

 

 フランの肩が少し跳ねたため、慌てて声を落とした。

 

「あっ……と、ごめん。うるさかったな」

「ううん。にぃに、怒ってる?」

「いや、怒ってるというよりは、心配してるかな」

「でも、ちゃんとここまで来られたよ?」

「そっちじゃない、結果の話じゃないんだ」

 

 フランの目を見る。

 

「フランがいなくなったら、お嬢様も咲夜さんもラッシュも心配する。美鈴さんやパチュリーさんだって探すだろ?」

「う~……」

「俺に会いに来てくれたのは嬉しい。でも、黙って抜け出すのは絶対にダメだ。次からは、ちゃんと誰かに言ってから来てくれ」

 

 フランは唇を僅かに尖らせた。

 

 それでも、俺から目は逸らさない。

 

「……にぃにのところに、お泊まりしたかったの」

「うん」

「言ったら、ダメって言われると思った」

「だから、黙って来たと?」

「うん……」

 

 ……気持ちは分からなくもない。しかし、許していい理由にはならない。

 

「だったら今度は、俺からお嬢様たちへ頼むよ。それでもダメだって言われたら、どうしてダメなのか一緒に聞こう。」

「一緒に聞いてくれるの?」

「ああ」

「……うん、分かった」

 

 フランが小さく頷く。その頭を一度撫でてから、隣へ視線を移した。

 

「次、こいし」

「はーい」

「どうしてここにいるんだ?」

「家出」

「…………はい?」

「お姉ちゃんの所から家出してきたの」

 

 さらりと言い放たれた。

 

 俺は卓へ両肘をつき、両手で頭を抱えた。

 

「……新年早々、何で家出娘を二人も抱えることになるんだよ俺はぁ……」

「私はお泊まりだよ?」

 

 フランが訂正する。

 

「黙って抜け出してきた時点で似たようなものだっ」

「でも、お家へ帰るよ?」

「そこは大事だけどさ?」

 

 頭を上げ、こいしを見る。

 

「家出って……家へ帰りたくないってことか?」

「うん。しばらく帰らない」

「家の人には?」

「言ってないよ」

「やっぱり黙って来たのか……」

「家出って、そういうものでしょ?」

「間違ってはいないけど、堂々と言うことでもないだろうに……」

 

 こいしは笑っている。

 

 以前に会った時と同様に、何を考えているのか掴みにくい笑顔だ。

 

 けれど、家の話をした瞬間だけ、その笑みの奥に薄い影が差した気がした。

 

 気のせいかもしれない。俺がそう見たいだけかもしれない。

 

「何かあったのか?」

 

 だから、少し踏み込んで聞いてみることにした。

 

「何かって?」

「ほら、家へ帰りたくなくなるようなこととか」

「うーん」

 

 こいしは首を傾げた。

 

「帰りたくなくなったから、帰らないの」

「それは理由になってないぞ」

「そー君は、理由がないと家出しちゃダメだっていう人なの?」

「ダメとは言ってないけどもさぁ……」

 

 言葉を選ぶ。

 

「でも、帰る場所があって、心配してくれる相手がいるなら……黙っていなくなるのは、そいつらを傷つけることになるって思わないか?」

「ん~……」

「話したくないことを無理に聞くつもりはないよ。ただ、家出って言葉を軽く使わないでほしいかな。帰れと言うつもりはないけど、何も考えずに受け入れることもできないよ、俺は」

 

 こいしは、じっと俺を見る。閉じた第三の眼は動かない。

 

 けれど、緑色の瞳だけがこちらの言葉を確かめるように瞬いていた。

 

「そー君は、追い出さないの?」

「今すぐ追い出したりはしないよ」

「どうして?」

「家出なんだろ? 帰りたくないってここまで来た奴を、朝飯も食わせないまま外へ放り出せるかよ」

「そっか」

 

 こいしが笑う。

 

 今度の笑顔は、先ほどより少しだけ柔らかく見えた。

 

「それから」

 

 俺は二人を交互に見る。

 

「おまえたち、どうやって俺の家へ入った?」

「こいしが開けてくれたよ」

 

 フランが即答する。

 

「こいしが?」

「うん」

 

 視線を向ける。

 

「俺、戸締まりしたよな?」

「してあったね」

「じゃあ、どうやって入ったんだ?」

「玄関から」

「いやそうじゃなくて」

 

 頭痛がしてきた。

 

「玄関の戸は鍵が掛かってただろ?」

「でも、開いたよ?」

「……壊してないよな?」

「壊してないよ」

 

 不安になり、玄関へ向かう。

 

 戸を確認するが、鍵にも木枠にも壊れた形跡はない。昨夜と同じように、内側からしっかり施錠されている。

 

「何でだぁ……?」

 

 背後に立ったこいしへ振り返る。

 

 彼女は、楽しそうに首を傾げた。

 

「そー君が、今度は玄関からって言ったから」

「確かに言ったけどさぁ……軽くホラーだぞこれ……」

 

 以前。家を建てていた時に出会ったこいしへ、次に来るなら正面から来いと伝えたことがあった。

 

 まさか本当に玄関から侵入して、堂々と寝室まで入り込むとは思わなかったが。

 

「入れたから、入ったんだよ?」

「…………そうか」

 

 これ以上聞いても、答えは得られそうにないと思った。

 

 少なくとも家へ危害を加えたわけではないらしいし、これ以上深く考えないことにした。

 

「次からは、玄関を開けて入ったら俺に声を掛けてくれ」

「布団に入っちゃダメ?」

「ぜぇーったい、ダメ」

「どうして?」

「びっくりするから」

「どれくらい?」

「心臓が止まりかけたくらい」

 

 こいしは、くすくすと笑った。

 

「とにかく」

 

 炊事場へ戻り、三人分の朝餉を卓へ並べる。

 

「詳しい話は食べてからにしよう。はい、いただきます」

「いただきます!」

「いただきま~す」

 

 フランが両手を合わせる。それに、こいしも続いた。

 

 俺も席へと戻ると、箸を取った。

 

 何故か始まった三人での朝餉。

 

 昨夜までは一人で使うつもりだった卓が、今朝は随分と狭く感じられた。

 

 

 

 

「にぃに、この卵焼き甘いね!」

「嫌だった?」

「ううん、好き!」

「そっか、なら良かったよ」

 

 フランは卵焼きを一口食べるたびに、嬉しそうに翼を揺らしている。

 

「こいしは?」

「美味しいよ?」

「甘いの平気なんだな」

「美味しければ何でも好きー」

「たはは……一番困る答えだな、それ……」

 

 次に作る時の参考になりゃしない。けれど、二人が食べる姿を見ていると、張り詰めていた気持ちが少しだけ緩んでいく。

 

 そうして味噌汁を口へ運んだ、その時だった。

 

 玄関の戸が、激しく叩かれた。

 

「創英様っ!! 起きてらっしゃいますか!?」

 

 聞き覚えのある声。

 

「ラッシュか」

 

 椀を置いて立ち上がる。その間に、再び戸が叩かれた。

 

「創英様!! いらっしゃいますか!? 創英様っ!!」

「今開ける! 玄関先で騒がないでくれ!」

 

 廊下を急ぎ、玄関の鍵を外す。戸を開けた瞬間。

 

「創英様っ!!!」

 

 ラッシュが飛び込むようにして姿を現した。

 

 普段は隙なく整えられている衣服が乱れ、髪にも薄い霜が付着している。呼吸も荒く、顔からは完全に血の気が引いていた。

 

「ラッシュ、一旦落ち着け」

「フランドール様を、ご存じでは――」

 

 そこまで言って、ラッシュの視線が俺の背後へ向く。

 

 廊下の奥から、フランが顔を出した。

 

「ラッシュ、おはよう!」

「ふ、フランドール様……!」

 

 全身から力が抜けたように、ラッシュがその場にへたり込んだ。

 

「よかった……ご無事で、本当によかった……」

「ラッシュ?」

「申し訳ございません。少々……安心いたしました故……」

 

 少々どころではない。呼吸を整えようとしているが、肩がまだ震えている。

 

「まあ、なんだ。とりあえず、中へ入ってくれ。ずっとそうしてられると、色々と不味い」

「しかし」

「話は朝飯を食べながらでもできる。その様子から察するに、何も食べてないだろ?」

「今は、そのような場合では——」

 

 ぐぅぅぅ~……。

 

 腹の音が可愛らしく鳴った。

 

「…………えっと、その」

「入れ」

「うう……失礼いたします……」

 

 ラッシュは抵抗を諦め、とぼとぼと家へ上がった。

 

 

——

 

 

 卓へもう一膳用意する。

 

 飯と味噌汁をよそい、煮物と卵焼きを分けた。

 

「急ごしらえで悪いけど、どうぞ」

「いえ……ありがとうございます」

 

 ラッシュは恐縮しながら席へ着いた。

 

 フランは少し気まずそうに、椀の中を見つめている。

 

「ラッシュ」

「はい、創英様」

「紅魔館の方はどうなってる?」

「夜明け前より、館内総出でフランドール様を捜索しております。私も美鈴様と共に周囲を捜し、創英様の御宅へいらっしゃる可能性を考え、こちらへ参りました」

「ほら見ろ、やっぱり大騒ぎになってるじゃないか」

「……ごめんなさい」

 

 フランが小さく謝る。

 

 先ほど俺が話した時より、ラッシュの姿を目にしたことで、自分がどれほど心配を掛けたのか実感したのかもしれない。

 

「フランドール様」

 

 ラッシュが彼女を見る。叱るのかと思った。

 

 しかし、口から出たのは静かな声だった。

 

「ご無事で、本当に何よりでございます」

「……うん」

「ですが次からは、私どものうち誰か一人にでも行き先をお伝えください。貴女様のお姿が見えないと知った時、レミリア様は……」

「お姉様、怒ってた?」

「大変、取り乱しておいででした」

 

 フランの翼が僅かに下がる。

 

 似た経験をしたことがあるせいで、レミリアの心境をありありと察せられるだけに、何とも言えない気持ちになった。

 

「帰るか?」

 

 そっと、声量を落して尋ねる。フランは迷うように視線を揺らした。

 

「にぃにの家に、泊まっちゃダメ?」

「俺は構わないよ」

「本当?」

「ああ。ただし、お嬢様たちの許可が必要だ」

 

 ラッシュへ向き直る。

 

「ラッシュ。悪いけど、紅魔館へ戻ってお嬢様と咲夜さんに伝えてくれないか?」

「何とお伝えすれば?」

「フランは無事だ。俺が責任を持って預かっている、と」

 

 フランが顔を上げる。

 

「もちろん、お嬢様がダメだと言うなら連れて帰ってもらう。でも許してくれるなら、しばらく俺の家で過ごさせてやりたい」

「創英様」

「勝手を言ってるのは分かってるよ」

「いえ、そうではなく」

 

 ラッシュは静かに首を振った。

 

「創英様であれば、フランドール様を安心してお任せできます。ですが、私の一存では決められません」

「分かってるさ。だから、頼めるか?」

「承知いたしました」

「よし。じゃあその前に、ちゃんと朝飯を食べていけ」

「しかし、一刻も早く報告を」

「急いで飛び出した先で倒れられたら、今度は俺がラッシュを探すことになる」

「それは……」

「食べてってくれ。その方が、俺も安心できる」

 

 ラッシュは僅かに目を伏せた。

 

「……かしこまりました。では、お言葉に甘えます」

 

 ようやく箸を取る。その姿を確認してから、俺も冷めかけた味噌汁へ口をつけた。

 

 ……妙な朝餉だった。

 

 黙って館を抜け出した吸血鬼。家出してきたという覚り妖怪。それを捜して飛び込んできた妖精の従者。

 

 そして、事情も分からないまま全員へ飯を出している俺。

 

「……何でこうなったんだろうな」

「にぃにのご飯が美味しいから?」

「料理の話じゃないよ、フラン」

 

 フランの答えに、こいしが声を立てず笑った。

 

 

——

 

 

 朝餉を終えたラッシュは、何度もフランの無事を確認してから紅魔館へ戻っていった。

 

 俺が預かると伝えても、やはり心配なのだろう。

 

 フランも玄関先で、

 

「今度から、ちゃんと言うね」

 

 と約束した。

 

 その言葉を胸へ刻むように頷いてから、ラッシュは冬空へ飛び立った。

 

 それから一刻ほど経った頃。一羽の蝙蝠が、玄関の隙間から飛び込んできた。

 

 蝙蝠は廊下の上で紅い光へ変わり、その場へ一通の封書を落とす。

 

 封蝋には、紅魔館の印。レミリアお嬢様からだった。

 

「何て書いてあるの?」

 

 フランが隣から覗き込む。こいしもその後ろから覗き込んでいる。

 

「今読むから、引っ張るなよ」

 

 封を開く。

 

『今回は貴方を信用し、フランを預けます。ただし毎日一度は様子を知らせること。本人が帰りたいと言った時は、すぐに連れ帰りなさい。フランには、戻った後で私からも話があります』

 

 文面は短い。けれど最後に、小さな字で一文だけ加えられていた。

 

「『無事でよかったわ』、だってさ」

「……お嬢様、相当心配したんだな」

 

 フランは手紙を見つめ、少しだけ俯いた。

 

「帰ったら、ちゃんと謝らなきゃ」

「ああ。それがいい」

「でも、今日はここにいていいよね?」

「許可は出たからな」

「やったぁ!」

 

 跳び上がるフランを受け止める。

 

「ただし、この家では俺の言うことを聞くように。分かったか?」

「はーいっ!」

「返事が軽いな……」

 

 不安しかない。

 

 まぁそれは兎も角として、問題はもう一人だった。

 

「こいし」

「なぁに?」

「フランは預かる許可を貰えた」

「うん」

「こいしの家へは、連絡する方法があるか?」

「あるかもしれないし、ないかもしれない」

「どっちだよ」

「そー君は、私に帰ってほしいの?」

 

 問い返される。俺はすぐには答えなかった。

 

 家出。こいし自身は、どうにも理由を話すつもりはないらしい。帰るつもりもしばらくない様だ。

 

 本来なら家へ送り返すべきなのかもしれないが……こいしが「帰りたくない」と言った時の、僅かな表情の揺れが頭へ残っていた。

 

 本人が何も感じていないように振る舞うからといって、本当に何も抱えていないとは限らない。

 

 阿求。フラン。絢香。

 

 今まで見てきた親しい者の顔が、胸の中を過ぎる。

 

「……帰れとは言わないさ」

「じゃあ、居ていいよね?」

「ああ。ただし条件がある」

「条件?」

「勝手にいなくならない。出掛ける時は、できるだけ俺かフランに伝える。危ないことはしない」

「できるだけ?」

「こいしに『必ず』って言っても、無意味かと思ってな。なんか無意識に動いてそうだし」

 

 こいしが目を丸くした。

 

 それから、楽しそうに笑う。

 

「そー君、私のこと分かってるね」

「分かってないから、できる範囲でって言ってるんだよ」

「うん。分かった」

「本当に?」

「できるだけ守るね」

「……不安だ」

 

 だが、追い出すよりはいい。少なくとも、この家にいる間は目が届く。

 

「それから」

 

 二人を見る。

 

「もうひとつ、大事な約束をしよう」

「なに?」

「何だろ?」

「俺の布団へ勝手に潜り込まないこと」

「え~?」

 

 フランが不満の声を上げる。

 

「えー、じゃない」

「にぃにと一緒に寝たかったのにぃ」

「今夜から二人分の布団を用意する。客間に敷くから、寝たいならそこで寝てくれ」

「そー君と一緒じゃないの?」

「一緒じゃありません」

「どうして?」

「俺の心臓が止まりそうになったからだよっ!」

 

 二人は顔を見合わせる。

 

 何故か同じタイミングで、楽しそうに笑った。

 

「……おいお前ら。今、絶対何か企んだだろ」

「企んでないよ~? ねー、フラン」

「ねー!」

 

 小さな少女二人が、俺の目の前で何かを示し合わせている。

 

 余計に信用できなかった。

 

 

 

 

 こうして、俺の家でフランとこいしを預かることになった。

 

 期間は決まっていない。

 

 フランが紅魔館へ帰るまで。

 

 こいしが自分の家へ戻る気になるまで。

 

 それが数日なのか、もっと長くなるのか。今の俺には分からなかった。

 

 ただ。昨日まで一人だった家の中へ、二人分の足音と声が増えた。

 

「にぃに! お部屋見てもいい?」

「いいけど、壊すなよ?」

「壊さないよ!」

「そー君、こっちの部屋は?」

「そこは倉庫だ。勝手に刀や札を触るなよ?」

「はーい」

「おい二人とも、ちゃんと聞いてるかっ!?」

 

 廊下を走る足音。開けられる襖。重なる笑い声。

 

 ……騒がしい。昨日までの静けさが、まるで嘘のようだった。

 

 俺は居間の真ん中へ立ち、「探検だーっ!」とか言ってる二人の後ろ姿を見送る。

 

「……大丈夫かな、これ」

 

 不安しかない。すごく不安しかない。

 

 それでも……空になった椀が三つ並ぶ卓を見た時、胸の奥へ生まれた温かさまで、俺は見なかったことにはできなかった。

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