TS貴族令嬢の複雑すぎる婚活事情 作:桜木桜
この世界にはこんな格言がある。
恩師の鞭、親より怖し。
日本の言葉でもっとも近いのは、「生みの親より育ての親」だろうか。
基本的に貴族は自分の手で子育てをしない。
年に数回しか顔を会わせない親もいるくらいだ。
そのため、子供の教育は家庭教師や乳母に一任される。
この世界では体罰は当たり前のように行われている。
例え、それが貴族の子供であろうとも、教師たちは容赦なく鞭で叩く。
何なら、主君の子を鞭で叩ける教師こそ良い教師であると言われるくらいだ。
幼少期に叩き込まれた上下関係は成人後も尾を引く。
それを抜きにしても、まともに顔も合わせない、会話もしたことがない親よりは乳母や家庭教師に情を抱く貴族は少なくない。
だからどんな暴君も、乳母や家庭教師の諫言には従う。
例え、反乱で親を殺害するような貴族であっても、恩師には敬意を表する。
それが「恩師の鞭、親より怖し」という言葉の意味である。
もっとも、成人した瞬間に恨みを晴らしてやろうと、家庭教師を処刑してしまう貴族も少なくないので、普遍的な法則というわけでもないのだが……。
「い、痛い……」
私は手を摩りながら、思わずため息をついた。
「夜のお勤め」の授業で散々に手を叩かれたのだ。
それ以外にも、あれやこれやと毎日のように怒られている気がする。
頭の中で反論は無限に思いつくのだが、いざアールゴキアに凄まれると何も言えなくなってしまう。
「恩師の鞭、親より怖し」とはよく言ったものだ。
「あの様子だとラークノール公爵領まで付いてくるつもりでしょうね……どうにか、帰っていただく方法はないでしょうか」
「さぁ……私にはそのような方法、見当も付きません」
私の問いにのほほんとした調子で答えたのは、女性侍女だ。
年齢は三十代くらいだろうか。
その顔立ちはほんのわずかにだが、祖父――プルーメラ大公に似ている気がした。
「ブラース。あなた、真面目に考えていないでしょう?」
「考えるまでもございません」
ぽへーっとした声で彼女――ブラースは返した。
「アールゴキア殿は例え首と胴がなき別れになったとしても、姫様について行くでしょう。そしてその舌が抜かれるまで、姫様への諫言を続けるでしょう」
それから面倒くさそうに続けた。
「しかし姫様がアールゴキア殿の言葉に従う必要はございませぬ。乳母とはいえ、所詮は木っ端の下女風情。ブドゥーダル公のご恩寵に集る虱の言葉など、無視してしまえば良いのです」
ブドゥーダル公のご恩寵に集る虱。
……アールゴキアが父の妾であることを揶揄しているのだろう。
わざとであると分かっていたが、しかしその言い方には腹が立った。
「……そのような言い方をしないでください」
「おや、失礼いたしました。姫様が彼女を羽虫のように煙たがっておりました故……」
「わたくしが誤っていたことはよくわかりました。……どうぞ、手紙です。中身をあらためてください」
私はブラースに、トール君に宛てる予定の手紙を渡す。
彼女は口を噤むと、手紙を開き、中身をあらためる。
「良いのではないでしょうか。誤字はありません」
「他にはないのですか? もっと、表現を変えた方が良いとか……」
「改善案は浮かびますが……間接的とはいえ、私がトール様に愛を囁いてもよろしいのでしょうか?」
もっともらしいことを口にしているが、おそらく考えるのが面倒くさいだけだろう。
強く命じればきっと考えてくれるだろうが、諫言が倍になって返ってくるに違いない。
「わかりました。では、これで出しましょう」
「それでは本日のお仕事はお終いですね。早く眠りましょう。夜更かしはお肌に……」
「まだカーヴェニル王子とバールド皇子に宛てる手紙が残っています」
「明日はドレスの採寸があるでしょう? 朝はお早いはずです」
「その通り。だから今日中に終わらせなければならないのです。だから付き合いなさい」
「……かしこまりました」
嫌がるブラースに待機を命じ、私は手紙の執筆を続ける。
私が今、書いているのは“私的な手紙”である。
密書とも言う。
ブドゥーダル公爵家次期当主ではなく、ロゼリア・エル・ブドゥーダル個人として書く手紙だ。
故に書記官等に見せる必要はない……が、しかし最低限の誤字や内容の確認は必要だ。
……最低限、第三者に見せることが父との取り決めだった。
問題は誰に見せるかだ。
普段ならばデラーウィアや書記官たちに見せるが、彼らに見せるのは父に見せるのと大差がない。
それでは意味がない。
そこで選ばれたのが綾〇……ではなく、ブラースである。
彼女はブドゥーダル公爵家の人間ではなく、プルーメラ大公家の人間だ。
祖父から私に仕えるように命じられ、出張してきている。
外交官兼密偵も兼ねていると思われる。
彼女なら父に手紙の内容を漏らすことはない……と思う。
「御用があればお申し付けください」
ブラースは一礼してから、三歩下がる。
そして眠そうな表情で天井を眺め始めた。
カリカリと羽ペンが紙を引っ掻く音だけが響く。
時折、キィーっと城の木材が軋む音がする。
「……んっ」
欠伸が出そうになるのを噛みしめ、羽ペンを動かす。
ブラースの言う通り、明日は早いのだ。
早く終わらせて寝なければ……。
………………
…………
……
「姫様」
「……! はい。な、何ですか!?」
「個性的な字ですね」
ブラースに指摘され、手元を見る。
字が途中からグニャグニャと紙面の上でのた打ち回り、あらぬ方向に伸びている。
「お疲れのご様子。今日はお休みになられた方がよろしいでしょう」
「しかし明日に出すと、すでに飛脚を手配させてしまっており……」
「一日待たせれば良いだけです」
「明日は明日で裁判資料を読まなければ……」
「それは姫様が必ずしもやらなければならないことではないでしょう」
「そもそもアールゴキアが授業を長引かせるから……」
「公爵様不在を理由に授業を後回しにしていたのは姫様でしょう。遅れを取り戻す必要がございます」
「でも……」
「寝なさい」
普段は眠そうに垂れている瞳を、大きく見開きながらブラースは言った。
私は思わず視線を逸らす。
「……」
「何より、姫様が床につかぬ限り、世話係の侍女たちは眠りに付けません。私も含めてですが」
「……」
「臣下を休ませることも、君主の務めでございます」
反論の言葉は無限に思い浮かぶ。
しかしそれは全て本質からズレた言葉遊びばかり。
正しいのはブラースだ。
「……分かりました」
私はペンを置いた。
するとすかさず、ブラースはペンを片付けてしまう。
「それでは姫様。どうぞ、ご寝室に……せっかくですから、子守歌でも歌って差し上げましょうか?」
「いつもわたくしより先に寝てしまっていたくせに、よくそのようなことが口にできますね」
「……よく覚えていらっしゃいますね」
「大人が思っているより、子供は昔のことを覚えているものですよ」
しかし仕事の割り振りや時間配分はちゃんと考え直さないとな……。
裁判、面白いんだけど。
さすがに平民の大量殺人事件にまで首をツッコむのはやり過ぎか……。
「少し胸元、出し過ぎではありませんか?」
仕立屋が持って来た衣装に袖を通した私は、開口一番に文句を言った。
鏡の前には胸の谷間が開いたドレスを着た女性――私が立っている。
日を増すごとに露出度が上がっている気がするのは、きっと気のせいではないだろう。
下半身――足というか太腿は隠すべきという文化があるのに、おっぱいは見せまくって良いというのも不思議な貞操観念である。
ファッションなんてそんなものだけど。
「過ぎるということはございません。最新の流行でございます」
仕立屋は自信満々かつ堂々とそう言った。
……確かに継母はこういう感じのドレスを着ていた気がする。
「姫様は御年齢よりも大人びて見えますから。お胸回りもふくよかでいらっしゃいますし。こちらの方が似合うかと」
「しかしわたくしのイメージに沿うでしょうか」
私は清楚キャラじゃん。
そう主張するが……。
「姫様の年頃の女性であれば、このくらいは普通だと思いますが……?」
首を傾げられてしまった。
その道のプロである仕立屋がそう言うのであれば、そうなのだろう。
しかし納得いかない。
私が不満顔でいると、仕立屋は困った表情で侍女たちの方を見た。
「大変、お似合いだと思います。姫様の女性としての魅力がよく表れているかと……殿方はそのくらいの方が喜ばれるかと」
「殿方とお会いするのですから、今できる最大限の努力をするべきかと」
「もし私がさる北の貴公子であれば、きっと姫様のお姿に視線が釘付けになってしまうでしょう」
デラーウィア、アールゴキア、ブラースは口々に言った。
「お、想い人って……だ、誰のことだか。邪推はやめてください」
こいつら、普段は反対するくせに。
こういう時だけ……!
「……これが流行りというのはわかりました。わたくしに似合うというのも」
「それでは……」
「しかしそれは南の価値観でしょう」
この世界。
と私は一括りにしてしまうことがよくあるが、しかし実際のところ地域差は非常に大きい。
西大陸の中でも、価値観や文化、慣習、言語に大きな違いが存在する。
その中でもブドゥーダル公爵領は最先端地域と見做されており、その文化は洗練されていると言える。
しかし同時に「退廃している」とも思われている。
例えばフォークなどのカトラリーはブドゥーダル公爵領が発生である。
今は王国圏や帝国圏でも当たり前に使われることも増えてきたが、しかしかつては「退廃した南の文化で若者たちが軟弱になっている」と非難されることもあったらしい。
実際、老人世代の中では意地でも使っていない人はいる。
露出度も同じだ。
ブドゥーダル公爵領ではこれくらい普通だと思われていても、ラークノール公爵領ではそうではない可能性が高い。
一般的に南の方が薄着で、北の方が厚着になるし。
いや、北海道のJKはミニスカだったりするけど……。
「その辺りも考慮されているのでしょうか?」
「……トール様やラークノール公爵は王国の社交にご出席されたことがあるのですから。問題ないのではありませんか?」
「そのご家族はそうとも限らないでしょう。少なくとも、ラークノール公爵妃とはお会いしたことはございません」
「もう嫁入り気分ですか?」
「ち、違います! べ、別にそんなんじゃ……」
顔が熱くなるのを感じる。
確かに私はトール君と政略結婚をするつもりでいるし、姑からの印象は良い方がいいと思っているけど……!
「わたくしは真面目な話を……外交の、相手の印象の話をしているのです!」
ラークノール公国の貴族や騎士たちからの印象を気にしているのだ。
私はデラーウィアにそう反論する。
「なるほど。姫様のご懸念は尤もでございます」
意外にもアールゴキアが味方になってくれた。
いや、彼女は割と保守的な性格をしているので、流行のドレスよりは落ち着いたドレスの方が好きだから、意外でもないか。
アールゴキアが私の味方になったからか、仕立屋は残念そうな表情を浮かべながらも、別のドレスを取り出した。
「……まあ、姫様はそうおっしゃるとは思っておりましたので。別のデザインの物も用意しております」
「……ふむ」
というわけで、そちらのドレスに着替えてみる。
デザインの大枠は変わらなかった。
唯一、異なるのは胸元だろうか。
以前のドレスが完全に胸の谷間が露出していたのに対し、今度は薄い生地で覆われている。
こ、これは……。
「確かに肌は隠れていますが……」
す、透けてるじゃん。
谷間が見えていることには変わりない。
いや、むしろ「生地で隠れているからセーフ」と言わんばかりに露出面積は増加している気がする。
「姫様の清らかな美しさがよく引き立てられているかと」
仕立屋は自信満々という様子で言った。
どうやら彼女にとってはこちらが本命だったらしい。
まんまと嵌められた。
「如何しましょうか? 姫様」
「…………こちらにします」
悩んだ末に私は胸元透け透けドレスを選ぶことにした。
こちらの方が「肌は直接、見えてないから」という言い訳が効きそうな気がしたからだ。
それにこういう薄くて透き通る生地を織るのには、高い技術がいる。
ブドゥーダル公爵家の経済力を見せつけるためにも、このドレスは最適解だろう。
し、しかし、これをトール君に見せるのか……。
ま、まあ、胸元はまだ、いいけど……。
「と、ところで……」
「はい」
「背中を隠すようなデザインに変えることはできたりしますか?」
スースーする背中に意識を向けながら私は言った。
当然ながら、却下だった。
はぁ……。
せ、背中のタトゥーが一番恥ずかしいんだよなぁ……。
名前:ブラース
性別:女
身分:騎士(主君プルーメラ大公)、(次期プルーメラ大公)専属侍女
年齢:30半ば
性格:満足・怠惰・忍耐
趣味:睡眠
一言:うわぁ……何だ、このポエム。痛々し過ぎ……だけど、誤字はないし。指摘しても怒りそうだし。十年後に黒歴史になるだけだし、(面総臭いし)まあ、いっか……! これも青春! ヨシ!
高評価ありがとうございます(敬称略)
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