天才は恋を口にするか 作:ろろん
ヘルタちゃん可愛い可愛い民です。執筆を終え次第、ぼちぼち投稿いたします。
幼き日、一人の子供は奇跡を目の当たりにした。
大地は荒廃し、水は枯れ果て、血肉の渇きを満たさんと軍勢が足を踏み鳴らす。幾度の外敵との戦争を繰り広げた惑星は数百年の時を争いに費やしながら、得られたものは何もない。死に行く天体、衰退する文明。かくも世は不平等たるやと嘆く者たちの頭上に、かの星神は現れた。
─────其は一線を注ぐ。
ただ、その行為だけを経た瞬間。禍々しい軍勢は大地から“消滅”した。文字通り跡形も残らず、霧散するように消えていたのだ。
『 あれは正しく、神の所業である 』
沈黙を宿していた人々の中を切り裂く宗教家の一人が声高らかに喧伝する。我々の星は神によって救われた、と。そのような世迷言だと思われる一言は到底常人が受け付ける物とは言い難いが─────地に足を付けた民は仰ぎ見た。神のみが赦される所業を目の当たりにし、現実に己が生命を犯す外敵が消滅した光景を記憶に刻んでいる。
然し、よもや熱心に信仰している神が気まぐれで視線を向けたことなど、彼らは知る由もない話だ。
───────
「奇跡とは、正しく人智を超えた神のみに与えられる特権。人の身では成し得ない事象を起こし、遍く論理を超越した行為である」
悪辣な実験でのみ己が願望を満たしている天才。原始博士とは即ち天才故の歪んだ思想の持ち主であり、同時に其の均衡を著しく損なう外敵であった。文明の更なる発展を目指しながら、跡に残るものは退化を象徴する荒んだ光景のみ。それらを嬉々として持て囃し、あまつさえ博士の辿る道筋をなぞらんとする追従者もまた文明の敵とすら捉えられるだろう。
生命が載せられる天秤は減少に傾いた。であれば、要因を排除するまでのこと。
手にした“薙刀”の矛を奴へと向け、両者の身分を明確に切り分ける威圧を放つ。事象を具現化せんと聳える黒色の穂は標的から逸れることはなく、刃は鈍く色彩を反射させていた。
「優位に立ったつもりかね⋯?」
研究者気取りのサル。バナフェッサーは声色を震わせ動揺する。否、踵は既に上がっていた。感情という枷を持つ生命体が決して抗えない神の一端を放ったのだから、当然とはいえば道理。寧ろ、脱兎の如く逃亡しない理性的な一面は評価に値する。
「無論、優位であることは変わりない。⋯身分を弁えろ」
バナフェッサーは文明にとって脅威に値する存在である。ミームウイルスを垂れ流し、人々をサルに変化させ、プロセスを観察し。漸くと得られた結果に満足すれば最後、星の民は解放されることなく人には戻れない。既に原始博士の悪名は名高いが、信奉者たる奴も相当なもの。
恐らくこの猿は自身が人類退化実験の体現者たるやと胸を張っていることだろう。であれば、とても救いようがない。救われてほしいなどとは思わないし、ただ只管に哀れだと感じた。
「幾らお誂え向きな実験で機嫌を取ろうが、当人たる原始博士は興味すらも惹かれない。分かるか?────お前は天才という枠組みに無知過ぎる。愚鈍で、救いようもない。そも思考を模倣し、ただ忠実に再現する事が誤りだ」
「バナバナ⋯そのような世迷言に私が揺さぶられるとでも?」
「世迷言ではないとも。何故ならば、俺は身近に天才と接しているからな。⋯普段から彼女が傍にいる。そこがお前との差だ、バナフェッサー」
俺は敢えて見せ付ける積極性を以て隣の女性を抱き寄せる。それは凡人では決して起こるはずが無い光景、バナフェッサーであろうと露骨に驚愕の一点を瞳に宿していた。
「ヘルタ。君にとって俺は⋯なんだ?」
「⋯大切な、ひと」
物事を解決するのは武力だけではない。狡猾に、打算的に、相手の心理を突くことも必要だ。バナフェッサーの場合は自尊心が強く、博士の信奉者であると疑う素振りがない。誰よりも願望を体現し、己が最も優れていると胸を張る────虚勢の像だ。
対して俺は眼前で証明して見せた。天才クラブの彼女、ヘルタを抱き寄せ言質まで引き出したのだ。
仮に、このような状況でなければ。頬を紅潮させた顔色を飽きず褒め讃えたいが、生憎と数分前の失言がある。彼女には申し訳ないが、今しがた我慢を強いることにしよう。
「ヘルタ。俺にとっても⋯君という個人は大切に、今では欠けてはならない存在だと思っているよ」
耳元で囁く。奴が目を見張っている事からも、俺が何か吹き込んだのかと錯覚させる。バナフェッサーとて己が天才に勝るなどとは思っていない。かの天才クラブに名を連ねるヘルタを相手にしては分が悪いと言うのに、挙句此処には俺がいた。
「⋯ありがと」
ぽつりと感謝を口にしたヘルタに微笑みを注ぎ、俺は一層強く身を寄せては腰を抱く。
女性に対して失礼な真似を働いた自覚はある。後で謗りは受け付けるとして、薙刀の尖端を依然サルに差し向けたまま固定した。
「選択を誤ったな。お前は得意の反論すらもままならず、黙って俺とヘルタの行為を見届けるだけの証人だ」
「⋯有り得ん。有り得んのだ、このようなことは⋯!私が博士に認められず、何故お前が天才と分かり合える⋯ッ!」
熱狂的な信奉者ほど心情を操るのは簡単だ。支えを揺らし、基礎たる信仰心を煽ってやれば良い。あわあわと分かりやすく視線を右往左往させる彼女には申し訳ないが、いま俺の腕中から離すわけにはいかない。目線を軽く絡めてみたところ、唇を緩く結んで無言の承諾を得た。
「サルにはついぞ理解できないことだろう。人間を実験動物として捉えているお前には、な」
「我々は人類を進化させるべく研究を続けているのだぞ!実験を繰り返し、より良い結果を齎す必然的な過程に何の過ちがあるというのか!」
「性善説を説くつもりはないが⋯サル如きが存在で人の歴史を否定するなどお笑いだ。数多の星々に存在する文明が築いた秩序を、宇宙を保つ規律を────天才にも至れない愚かなお前が無為に実験を繰り返し、乱していく。結果的に得られた物はなんだ?退廃した文明とサルと化す生命のみ。それの何が進化だと?」
生命が進化しているのであれば、何故宇宙にある文明は発展の兆しすら見せないのか?原始博士の信奉者はかの問いを歪曲させ理解した。進化よりも退化にこそ文明の発展が残っているのだと。
元より、天才の言葉は理解されないものである。孤高であり孤独、才を持たない身ではロジックすらも理解できないのだから。
「其はこう告げた。星海に聳える巨大な均衡の秤を維持し、万物の天秤を揺さぶる要因を退けよと。既にお前が弄んだ生命の数は著しく均衡を乱し、其の意思に反逆している」
空気が揺れた。文字通り身を震わせる振動が五感を伝って潜在的な畏怖を引き起こし、バナフェッサーは口を呆気に開いたまま固まった。
「俗人、傾聴せよ」
星神の使令となる人物の共通点。ヘルタを含め共通している事実は一つ、俗人とは一線を画す力を星神から賜ったこと。ならば、全ての使令が等しく強大な力を宿しているのかと問われれば否だろう。
惑星を容易く破壊してしまえる戦闘能力を持った壊滅の使令から、愉悦のように神の気まぐれで選定された存在に至るまで。数多ある運命は複雑なほどに性質が全く異なる。
では、均衡の
「其は告げた。生命の均衡は保たねばならないと」
薙刀、穂の先に光点が生じる。小さかったそれはじわりと大きく、空間に広がって行った。
「ゼロサムを乱す不信心者を排斥し、星海を平衡にせよと」
天から地へと薙刀を振るう。そこには純粋な白だけが広がっていた。
「やがて互は汝に負を与え、秤の均衡を保つだろう────」
空間を照らす月白が、空間を飲み込んだ。
人々が壊滅を厄災と表現し、知恵は天才を象っていると羨望を注いだように。万人は等しく人知を超えた力を言葉にする。であれば、人々にとって均衡とは即ち──────
「──────矮小な汝へ、奇跡の一端を齎そう」
まさに、神の奇跡であると。そう伝わっている。
─────────
「⋯当分、奴の動きは封じられたか」
ほんの数秒の出来事は宇宙ステーションヘルタに変化を起こす事象ではなかった。ヘルタは腕の中、壁や床に破損もない。唯一変化したといえば、あの不愉快なサルが“元よりその場に居なかった”かのように消失していた事実のみ。
俺は胸板に顔を埋めるヘルタを見つめながら独りごちる。もしも俺が居なければ、彼女はより多くの時間を費やして奴の対処をしていた。ステーション内の職員に掛けられたミームウイルスを解くにも一瞬とは行かなかったはずだ。
「⋯⋯終わったの?」
「ああ。脅威はおろか、ステーションに流れていたミームウイルスも消滅した。安心していい」
体温が伝う。いつの間にか俺の身体へと細い腕が絡み、先の行動を静止していた。まるで動きたくない、離れたくないと言外に示していた雰囲気に思う。
「⋯ヘルタ。君は均衡の力によって生じる、正確に言えば薙刀から発せられる光が眼に入ることを危惧した。故に胸板を借りている理由は得心が行くものだが⋯既にその必要は無くなったんじゃないか?」
仲裁官の齎す力は純粋な淀みない星神の御業。故に至近距離から光点を目にすれば最後、並の生命体では両眼が焼かれる。じわりとした痛みではなく、一瞬にして暗転し視覚が失われるのだ。
然し、使令級の人物であれば光点の齎す純粋な力に拮抗出来る。強いて言えば眩しすぎて辛い、そんな所だろう。
ともあれ、事は済んだ。こうして抱く必要も無い、そう判断し俺は腕を離してはみたが。
「ダメ。⋯私を強引に抱いておいて、事が済んだら終わり?そんなの許さない」
どうやら天才たる女性には許しを得られなかった様子。俺は内心に沸き立つ喜びを抑圧しながらも、今度は優しく丁寧さを意識して腰回りに片腕を巻き付けた。
女性らしい細い身体だ。美貌も然ることながら、服装も可憐さと美しさが両立された素晴らしい装い。手入れされた髪束は身体の揺れに応じて靡き、スタイルの良さも相俟って魅了される。
「⋯綺麗だな、君は」
本心から溢れる感想を口にした瞬間、ヘルタは見上げた顔を再び俺の胸板へと伏せて柔い頬を押し付けてきた。今の言葉は少しばかり露骨過ぎただろうか?と。勝手ながら内省している間、ぽつりと可憐な声が耳元へと届く。
「ばか。そうやって私の気も知らないで⋯ほんと、無意識な女誑しなんだから」
少なくとも彼女以外に綺麗だと真っ直ぐ口にしたことはない。今も昔も俺にとってはヘルタこそが唯一で、好意的に想う相手なのに変わりはないこと。だが、人の想いは言語化して初めて伝わることもある。天才である彼女に理屈らしく説明するよりも素直に感情を吐露した方が良い、何よりも少し前には─────愛おしいと。はっきりと俺の口から好意を示す単語が飛び出していた。
ならば、何を抑える必要がある?⋯浅ましくも受け入れてくれるのではと期待する己と、この心地好い距離感を保ちたいと苦心する人間らしい不安が付き纏う。
「⋯君に好かれたい。俺がそう言えば⋯君の理解も得られるだろうか」
口にするつもりはなかった。本当に気が付くと唇から本心が零れていて、俺は誤魔化しに咳払いをして目線を逸らす。
「すまない、今の言葉は⋯」
「⋯⋯忘れて、なんて言わせないよ。今更取り消しなんて都合の良いこと、絶対にさせない。⋯私が許さないから」
「ヘルタ⋯?」
「あなたが身体を抱いてくれた時、とっても安心した。私よりも大きい手のひらが⋯温かくて。守ってくれてるんだって勝手に喜んでたりもして。ずっと前から⋯あなたの傍に居ると、ね?⋯頼ってもいいと思えるの」
雨粒の様に小さく溢れた言葉の一言一句を聞き逃したくない。ヘルタとは長い付き合いだと自負しているが、これ程にか弱く映る女性ではなかったはずだ。しかし、嫌いではない。厚かましく庇護欲すら沸き立つ。
「いつでもあなたは遠慮して、私から距離を置こうとしてる。本当なら⋯数十年前に堕としてたはずなのに。⋯イヴ。あなたはどうして胸の内を明かさないの?教えて」
天才の唇が真実を求める。仲裁官を体現した濡羽色の外套を掴んで訴えかける姿というのは客観的に相手を問い詰めている構図であろうが、然程相違ない。
俺は試されていた。否、期待されているのか。静謐さに満ちた瞳が見据える。
「御託はいい。ご機嫌取りも要らないよ。⋯ねぇ、あなたはいつになったら言ってくれるの?」
何を、とは言うまい。
「⋯しかし、俺は」
「仲裁官ってみんなそうなの?奥手で、愛の告白もできないお子ちゃま?」
「だが⋯」
「もしかして、天才かつ星海一の美貌を持ち合わせた私に見合わない⋯なんて思ってないよね。私は“自分の認めた相手”じゃなきゃ、身を寄せ合ったりしないんだけど」
心の底では分かっている。距離を縮めたいと願う一方で、天才の頭脳に追い付けない己が傍に居て良いのかと。彼女が築き上げた理論の四割程度しか理解に至らない俺が、本当に好意を受け入れるべきなのかと。数年、数十年─────もしかすれば、初めて邂逅した日にでも思っていた。
「言いなさい。⋯全部、受け入れてあげるよ」
「⋯君には敵わないな」
どうやら天才の前で隠し事などハナから不可能であったらしい。この力を行使することも、雑談に華を咲かせることすらも総じて俺の行動理念には君がいる。ヘルタに関連したあらゆる要素、ステーション内の部下や事象含め守護したいと。
これは私欲である。決して其の遣わす使令が抱くには歪んだ認めてはならないものだ。受け入れれば最後、心中にある天秤は平等を失う。そんな気がしてならない。
「⋯⋯まぁ、あなたが奥手で真面目なのは分かってたし」
深く思考に耽る俺を見つめ、ヘルタは緩やかに口角を吊り上げる。それはまるで、この会話が想定通りであったと豪語するような態度であり──────
「私は天才なの。だったら、あなたに合わせてあげる必要も無い。初めからこうして想像を現実にしちゃえば何の問題も無い。でしょ?」
一体、彼女は何を言っているのかついぞ理解出来ずにいる。だが、想像を現実にするというフレーズに妙な引っかかりを覚えた。
「均衡って窮屈で、私は嫌い。あなたをここまで奥手にさせるんだから尚更ね。⋯でも、もう悩む必要はないよ。これを飲んで?」
「⋯これは?」
「説明する時間が惜しいの。早く」
「ヘルタ、如何なる理由でそれほどに急かす⋯」
「聞こえなかった?⋯飲みなさい、イヴ」
「⋯分かった。飲もう」
俺はつくづく彼女を拒めないらしい。手にしたのは桜色をした液体の入った瓶、250ml程度だろうか。明らかに普通とは言い難い色をしている。
先程からじっと見つめる視線が身体を穿つ。早く飲め、と催促しているらしい。
「これは⋯人体に無害なのか⋯?」
「私が有害なもの作ると思う?いいから飲んで。一気にね」
押し付けられるように口元へ運ばれた小瓶。まさか一気に飲み干すことも指定されるとは、果たしてどのような効果を含んでいるのか検討すら付かない。
天才とは往々にして不遜。自信たっぷりな態度を前に、俺は屈する他なかった。
「⋯飲むぞ」
意を決し、蓋を開けて一気に喉奥へと流し込む。味覚には甘さばかりが残って香りを引き出し、例えるのであれば角砂糖を何個も投入した紅茶の味わいである。
─────だが、天才の差し出した物にそんな単純な効能はなかった。
数秒か、段々と身体は熱を帯び始め脳を揺らす。手にした小瓶も床に散らばり破片となって広がっていく。言うなれば一種の酩酊状態とでも言えようか?俺の視界は時間が経つにつれ不明瞭になっていた。
「な、んだ⋯?」
「⋯⋯それ、何だと思う?なぁんて、今のあなたに聞こえてるか分からないけど」
彼女は嗤った。蠱惑的に微笑みを漏らし、床に散った小瓶には目もくれず俺の手を取る。
「これは相手の欲求を昂らせる薬なの。有り体に言えば⋯媚薬だね」
「何を⋯何故、君は⋯」
「今まで受け身だったのが馬鹿らしい気がしたの。奥手で、どこまでも真面目なあなたの言葉を待ってたら日が暮れちゃう。結ばれるのがいつになるか分からないでしょ?」
「⋯思考が纏まらない⋯⋯?」
「それに態々私が待つ理由もないし。だったら⋯初めからこうして私から攻めるべきだった。受け身なんてらしくないこと、する意味もないから」
両脚が均衡状態を保てない。俺の身体はヘルタへと凭れかかり、耳元に美女の唇が添えられた。
「使令のあなたに効くかは判然としなかったけどね。⋯どう?熱くなってきたでしょ?」
己の体内を沸騰しかねない熱が駆け巡る。
「イヴ、もう遠慮なんてする必要はないの。このまま欲に塗れて堕ちなさい」
囁く。脳髄にまで至る声色が本能を撫で、抑圧していた歪みを晒さんとしていく。
「堕ちて、何処までも私に堕ちきって?そうして私だけがあなたの願望を肯定できると理解してもらうから」
吐息すらも耳朶にかかり、やがて天才である一人の女性が何を抱えているのかを理解する。元より俺という一個人が彼女に敵う道理などありはしなかった。全てを、凡ゆる感情を私のモノだと主張する印象に俺の意識は飲まれていき──────
「──────もう逃がさない。とことん歪んで、夢中になっちゃえ♡」
直後、俺の意識は暗転した。
ヘルタ/夢中になっちゃえ♡で堕とした天才。もう逃げられないよ。
仲裁官/奥手すぎてヘルタを焦らしていた生命体。堕ちちゃったね。
バナバナ/最後はいちゃこらする二人を見て消失した。復活には時間がかかるらしい。