◆◇◆◇◆◇◆◇◆
——妙に温かい。
まだ眠気の残る意識の中で、最初に抱いたのはそんな感想だった。
冬の朝だというのに、布団の中へ冷気が入り込んでこない。右腕には柔らかな重みが掛かり、左脇にも何かがぴったりと寄り添っている。
「……ん?」
閉じていた目を開く。
障子の向こうはまだ薄暗い。夜が明け始めたばかりらしく、室内には家具の輪郭が辛うじて見える程度の光しかなかった。
目覚めたばかりの頭で、自分の身体を確かめる。
昨日と同じ男の身体。
さらに伸びた金髪は、眠る前に緩く纏めて背中の上側へ流したはずだ。
……では。両側から伝わってくる、この温もりは何だ?
「…………」
嫌な予感がする。
俺はまず、右側へ視線を向けた。
薄暗い布団の中から、淡い金髪がチラリと覗く。
頭を俺の腕へ載せ、小さな身体を丸めて眠っている少女がいた。
「……フラン?」
声にならないほど小さく名前を呼ぶ。
返事はない。規則正しい寝息だけが返ってきた。
見間違えるはずもない。紅魔館にいるはずのフランが、何故か俺の布団へ潜り込み、俺の右腕を枕にして眠っていた。
「なんで……?」
突然の出来事に理解が追いつかない。
——いや待て。そう言えば、まだ左側にも何かいたな?
首だけを、恐る恐る、ゆっ……くりと、反対側へ向ける。
こちらでは、緑色の髪を持つ少女が俺の寝間着の裾を掴み、胸元へ額を寄せて眠っていた。
閉じた第三の眼。見覚えのある帽子。俺の知っている子の中で、そんな特徴を持つ奴はひとりだけだ。
間違いない。フランだけではなく、なぜか古明地こいしまでいる。
その二人が、揃って俺の布団で眠っていた。
「――――ッ!?」
腹の奥から悲鳴がせり上がった。
だが、声が喉を抜ける寸前、頭の片隅に近所の家々が浮かぶ。
まだ早朝だ。この時間に絶叫すれば、何事かと人が集まってくる。
新年早々、寝室へ少女を二人連れ込んだと誤解でもされたら、俺は人里を歩けなくなる。
「ッ……!」
腹筋に力を込めて息を止め、どうにか声になる前の息を飲み込む。
だが心臓は、飲み込み切れなかった心の悲鳴を一身に受け止めたらしく、声を上げる代わりに胸を激しく叩いていた。
落ち着け、落ち着くんだ時崎創英。確認だ、まず状況を確認しろ。
フランは妹だ。こいしも、まぁ知り合いの妖怪だ。
何か事情があってここにいるんだ。
たぶん。きっと。恐らく。
「……事情があっても、俺の布団へ入る理由にはならないだろっ」
小声で、本当に小声で、悲鳴にも似た悪態をつく。
当然だが、二人は起きない。フランは俺の腕へ頬を押しつけ、こいしは寝間着を掴む指へ僅かに力を込めた。
なんでもいいのだが、このままでは起き上がることが出来ない。
右腕を少しずつ引こうとすると、フランの眉が僅かに寄る。反対側へ身体を動かせば、今度はこいしが俺の脇腹へ近づいてきた。
「頼むから、もう少し離れて寝てくれぇ……」
届かない願いを口にしながら、まずフランの頭の下へ枕の端を差し込む。
腕へ掛かる重みが僅かに抜けた。
次に、こいしの指を一本ずつ寝間着から外す。
最後の一本を解いたところで、彼女の手が宙を探るように動いたため、代わりに布団の端を握らせた。
——これで動ける。
俺は二人を起こさないよう、息を止めながら身体を起こした。
布団から膝を抜き、慎重に、音を立てない様に立ち上がろうとする。
しかし。そんな努力を他所に、体重が一瞬強くかかった拍子に床板が小さく軋んだ。
「んぅ……にぃに……」
フランが寝言を漏らす。
「っ…………!!」
思わずその場に固まる。
しかし、目を覚ました様子はない。こいしも眠ったままだった。
ホッと胸を撫で下ろしつつ、俺は——フランに日光が差さない様に——窓辺のすだれを降ろしてから、どうにか寝室を抜け出し、襖を閉めた。
その瞬間、全身から一気に力が抜けた。
「だっ……はぁぁぁぁ。朝から何なんだよ、これ……」
廊下の壁へ背を預け、額を押さえる。
どうして紅魔館にいるはずのフランがいる?
どうして、こいしまでいる?
そもそも二人は、どうやって戸締まりした家の中へ入ったんだ?
疑問は尽きず、考えるべきことは山ほどあった。
だが、今すぐ二人を叩き起こして問い詰める気にもなれない。あれだけ気持ちよさそうに眠っているのだから。
それに。
「……起きたら、腹減ったってはじまるだろうな」
結局、最初に考えたのは朝餉のことだった。
⸻
顔を洗い、乱れた髪を梳く。
太ももへ届きそうなほど長くなった金髪を、高い位置へ集め直した。炊事の邪魔にならないよう、普段より髪紐を強く締め、毛束の先が散らない様にもう一か所結ぶ。
まだ新しい長さへ慣れていないせいか、結び終えたポニーテールは少し右へ傾いた。
「ああもう……いいや、後で直せばいい」
今はそれどころではないのだから。
——竈へ火を入れ、米を炊く。味噌汁には大根、葱、豆腐を入れた。
昨夜のうちに下拵えしていた根菜の煮物を温め直し、卵を3つ取り出す。
最初は卵焼きを作ろうとしたが、フランとこいしの好みが分からない。
少し迷った末、甘めに味をつけることにした。
「フランは甘い方が好きそうだけど……こいしはどうなんだろうな」
答えは出ない。
まぁ……合わなければ、次から変えればいいか。
「……いや待て、次がある前提で考えるな俺」
自然に「次」を考えたところで、俺は箸を持ったまま、思わず動きを止めた。
第一に、二人がここにいる理由すらまだ聞いていないのだ。
「朝餉を食べさせたら、それぞれの家へ帰さないとな」
特にフランは、黙って紅魔館を抜け出してきた可能性が高い。今頃、館中で騒ぎになっているかもしれない。
頭ではそう分かっている。それでも、三人分の椀を並べる手は止まらなかった。
飯が炊き上がる頃、廊下の向こうからぱたぱたと軽い足音が聞こえてきた。
「にぃにー?」
寝起きらしい、少し掠れた声が聞こえてきた。
「炊事場にいるよ、フラン」
返事をすると、襖の隙間からフランが顔を覗かせた。
髪は寝癖で跳ね、片方の翼へ布団の糸屑が引っ掛かっている。
「おはよう、にぃに」
「おはよう、フラン」
普通に挨拶を返してから、箸を置く。
「……じゃなくてだな」
「うん?」
「どうしてここにいるんだ?」
フランが瞬きをする。その背後から、こいしも顔を出した。
「おはよう、そー君」
「おはよう、こいし」
「いい匂いだね」
「ああ。今朝は味噌汁だよ。……いや、だからな? そうじゃなくてな?」
危うく流されるところだった。
「二人とも、とりあえず居間で座っててくれ。朝餉を食べる前に聞きたいことがある」
「ご飯の後じゃ駄目?」
フランが尋ねる。
「駄目ではないけど、俺の心を落ち着かせるために先に聞かせてくれ」
「そー君、さっきからすごく慌ててるね」
「誰のせいだと思ってるんだよ」
こいしは楽しそうに笑い、フランと並んで卓の前へ座った。
俺も向かいへ腰を下ろす。
「はい、まずフラン」
「はーい」
「どうして紅魔館じゃなく、俺の家にいるんだ?」
「抜け出してきたから!」
満面の笑みを浮かべてそう言い放ってきた。
あまりにも堂々とした答えに、不覚にも反応が遅れた。
「……えっと、黙って?」
「うん!」
「それは、あー……館の誰にも言わずに?」
「うん!」
「ラッシュにも?」
「うん!」
「レミリアにもか?」
「言ってない!」
「何でそんなに元気よく答えるんだよ!?」
思わず声が大きくなる。
フランの肩が少し跳ねたため、慌てて声を落とした。
「あっ……と、ごめん。うるさかったな」
「ううん。にぃに、怒ってる?」
「いや、怒ってるというよりは、心配してるかな」
「でも、ちゃんとここまで来られたよ?」
「そっちじゃない、結果の話じゃないんだ」
フランの目を見る。
「フランがいなくなったら、お嬢様も咲夜さんもラッシュも心配する。美鈴さんやパチュリーさんだって探すだろ?」
「う~……」
「俺に会いに来てくれたのは嬉しい。でも、黙って抜け出すのは絶対にダメだ。次からは、ちゃんと誰かに言ってから来てくれ」
フランは唇を僅かに尖らせた。
それでも、俺から目は逸らさない。
「……にぃにのところに、お泊まりしたかったの」
「うん」
「言ったら、ダメって言われると思った」
「だから、黙って来たと?」
「うん……」
……気持ちは分からなくもない。しかし、許していい理由にはならない。
「だったら今度は、俺からお嬢様たちへ頼むよ。それでもダメだって言われたら、どうしてダメなのか一緒に聞こう。」
「一緒に聞いてくれるの?」
「ああ」
「……うん、分かった」
フランが小さく頷く。その頭を一度撫でてから、隣へ視線を移した。
「次、こいし」
「はーい」
「どうしてここにいるんだ?」
「家出」
「…………はい?」
「お姉ちゃんの所から家出してきたの」
さらりと言い放たれた。
俺は卓へ両肘をつき、両手で頭を抱えた。
「……新年早々、何で家出娘を二人も抱えることになるんだよ俺はぁ……」
「私はお泊まりだよ?」
フランが訂正する。
「黙って抜け出してきた時点で似たようなものだっ」
「でも、お家へ帰るよ?」
「そこは大事だけどさ?」
頭を上げ、こいしを見る。
「家出って……家へ帰りたくないってことか?」
「うん。しばらく帰らない」
「家の人には?」
「言ってないよ」
「やっぱり黙って来たのか……」
「家出って、そういうものでしょ?」
「間違ってはいないけど、堂々と言うことでもないだろうに……」
こいしは笑っている。
以前に会った時と同様に、何を考えているのか掴みにくい笑顔だ。
けれど、家の話をした瞬間だけ、その笑みの奥に薄い影が差した気がした。
気のせいかもしれない。俺がそう見たいだけかもしれない。
「何かあったのか?」
だから、少し踏み込んで聞いてみることにした。
「何かって?」
「ほら、家へ帰りたくなくなるようなこととか」
「うーん」
こいしは首を傾げた。
「帰りたくなくなったから、帰らないの」
「それは理由になってないぞ」
「そー君は、理由がないと家出しちゃダメだっていう人なの?」
「ダメとは言ってないけどもさぁ……」
言葉を選ぶ。
「でも、帰る場所があって、心配してくれる相手がいるなら……黙っていなくなるのは、そいつらを傷つけることになるって思わないか?」
「ん~……」
「話したくないことを無理に聞くつもりはないよ。ただ、家出って言葉を軽く使わないでほしいかな。帰れと言うつもりはないけど、何も考えずに受け入れることもできないよ、俺は」
こいしは、じっと俺を見る。閉じた第三の眼は動かない。
けれど、緑色の瞳だけがこちらの言葉を確かめるように瞬いていた。
「そー君は、追い出さないの?」
「今すぐ追い出したりはしないよ」
「どうして?」
「家出なんだろ? 帰りたくないってここまで来た奴を、朝飯も食わせないまま外へ放り出せるかよ」
「そっか」
こいしが笑う。
今度の笑顔は、先ほどより少しだけ柔らかく見えた。
「それから」
俺は二人を交互に見る。
「おまえたち、どうやって俺の家へ入った?」
「こいしが開けてくれたよ」
フランが即答する。
「こいしが?」
「うん」
視線を向ける。
「俺、戸締まりしたよな?」
「してあったね」
「じゃあ、どうやって入ったんだ?」
「玄関から」
「いやそうじゃなくて」
頭痛がしてきた。
「玄関の戸は鍵が掛かってただろ?」
「でも、開いたよ?」
「……壊してないよな?」
「壊してないよ」
不安になり、玄関へ向かう。
戸を確認するが、鍵にも木枠にも壊れた形跡はない。昨夜と同じように、内側からしっかり施錠されている。
「何でだぁ……?」
背後に立ったこいしへ振り返る。
彼女は、楽しそうに首を傾げた。
「そー君が、今度は玄関からって言ったから」
「確かに言ったけどさぁ……軽くホラーだぞこれ……」
以前。家を建てていた時に出会ったこいしへ、次に来るなら正面から来いと伝えたことがあった。
まさか本当に玄関から侵入して、堂々と寝室まで入り込むとは思わなかったが。
「入れたから、入ったんだよ?」
「…………そうか」
これ以上聞いても、答えは得られそうにないと思った。
少なくとも家へ危害を加えたわけではないらしいし、これ以上深く考えないことにした。
「次からは、玄関を開けて入ったら俺に声を掛けてくれ」
「布団に入っちゃダメ?」
「ぜぇーったい、ダメ」
「どうして?」
「びっくりするから」
「どれくらい?」
「心臓が止まりかけたくらい」
こいしは、くすくすと笑った。
「とにかく」
炊事場へ戻り、三人分の朝餉を卓へ並べる。
「詳しい話は食べてからにしよう。はい、いただきます」
「いただきます!」
「いただきま~す」
フランが両手を合わせる。それに、こいしも続いた。
俺も席へと戻ると、箸を取った。
何故か始まった三人での朝餉。
昨夜までは一人で使うつもりだった卓が、今朝は随分と狭く感じられた。
⸻
「にぃに、この卵焼き甘いね!」
「嫌だった?」
「ううん、好き!」
「そっか、なら良かったよ」
フランは卵焼きを一口食べるたびに、嬉しそうに翼を揺らしている。
「こいしは?」
「美味しいよ?」
「甘いの平気なんだな」
「美味しければ何でも好きー」
「たはは……一番困る答えだな、それ……」
次に作る時の参考になりゃしない。けれど、二人が食べる姿を見ていると、張り詰めていた気持ちが少しだけ緩んでいく。
そうして味噌汁を口へ運んだ、その時だった。
玄関の戸が、激しく叩かれた。
「創英様っ!! 起きてらっしゃいますか!?」
聞き覚えのある声。
「ラッシュか」
椀を置いて立ち上がる。その間に、再び戸が叩かれた。
「創英様!! いらっしゃいますか!? 創英様っ!!」
「今開ける! 玄関先で騒がないでくれ!」
廊下を急ぎ、玄関の鍵を外す。戸を開けた瞬間。
「創英様っ!!!」
ラッシュが飛び込むようにして姿を現した。
普段は隙なく整えられている衣服が乱れ、髪にも薄い霜が付着している。呼吸も荒く、顔からは完全に血の気が引いていた。
「ラッシュ、一旦落ち着け」
「フランドール様を、ご存じでは――」
そこまで言って、ラッシュの視線が俺の背後へ向く。
廊下の奥から、フランが顔を出した。
「ラッシュ、おはよう!」
「ふ、フランドール様……!」
全身から力が抜けたように、ラッシュがその場にへたり込んだ。
「よかった……ご無事で、本当によかった……」
「ラッシュ?」
「申し訳ございません。少々……安心いたしました故……」
少々どころではない。呼吸を整えようとしているが、肩がまだ震えている。
「まあ、なんだ。とりあえず、中へ入ってくれ。ずっとそうしてられると、色々と不味い」
「しかし」
「話は朝飯を食べながらでもできる。その様子から察するに、何も食べてないだろ?」
「今は、そのような場合では——」
ぐぅぅぅ~……。
腹の音が可愛らしく鳴った。
「…………えっと、その」
「入れ」
「うう……失礼いたします……」
ラッシュは抵抗を諦め、とぼとぼと家へ上がった。
——
卓へもう一膳用意する。
飯と味噌汁をよそい、煮物と卵焼きを分けた。
「急ごしらえで悪いけど、どうぞ」
「いえ……ありがとうございます」
ラッシュは恐縮しながら席へ着いた。
フランは少し気まずそうに、椀の中を見つめている。
「ラッシュ」
「はい、創英様」
「紅魔館の方はどうなってる?」
「夜明け前より、館内総出でフランドール様を捜索しております。私も美鈴様と共に周囲を捜し、創英様の御宅へいらっしゃる可能性を考え、こちらへ参りました」
「ほら見ろ、やっぱり大騒ぎになってるじゃないか」
「……ごめんなさい」
フランが小さく謝る。
先ほど俺が話した時より、ラッシュの姿を目にしたことで、自分がどれほど心配を掛けたのか実感したのかもしれない。
「フランドール様」
ラッシュが彼女を見る。叱るのかと思った。
しかし、口から出たのは静かな声だった。
「ご無事で、本当に何よりでございます」
「……うん」
「ですが次からは、私どものうち誰か一人にでも行き先をお伝えください。貴女様のお姿が見えないと知った時、レミリア様は……」
「お姉様、怒ってた?」
「大変、取り乱しておいででした」
フランの翼が僅かに下がる。
似た経験をしたことがあるせいで、レミリアの心境をありありと察せられるだけに、何とも言えない気持ちになった。
「帰るか?」
そっと、声量を落して尋ねる。フランは迷うように視線を揺らした。
「にぃにの家に、泊まっちゃダメ?」
「俺は構わないよ」
「本当?」
「ああ。ただし、お嬢様たちの許可が必要だ」
ラッシュへ向き直る。
「ラッシュ。悪いけど、紅魔館へ戻ってお嬢様と咲夜さんに伝えてくれないか?」
「何とお伝えすれば?」
「フランは無事だ。俺が責任を持って預かっている、と」
フランが顔を上げる。
「もちろん、お嬢様がダメだと言うなら連れて帰ってもらう。でも許してくれるなら、しばらく俺の家で過ごさせてやりたい」
「創英様」
「勝手を言ってるのは分かってるよ」
「いえ、そうではなく」
ラッシュは静かに首を振った。
「創英様であれば、フランドール様を安心してお任せできます。ですが、私の一存では決められません」
「分かってるさ。だから、頼めるか?」
「承知いたしました」
「よし。じゃあその前に、ちゃんと朝飯を食べていけ」
「しかし、一刻も早く報告を」
「急いで飛び出した先で倒れられたら、今度は俺がラッシュを探すことになる」
「それは……」
「食べてってくれ。その方が、俺も安心できる」
ラッシュは僅かに目を伏せた。
「……かしこまりました。では、お言葉に甘えます」
ようやく箸を取る。その姿を確認してから、俺も冷めかけた味噌汁へ口をつけた。
……妙な朝餉だった。
黙って館を抜け出した吸血鬼。家出してきたという覚り妖怪。それを捜して飛び込んできた妖精の従者。
そして、事情も分からないまま全員へ飯を出している俺。
「……何でこうなったんだろうな」
「にぃにのご飯が美味しいから?」
「料理の話じゃないよ、フラン」
フランの答えに、こいしが声を立てず笑った。
——
朝餉を終えたラッシュは、何度もフランの無事を確認してから紅魔館へ戻っていった。
俺が預かると伝えても、やはり心配なのだろう。
フランも玄関先で、
「今度から、ちゃんと言うね」
と約束した。
その言葉を胸へ刻むように頷いてから、ラッシュは冬空へ飛び立った。
それから一刻ほど経った頃。一羽の蝙蝠が、玄関の隙間から飛び込んできた。
蝙蝠は廊下の上で紅い光へ変わり、その場へ一通の封書を落とす。
封蝋には、紅魔館の印。レミリアお嬢様からだった。
「何て書いてあるの?」
フランが隣から覗き込む。こいしもその後ろから覗き込んでいる。
「今読むから、引っ張るなよ」
封を開く。
『今回は貴方を信用し、フランを預けます。ただし毎日一度は様子を知らせること。本人が帰りたいと言った時は、すぐに連れ帰りなさい。フランには、戻った後で私からも話があります』
文面は短い。けれど最後に、小さな字で一文だけ加えられていた。
「『無事でよかったわ』、だってさ」
「……お嬢様、相当心配したんだな」
フランは手紙を見つめ、少しだけ俯いた。
「帰ったら、ちゃんと謝らなきゃ」
「ああ。それがいい」
「でも、今日はここにいていいよね?」
「許可は出たからな」
「やったぁ!」
跳び上がるフランを受け止める。
「ただし、この家では俺の言うことを聞くように。分かったか?」
「はーいっ!」
「返事が軽いな……」
不安しかない。
まぁそれは兎も角として、問題はもう一人だった。
「こいし」
「なぁに?」
「フランは預かる許可を貰えた」
「うん」
「こいしの家へは、連絡する方法があるか?」
「あるかもしれないし、ないかもしれない」
「どっちだよ」
「そー君は、私に帰ってほしいの?」
問い返される。俺はすぐには答えなかった。
家出。こいし自身は、どうにも理由を話すつもりはないらしい。帰るつもりもしばらくない様だ。
本来なら家へ送り返すべきなのかもしれないが……こいしが「帰りたくない」と言った時の、僅かな表情の揺れが頭へ残っていた。
本人が何も感じていないように振る舞うからといって、本当に何も抱えていないとは限らない。
阿求。フラン。絢香。
今まで見てきた親しい者の顔が、胸の中を過ぎる。
「……帰れとは言わないさ」
「じゃあ、居ていいよね?」
「ああ。ただし条件がある」
「条件?」
「勝手にいなくならない。出掛ける時は、できるだけ俺かフランに伝える。危ないことはしない」
「できるだけ?」
「こいしに『必ず』って言っても、無意味かと思ってな。なんか無意識に動いてそうだし」
こいしが目を丸くした。
それから、楽しそうに笑う。
「そー君、私のこと分かってるね」
「分かってないから、できる範囲でって言ってるんだよ」
「うん。分かった」
「本当に?」
「できるだけ守るね」
「……不安だ」
だが、追い出すよりはいい。少なくとも、この家にいる間は目が届く。
「それから」
二人を見る。
「もうひとつ、大事な約束をしよう」
「なに?」
「何だろ?」
「俺の布団へ勝手に潜り込まないこと」
「え~?」
フランが不満の声を上げる。
「えー、じゃない」
「にぃにと一緒に寝たかったのにぃ」
「今夜から二人分の布団を用意する。客間に敷くから、寝たいならそこで寝てくれ」
「そー君と一緒じゃないの?」
「一緒じゃありません」
「どうして?」
「俺の心臓が止まりそうになったからだよっ!」
二人は顔を見合わせる。
何故か同じタイミングで、楽しそうに笑った。
「……おいお前ら。今、絶対何か企んだだろ」
「企んでないよ~? ねー、フラン」
「ねー!」
小さな少女二人が、俺の目の前で何かを示し合わせている。
余計に信用できなかった。
⸻
こうして、俺の家でフランとこいしを預かることになった。
期間は決まっていない。
フランが紅魔館へ帰るまで。
こいしが自分の家へ戻る気になるまで。
それが数日なのか、もっと長くなるのか。今の俺には分からなかった。
ただ。昨日まで一人だった家の中へ、二人分の足音と声が増えた。
「にぃに! お部屋見てもいい?」
「いいけど、壊すなよ?」
「壊さないよ!」
「そー君、こっちの部屋は?」
「そこは倉庫だ。勝手に刀や札を触るなよ?」
「はーい」
「おい二人とも、ちゃんと聞いてるかっ!?」
廊下を走る足音。開けられる襖。重なる笑い声。
……騒がしい。昨日までの静けさが、まるで嘘のようだった。
俺は居間の真ん中へ立ち、「探検だーっ!」とか言ってる二人の後ろ姿を見送る。
「……大丈夫かな、これ」
不安しかない。すごく不安しかない。
それでも……空になった椀が三つ並ぶ卓を見た時、胸の奥へ生まれた温かさまで、俺は見なかったことにはできなかった。