TS貴族令嬢の複雑すぎる婚活事情 作:桜木桜
ガタン、ガタン、ガタン。
馬車が揺れる。
私はぼんやりと窓の景色を眺める。
最初は見慣れぬ景色に感動していたが、しかしこうも牧草地と馬と牛ばかりの景色だと、飽きて来る。
すると段々と意識が遠くなり……。
「ロゼリア姫」
「あっ……!」
声を掛けられた私は思わず背筋を伸ばした。
ね、寝てしまった……。
「お、お恥ずかしいところをお見せしました」
私は小さく身を縮め、正面に座るトール君に謝罪した。
当たり前の話だが、他家の貴族の前で眠るのはマナー違反だ。
しかもそれが異性となれば、マナー以前の問題になる。
「いえ、むしろそれほどまでに、私のことを信頼しているということ。男として誇らしく思います」
「……そう言っていただけると助かります」
幸いなのは、私とトール君の間にはプラトニックとはいえ“恋人”という建前があることか。
ギリギリセーフと言ったところだろう。
「しかしロゼリア姫でも気を緩めることがあるのですね」
「……昨日は眠れなかったので」
トール君からのお返事をもらった後。
どういうわけか、興奮してしまい、中々寝付けなかったのだ。
眠れたのは日が昇り始めてからである。
「あなたのせいです。責任を取ってください」
「責任、ですか。そうですね……」
私が冗談半分で言った言葉を真に受けたのか、トール君は真剣に悩み始めた。
そ、そんなに真剣に考えないでよ……。
「では、私の肩をお貸しします」
「え?」
「どうぞ、使ってください」
トール君はそう言って少しだけ体をずらした。
……ま、まあ、誰も見ていないし。
いいか。
「し、しかし……」
「寝不足で社交に臨むのは我々にとっても良くないでしょう。然るべき時に起こします」
正論だ。
「それでは……お言葉に甘えます」
私はトール君の隣に腰を下ろした。
そして彼の肩に軽く頭を乗せた。
どれほどの時が経っただろうか。
ガタン! と大きく馬車が跳ねた。
その衝撃で私は目を覚ました。
「んっ……。どれくらい、眠っていたでしょうか。……トール殿?」
声を掛けるが、返事がない。
ただのしかばねのようだ。
と、さすがに死んでいるわけないか。
「トール殿」
私はトール君の耳元で囁き、彼を起こす。
すると彼はビクっと体を跳ねさせ、それから目を開けた。
慌てた様子で辺りを見渡す。
「おはようございます」
「お、おはようございます……あ」
トール君はハッとした表情で私に小さく頭を下げた。
「申し訳ありません。起こすと言ったのに、寝てしまうとは……」
「お気になさらず。信頼してくださったこと、女冥利につきますわ」
まあ、私は男だが……。
「トール殿もお疲れだったのですね」
「え、えぇ……まあ」
トール君は恥ずかしそうに頷いた。
お互い様だったらしい。
少し嬉しい。
「……ところで、ロゼリア姫」
「はい」
「昨晩の外套ですが……どうされましたか?」
昨晩、トール君に貸してもらった外套はそのまま私が持ち帰ってしまった。
返してくれとは言われなかったし。
あの雰囲気で返すのはなんか、違うかなぁと思っていたのだ。
「大切に保管しております」
しかし部屋に戻った瞬間、侍女たちに没収されてしまった。
寝る時には必要ないでしょう、と。
もっとも、捨てたりはしないはずだ。
ブドゥーダル公爵領に戻ったら着ようかな。
「お礼の品は後日、あらためて」
もう私がもらったから。返すつもりないから。
と、トール君には伝える。
見た感じ、かなり質の良い毛織物なので、相応の品を贈らなければ。
もっとも、元々プレゼントは用意していたので、それで問題ないだろう。
「……そうですか」
しかしトール君は複雑そうな表情だった。
高価な物ではあったが、しかし超高級品というほどの物のようには見えなかったけど……。
「思い入れのある品でしたか?」
返したほうがいい?
と私が聞くと、トール君は首を左右に振った。
「いえ、お気になさらず。貰い物ではありますが……あまり趣味ではありませんでしたから。むしろロゼリア姫がお召になった方が良いでしょう」
「あら、そうでしたか。……誰からの?」
「……母からの」
「あぁ、なるほど」
ふふっ……。
良いこと、思いついちゃった。
ラークノール公爵領、へーリング市、城門前。
そこにはラークノール公爵家の騎士たちが勢揃いしていた。
騎士たちを率いるのは二人の貴族。
ラークノール公爵家の伯爵べリドルと、ラークノール公妃ヨローズである。
「……来たか」
アース家とバークス家の旗を視界に収めたべリドルは小さな声で呟いた。
辺りを緊張感が包み込む。
ブドゥーダル公爵家の姫君、ロゼリアを迎えるに当たって、まず問題となったのは誰がロゼリアを出迎えるかである。
トールが邦境までロゼリアを迎える。
そこまでは良い。
問題はへーリング市に出迎える際に、ラークノール公爵自ら出迎えるべきか、否かである。
通常の社交慣例では、同格の者がこれを出迎えることとなっている。
そしてロゼリアは今回、ブドゥーダル公爵の代理としてきている。
また彼女はブドゥーダル公国の共同統治者に任じられているため、肩書の上ではラークノール公爵と同等と言える。
つまりブドゥーダル公爵と同格のラークノール公爵が自ら出迎えるべきである……という考えが一つ。
もう一つはあくまで、ロゼリアを次期当主として扱うというもの。
肩書こそ立派だが、ロゼリアは十四歳の子供(しかも女)であり、ブドゥーダル公爵の娘……父親の家父長権に服する存在であると解釈する。
その場合、ラークノール公爵はへーリング市の城門ではなく、へーリング城の城門、もしくは謁見の場で出迎えれば良い。
そしてへーリング市の城門には、代理の貴族が出迎える。
前者と後者で意見が分かれたが、最終的にはべリドルもヨローズも後者の対応をするべしと主張したことにより、結論が出た。
ラークノール公爵家はあくまで、ロゼリアをブドゥーダル公爵家の次期当主として扱う。
彼女を介してブドゥーダル公爵と交渉することはあるが、ロゼリアと直接交渉することはない。
ロゼリアが何を言おうと、彼女の言葉をブドゥーダル公爵の言葉として、よくも悪くも捉えない。
以上をラークノール公爵家全体の意思として決定した。
(はてさて、どんな面をしているか。どうこの場を切り抜けるか、見ものだな)
べリドルは内心で呟く。
それと同時に馬車が止まる。
まず先に降りてきたのはトール。
そしてトールにエスコートされるような形で、少女――ロゼリアがゆっくりと降りる。
(若殿め……あれでは姫君に仕える騎士ではないか。あっさり、籠絡されおって……全く。やはり童貞なのが悪い。ブドゥーべル女なんぞに……)
トールにエスコートされながら、ゆっくりとロゼリアが近づいてくる。
べリドルとヨローズの二人も、ゆっくりとロゼリアへと近づいていく。
段々とロゼリアの顔が、はっきりと見えてくる。
(……な、なるほど? 悪くない見てくれだ。さ、さすがブドゥーダル公爵家の化粧技術は……高いと見える)
美しい白銀の髪。
ロゼワインのように透き通った薔薇色の瞳。
白磁のように白く滑らかな肌。
古代の彫刻のように均整の取れた、しかしどこか儚げな顔立ち。
年齢の割には高く、そして起伏の富んだ体。
そこにいたのは絶世の美少女だった。
――ロゼリア姫よりも美しい女性を見たことがない。
トールの言葉が、べリドルの脳内で思い起こされる。
(そ、それにしても美しいドレスだ。まるで着ている者まで、美しく見える。さすが、かの有名なブドゥーべル絹だな!)
ロゼリアが身にまとっていたのは、美しい純白のドレスだ。
よく見ると美しい装飾が施されているが、それはほとんど目立たない。
着ている本人を引き立てるための衣装であり――着る人を選ぶドレスだ。
そしてドレスの上には、美しい毛織物を身にまとっている。
しかしドレスとの組み合わせはあまり良いとは言えない。
そもそもよく見るとその毛織物は男性用の物に見えた。
(ふん、ファッションセンスは悪いようだな! ……しかしあの毛織物、どこかで見たことがあるような。まあ、どうでもよいか)
唯一、ロゼリアの欠点を見つけたべリドルは内心でほくそ笑む。
結果、彼はその毛織物に込められている強烈な政治的メッセージを見逃した。
(いくら顔が良くとも、な。問題は頭の出来よ。この様子だと、大したことはあるまい)
両者ともに歩みを止める。
そしてべリドルはヨローズに視線を向けた。
先制攻撃は譲ってやる。
さあ、やってやれ!!
と念じたべリドルだが、しかしヨローズはぽかんと口を開けて固まっていた。
社交では出迎える側から挨拶をするのが慣例である。
しかしヨローズは中々、挨拶の言葉を口にしない。
これは作戦にない。
どういうことだとべリドルが内心で苛立っていると、一瞬、ロゼリアが口角を上げた。
その表情の変化にヨローズはハッとした様子で目を見開く。
そして少し慌てた様子で前へ一歩、進み出て、ようやく挨拶を口にする。
『ようこそ、おいでくださいました。ブドゥーダルの姫君。わたくしはヨローズ・エル・へーリング。この地の主の妻でございます。どうぞ、お見知りおきを』
ガルザァース語で、そう述べた。
ヨローズの挨拶にブドゥーダル公爵家の騎士たちの表情が変わる。
ここでべリドルが予定通り、前に進み出る、
「おいおい、ヨローズ殿。ガルザァース語で挨拶をしても、わからぬだろう」
「あら、確かに! おほほほ、わたくしとしたごとが、うっかりしておりましたわ」
べリドルにミスを指摘された体のヨローズは、まるで恥じているかのように演技をし、口元に手を当てる。
「社交では招かれた地の言葉を使うのが、慣例だと思っておりましたので。つい、ガルザァースの言葉を使ってしまいましたわ」
西大陸では地域によって使用される言語が異なる。
よって社交ではホストの言葉を使うのが慣例……というのは正しい。
ただし、それは互いに相手の言語に通じていることが前提だ。
常識的に考えればロゼリアはガルザァース語を解さないのだから、エイル語を用いるべきだ。
また、そもそもとしてラークノール公爵領は「エイル語圏」であり、ラークノール公爵家の宮廷言語もエイル語である。
ヨローズ本人もラークノール公爵領土着の貴族――つまりエイル系貴族であり、彼女の母語もエイル語である。
故にエイル語で挨拶をするのが自然だ。
それを分かったうえでヨローズは敢えて、ガルザァース語を用いた。
その意図は……。
「失礼いたしましたわ。ブドゥーベルご出身の、あの名門バークス家のご令嬢が……誇り高き雌山羊が、このような田舎の、北方の――馬の言語などご理解できるはずもありませんものねぇ。おほほほ!!」
友好とかなんとかいって、うちの息子をたぶらかしてるけど、本気で嫁ぐ気なんてないだろ?
お高く止まりやがって、このブドゥーベルの淫乱女が!
悔しかったらガルザァース語で鳴いてみろ、この山羊女!!
(……そこまで言わずともいいだろ)
当初の台本以上に煽り始めるヨローズに、べリドルは内心ドン引きする。
いくら何でもいじめすぎである。
これで泣かれたら外交問題になる。
べリドルはフォローしようと口を開きかけ……。
『仔細なく』
それはまるで小鳥の鳴き声のように美しく、そしてはっきりと聞こえた。
最初、べリドルとヨローズは通訳が口を開いたのかと騎士たちに視線を向ける。
『聞き取れておりますよラークノール女公』
ロゼリアのふっくらとした唇が動く。
彼女はゆっくりと優雅に一礼した。
『始めまして、ロゼリア・エル・ブドゥーダルと申します。ブドゥーダルの地と血を継ぐものとして、ラークノールの地の主の代理の御方にご挨拶を申し上げます』
それは非常に流暢なガルザァース語だった。
何ならヨローズのエイル訛りのガルザァース語よりも、よほど聞き取りやすいほどであった。
それは間違いなく、ロゼリアの唇から紡がれた挨拶だった。
「「……」」
べリドルとヨローズは、想像もしていなかった事態に絶句する。
思考が止まる。
沈黙が場を支配する。
『……おや?』
沈黙を破ったのは、ロゼリアだった。
彼女は小さく首を傾げ、それからどこか不安そうな表情でべリドルとヨローズに尋ねた。
『わたくしのガルザァース語は……聞くに堪えないものでしたでしょうか?』
その表情とは裏腹にロゼリアの声は自信に満ちあふれていた。
ロゼリア薔薇公のもっとも優れている点は、その人間的な魅力だった。
容貌が美しく、教養に満ちあふれ、好奇心旺盛な彼女はどのような事柄にも興味を示した。
人懐っこい彼女は誰に対しても平等で、好意的に接した。
ニコニコと微笑みながら話を聞いてくれる彼女に対しては、貴族だけではなく、騎士や平民たちも好感を抱いた。
彼女は老若男女を魅了した。
口汚く彼女を罵っていたはずの者が、会話を終えた頃にはロゼリア薔薇公の支持者となっていることも珍しくはなかった。
もし彼女が男であったら。
バークスの歴史はあと千年続いただろう。
バークス家中興の祖として、その名は燦然と語り継がれただろう。
そして本書もここでようやく、折り返しになったに違いない。
しかしそうはならなかった。
【バークス史】
最終巻『千年の結末』第一章 終わりの始まり
より抜粋。
祖にならないといけないからね♥