◆ side:十六夜咲夜 ◆
五月に入ってもなお、幻想郷の空から雪が消える気配はなかった。
眼下に広がる森は白く染まり、木々の枝には季節外れの雪が積もっている。時折吹き付ける風がその雪を巻き上げ、細かな氷の粒となって空中へ散らしていた。
本来なら、そろそろ桜も見頃を迎えているはずの時期だ。
紅魔館の庭園でも、春になれば色とりどりの花が咲き、妖精メイドたちが花壇の手入れに追われる。庭師たちにとっては忙しい季節だが、花を眺めながらお嬢様方へ紅茶をお出しする時間は、私にとっても楽しみのひとつだった。
しかし、今年はそうもいかない。
「……まったく。いつまで冬のつもりなのかしら」
私は白い息を吐きながら、空を見上げた。
頭上には薄い雲が幾重にも重なり、その向こうにあるはずの青空を覆い隠している。陽射しは届いているものの、空気を暖めるには到底足りないらしい。
紅魔館を出発してから、すでにそれなりの時間が経っていた。
けれど、異変の原因に繋がるようなものは、まだ見つかっていない。
……いいえ。正確には、手掛かりならある。
私は胸元から、小さな布包みを取り出した。
中に収めてあるのは、薄桃色の花びらだった。
先日、紅魔館の庭園でラッシュが見つけ、お嬢様のもとへ届けたものだ。
桜の花びらによく似ているが、今の幻想郷で桜が咲いているとは考えにくい。それに、普通の花びらにしては、どこか妙な気配が感じられる。
「……これが、何かの手掛かりになればいいのだけれど」
指先で布包みを閉じ、胸元へ戻す。
今回の異変を調べるよう命じられたのは、レミリアお嬢様からだった。
フランドールお嬢様が、今年こそ桜を見たいと楽しみにしていらっしゃる。その願いを叶えるためにも、いつまでも雪が降り続く状況を放置するわけにはいかない。
何より、お嬢様が楽しみにしていらっしゃる花見の準備も、このままでは進められない。
「早く片付けてしまいたいところね」
私はそう呟き、飛行速度を上げた。
その時だった。
視界の端を、何か白いものが横切った。
「……?」
最初は雪の塊かと思った。しかし、それにしては動きが不自然だ。風に流されるのではなく、自分の意思で飛び回っているように見える。
私は速度を落とし、その正体を確かめようと目を凝らした。
すると、雲の切れ間から小さな人影が飛び出してきた。
「……妖精?」
白い服を纏い、背中に小さな翼を持った少女だった。
頭には赤い飾りが付いており、手足を大きく動かしながら、雪の降る空を元気よく飛び回っている。
どうやら、こちらにはまだ気付いていないらしい。
少女は空中でくるりと回転すると、両手を広げた。
「春ですよー!」
澄んだ声が雪空へ響き渡る。
私は思わず目を瞬かせた。
「……春?」
今、春と言ったのかしら。
少女は嬉しそうに笑いながら、再び声を張り上げた。
「春ですよぉ~! 春ですよぉ~!」
なるほど。あれが噂に聞く、春を告げる妖精なのだろう。
確か、リリー・ホワイト……という名前だったはずだ。
季節の訪れに合わせて姿を現し、春が来たことを周囲へ知らせて回る妖精。普段なら、それほど珍しい存在ではない。
けれど、今年は事情が違う。これだけ雪が降り続いている中で、春を告げる妖精が現れたのだ。
何かを知っている可能性はある。
「……少し話を聞いてみましょうか」
私は進路を変え、少女の方へ近付いた。
「ちょっと、そこの貴女」
声を掛けると、少女がぴたりと動きを止めた。
こちらへ顔を向け、ぱっと笑顔を浮かべる。
「春ですよー!」
「ええ、そうね。春のはずなのだけれど」
「春ですよー!」
「……それは分かったわ」
私は小さく息を吐いた。
どうやら、かなり機嫌が良いらしい。
「貴女、リリー・ホワイトでしょう?」
「はい! 春ですよー!」
「私は十六夜咲夜。少し聞きたいことがあるのだけれど、いいかしら?」
「春ですよー!」
うぅん……会話が成立しているのか、少々怪しいわね。
私は苦笑しながら、周囲の雪を見渡した。
「貴女が春を告げる妖精なら、この雪について何か知らない? もう五月だというのに、冬が終わる気配がないのよ」
「春ですよー!」
リリーは両手を広げ、嬉しそうに宙を回った。
その動きに合わせて、周囲に小さな光が幾つも浮かび上がる。
「……あら?」
私は僅かに眉を上げた。
光の粒は次第に数を増やし、少女の周囲で円を描くように並び始める。
これは……まさか。
「春ですよー!」
次の瞬間、光の粒が一斉にこちらへ飛んできた。
「っ!」
私は咄嗟に身体を捻り、弾幕の隙間を抜けた。
光弾が頬のすぐ横を通り過ぎ、背後の雪雲へ吸い込まれていく。
「ちょっと、貴女!」
私は少女へ顔を向けた。
「いきなり何をするのかしら!?」
「春ですよー!」
返ってきたのは、先ほどとまったく同じ言葉だった。
リリーは満面の笑みを浮かべたまま、さらに弾幕を展開する。
どうやら、春が来たことが嬉しくて仕方がないらしい。
……いえ。だからといって、通り掛かった相手へ弾幕を撃っていい理由にはならないのだけれど。
「まったく……困った妖精ね」
私は小さく溜息を吐き、袖口へ指を滑らせた。
指先に、使い慣れた銀のナイフが収まる。
リリーの周囲には、すでに無数の光弾が浮かんでいた。
大小の弾が入り交じり、花が開くように広がっていく。
「春ですよー!」
再び放たれた弾幕が、私の進路を塞ぐ。
私は身を翻し、弾幕の間を滑るように抜けた。
上から降り注ぐ光弾を避け、横合いから迫る弾をナイフで弾き落とす。少女の攻撃は勢いこそあるものの、狙いは随分と素直だった。
これなら、長引かせる必要はないわね。
「悪いけれど、少し大人しくしてもらうわよ」
私は銀のナイフを指先で回し、リリーへ向けて放った。
少女が驚いたように目を見開く。
「春――」
その言葉が終わるより早く、私は時間を止めた。
途端に、周囲の景色が静止する。
降り続いていた雪も、空中を飛び交っていた光弾も、すべてがその場に留まった。
私は弾幕の隙間を歩くように進み、リリーの近くへ移動する。
先ほど放ったナイフの軌道を確かめ、その周囲へ数本のナイフを追加した。
もちろん、この妖精を傷付けるつもりはない。逃げ道を塞ぎ、少し驚かせる程度で十分だ。
「……これでいいかしら」
私は軽く指を鳴らし、時間を動かした。
「――ですよー!?」
リリーの声が裏返った。
目の前へ突然現れた銀のナイフに驚き、少女は慌てて身体を捻る。
けれど、左右にもナイフが並んでいることに気付き、今度はその場でぴたりと固まった。
「……っ!?」
私は少女の正面へ回り込み、静かに微笑んだ。
「はい、そこまで」
「は……春?」
「ええ。春なのは分かったから、少し落ち着いて頂戴な」
リリーはきょとんとした顔で私を見つめた。
それから、自分の周囲を囲むナイフへ目を向ける。
「……春ですよ?」
「ええ、そうね。だからこそ、早くこの冬を終わらせたいのよ」
私は指を動かし、ナイフを手元へ戻した。
拘束が解けると、リリーはほっとしたように肩を落とした。
「……さて、もう一度聞くわね」
私はできるだけ穏やかな声で続けた。
「この雪がいつまでも降り続いている理由を、何か知らないかしら?」
「……?」
リリーは首を傾げた。
そして、少し考えるように空を見上げる。
「……春ですよー!」
……はぁ、駄目ね。
私は思わず額に手を当てた。どうやら、詳しい事情を聞き出すのは難しそうだ。
それでも……春を告げる妖精がこうして現れているということは、季節そのものが完全に止まっているわけではないのかもしれない。
少なくとも、何かしらの異常が起きていることは確かだ。
「……分かったわ。もう行っていいわよ」
「はぁ~るでぇ~すよぉ~♪」
リリーは嬉しそうに両手を広げた。そして、くるりと宙を回ると、雪の降る空へ飛び去っていく。
私はその後ろ姿を見送りながら、小さく息を吐いた。
「元気なのは結構だけれど、少しは人の話を聞いてほしいものね」
もっとも、妖精相手にそれを期待する方が無駄なのかもしれない。
私は気を取り直し、再び空へ向き直った。
すると、少し離れたところを、薄桃色の花びらが漂っているのが見えた。
「……あら?」
私は目を細めた。
先ほどのリリーが通り過ぎた後に現れたものだが、彼女が撒き散らした光とは明らかに違う。
桜の花びらによく似た、あの薄桃色のもの。
紅魔館でラッシュが見つけたものと同じだった。
「……ようやく見つけたわね」
私は口元を緩めた。
花びらは雪の中をふわりと漂い、ゆっくりと遠ざかっていく。
その後を追うように進むと、少し先にも同じ花びらが浮かんでいた。
一枚、また一枚……どうやら、どこかから流れてきているらしい。
私は花びらの動きを確かめながら、空を見上げた。
「……上の方から?」
薄桃色の花びらは、風に逆らうように揺れながら、雲の向こうから降りてきているように見えた。
私は飛行速度を上げ、花びらの漂ってきた方角へ向かう。雪雲の中へ入ると、視界が一気に白く染まった。
冷たい風が頬を打ち、細かな雪が髪に絡み付く。けれど、花びらの姿を見失うことはなかった。
薄桃色の色彩は、白い雪の中でも不思議とはっきり見える。私はそれを頼りに、さらに高度を上げた。
やがて、雲の上へ抜ける。すると、先ほどまでの雪景色が嘘のように、明るい空が広がっていた。
足元には白い雲海が果てしなく続き、その向こうには柔らかな陽射しが差し込んでいる。
「……随分と景色が違うものね」
私は思わず呟いた。雲の下ではあれほど雪が降っていたというのに、ここでは風も穏やかで、空気も幾分か軽く感じられる。
もっとも、寒さが消えたわけではない。
私は袖口を整え、周囲を見渡した。花びらはまだ先へと続いている。その流れを追おうとした、その時だった。
「……?」
どこからか、音が聞こえた。
最初は風の音かと思った。けれど、耳を澄ませると……そこには明らかな旋律があった。
高く澄んだ音が空気を震わせ、それに重なるように、低く柔らかな響きが続いている。
さらに、その間を縫うように、軽やかな鍵盤の音が聞こえてきた。
「……音楽?」
私は首を傾げた。こんな場所で、誰が演奏しているというのだろう。
音は雲の向こうから流れてくる。近付くにつれて、旋律は次第にはっきりしてきた。
弦楽器の音。管楽器の音。そして——鍵盤楽器の音。それぞれ異なる音色が重なり、ひとつの曲を形作っている。
「……随分と賑やかね」
私は思わず微笑んだ。
演奏そのものは、決して悪くない。むしろ、これほどの音楽をこんな場所で聴けるとは思わなかった。
紅魔館でも、お嬢様が気紛れに演奏会を開かれることがある。最近では、創英様がピアノを演奏されていた。故に、楽器の音色にはそれなりに馴染みがあるつもりだったが、今聞こえている曲にはどこか不思議な響きがあった。
まるで……音そのものが、意思を持って飛び回っているような。
「少し、気になるわね」
音のする方へ進路を変える。雲の切れ間を抜けると、遠くに3つの人影が見えた。
いずれも少女の姿をしている。一人は弦楽器を構え、一人は管楽器を手にし、もう一人は鍵盤楽器らしきものの前に座っていた。
そして、その周囲には、色とりどりの光が音符のように浮かんでいる。
「……なるほど」
私は目を細めた。どうやら、あの三人が演奏の主らしい。
近付くと、最初にこちらへ気付いたのは、赤い服を着た少女だった。
「……あら?」
少女は演奏の手を止め、こちらへ顔を向けた。
それにつられるように、ほかの二人も視線を上げる。
「お客さん?」
「こんなところに?」
「……人間みたいね」
三人は顔を見合わせた。
私は少し距離を置いたところで立ち止まり、軽く一礼した。
「演奏中に失礼するわ。私は十六夜咲夜。少しお尋ねしたいことがあるのだけれど」
赤い服の少女が、興味深そうに私を見つめた。
「十六夜咲夜……聞いたことのない名前ね」
「私はルナサ・プリズムリバー」
黒い服を着た少女が、静かな声で名乗った。
「私はメルラン・プリズムリバーよ」
白い服の少女が、明るく手を振る。
「それで、私はリリカ・プリズムリバー。よろしくね!」
赤い服の少女が、にこりと笑った。
……プリズムリバー。
私はその名前を頭の中で繰り返した。
確か、騒霊の三姉妹だったかしら。音楽を奏でながら、幻想郷のあちこちを飛び回っているという話を聞いたことがある。
なるほど。こんな場所で演奏していても、不思議ではないわけね。
「……プリズムリバー三姉妹、ということね」
「そうよ。私たちを知ってるの?」
メルランが嬉しそうに身を乗り出した。
「噂くらいはね。実際に演奏を聴くのは初めてだけれど」
「どうだった?」
「そうね、とても素敵だったと思うわ」
私がそう答えると、メルランはぱっと顔を輝かせた。
「ほら! やっぱり私たちの演奏って最高なのよ!」
「……まだ途中だったけどね」
ルナサが静かに呟く。
「細かいことはいいじゃない!」
「……よくないと思うけど」
リリカが苦笑した。
私はそのやり取りを見ながら、思わず口元を緩めた。
……随分と賑やかな姉妹ね。
それぞれ性格は違うようだが、息は合っているらしい。
「それで、咲夜さん」
ルナサがこちらへ視線を戻した。
「私たちに、何か用?」
「ええ。実は、少し探しているものがあるの」
私は胸元から布包みを取り出した。
中に収めていた薄桃色の花びらを、三人へ見せる。
「この花びらについて、何か知らないかしら?」
三姉妹は揃って花びらへ目を向けた。
最初に反応したのは、リリカだった。
「あ、それ!」
「知っているの?」
私が尋ねると、リリカは頷いた。
「うん。最近、よく見掛けるよね」
「……やっぱり」
私は目を細めた。
「どこから流れてきているのか、分かるかしら?」
「うーん……」
リリカは首を傾げた。
すると、メルランが横から口を挟んだ。
「それなら、私たちが向かってるところじゃない?」
「……そうね」
ルナサも静かに頷いた。
私は三人を見回した。
「……向かっているところ?」
「ええ。私たち、これから演奏の仕事があるの」
ルナサが答えた。
「仕事?」
「そうよ。お花見の宴会で演奏することになってるの!」
メルランが嬉しそうに言った。
私は思わず目を瞬かせた。
「……お花見?」
こんな雪の降る時期に? しかも、雲の上で?
私が不思議そうな顔をしていると、リリカがくすりと笑った。
「変だと思うでしょ? でも、本当にお花見なんだよ」
「……どこで?」
「西行寺家よ」
ルナサが答えた。
「西行寺家……?」
「ええ。あの世にある、大きなお屋敷。そこのお嬢様が、桜の宴会を開くんですって」
——あの世。
私は僅かに眉を上げた。なるほど。普通の場所ではないらしい。
けれど、今の幻想郷では桜が咲いていないというのに、あの世では花見の準備が進んでいるという。
……随分と都合のいい話ね?
「その西行寺家では、もう桜が咲いているの?」
「さあ?」
メルランが首を傾げた。
「私たちは演奏を頼まれただけだから、詳しいことは知らないわ」
「でも、花見をするっていうんだから、桜は咲いてるんじゃない?」
リリカがそう言って笑う。私は、手元の花びらを見下ろした。薄桃色の色彩が、陽射しを受けて淡く透けている。
……もしかすると、この花びらは、その西行寺家から流れてきているのかもしれない。
「……そのお屋敷は、どこにあるのかしら?」
「この先よ」
ルナサが、雲海の向こうを指差した。
「あの世へ続く結界の向こう。そこを越えれば、西行寺家のある場所へ行けるわ」
「結界?」
私は目を細めた。
「普通の人間でも通れるの?」
「さあ。どうかしら」
ルナサは淡々と答えた。
「少なくとも、私たちは通れるけれど」
「……なるほど」
私は小さく頷いた。どうやら、簡単には辿り着けない場所らしい。
けれど、異変の手掛かりがそこにある可能性は高い。
ならば、行かない理由はない。
「ありがとう。助かったわ」
私は花びらを布包みへ戻し、三人へ一礼した。
「お礼を言われるほどのことじゃないわ」
ルナサが静かに答えた。
しかし、その横でメルランが何やら不満そうに頬を膨らませている。
「……ねえ、ルナサ」
「何?」
「このまま行かせちゃうの?」
「……どういうこと?」
「だって、せっかくお客さんが来てくれたんだよ? しかも、私たちの演奏を褒めてくれたんだし!」
メルランは私へ顔を向け、にっこりと笑った。
「ねえ、咲夜さん! もう少し聴いていかない?」
「……え?」
私は思わず目を瞬かせた。
「演奏を、ということかしら?」
「そう! せっかくだから、私たちの新しい曲を聴いてほしいの!」
「メルラン」
ルナサが小さく溜息を吐いた。
「私たち、仕事に向かう途中なんだけど」
「少しくらい大丈夫よ!」
「……まあ、時間はあるけどね」
リリカが肩を竦めた。
私は三人の様子を見ながら、少し考える。
……演奏を聴くくらいなら、構わないかしら。
ただし、あまり長居するわけにもいかない。
「……そうね。少しだけなら」
「やった!」
メルランが嬉しそうに声を上げた。
ルナサは呆れたように首を振り、リリカは楽しそうに笑っている。
そして、三人は再び楽器を構えた。
「それじゃあ、特別に一曲!」
メルランが高らかに宣言する。
「私たち、プリズムリバー三姉妹の演奏を――」
ルナサが弦楽器を構え、リリカが鍵盤へ指を置く。
「――存分に楽しんでいってね!」
次の瞬間、3つの楽器が一斉に音を奏で始めた。
最初は、穏やかな旋律だった。
弦楽器の低い音が空気を震わせ、それに重なるように、管楽器の明るい音色が響く。
鍵盤の軽やかな音が、その間を縫うように流れていった。
私は目を細め、しばらく耳を傾けた。
……確かに、素晴らしい演奏だわ。
けれど。
「……?」
次第に、周囲の空気が変わり始めた。
音に合わせて、三姉妹の周囲に光が浮かび上がる。
最初は小さな粒だったものが、次第に数を増やし、色とりどりの光弾となって広がっていった。
これって……まさか、また?
私は僅かに眉を上げた。メルランが楽しそうに笑う。
「さあ、ここからが本番よ!」
「……本番?」
次の瞬間、光弾が一斉にこちらへ飛んできた。
「っ!」
私は咄嗟に身体を翻した。
音符のような軌道を描く光弾が、先ほどまで私のいた場所を通り過ぎる。
私は少し距離を取り、三人へ顔を向けた。
「ちょっと! これはどういうことかしら!?」
「演奏よ!」
メルランが元気よく答えた。
「弾幕が飛んできているのだけれど!」
「私たちの演奏には、こういう楽しみ方もあるの!」
リリカは笑い、ルナサは静かに弓を動かしながら、淡々と告げる。
「避けられるなら、最後まで聴いていって」
「……なるほど、そう来ましたか」
私は小さく息を吐いた。どうやら、また弾幕勝負になってしまったらしい。
今日は随分と賑やかな妖怪ばかりに出会うわね。もっとも……相手が騒霊なら、それも当然なのかもしれない。
「分かったわ」
私は袖口へ指を滑らせた。
「そこまで言うなら、最後まで付き合ってあげる」
銀のナイフを取り出し、指先で軽く回す。
「ただし、私も手加減はしないわよ?」
メルランが嬉しそうに笑った。
「望むところよ!」
次の瞬間、三姉妹の演奏が一段と激しくなった。
音楽に合わせて、無数の光弾が空を舞う。ルナサの弦楽器からは、ゆっくりと広がる青い弾幕が放たれた。
メルランの管楽器からは、勢いよく弾ける赤い光弾が飛び出してくる。
そして、リリカの鍵盤からは、細かな黄色い弾が次々と生み出されていった。
それぞれの弾幕が重なり、複雑な模様を描きながら私へ迫る。
「なかなか、見事なものね」
私は小さく微笑んだ。
三人の攻撃は、それぞれ性質が違う。
ゆっくりと広がる弾で逃げ道を塞ぎ、速い弾で動きを制限し、その隙間へ細かな弾幕を流し込む。
単独では避けやすい攻撃も、三人が同時に仕掛けてくることで、随分と厄介なものになっていた。……でも。
「少し、隙が多いわね」
私は身体を捻り、弾幕の隙間へ滑り込んだ。
左右から迫る光弾を避け、頭上から降り注ぐ弾をナイフで弾き落とす。
そのまま高度を上げ、三人の上方へ回り込んだ。
「……あっ!」
リリカが声を上げた。
「上に行った!」
「分かってるわ!」
メルランが管楽器を構え直す。
けれど、その時にはすでに、私は次の行動へ移っていた。
「……それじゃあ、こちらからも一曲」
私は指先でナイフを弾き、空中へ放った。
銀の刃が陽射しを反射し、三姉妹の周囲へ散っていく。
「えっ」
メルランが目を瞬かせた。
私は静かに微笑んだ。
「幻符――」
指先を軽く鳴らす。
「――《殺人ドール》」
次の瞬間、無数のナイフが三姉妹の周囲へ現れた。
それぞれ異なる角度から、銀の刃が一斉に迫る。
「……っ!」
ルナサが咄嗟に弦楽器を構え、周囲へ弾幕を展開した。
メルランも管楽器から光弾を放ち、リリカは鍵盤を叩いて防御のための弾幕を作り出す。
けれど、三人の攻撃が重なった瞬間、私は時間を止めた。
音楽が途切れる。
光弾も、ナイフも、すべてが空中で静止した。
私は三姉妹の周囲を見渡し、静かに息を吐いた。
……さて。
相手は三人。それぞれが別の方向へ逃げられる以上、普通にナイフを放つだけでは、誰か一人に避けられてしまうかもしれない。
ならば。
「……逃げ道を、少し減らしておきましょうか」
私は空中を歩くように移動し、静止したナイフの位置を調整した。
それぞれの進路を塞ぐように、刃を配置し直す。
もちろん、致命傷を与えるつもりはない。
あくまで、弾幕勝負の範囲内で勝負を決めるためのものだ。
準備を終えると、私は少し離れた位置へ戻った。
「……これで、終わりね」
私は指を鳴らし、時間を動かした。
「っ!?」
三姉妹の表情が一斉に変わった。
先ほどまでとは明らかに異なる位置から、銀のナイフが迫っていたのだ。
ルナサは弦楽器を抱えたまま身を翻し、メルランは慌てて高度を下げる。
リリカも横へ逃げようとしたが、その先にもナイフが並んでいた。
「ちょっと!?」
リリカが声を上げる。
私はその様子を見ながら、指先を軽く動かした。
銀の刃が一斉に向きを変え、三人の周囲を囲む。
「はい、そこまで」
私は静かに告げた。
ルナサが小さく息を吐いた。
「……負けたわね」
「うぅ、悔しい!」
メルランが頬を膨らませる。
リリカは苦笑しながら、肩を竦めた。
「……いやぁ、強いねぇ」
私はナイフを手元へ戻し、軽く一礼した。
「素敵な演奏だったわ。ありがとう」
「……弾幕付きだったけどね」
リリカが笑った。
「ええ。なかなか刺激的だったわ」
私は微笑んだ。
メルランはまだ少し不満そうだったが、ルナサに肩を叩かれると、すぐに機嫌を直した。
「……まあ、いいわ! 今度はもっと凄い演奏を聴かせてあげる!」
「ええ。楽しみにしているわ」
私はそう答え、三人へ改めて向き直った。
「それじゃあ、そろそろ失礼するわね」
「もう行くの?」
リリカが尋ねた。
「ええ。異変の調査を続けないといけないから」
「……そう」
ルナサが静かに頷いた。
「西行寺家へ行くなら、あの方向よ」
彼女は雲海の向こうを指差した。
「この先にある結界を越えれば、あの世へ行けるわ」
「ありがとう。助かったわ」
私は軽く一礼した。
「……そうだ、咲夜さん!」
メルランが声を上げた。
「もしお花見に来るなら、私たちの演奏も聴いていってね!」
「ええ。機会があれば、ぜひ」
私は微笑んだ。それから、三姉妹に背を向ける。
薄桃色の花びらは、まだ先へ続いていた。私はその流れを目で追いながら、静かに息をつく。
西行寺家。あの世にあるという、大きなお屋敷。そして、そこで開かれるという桜の宴会。
この長い冬と、何か関係があるのかもしれない。
「……確かめてみる価値はありそうね」
私は飛行速度を上げた。
雲海の向こうへ、薄桃色の花びらが漂っていく。その先には、あの世へ続く結界があるという。
……まったく。異変の調査で、まさかあの世へ向かうことになるとは思わなかった。
けれど、お嬢様から命じられた以上、途中で引き返すわけにはいかない。
何より、フランドールお嬢様が楽しみにしていらっしゃる桜を、今年も咲かせなければならないのだから。
「待っていてくださいね、お嬢様方」
私は小さく微笑んだ。
そして、薄桃色の花びらを追いながら、白い雲海の向こうへ飛んでいった。