【蜀陣営】
劉備(りゅうび)
蜀の君主。蜀の名将である関羽と張飛とは義兄弟の仲である。180年頃に義勇軍として黄巾の乱の討伐に参加し、張宝を討ち取った。更に反董卓連合に参加し関羽、張飛と共に董卓の配下の名将である呂布と打ち合った。その後、城を得たり董卓を裏切った呂布を住まわせたり呂布に裏切られたりしたりしてなんやかんやあり新野という城に本拠を構える。しかし、曹操軍に攻撃され逃げなんやかんやあって江陵につきなんやかんやあって赤壁の戦いで曹操を撃退してなんやかんやあって本土の左端の巴蜀に本拠を構え蜀(漢)を作った。
関羽(かんう)
蜀の名将。途中曹操により捕虜にされたりしたが、劉備とはほぼ同じ経歴。219年現時点では本土の真ん中の荊州を守っている。
【魏陣営】
曹操(そうそう)
魏の君主。兗州の州牧であり、乱世の奸雄と言われていた。時には劉備を保護したり、時には呂布討伐戦に参加したり、時には劉備の城を襲撃し劉備軍を散り散りにしているが、勝率はかなり高い。約10万兵とも言われる袁紹軍を破り、本土の真ん中部分と北を支配している。1度赤壁の戦いで大敗しているが、その後も国力を崩すことなく対孫劉連合(孫権と劉備の連合)の戦線を維持。全てにおいて万能の英雄。
【呉陣営】
孫権(そんけん)
呉の君主。急死した兄の孫策に江東(本土の右下らへん)を任される。内政が上手い。濡シュ口の戦いで勝ち星を挙げたり、戦の能力は曹操、劉備に劣っているものの優秀である。
呂蒙(りょもう)
呉の名将。呉の都督である周瑜の地位を継ぎ、関羽との交渉を繰り返した。対関羽戦では陸遜の手紙などで関羽を油断させ、その隙に江陵を叩くなどといった功績がある。対関羽戦では最も活躍した武将と言ってもいいだろう。
陸遜(りくそん)
後に呉の名将となる人物。今時点では特にそれといった功績は無いが、史実では関羽包囲網後関羽は死亡して劉備が弔い合戦に来たのでそれを撃退したという功績がある。その後死亡した呂蒙の後を継ぎ都督となり、呉の重鎮として活躍した。
【地名】
中原 名の通り本土の真ん中部分を指す言葉。魏領土
河北 中原と黄河越えたところに位置する場所。袁紹軍が本拠地としていた。魏の領土
巴蜀 山に囲まれたTheド田舎な場所。元々は暗君劉璋が治めていたが、それを劉備が乗っ取った。
荊州 ここが最も重要な場所とも言われる。襄陽を越え長江さえ渡れば中原へと繋がる。元蜀の領土。
江東 中原を越え長江を超えた先にある場所。呉の領土。川の流れなどのせいで攻めにくい。(呉軍の水軍が強いのもあるが)