TS貴族令嬢の複雑すぎる婚活事情 作:桜木桜
ラークノール公爵領に入り、四日が経った。
窓の外には一面の牧草地が広がっている。
牧草地では羊や牛、馬などが放牧されている。
ブドゥーダル公爵領やトルーニア公爵領では畑作の方がずっと盛んで、牧畜は補助的なのとは対照的である。
景色を眺めていると、異国の地に来たんだなと実感する。
涼しい方が牧畜に向いているから……というのもあるとは思うが、それ以上に人口密度が低く、土地が余っている(広い)からではないかと思う。
同じ面積で比較すれば畑作の方が得られるカロリー(利益)は上だが、投入される労働力で考えれば牧畜の方が費用対効果は高くなる。
初期投資の面でも、土を掘り返さなければならない畑作よりも、すでに生えている草を利用できる牧畜の方が安上がりだ。
「むっ……トール殿。あれは果樹園でしょうか?」
ふと、遠目に林のようなものが見えた。
しかし普通の森林にしては、木の高さが全体的に低く、しかも整然とし過ぎている。
果物畑だとは思うけど……何の木だろうか。
葡萄ではない。
「はい。林檎畑ですね」
「へぇー……あんなに大規模に」
ブドゥーダル公爵領でも林檎が育てられていないわけではない。
が、あまり盛んではないイメージがある。
果物は嗜好品なので、農民は手が出せない。
都市の富裕層向けとなると、必然的に小規模になる。
というか、この手の果物は自分の庭に植えて、家族で楽しむ方が多いかもしれない。
例外は酒造用の葡萄だろうか。
葡萄畑ならあちこちで見ることができる。
「酒造用です。葡萄作りには向いておりませんので」
「なるほど」
確かにラークノール公爵領の林檎酒は有名みたいな話を小耳に挟んだことがある。
ただ、飲んだことはない。
この世界の貴族のお酒と言えば、やはり葡萄酒だ。
林檎酒はわざわざ取り寄せて飲んだりするものではない。
「楽しみにしてもよろしいでしょうか」
「ロゼリア姫が望むのであれば、用意させましょう。……しかしブドゥーダルの葡萄酒に比べれば、大したものではないと思いますが」
「旅に出ているからこそ、普段は口にできない、その土地の名物を食べてみたいと思うものです」
旅先でブドゥーダル産の葡萄酒が出てくると、げんなりする。
いや、まあ貴族の飲み物と言えば葡萄酒だし、その最高級品はブドゥーダル産だから、私のような大貴族を歓迎する場ではそれ以外の選択肢はないのは分かるのだが……。
やっぱり、その地方の地酒みたいなものが飲みたいと思ってしまう。
多分、これは現代日本人的な発想だと思う。
日本では規格化されていない物の方が珍しいが、この世界では規格化されている物の方が珍しいのだ。
「他には……あら?」
楽しくおしゃべりしていると、馬車が止まった。
どうやら今日のお宿に着いたらしい。
「どうぞ、ロゼリア姫」
「ありがとうございます」
私はトール君の手を取り、ゆっくりと立ち上がった。
馬車から降りる。
太陽はもうすでに傾き始めていた。
夕焼けまですぐだ。
「このままなら、明日の昼には予定通り、ヘーリング市に到着できそうです」
「それは……良かったです」
うーん、困ったなぁ……。
食事を終え、宛がわれた部屋で休憩していた私は一人、ヤキモキしていた。
このままでは、ヘーリング市に到着してしまう。
トール君の気持ちを確認できずに、だ。
実はまだ回答をもらっていない。
私もそうだが、手紙というのは出す時に必ず第三者の校閲が入るのだ。
下手なことは書けないし、書けたとしてもかなり迂遠になる。
本当に大事な話は口で確認するしかないのだ。
そしてトール君が乗り気か、乗り気でないかで立ち回りは大きく変わる。
早く確認しなければいけない。
しかしどうしても人の耳が気になり、聞くことができない。
丁度いいところで邪魔が入るし……。
というか、返事くらい、そっちから切り出してよ!
「姫様。そろそろ就寝されては? 明日は大事な日です」
「えぇ、分かっていますとも」
私は思わずデラーウィアを睨んだ。
いい感じのところで彼女は毎回、邪魔して来るのだ。
本の意味と栞の存在は知らないはずだけど……。
きっと、雰囲気で何となく察しているのだろう。
「姫様。ブラースです」
「何用ですか?」
と、ここでブラースが姿を現した。
こんな夜更けに何だろうか。
「トール様からの言伝です。……今晩、天気が良いので、星でもご一緒にと」
「……!」
ドキっとする。
こ、これはもしかして……いや、でもトール君だからな。
期待しない方がいい。
とはいえ、行かない理由はない。
「こんな夜更けに、ですか」
デラーウィアがブラースを睨んだ。
対するブラースはのんびりとした口調で答えた。
「日が落ちなければ星は見えないでしょう。さすがにお止めするのは無粋かと」
「しかしこのような大事な日の前日に……」
デラーウィアは助けを求めるように、自分の母親――アールゴキアに視線を向けた。
私もアールゴキアの方に視線を向ける。
止められたとしても、私は行くつもりだ。
アールゴキアに私を止める権限なんてのはないのだから。
嫌味は言われるかもしれないけど……。
「良いのではないでしょうか」
ほら、やっぱりダメって……。
え?
「想い人と星を見て語らうのは、今しかできないことです。どうぞ、お楽しみください」
「べ、別に想い人とかではありませんが……」
ただ、私と
政治の話なのだ。
「であれば、断った方が……」
「いえ、行きます」
アールゴキアの機嫌が良いうちに行こう。
私はブラースと共に部屋を出る。
「しかし、明日はきっと雨ですね」
「姫様?」
「雨が降らぬうちに、行きましょう」
私が目で合図を送ると、ブラースは早々と扉を閉めた。
「もう、お母様はいつも、肝心なところで甘い!」
扉の向こう側でデラーウィアが怒る声が聞こえた。
トール君は城の最上部、物御台の上で待ってくれていた。
煌々と松明の炎が彼の横顔を照らしている。
「それでは何かあれば、お呼びください」
ブラースと騎士たちはそう言って、扉を閉める。
二人きりだ。
もっとも、万が一な事態が起こらないように、きっと聞き耳を立てているだろうけれど。
だからストレートなやり取りはできない。
「ようこそ、お出でくださいました」
「こちらこそ、お招きくださり、感謝いたします」
私は松明の灯りだけを頼りに、ゆっくりと慎重にトール君に近づいた。
城の外壁に手を置き、遠くに視線を向ける。
この世界にはまともな文明の光はない。
そのため、夜は真っ暗だ。
しかし……。
「綺麗ですね」
空を見上げると、満天の星空が広がっている。
前世の世界だと、よほどの田舎に行かなければ見られないような景色を手軽に見られるのは、この世界の数少ない良い点である。
「星を教えてくださるとか」
「はい。まずはあの星をご覧ください」
トール君は星を指さしながら、滔々と星とそれにまつわるエピソードや神話を語ってくれた。
内容は女性受け狙いか、ロマンティックな物が多い。
私がもし女であれば、即落ちだったかもしれない。
もっとも、私は男の子。
ロマンティックよりはカッコいい感じの話の方が好きだ。
もちろん、そういう男心を擽る話を振れば、そちらについても話してくれる。
むしろそちらの方が生き生きと語ってくれるので、個人的には楽しい。
ロマンティックな話をしている時は、少し芝居掛かっているというか……。
これ、絶対人の受け売りだよなと、ちょっと冷静で理性的な部分の私がツッコミを入れて来る。
ちょっと探ってみようかな。
「トール殿は本当に星にお詳しいのですね」
「えぇ、まあ……我々の故郷は海ですから」
海の上では星の瞬きだけが、正しい道を示すのです。
などとカッコつけた口調でトール君は言った。
まあ、文化的にそういうのが詳しくなる環境だというのは分かるが……。
トール君本人は陸生まれ、陸育ちではなかろうか。
「トール殿もよく海に? もしかして、東大陸まで行くことがあるのでしょうか?」
「あぁ……いえ、近海までは行ったことはありますが、あまり遠方には……禁じられておりまして」
だろうなと思う。
この世界の航海は極めて危険だ。
嫡出の男児はトール君一人しかいないのだから、彼が溺れ死んだらラークノール公爵家はお終いである。
「なるほど。……それではどのように学ばれたのですか? 本とか……?」
「いえ……側仕えの騎士に詳しい男がおりまして」
歯切れが少し悪くなった。
この様子だと、口説き文句は彼から教わったのだろう。
人間、誰しも誰かから何かを教わって成長するのだから、別に隠すことないのに。
可愛いものだ。
「それでは……」
と、そこで風が吹いた。
思わず身震いする。
夏だけど、夜は少し冷えるな……。
「……冷えますか?」
「えぇ、まあ……少し」
隠せるものではないのでそう答える。
でも、お開きになったら嫌だな……と思っていると。
「それでは……どうぞ、これを」
トール君はそう言って、自身が羽織っている外套を脱いだ。
そして私の肩にそっと被せた。
「まぁ……! もしかして、これも教わったのですか?」
「い、いや、これは違います」
「これは……?」
「え、あ、その、い、今のは……」
トール君はあたふたし始めた。
相変わらず、揶揄い甲斐がある。
「ふふっ……ありがとうございます。わたくしのために、頑張ってくださったのですね?」
「……べ、別にロゼリア姫のためだけというわけでは、ありませんが」
なぜそこで強がりを?
良く分からないなと思いながらも、私はトール君からもらった外套で体を隠した。
夏用だからか、生地は薄い。
しかし夜風はしっかりと遮られて、温かい。
外套からは、ほんのりと甘い香りがした。
むむ……?
すんすん。
「……ロゼリア姫?」
トール君が訝しそうな表情でこちらを伺う。
突然、自分の外套の匂いを嗅がれたら、そうなるか。
は、恥ずかしいことをしてしまった。
私はすました顔で質問する。
「変わった香りがします。……これはどのような香料でしょうか?」
「あぁ……龍涎香です。ご存じありませんか?」
「鯨の……?」
「はい。……よくご存じですね。竜から取れると誤解する者も多いのですか」
「本で学びました」
龍涎香とは……まあ、その、鯨さんの落とし物である。
基本的には鯨さんが落とした物が偶然に海岸に漂着するという形でしか入手できない。
もっとも高級な香料の一つだ。
私でも、こんな高級品、気軽に使えない。
「ラークノールではよく採れるのですか?」
「鯨の数も多いので。巨大な鯨の魔獣からは、相応の大きさの物が採取できます」
「納得いたしました」
そう言えば、捕鯨やってるんだっけ。
それなら入手の機会は多いか。
「しかしロゼリア姫は本当に博識ですね」
「本を読んでいれば、自然と身につきます。何冊か、お貸ししましょうか」
私はジーっとトール君の顔を見つめる。
ほら、本! 本だよ!!
あるでしょ? 本。
貸してる本が!! 栞が!!
早く、感想!! 答えて!!
「そうですね」
トール君は私から視線を逸らし、空を見上げてしまった。
な、何で……!
「もし、簡単な本で分かりやすい本があれば、お貸しいただきたいですね。実はお借りした本は、まだ全て読み解けていなくて」
……え?
い、いや、確かにあれは難解な部類だけど。
大事なのは、本を読むことじゃなくて、私の栞というか……。
メッセージというか。
その、同盟の誘いというか。
求婚というか……。
告白というか……。
「正直に申し上げますと……難しい語彙が多く、あまり時間もなく……よくわかりませんでした」
そ、それは……伝わらなかったって、こと?
それとも、嫌ってこと……?
「このような難しい書籍を読み解くことができるロゼリア姫は……さすがは、千年の歴史を持つ名門の姫君であると、実感いたしました」
「せん、ねん……」
「はい」
トール君は私に向き直る。
彼の瞳の中に私の顔が映り込む。
松明に照らされた、赤い顔。
「私もバークス家のような……千年の祖となれますように。この本を千年の末に届けられますように。千年の礎を築くことを誓います」
千年の祖。千年の末。千年の礎。
トール君はゆっくりと、噛みしめるようにそう伝えた。
そして鞄から、一冊の本を取り出した。
「こちらはお返しいたします」
それは私が以前、貸した本だった。
栞が挟まれている。
しかしそれは、私が挟んだ栞ではなかった。
震える手で、私は栞を抜き取る。
そこには字が書かれていた。
あまり上手ではない字。
トール君の筆跡。
そこに書かれていた言葉は……。
――万世不易の結びを。
あっ……♥
千に対して万で返す男。
これで書き溜めはゼロです。
次話以降ですが、ラークノール公爵領でロゼリアが愛嬌無双する予定になっています。
「ロゼリア、ブスの馬鹿」説の真相を知ったラークノール公爵家の皆様方のリアクションを楽しみにしていただければと。
半年以内に始められたらいいなと思っています(希望的観測)。
早まるかどうかは私のやる気次第です。
期待しないでお待ちください。
高評価ありがとうございます(敬称略)
辻焼き Shidokenacy しーずー AAAtea 探求者ああああ やきごて 鬼澤半戸 しゃぁろー chotatsu やおな4 水三
古井京魚堂 タコ消失 akatsuki41221 元ジャミトフの狗 白蜥蜴星人 ぼーさんだー フィディリィー