TS貴族令嬢の複雑すぎる婚活事情 作:桜木桜
ラークノール公爵領の主要産業は、漁業と牧畜である。
前者は海岸党、後者は平野党――つまりラークノール公妃とその縁者たちの財政基盤となっている。
そのうち特に重要なのは羊毛である。
腐らない上に軽い羊毛は輸送コストも低く、商品としての価値が高い。
この羊毛は帝国領に輸出され、そこで毛織物に加工されている。
らしい。
トール君からこの話を聞いて、私は初めて「へぇー、あの有名な毛織物の原料ってラークノール公爵領だったんだ」と知った。
要するに貴族社会で高名なのは「毛織物」の方であって、「羊毛」ではない。
ラークノール公爵領は品質の高い「羊毛」を原料として輸出しているだけであり、「毛織物」の産地ではない。
どうせなら、自領で毛織物に加工した方が、利益は大きい。
というのは誰もが考えることだ。
ラークノール公妃もその辺りはよくわかっているようで、毛織物の生産を奨励しているが……上手く行っていない。
理由はいろいろあるらしいが、最大のボトルネックとなっているのが羊毛の縮絨である。
縮絨とは、羊毛に含まれている油分を落として、繊維として利用できるようにする作業だ。
この作業は高い技量が求められる上に、非常に人々から嫌われる。
賤業ランキングでは上位に入るだろう。
なぜなら、人尿が使用されるからだ。
厳密には人尿に含まれる尿素――が細菌によって分解されて生じるアンモニアが必要になる。
先祖代々やっているならともかくとして、新しくこの仕事をやりたいかと言われると……あまりやりたくはないだろう。
加えて、人尿は人口密集地でなければ集められない。
羊の数は増やせても、人間から出てくる尿の量は一朝一夕で増やせない。
そういう意味では先祖代々縮絨作業を行っている職人が大勢いる大都市の方が、毛織物の生産には有利だ。
結果、ラークノール公爵領では羊毛をそのまま原料として帝国領の都市圏に輸出する立場に甘んじている。
「……価格次第、ですわね」
縮絨に人尿が用いられているのは、一番安価だからだ。
人尿なんて値段を付けるどころか、お金を払ってでも回収して欲しいような代物である。
「油は何でもよいですから。牛脂はもちろん、魚油や鯨油でも」
石鹸が高いのは美容品として売っているからだ。
コストを下げようと思えばいくらでも下げられる。
水に溶かして使うことを考えれば、炭酸ナトリウムではなく炭酸カリウムでもいいし。
「それにこちらの方が効率も良いかと」
油を落とす能力は人尿よりも石鹸の方が上だろう。
費用対効果で考えれば、人尿にも負けない。
何より、人尿よりは石鹸の方が心理的抵抗は少ない。
縮絨職人の数も増やしやすいだろう。
「ブドゥーダルで石鹸が用いられているという話は聞きませんが」
「我が邦は羊よりは山羊の方が好まれますから」
そんなにいい代物なら、あんたらが使えばいいじゃん。
というラークノール公妃の問いに私は答えた。
我が邦では羊の放牧に使えるような土地は農地になっている。
そして農地にできないような土地は、羊の放牧にも微妙……ということで山羊の方が盛んだ。
それに人口密集地も多いので、尿は有り余っている。
尿で足りているなら、尿で良いのだ。
「より詳しい話は我が邦の騎士から」
「……考えておきましょう」
これはきっと前向きな「考えておく」だ。
手応えを感じる。
「わたくしは数多くの物を貴邦に提供できるかと」
私とトール君の結婚は平野党の利益にもなる。
それはラークノール公国全体の利益になるだろう。
「しかし薔薇には棘がありますから。気を付けなければ」
「生け垣にすれば、敵を退けることもできますよ」
一先ず、今日のところはここまでかな。
私はゆっくりと、立ち上がった。
「それでは前向きなお返事を期待しております」
私は一礼する。
ラークノール公妃はそれに答えず、静かにお茶を飲み干した。
茶会を終え、ラークノール公妃は屋敷から去って行った。
彼女はトール君の母親だが、同時に平野党の党首であり、諸侯や騎士たちの利益代表者でもある。
私の提案にすぐに首を縦には振れないだろう。
来年くらいまでに色の良い返事が聞ければと思っている。
「姫様。また勝手なことを話されて……旦那様にご報告差し上げますからね?」
「わたくしはわたくしの見解を話しただけのこと」
デラーウィアの諫言を私は軽く流した。
ラークノール公妃には嘘は言ってはいないが、本当のことも話していない。
例えば、「ラークノール公爵家包囲網」について。
カルタリア公爵家を処理し終えた王家の次の目標がラークノール公爵家であり、また帝家もまたラークノール公爵家を攻撃する可能性は高い。
が、それに我が家まで加わる可能性は低い。
というのも、父はブランシュかルージュをトール君に嫁がせることを考えているからだ。
王家が仮に対ラークノール公爵家包囲網への参加を要請してきたとしても、婚姻関係を利用して断れる。
というのが父のプランだ。
そもそもラークノール公爵家が滅んだら、次は我が邦の番である。
ラークノール公爵家には踏ん張ってもらいたいのが、父の本音だろう。
王家、帝家、ラークノール公爵家。
三家の中心にブドゥーダル公爵家が立ち、大陸中央部の情勢を安定化させる。
それが父の外交政策だ。
私も大枠としては同じ政策を考えている。
もっとも、私の考えは王家と帝家の間に、ブドゥーダル公爵家+ラークノール公爵家が入ることだが。
扱うボールの数は少ない方が安定すると思う。
「姫様。トール様から使いの者が」
「トール殿から?」
と、そこで屋敷にトール君からの使者がやってきた。
確かに今日は夕方はトール君とお話をする予定があったが、随分と早い。
取り敢えず、使者を通す。
「お忙しいところ、恐縮でございます」
「トール殿からの使者とあらば、いつでも歓迎いたしますよ。……騎士コートレイル」
トール君からの使者を名乗る騎士に対し、私は笑みを浮かべた。
騎士コートレイル。
トール君の教育係であり、侍従の一人だったはず。
確か彼は“帯剣党”という、平野党・海岸党とは異なる新興派閥に属していたはずだ。
まだ土地を得ていないガルザァース人の移住者や、土地を相続できなかった三男坊以下の貴族・騎士が中心となっている派閥だ。
「剣しか持っていない」から“帯剣党”らしい。
ここ数年、発言力を増してきているとか。
「さて、何用でしょうか。会談まではしばし時がありますが」
「ロゼリア様は蒸気浴に興味がお有りだと、お伺いしております」
「……ええ、まあ。確かに一度は体験したいと考えておりますが」
蒸気浴。
即ち、サウナである。
「ヘーリング城には大きな蒸気浴とプールがございまして。会談前に体験してはいかがかと。我が主からのご提案でございます」
「……ふむ」
私は窓をチラ見し、太陽の傾き具合を確認する。
会談まで、まだ時間がある。
話のネタにも丁度良いか。
「では一足先に登城しましょう」
馬車に乗り、城へと向かう。
しかしどういうわけか、トール君は出迎えてくれなかった。
「トール殿は?」
「ラークノール公妃と会談中でございます。申し訳ございません」
「あぁ、なるほど」
きっと、ラークノール公妃はあの後に城に向かったのだろう。
そしてトール君と私との結婚について、協議しているのだ。
もしかしたら、それに時間が掛かると考え、私に暇をつぶす機会をくれたのかもしれない。
彼にしては気が利いている。
「こちらが女性用更衣室でございます。湯着は中にご用意しております」
騎士コートレイルはニヤっと笑みを浮かべた。
「どうぞ、ごゆっくり」
私はデラーウィアと共に更衣室に入る。
彼女に服を脱がせて貰い、湯着を着た。
しかし一着しかなかった。
これでは、デラーウィアが入れないじゃん。
「ご安心ください。私はここで人の出入りがないか、見張っております故」
「大袈裟ですね」
私は浴室の中に入る。
内部はちょっとした庭のようになっていた。
大きなプールも用意されており、滑り台のようなものもあった。
「サウナはあそこかな?」
プールの目の前には掘っ立て小屋のようなものが立っていた。
煙突もあるし、蒸気室はあれだろう。
私はドアを開け、中に入る。
「……ん?」
「……え?」
先客と目が合った。
金髪に碧い瞳の少年が、半裸で座っていた。
「……ロゼリア姫? え?」
「トール殿……え?」
……もしかして、嵌められたか?
トール君は紳士なのでロゼリアが嫌がるようなことはしません。
ご安心ください。
次回、わからせ
高評価ありがとうございます(敬称略)
でんじざえもん しゃぁろー タナケン
赤マティー エイランチ えすあくら