幻想回帰節   作:北宮 涼

61 / 62
54の節:選んだ姿と里のまなざし

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 ——温かい。

 

 そう思った瞬間、俺は目を開けた。

 

「…………」

 

 まだ薄暗い寝室。障子の向こうから差し込む朝日は弱く、外では人里が目を覚ますより少し早い時間らしい。

 

 そんなことをぼんやり考えながら、右側を見る。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 俺の腕へ頬を乗せ、フランが眠っている。

 

 そして左側では。

 

「んぅ……」

 

 胸元へ額を寄せ、こいしが丸くなっている。

 

「…………」

 

 目を閉じ、十秒待つ。もう一度開けて、両サイドを見遣った。

 

 ……いる。二人とも確かにいる。

 

 昨日と、全く同じように。

 

「————ッ!?」

 

 腹の底から悲鳴が飛び出しかけたのを、寸前で両手を口へ押し当て、全力で飲み込む。

 

「っ……~~~~っ!」

 

 危なかった。本当に危なかった。

 

 昨日と全く同じだ。まだ早朝なのだ。ここで絶叫すれば、近所の人たちが何事かとすっ飛んでくるだろう。

 

 というかそれ以前に、俺は昨日確かに言った筈だ。『俺の布団へ勝手に潜り込まないこと』と。それに対して、二人とも確かに返事をした。俺の話を聞いていた筈だ。

 

 ……なのに、右脇のフランは幸せそうに俺の腕へ頬を押しつけていて、左脇のこいしに至っては、いつの間にか寝間着の裾を掴んでいた。

 

「何でだよ……一日も保たなかったぞ、約束……」

 

 絞り出した声は我ながら情けないほど小さかった。十三年間生きてきて、朝起きることがこれほど精神力を要求する作業になるとは思わなかったよ俺は。

 

 ……フランは、まあ、いいや。いやよくはないんだけどね? でもいまはもういい。だが、約束を破っている点は後でちゃんと叱るべきだとは思っている。

 

 それにフランは、俺にとっては妹同然だ。立っていれば抱きつかれることもあるし、座っていれば膝へ乗られることだってある。本人が甘えてくる分には俺もそれほど気にしていないし、兄としては嬉しくもある。

 

 問題なのは——。

 

「うーん……おり~ん……」

 

 ——こいつだ。古明地こいしだ。

 

 小柄で、見た目だけならフランとそう変わらない彼女の事を、決して「そういう目」で見ているわけではない。

 

 ないのだが……だからといって、寝起き一発目に女の子が身体へピッタリくっついて身を寄せてきているという状況を、平然と受け入れられる訳がないだろう?

 

 俺はそこまで悟った人間でも、肝の据わった人間でもないんだ。

 

 それに、阿求への自分の気持ちを自覚してからというもの、以前より妙に「女の子との距離」というものを意識するようになってしまったことも大きい。

 

 今までなら何とも思わなかったようなことに対して、最近はいちいち意識してしまう。

 

「俺さ……一応、男なんだぞ……?」

 

 誰へともなく訴える。

 

 当然、誰も答えてくれない。聞いてもくれない。

 

 フランが寝返りを打ち、俺の腕をさらに抱え込んだ。

 

「にぃに……」

「……はいはい」

 

 寝言へ小さく返すフランの背を、優しくポンポンする。

 

 反対側では、こいしの指が寝間着を握り直した。

 

「そー君……あったかぁい……」

「…………」

 

 俺は天井を見上げた。

 

「阿求ぅぅぅ……お願いだぁ、助けてくれぇぇぇ……」

 

 切実だった。それはもう、情けなくなるほどに。

 

 

——

 

 

 昨日と同じ要領で、まずフランの頭の下へ枕を滑り込ませる。

 

 次に、こいしが握っている寝間着を指から少しずつ外す。

 

 あと一本。そう思ったところで、こいしの腕が俺の胴へ回った。

 

「っ!?」

 

 全身が固まる。

 

「……んー」

 

 起こしてしまったのかと思ったが、本人は起きていない。

 

「か、勘弁してくれぇ……」

 

 時間を掛けて腕を外し、代わりに丸めた布団を抱かせた。

 

 ようやく自由になった俺は、二人を起こさないよう慎重に寝床を抜け出した。

 

 襖をそっと閉めて廊下へ出る。そして、たまらず壁へ額を押しつけた。

 

「ぐぁ~……どうする、これはどうすりゃいいんだ……?」

 

 考えよう。何か考えるんだ。

 

 昨日、別々の布団を用意した。夜には二人とも、ちゃんと客間で寝ていたのも確認済みだ。

 

 ……なのに、朝になったら俺の布団にいた。

 

 戸を閉めても来た。約束しても来た。

 

 ——だったら、もっと根本的な対策が必要なのではないか?

 

「寝室へ結界を……」

 

 一瞬考えるも、即座に却下した。家の中で結界を張って、二人を部屋から締め出すというのは、それはそれでなんか違うと思った。

 

 それと、フランなら結界如き直ぐ破壊して入ってきそうだ。こう、きゅっとして、どっかーんと。

 

「だったら鍵は……」

 

 言いかけて、玄関に鍵が掛かっていても入ってきたこいしのことを思い出し、無駄だと悟った。

 

「……俺が慣れる?」

 

 それこそ無理だ。昨日今日だけならまだしも、この状況がいつまで続くか分からない。毎朝このイベントがやってくると思うと、耐えきれる自信がなかった。

 

「フランとこいしに、もっと強く言うか……?」

 

 これが一番正しい。間違いなく正しい。

 

 ……なのに。

 

「…………」

 

 昨夜、客間へ二人分の布団を敷いた時のフランは、少し寂しそうな顔をしていた。

 

 こいしは笑っていたけれど、俺が部屋を出るまで、ずっとこちらを見ていた。

 

 ——あの二人が、どうしてわざわざ俺の寝床まで来るのか。

 

 単に面白がっているだけなのかもしれない。純粋に寂しいのかもしれない。

 

 俺には分からない。悟りの気を使えば一発で分かるのだろうが、そんなことでこの力を振るいたくなんかない。

 

「……だったら」

 

 そこまで考えたところで、ふと数日前までの自分の姿が頭へ浮かんだ。

 

 女になった、俺。

 

「…………」

 

 寝起き早々に追い詰められ、ぐちゃぐちゃになった頭の裏で、何かが繋がったような気がした。

 

 ——女の子同士ならば、何も気にする必要はないのでは?

 

 少なくとも、今ほど俺が気にする必要はないのではないか?

 

 フランが隣で眠っていても、こいしが抱きついてきても、俺自身が彼女達と同じ性別であるなら、いちいち男として意識する必要も——。

 

「………………」

 

 数秒。自分の中で出した答えを、冷静に見つめ直す。

 

「いや。絶対おかしい。何かがおかしい」

 

 普通は二人へ改めて言い聞かせる。それで終わりになる筈だ。

 

 なのに何故か、俺自身が女になるという結論に辿り着いている。

 

「……でも」

 

 もう一度考える。あの薬なら、身体への負担は少なかった。

 

 初回のような強い違和感もなかった。なんなら解除薬もある。

 

 パチュリーさんなら、あれからさらに調整している可能性だってあるだろう。

 

「…………」

 

 壁から、静かに額を離す。

 

「一回、聞くだけ聞いてみるか。バカなのかって言われるだろうけど」

 

 重たい思考を引きずるように、一先ず朝餉の準備をしに炊事場へ向かう。

 

 その後は起きてきた二人と一緒に朝餉を済ませ、少し紅魔館へ行ってくるとだけ伝えた。

 

「留守番を頼むぞ。あと、勝手に外へ出ないこと。いいな?」

「はーい!」

「できるだけね」

「こいしはちゃんと守ってくれ……」

 

 火の元と戸締まりを確認し、二人を家へ残して紅魔館へ向かった。

 

 

——

 

 

「ダメ」

「まだ何も言ってないですよっ!?」

 

 紅魔館の大図書館。俺がパチュリーさんの前へ座り、口を開こうとした瞬間だった。

 

「顔を見れば、何考えてるかくらい分かるわよ」

「え、そんな分かりやすく顔に出てます?」

「ええ。碌でもないことを考えている顔をしてるわ」

「んな失礼な」

「では言ってみなさいな」

「……あの女体化する薬、まだあります?」

「ダメ」

「だから早いですって!」

 

 またしても即答だった。パチュリーさんは読んでいた本から顔を上げすらしない。

 

 俺は机の向かいで、思わず身を乗り出した。

 

「事情くらいは聞いてくださいよ!」

「……聞けば私の判断が変わると、本気で思っているの?」

「それは……分かりませんけど」

「はあ。では聞きましょうか」

 

 本を閉じる。

 

「何故、性相変成薬が必要なの?」

「えっと……」

 

 いざ説明しろと言われると、猛烈に恥ずかしい。

 

「今、俺の家にフラン達がいるじゃないですか」

「ええ、そうね」

「二人とも、ダメだって言ってるのに何故か俺の布団に入ってくるんですよ」

「……」

「昨日だって、ちゃんと別の布団を用意して、入ってくるなって約束もしたんですよ?」

「そう」

「で、今朝起きたら俺の布団の中にまたいました」

「そう」

「だから……」

「だから?」

「…………」

 

 俺は、視線を逸らしながら口にした。

 

「いっその事、俺も女になれば気にしなくて済むんじゃないかな~って……あはは……」

 

 沈黙。それはもう、長い長い沈黙が訪れた。

 

 パチュリーさんが、本を机へ置く。

 

 そして、両手を組んで俺を見た。

 

「……貴方、バカなの?」

「うぐっ」

「昨日約束を破られたなら、もう一度言い聞かせなさい。それでもダメなら、寝室へ来ないようにすれば済む話でしょう」

「はい……」

「フランだけなら、こちらへ連れ戻すことだってできるわ。他の同居人に関しても、追い出してしまえばいいじゃない」

「仰る通りです……」

「取れる手段はいくらでもある。それなのに、自分の性別を変えてまで受け入れようだなんて、どうかしてるわ」

「うう……」

「本当に何故そうなるのよ。意味不明にも程があるわ」

「それは、その……はは……ですよねー……」

 

 自分で説明しているうちに、馬鹿なことを言っている自覚がどんどん湧いてきた。もう、穴があったら入りたい。

 

「じゃあ、帰りますね……お邪魔しました……」

「……はあ、全く。待ちなさい創英」

「……え?」

 

 立ち上がりかけたところで呼び止められる。パチュリーさんは小さく溜息を吐いた。

 

「薬そのものはあるわ」

「あるんですかっ!?」

「前回の件を踏まえて、調整を続けていたものがね」

 

 椅子へ座り直す。

 

「改良版ですか?」

「そう。ただし、以前のものより強くしたわけではない。むしろ逆よ」

「逆、とは?」

「変化の立ち上がりを緩やかにして、身体へ急激な負荷が掛からないようにしたの。それから、解除へ移る時の作用も安定させてあるわ」

「前みたいに、予定より長く続いたりは?」

「そこは断言できないわね」

「え? ……あ、それってもしかして」

「ええ、服用者が他でもない貴方だからよ」

 

 パチュリーさんの声が少し低くなる。

 

「他の要因ならある程度は計算できる。でも貴方の身体は、こちらの想定以上に変化を受け入れてしまう。前回も、元の姿へ戻った時に一部の特徴が残ったでしょう?」

「はい」

「だから、絶対に予定通り戻るとは言えない。私からすれば、これ以上の服用はリスクしかないから、お勧めできないの」

 

 冗談で言っているわけではない。その目を見れば、よく分かる。

 

「それでも使いたいかしら?」

 

 冗談半分で使うのか、と聞かれているわけじゃない。それだけの危険を分かった上で、それでも使うのか。パチュリーさんが聞いているのは、そういうことだ。

 

 俺は考える。本当に必要か、と聞かれれば……絶対に必要ではないだろう。パチュリーさんの言う通り、普通に二人を寝室へ入れなければいいだけだから。……まあ、それが出来れば苦労はしないのだけども。

 

 だがしかし、自分から選んで女性になることへ、以前ほど強い抵抗感がないのもまた事実だった。男の俺も女になった俺も、どちらも俺自身だと、少なくとも今はそう思えている。

 

 それを踏まえるなら……二人を締め出したり、今以上にきつく言い聞かせたりしなくて済むなら——俺が女になるくらい、別に構わない。

 

「……はい。使いたいです」

 

 そうして、自分なりに答えを出して頷いた。

 

「理由がバカみたいでも?」

「そこは言わないでくださいよ……」

「自覚はあるのね」

「そりゃまあ、めちゃくちゃありますよ」

 

 パチュリーさんは、しばらく俺を見た後。

 

「はあ……分かったわ」

「いいんですか?」

「ええ。ただし、条件付きでね」

 

 机の下から、小さな木箱を取り出した。

 

 蓋を開くと、中には淡い紫色の液体が入った細い瓶が数本、一本ずつ区切られて収められていた。

 

「一瓶が一回分。効果が残っている状態のまま追加で飲むのはダメ。効果が切れたのを必ず確認してから再服用すること」

「はい」

「頭痛、吐き気、霊力の乱れ、身体の痛み。それ以外でも、普段と違う症状が出たら使用を即座に中止し、解除薬を服用すること」

「分かりました」

「そして」

 

 パチュリーさんが俺を睨む。

 

「効果が切れて元へ戻った後、また何か身体に残ったなら、必ず! 速やかに! ここへ来ること! これだけは絶対に約束して。いい?」

「……はい」

「黙って済ませようとしたら、今度こそ本気で怒るわよ」

「もう黙りませんって」

「どうかしらね」

「信用ないなぁ……」

「実績があるもの。負の実績がね」

 

 何も言い返せなかった。

 

「念のために解除用の薬を2本入れてあるわ。そちらは無色透明だから、取り違えないようにしなさい」

「なにからなにまで、ありがとうございます」

「礼なんて要らないから、約束だけ守りなさい。絶対にね」

「は、はい……」

 

 きつく言い含められながら箱を受け取る。

 

 数本、本当に渡された。

 

 何だか急に、今から自分がしようとしていることの現実味が増した気がする。

 

「……パチュリーさん」

「何?」

「本当にこれ、俺が貰っていいんですか?」

「はあ? なによ、今さら怖じ気づいたの?」

「そういう訳ではないんですけど……ただ、改めて考えたら結構すごい薬ですよね、これ」

「そうね」

「性別変わるんですよ?」

「そうね」

「複数本ありますよ?」

「だから?」

「……怖くなってきたなー、なんて」

「やっぱり怖いんじゃないの。なら返しなさいな、ほら」

「それはちょっと」

「何なのよ貴方……」

 

 自分でも、もうなにがなんだか分からなくなっていた。

 

「創英様」

 

 そんな折に、背後から声がした。

 

 振り返ると、そこには咲夜さんが立っていた。

 

「お話は終わりましたか?」

「えっと、一応は」

「でしたら、こちらもお持ちください」

「……こちら?」

 

 咲夜さんが抱えていた箱を、机へ置く。

 

 パチュリーさんの薬箱より遥かに大きい。

 

「何ですかこれ」

「創英様のお召し物です」

「俺の?」

「はい」

 

 蓋が開く。すると、その中身が露わになった。

 

「…………」

 

 衣服。しかも一着や二着ではない。

 

「……何故ですか?」

「何がでしょう?」

「何で、俺の女物の服がこんなにあるんですか?」

「必要になる可能性がございましたので」

「どんな可能性ですかっ!?」

 

 咲夜さんは何事もないような顔をしている。

 

「創英様の女性のお姿は、当館でも一部の者から大変好評でございますので、今後も機会はあるかと。その都度こちらで衣類をご用意するのも、いささか手間でございますから」

「それはまぁ、そうなんでしょうけども……」

 

 箱の中を見る。

 

 以前仕立ててもらった白いブラウスに紫色のニットベストと、黒のスラックスも中に仕舞われている。落ち着いた感じのものが多く、俺の気を汲んでくれているのがありありと伝わってくる。

 

 だがそれ以外にも、俺からすれば十分すぎるほど「女の子の服」な代物が何着も入っていた。

 

 柔らかな生成り色のブラウスと、濃い紫色のロングスカート。さらに、白いブラウスに黒いジャンパースカート。冬用の厚手のタイツに低い踵の編み上げブーツ。外套の下へ着込める薄手のカーディガンまで入っている。

 

「なんか多くないですか?」

「最低限です」

「え、これでですか?」

「はい」

「紅魔館の最低限、怖いな……」

「当館の基準ではございませんよ。女性のお姿でお過ごしになるのでしたら、これくらいはあって然るべきかと。それから、創英様の黒いロングコートは男女どちらのお身体でも問題なくお召しになれますので、どうぞそのままお使いください」

「それは良かった……」

 

 俺の服まで全部女物へ置き換わったら、本当に何かを失いそうだった。

 

「どれになさいますか?」

「え?」

「これからお薬をお使いになるのでしょう?」

「まあ、そのつもりですけど」

「でしたら、お着替えも必要です」

「家でやりますよ」

「女性ものの衣服の着こなしを理解していらっしゃると?」

「うぐっ……お、お願いします咲夜さん……」

 

 どうやら、もう俺は逃げられないらしい。いや、自分で踏み出しておいて逃げるも何もないのだが。

 

 

 

 

「体調は?」

「問題ありません」

「霊力は?」

「安定してます」

「食事は?」

「朝に食べました」

「では、最初の一瓶はここで使いなさい。問題がないことを確認してから、残りを持ち帰ってもらうわ」

 

 淡い紫色の薬瓶を受け取る。以前より色は薄い。

 

 栓を開け、匂いを嗅ぐ。

 

「……甘い匂いですね」

「味も前より改善してあるわ」

「ありがたいです」

 

 一口。舌に垂らして転がしてみる。

 

「……あ、美味しい」

「薬を飲んだ感想とは思えないわね」

 

 何とも言えない顔をされながらも、残りを飲み干す。そして待つこと数秒。

 

 胃へ落ちた液体から、じわりと熱が広がった。

 

「あ……」

 

 存外、変化は直ぐに来た。でも、前より変化する速さは緩やかだった。

 

 身体を一気に書き換えられるような感覚は薄い。温かな水が内側を満たしていくように、少しずつ変化が進んでいく。

 

 肩幅が細くなり、腕や脚の線が変わる。視線が僅かに低くなって、重心の位置が変わる。喉の奥が震え、息を吐くたびに声の響きが軽く高くなっていく。

 

 高い位置で纏めた金髪は、そのままだ。ただ、今では紫さんと同じくらいまで伸びた髪が、身体の変化に合わせてさらに柔らかく背中を流れるように感じた。

 

 ——そうして、変化が始まってから数分後。

 

「あー。あー。うん……変化し終わった、かな?」

 

 具合が落ち着いたため、軽く喋ってみて自分の声を聞く。ここ最近で、以前ほど違和感を覚えなくなった少女としての自分の声が聞こえた。

 

「痛みは?」

「ないです」

「眩暈は」

「なし」

「違和感は?」

「前よりも少ないですね」

 

 椅子から立つ。最初の頃は一歩目でバランスを崩していた。

 

 だが、今は違う。

 

「……ふむふむ」

 

 普通に立てた。

 

 一歩。二歩。三歩目と、調子を確かめるように歩く。

 

 身体が、何も考えなくても思った通りに動いた。

 

「すごく、馴染んでます」

 

 自分で言ってから、少し嫌な響きだと思った。パチュリーさんも同じことを考えたのか、僅かに眉を寄せる。

 

「……そうね、前回より明らかに馴染む速度が早いわ。でも今は、異常がないかの方を優先するわよ」

 

 そう言いつつ、パチュリーさんは服用後の状態を検査し始める。そうして一通り診てもらったが、特に問題はなかった。

 

「……よし、異常なし。残りは持って帰っていいわ」

「では」

 

 タイミングを見計らったかのように、咲夜さんの声が差し込まれる。

 

「改めて、お着替えですね」

「……はい」

 

 やはり、逃げられなかった。

 

 

 

 

「こ、これでいいですか……?」

 

 衝立の向こうから、恐る恐る顔を出す。

 

「もう少し出てきて頂かないと、その位置からでは全身を確認できません」

「あはは……ですよねー……」

 

 意を決して、衝立から一歩外へ出る。

 

 生成り色のブラウスと濃い紫色のロングスカート。厚手の黒いタイツに足を通し、低い踵の編み上げブーツを履いた。

 

 これが、今の俺の姿だ。

 

「……どうですかね。変じゃないですかね」

 

 咲夜さんが一度、頭から足元まで確認する。

 

「問題ございません。よくお似合いですよ」

 

 そう言われつつ、差し出された鏡で自分の姿を見る。

 

「わぁ……」

 

 ――そこには、長いポニーテールを揺らした可憐な少女が映っていた。

 

 これは俺だ、それ自体は分かっている。ただ――自分のために仕立てられた女物の服まで着ていると、普段の自分とはまた随分と違って見えた。

 

「いやぁ~……」

 

 試しに、スカートの裾を摘まんでみる。以前咲夜さんから教わった、淑女としての仕草だ。

 

 ……慣れない仕草だというのに、鏡の中では妙に様になって見える。それが余計に恥ずかしかった。

 

「これが、今の俺なんですね」

「はい」

「女の俺用の服を着た姿、ですもんね」

「そうですね」

「…………」

「嫌ですか?」

 

 咲夜さんの問いに、少し考える。

 

「……嫌っていうより、まだ慣れないですね」

「それでよろしいかと」

「え?」

「すぐに慣れなければならない理由もございませんので」

「それはまぁ……そうですね」

「必要な時に、少しずつお召しになればよいのです」

「……はい、そうすることにします」

 

 何故だか、その言葉で少し肩の力が抜けた。

 

 

 

 

 用事を終えて紅魔館を出る。結局俺は、先ほどのスカート姿のまま帰ることにした。

 

「……何で着替えなかったんだ、俺は」

 

 羞恥心がぶり返してきて、思わず館の前で呟く。

 

 腕には、咲夜さんから渡された衣服が詰まった箱を抱えている。

 

 懐には、パチュリーさんから受け取った薬箱が。

 

 その上から、自分の黒いロングコートを羽織っている。

 

 コートを閉じてしまえば、下の服はそれほど見えないだろう。

 

「よし」

 

 これならそこまで目立たないだろう。

 

 ――そう思っていた。

 

 

 

 

 人里へ戻った俺は、この姿で里の上空を飛ぶ方が余計に目立つ気がして、自宅までは歩くことにした。

 

 そうして道の隅を歩くも、なにやら視線を感じる。

 

「…………」

 

 右、左、前。あらゆる方向から、里の人達からの視線が集まっていた。

 

 見るな見るな。……いや、視線など気にするな俺と。おどおどせず普通に歩け。いつも通り歩けばいいんだ。

 

「創英ちゃん?」

「ひゃいっ!?」

 

 突然声を掛けられて、飛び上がるほどびっくりした。

 

 振り返ると、年始に声を掛けてきた近所の女性がいた。

 

「あらまぁ」

「あっ……こ、こんにちはっ」

「今日はまた、随分可愛らしい格好をしてるのねぇ」

「そ、そうですかね……はは……」

「ええ。とても似合ってるわよ」

「あ、ありがとうございます……」

 

 頭を下げる。

 

 ポニーテールが大きく揺れる。

 

「…………」

 

 そのまま逃げ出したい気持ちに駆られる。だが。

 

「あれ、創英じゃないか」

 

 別の声が聞こえる。

 

「え?」

 

 振り向くと、そこには八百屋の主人が。

 

「おっ。その姿、また薬か?」

「へっ? え、ええ。まあ……」

「そうかそうか。似合ってるぞ」

「ありがとうございます……」

「にしても、荷物重そうだな。その姿じゃ大変だろうし、代わりに持ってくか?」

「だ、大丈夫です!」

「そうか?」

「はい!」

 

 何だ、この普通さは。

 

 もう少しこう、何というか……驚かれると思っていたんだが。

 

 気味悪がられる可能性だって、少しは考えていたのに。

 

「あ、創英お兄ちゃんだ!」

 

 子供たちの声が聞こえてくる。

 

「本当だ!」

「今日は女の子になってる!」

「確か、前もなってたよね?」

「髪ながーい!」

「きれい!」

「ねえねえ、くるって回ってみて!」

「何でっ!?」

 

 あっというまに子供たちに囲まれてしまった。

 

「スカート穿いてるとね、回ったらフワッて広がるんだよ!」

「広げないよ!」

「えー!? 一回だけ! 一回だけだから!」

「嫌だよ!!」

 

 その圧に、俺は思わず後ずさる。

 

 子供たちは笑っていて、悪意はない。ただ、珍しいものを見つけた時の顔だ。

 

「創英お兄ちゃん、顔赤くなってる!」

「赤くないっ!!」

「照れてるの? かわいい~!」

「寒いからだよ!!」

「今日そんなに寒くないよ?」

「う、うるさいうるさいっ!!」

 

 子供たちの笑い声が、辺りへ広がった。

 

「……なんだか、楽しそうですね」

「その声は……阿求っ!?」

 

 聞き慣れた声に振り返る。そこに、阿求がいた。

 

「こんにちは、創英さん」

「こ、こんにちは……」

 

 阿求の視線が、俺の頭から足元まで下がる。

 

 そこで止まり、また俺の頭へと戻る。

 

「…………」

「何か言ってくれよ」

「いえ」

「その間が怖いんだけど」

「とてもお似合いですよ」

「ぐふぅ……やっぱりそれかぁ……」

 

 両手で顔を覆いたくなる。けれど荷物があるせいで耐えるしかない。

 

「そのお洋服はどうされたんですか?」

「これか? これは咲夜さんが……」

「咲夜さんが?」

「……俺用に仕立ててた」

「まあ」

「何で阿求まで嬉しそうなんだよ」

 

 阿求が口元へ手を当て、小さく笑った。

 

「それにしても」

「ん?」

「以前より、随分と自然ですね」

「……そうか?」

「はい」

 

 阿求が一歩近づく。

 

「この間は、お身体の動かし方そのものに戸惑っていらっしゃいましたから」

「ああー、確かにな」

「ですが今日は、歩き方も姿勢も随分と馴染んでいます」

「それはパチュリーさんにも言われたよ。違和感が無さ過ぎて……ちょっと怖いくらいだ」

 

 小さく呟くと、阿求の表情が僅かに変わった。

 

「そうですか。……身体に異常は?」

「ないよ」

「本当に?」

「ああ。検査もしてもらった」

「でしたら、今はそれを信じましょう」

 

 ふわりとほほ笑む阿求。心配はしているのだろうが、今ここで答えの出ない不安を煽るつもりは無いのだろう。

 

「ところで、その姿でこれからどちらへ?」

「これから家に帰るところだよ」

「では、途中までご一緒しても?」

「もちろん」

 

 二人で歩き出す。すると。

 

「創英さん、その服似合ってるよ!」

 

 通りの向こうから声が掛かる。

 

「うぐぅ……あ、ありがとねっ!」

 

 無視はよくないと思ったから、羞恥に耐えつつ笑顔で答えた。

 

「髪、また長くなったねぇ」

「いやぁ、俺も困ってるんですよ」

「綺麗なんだからいいじゃないか」

「手入れが大変なんですって!」

 

 また別の店から。

 

「創英ちゃんや、今度その格好で店番してくれないかい?」

「何でですか?」

「客が増えそうだからねぇ」

「看板娘にしようとしてませんか!? 嫌ですよ!」

 

 阿求が隣で笑っている。

 

「……何なんだろうな、いったい」

「何がです?」

「もっと……色々言われると思ってたんだけどさ」

「色々、とは?」

「その……気持ち悪いとか」

 

 阿求の足が止まった。

 

「俺、一応男だろ? それが薬で女になって、女の服着て里を歩いてるわけでさ。普通なら、もっと変に見られるかなって思ったんだけど……」

 

 俺も立ち止まり、そう口にする。そんな俺の目を、阿求は真っ直ぐ見つめてきた。

 

「創英さん」

「何?」

「人里の皆さんにとって、創英さんは既に『創英さん』なのですよ。退魔師で、料理がお上手で、妙なところで無茶をする。妖怪を怖がりながらも、結局は放っておけない優しい人。姿が変わったからといって、それまで積み重ねたものまで消えるわけではありませんよ」

 

 その言葉に、思わず周囲を見る。

 

 いつもの店、いつもの道、いつもの人たち。

 

 俺を見る目には、多少なりとも驚きはある。面白がってもいる。

 

 でも、奇異なものを見るような眼差しを向けてくる人は、誰一人として居なかった。

 

「……そっか。そうなんだな」

「お分かりいただけましたか?」

「うん」

 

 少し、胸の奥が軽くなった。

 

 俺は歩き出す。スカートの裾が、足元で揺れる。

 

 この軽さが、まだ気にはなる。まだ、どう歩けば一番自然なのかを考えてしまう。

 

 誰かと目が合えば、少し身体が固くなる。それでも、さっきよりはほんの少しだけ前を向いて歩けた。

 

 ……その後、稗田家へ続く辻で阿求と別れ、俺は一人で自宅へ向かった。

 

 

 

 

 なんとか無事に家へ戻った。

 

「ただいま」

「おかえりー!」

 

 フランが廊下の奥から飛んでくる。

 

「そー君、おそ――」

 

 後ろから現れたこいしも、途中で止まる。

 

 二人の視線が俺へ集まった。

 

「わぁ~……」

「おお~……」

「……何だよ」

「にぃにっ!」

 

 フランの顔が輝く。

 

「また女の子になってる!」

「ああ」

「服も!」

「……ああ」

「とっても可愛いっ!」

「あ、ありがとうな……」

 

 もう抵抗する気力はなかった。

 

「そー君」

「ん?」

 

 こいしが、俺の周囲を一周する。

 

「今日は女のそー君なんだね」

「そうだよ」

「どうして?」

「…………」

 

 説明したくない。

 

「……まあ、色々あってね」

「色々?」

「大人の事情だよ」

「そー君、子供じゃない?」

「ああそうだよ! 十三歳だよ!」

 

 発狂する俺の腕へ、フランが抱きついてくる。

 

「にぃに、今日は一緒に寝てもいい?」

「うっ……」

 

 来た。これだ。

 

 これのために、わざわざ俺は……。

 

「……まあ、いいよ」

 

 渋々ながらも許可を出す。

 

 女の身体なら、今までほど気にしなくても大丈夫だと信じよう。

 

「やったぁ~!」

 

 フランが喜ぶ。

 

「じゃあ、私もいい?」

 

 こいしも尋ねてくる。

 

「……いいよ」

「やった!」

 

 二人が両側から腕へ抱きついてくる。

 

「……はぁ、まったくもう」

 

 温かい。柔らかい。おまけに近い。女の身体でも、普通に心臓に悪くはあった。

 

 ……なんというか、思っていたほど何も解決していない気がするな?

 

「そー君?」

「にぃに?」

 

 俺は天を仰いだ。

 

「もしかして俺……とんでもなく無意味でバカなことをした?」

「今さら?」

 

 こいしが笑う。つられてフランも笑い出した。

 

「こいしぃ……!」

 

 その声を聞きながら、俺は……懐に収めた薬箱の重みを、今さらになってものすごく強く感じていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。