TS貴族令嬢の複雑すぎる婚活事情 作:桜木桜
「それでは、また明日」
「は、はい……」
トール君は笑顔で別れの言葉を口にした。
私は頷きながら、ゆっくりと手を離す。
するとすぐに侍女――デラーウィアが駆け寄って来た。
「姫様。この後のご予定ですが……」
「休憩室で聞きます」
私はそう言ってデラーウィアに自分の手を見せた。
手汗でグチョグチョになったグローブを見て、デラーウィアは静かに頷く。
「……はぁ」
休憩室でデラーウィアと二人きりになったところで、私は思わず肩を落とす。
厳密にはカーテンで区切られているだけで他にも人はいる。
だから気を抜くべきではないけれど……。
「おつかれさまです」
デラーウィアは私に労いの言葉を口にしながら、汗を拭いてくれた。
思ったよりも、汗を掻いていたようだ。
というか、まだ体が熱い。
そして思考に靄が掛かったように、クラクラする。
考えがまとまらない。
「……姫様。姫様?」
「え? あぁ……えっと、何でしょうか」
「何かお飲み物を持ってこようかと思いましたが……大丈夫ですか? もし体調が優れないようでしたら、夜会は中断しても……」
「いえ、心配は無用です」
「お顔が真っ赤ですが……」
「悪酔いしただけです! 冷たい水を持って来てください。……少しだけ、休みますから」
お酒が回ってしまっただけだ。そうに違いない。
私は椅子に腰を下ろし、酔いが治まるのを待つ。
「どうぞ、姫様」
「ありがとうございます」
そして私はデラーウィアが持って来てくれた水を一気に飲み干す。
からからに乾いた喉に、キンキンに冷えた水はとても心地が良かった。
体の火照りが治まっていくのを感じた。
「この後はどうされますか?」
「どうもこうも……予定通りです」
バルトナ王子とは踊らないといけない。
祖父が連れて来た貴族たちとも、踊らないわけにはいかないだろう。
バールド皇子とは……彼があらためてダンスを申し込んで来たら、やはり踊らないといけないだろう。
「……」
デラーウィアは何か言いたそうな表情だった。
言いたいことがあるなら早く言って欲しいと促すと、彼女は恭しく頭を下げた。
「ご無理はなさらないように」
「分かっています」
私は椅子から立ち上がり、会場へと戻る。
一先ずバルトナ王子のところに戻ろうと、彼の姿を探す。
「くくく……先を越されましたな。我らの敗北だ」
「えぇ……悔しいですが。女性を放ってつまらぬ言い争いに興じるとは、男として未熟でしたね」
バルトナ王子はバールド皇子と仲良く酒を飲んでいた。
仲直りしたらしい。
良かった……のかな?
その後、私は予定通りバルトナ王子と三曲ほど踊った。
それからバールド皇子とも一曲。
その他、ダンスを申し込んでくれた貴族たちとも踊り続けた。
何事もなく、無事に夜会を乗り切ることができた。
悪酔いもすることがなかった。
……最初のあれは何だったのだろうか。
「変わった風味だが、悪くない味だ」
夜会が終わった後も、祖父はブドゥーベル城に残っていた。
この後、大事な会議があるから……ではない、
ただ酒を飲んで、駄弁っているだけだ。
そんな祖父が飲んでいるのは、米酒――要するに日本酒である。
ブドゥーダル公爵領はブドゥーダル河という大河が流れており、下流域へと近づくにつれて水はけの悪い、湿地帯のような土地が増える。
何の作物も育てられない価値の低い土地として扱われていたが、米なら育つのではないかと私は考えた。
米そのものは、稀にブドゥーベル市で舶来品として売られていることは確認済みだったので、あとは南大陸から農民ごと取り寄せるだけだった。
と、以上がブドゥーダル公爵領で稲作が始まった経緯だ。
食味はあまり良くないが、価格は安いので、今のところ貧乏人向けという扱いである。
このままだとあまり儲からないので、お酒に加工してみることになった。
結論から言うと、白ワインと日本酒を足して二で割ったようなよく分からない酒ができあがった。
ワイン酵母やワイン樽を流用しているので、当然と言えば当然だが……。
「しかしこれなら白葡萄酒の方が好みだ」
祖父は米酒をグビグビと飲みながら言った。
現時点では「面白い味だけど、毎日は飲みたいとは思わない」というのが貴族たちからの評価だ。
トール君も似たようなことを言っていた。
「味の研究は酒造家たちが日夜、行っております。今後にご期待ください」
「ふむ……。もう少し味が向上すれば、社交の贈答品としても使えるようになるだろう。帝国北部の貴族は、物珍しい舶来品を好む」
本来の価値なんぞ、あいつらは分からんからな。
と祖父は小さな声で卑しんだ。
帝国――つまりニアルマ語圏は大きく北部(低地)と南部(高地)に分けられる。
文化や言語が微妙に異なるせいか、政治的に対立することも多く、仲が悪い。
祖父は南部の貴族であり、帝家は北部の貴族だ。
なお、南部で話されるニアルマ語は高地ニアルマ語と言い、一方で北部では低地ニアルマ語が話される。
私と祖父は高地語の話者であり、バールド皇子は低地語の話者だ。
「できれば土産に持って行きたい。在庫はあるか?」
「十分な量はありますが……まだ贈答品としては使えないというのが、お爺様の評価では?」
さっきと言ってること、矛盾してない?
と私が指摘すると、祖父は破顔した。
「ロゼリアが作らせたとなれば、話は別だ。十三の若さで、領地経営の成果を上げられる貴族など、滅多にいない。誇るといい」
そう言って嬉しそうに私の頭を撫でた。
要するに“貴族同士の政治の道具”としては落第でも、“孫自慢の土産”としては合格ということか。
ちょっと恥ずかしいのでやめて欲しい。
「できればあの絵も……」
「あれはやめてください」
「冗談だ。そう、睨むな。シル……」
祖父は私とは別の人物の名前を口に仕掛けた。
そして途中でハッとした表情を浮かべ、それから気まずそうな、悲しそうな顔をした。
「見ない間に、シルヴィアによく似て来たな」
祖父は誤魔化すようにそう言った。
シルヴィアとは私の母の名前だ。
祖父には母以外にも、跡取りの息子や娘がいた。
しかし母以外は帝家との戦争や疫病で亡くなり、そして唯一生き残っていた母も第二子の出産時にお腹の子と一緒に亡くなった。
私だけが唯一、生き残っている身内だ。
「あの子は聡明だったが、体が強くなかった。小柄で、出産に耐えうるかと不安だったが……」
祖父はそこまで言ってから、私の体をジっと頭のてっぺんから足先まで見下ろした。
そして満足そうに頷く。
「頑健に育ってよかった。ユガペの血の賜物か」
どうやら祖父は母の死因は尻が小さかったことだと思っているらしい。
私の尻が大きくて喜んでいるらしかった。
真剣なのか、セクハラなのか判断に悩む。
「ユガペの子と言えば、バルトナ王子は恋の多い男だそうだな」
「……えぇ、そのようですね」
「ひょろひょろとして不安ではあるが、下が逞しいのは頼りになる」
祖父は機嫌が良さそうに笑った。
酒が回り始めたのか、私と二人きりで気が緩んでいるのか。
だんだんと話が下ネタ染みてきた。
なお、この世界の婚活市場において結婚前に「愛人がいること」「子供がいること」は、男性に限って言えば不利にならない。
祖父のように「生殖力盛んでよろしい!」と、むしろ高評価を出す人もいる。
家系の存続が第一であることを考えれば、生殖力があることが事前に分かっているのはむしろ安心材料になるのだろう。
なお、同じ理屈で女性についても「バツ一子なし」よりは「バツ一子あり」の方が評価が高い。
子が男児であれば、なお良い。
もっとも、結婚歴があるよりは、ない方が好まれるけど。
この世界は男性優位社会だ。
……男に生まれたかった。
「ハゲの倅との舌戦は悪くなかった。胸がすいたわ」
皇帝の綽名は禿頭帝である。
勘違いされがちではあるが、これは「頭が禿げているから」ではなく、皇帝即位に必要なレガリアの一つ、“カルテマの鉄帝冠”を持っていないからだ。
要するに「冠無し」という意味であって、「ハゲ頭」という意味ではない。
事実、彼は禿げる前から禿頭帝と呼ばれていた。
今は名実ともに禿頭である。
なお、鉄帝冠の現在の持ち主は私だ。
「あやつはダメだぞ、ロゼリア。禿げの子は禿げ、その子も禿げだ」
かなり酔いが回ってきているらしい。
めちゃくちゃなことを言い始めた。
大体、髪と統治能力の有無は関係ないだろうに……。
それから祖父は夜会で私とダンスをした男たちに対し、あれこれと文句を言い始めた。
不細工、チビ、デブ、ひょろひょろ、馬鹿などと言いたい放題だ。
「ロゼリアは誰が好みだ?」
「私には勿体ない方ばかりと思っていますが……」
そもそも、私の心は男だ。
妊娠出産については義務と割り切っているだけ。
ママになるつもりはあるが、妻になるつもりは毛頭……。
「やはり私生児の倅か」
「な、なぜそうなるのですか!?」
思わず、立ち上がってしまった。
騎士たちの視線を感じ、慌てて座り直す。
「別に彼のことは何とも思っておりません。和平実現のためにそういう立ち回りはしましたが……」
「武勇は父親譲りと聞く。体付きも年の割には中々、悪くない。言動は危ういが、物怖じするよりは良い。何より、あの魔力量……。何もせずとも、畏怖する者は多かろう」
「違いますから!」
「顔立ちは若い頃のやつにそっくりだな。下の方も父譲りとなれば、逞しかろう。ユガペの子よりも、強いやもしれん」
し、下って……。
「や、やめてください……」
「何より、枝が交わったことがないのが良い。ロゼリアはユガペの子でもあるからな。枝が絡まる心配がないのは良いことだ」
「お爺様! お戯れが過ぎます!!」
親しい相手に関する、生々しい話はいくら何でも恥ずかし過ぎる。
私が大声で怒鳴ると、さすがの祖父も言い過ぎたと思ったのか小さくなった。
「ま、まあ……あれこれ言ったが、ワシは長くはない。相手はロゼリアがよく考えて決めるべきだ」
それが話の着地点だったようだ。最初からそれだけ言えばいいのに。
「もう夜も更けてまいりました。そろそろお帰りになられた方が良いのでは?」
「ワシが悪かった。そう、邪険にせんでくれ。声が……あまりに懐かしくてな」
祖父は悲しそうな声でそう言った。
……そういうのは卑怯だ。許してあげたくなってしまう。
結果、私は祖父の術中に嵌ってしまい、その後も長々と話し込んでしまった。
そして祖父は泥酔した。
「良いか、ロゼリア。“勝者とは立ち続けた者である”。それを忘れるな」
それはプルーメラ大公家の家訓だ。
最後に笑う者が最もよく笑うみたいな、そういう意味だろう。
「ワシは何度も逃げたが、そのおかげで今、こうして命を繋ぐことができた」
ちなみに祖父は殆どの戦いで勝っている。
負け戦と勝ち戦の嗅ぎ分けができる人だ。
仮に負け戦であっても、損害を最小限に抑え、次の勝利に必ず繋げている。
自身の肉体と僅かな供回りだけという絶望的な状況から、何十年も耐え忍び、転戦を繰り返し、帝家から今の地位と領地をもぎ取った。
ラークノール公爵に並ぶ最強貴族の一人であり、持久戦の申し子だ。
「ロゼリアはワシの最後の希望だ。どうか、自分の身を大切にして欲しい」
「はい。分かっております」
「しかし男には逃げてはならん時もある」
一秒で矛盾した。やっぱり酔っ払いか……・。
「お爺様には私が男に見えるのですか?」
「城の主人になるのであれば、それは男だ」
精神論というか、心持ちの話らしい。
男というよりは、漢(おとこ)と訳した方が良いかもしれない。
「ワシは……最初の判断を間違えた。一度逃げると、逃げ続けなければならなくなる」
それから祖父は大きなため息をついた。
「努々、忘れるな」
そして黙り込んでしまった。
……眠ってしまったらしい。
人はどうして酔っぱらうと説教臭くなるのだろうか。
その後も建国祭は続いたが、最後までカルタリア公爵家が人を送ってくることはなかった。
結果、カルタリア公爵家の討伐と、私とバルトナ王子の婚約が決まった。
高評価ありがとうございます(敬称略)
パル
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