TS貴族令嬢の複雑すぎる婚活事情   作:桜木桜

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第4話

 ブドゥーダル地方の農業は、「小麦の冬作+オリーブ・葡萄の果樹栽培+休耕地での山羊の飼育」が基本となっている。

 

 これはブドゥーダル地方が「年間を通して暖かいが、夏は乾燥し、冬に雨が降る」という気候だからだ。

 だから畑を二分割し、畑を休ませながら、冬に小麦を育てる。

 休耕地では牧草を育てながら、乾燥に強い山羊を育てる。

 

 そして小麦の不作に備え、果樹栽培を行う。

 果樹は育つまでに時間は掛かるが、一度育ち切れば安定的に収穫が得られる。

 いわば長期資産だ。

 対して、小麦は短期資産、山羊は中期資産になる。

 

 なお、他にも養蚕も行われている。

 養蚕と糸紬はどの農家もやっているが、規模はどこも小さい。

 補助的な副業と言ったところだろう。

 

 とはいえ、あくまでこれは「基本」だ。

 「基本」があれば「例外」もある。

 

「今年の生育状況はいかがですか?」

 

 その日、私はブドゥーベル市から東に二日ほど離れた場所に広がる“湿地帯”を訪れていた。

 ブドゥーダル地方は堆積平野であり、またブドゥーベル市は三角州の上に建てられた都市である。

 

 そのためブドゥーベル地方(特にブドゥーベル市周辺)には、畑作にも果樹栽培にも向いていない、湿地帯が少なくない。

 歴代の公爵たちは水車や風車を用いることでこのような湿地帯から水を排水し、畑へと変えていったが……。

 

 しかし水を抜きにくい土地というのは必ずある。 

 そういった場所はまともに開拓も進まず、不良債権のようになっていたが……。

 

「気候も暖かく、良く育っております」

 

 私の問いに騎士は答えた。

 彼はこの辺りの土地の荘官だ。

 

 遠目には湿地の中に生える、イネ科の植物。

 

 そう、米である。

 

 小麦の畑作に向いていない土地は、逆に水田を作るには最適な土地であった。

 そのため、ブドゥーダル地方の湿地帯では、水田が広がり始めている。

 

 夏に乾燥する気候だと稲作に向かないのでは?と思うかもしれないが、別に雨が降らずとも川から水を供給できるなら問題はない。

 

「特にあの赤色の品種は良いですな。収量は少ないですが、害虫にも強く――」

 

 日本人は米と言われると白米、それも単粒種を想像するだろう。

 しかしブドゥーダル地方で育てられている米は白だけではなく、赤や黒とカラフルだ。

 そして単粒種だけではなく、長粒種も育てられている。

 

 今はどの品種がブドゥーダルの土に合うか、手探りで探っている状態だ。

 

 ――個人的には白米が食べたいけど。

 

「連作障害はどうでしょうか?」

「今のところ、全く生じてませんな」

 

 水稲は連作障害が生じない。

 知識では知っていたし、仕入れた農業書にも同じことが書かれていたが、それはブドゥーダルでも同様のようだった。

 さらに収量も小麦より多い。

 

 小麦の上位互換……と言いたいところだが。

 

「良い作物ですな。人手と手間が掛かりますが」

 

 単位面積で比較すれば水稲に軍配が上がるが、単位労働力で比較すれば小麦の方に軍配が上がる。

 現時点では米そのものの価格が低いこともあり、「小麦が育てられる土地なら小麦を育てた方が良い」という結論になるようだ。

 

 というか、そもそも灌漑設備が必須な時点で、あまりに初期投資が重い。

 気候や土地の問題を抜きにしても、ブドゥーダル地方でなければ水稲は不可能だろう。

 

「実は最近、冬場に小麦を育ててみたのですが。これが上手く行きましてな」

「二毛作、ですか」

「二毛作?」

「水稲栽培の裏作で小麦を育てることを二毛作と呼ぶそうですよ」

 

 近いうちに指示しようと思っていたら、もうやってた。

 あまりに仕事が早い。

 

「なぜ裏作ですか?」

「なぜ、とは?」

「小麦が表ではないかと思いまして」

「それは……確かに」

 

 考えてみれば、ブドゥーダル地方では元々冬場に小麦を育てていたのだ。

 彼らからすれば小麦が「表」で水稲が「裏」だろう。

 

「小麦の表作が成立するなら、穀物の生産量は跳ね上がりますね」

「はい。……しかし肥料を入れなければ収量は落ちます」

「なるほど。そう上手くはいかないと」

 

 さすがに小麦まで育てると、連作障害の影響が出るらしい。

 肥料かぁ……。

そう言えばラークノール公爵領では、鰊粕があり余って困っているとトール君が前に言っていたような。

 ……今度、手紙に書いておこう。

 

 肥料と言えば。

 

「この辺りではアヒルも育てていましたよね? どうでしょうか。水田で育ててみるのは」

 

 いわゆる、合鴨農法である。 

 合鴨が雑草を食べ、さらに糞が肥料になる……みたいな話を聞いたことがある。

 

 ブドゥーダル地方では元々、溜池を活かした鯉やカエル、ザリガニなどの淡水生物や、アヒルの養殖が盛んだ。

 それを水田に持ってくるだけなら……。

 

「あぁ……それは……」

 

 騎士が微妙そうな顔をした。

 

 グワッツグワッツ。

 

 同時に騎士の背後の水田を、アヒルの群れが通過した。

 

「あー」

 

 もうやってたらしい。

 ちょっと恥ずかしい。

 

「私の助言は不要だったようですね……」

「い、いえ、まさか……!」

 

 騎士たちが慌てた様子で私を慰める。

 

 しかし今後は「夏の水稲+冬の小麦+アヒル・鯉の養殖」がこの辺りのセットになるのだろうか。

 そこだけ切り取ると日本の農村のようだが、すぐ近くには葡萄畑や石造りの建築もある。

 

 ちょっと脳味噌が混乱する。

 

「何はともあれ、挑戦を続けているようで、何よりです」

 

 この世界の人は全体的に保守的だ。

 先祖のやり方を守り、新しいことを試そうとしない。

 

 それが絶対にダメとは言わないが……。

 

「失敗を恐れず、続けてください。咎めることはありません」

 

 この辺り一帯は私の私有地――荘園である。

 収穫量が減ったところで私の財布が痛むだけ。

 

 それよりも農業技術の進歩の方が重要だ。

 

 プ~ン♪

 

 我ながら良いことを言った。

 と思った私の気分を害するように、耳元で嫌な音がした。

 

「失礼」

 

 私は一言、断ってから魔力を解き放つ。

 すると辺りを飛び回っていた蚊は気絶し、地面へと落下した。

 

「お見事でございます」

「蚊は多いですか?」

「そうですな。……確かに最近は増えてきているような気がします」

 

 う、うん……。

 やっぱり水田が原因かなぁ。

 

 それから私は荘官に別れを告げ、馬に跨った。

 この辺りは馬車が通れるような道が整備されていない。

 

 こういう場所はブドゥーダル公国のいたるところにあり、馬に乗って移動するのがセオリーだ。

 

「道程と時刻はどうでしょうか?」

 

 私は隣で馬を進めるデラーウィアに尋ねる。

 彼女は淡々と答えた。

 

「予定よりも早く進んでおります」

「それでは少し遠回りをしましょう」

「かしこまりました」

 

 デラーウィアは頷いてから、馬を駆けて、行列の先頭へと向かった。

 先頭を歩む騎士スティーンに、私の意向を伝える。

 

 それから馬を反転させ、後ろへと駆けていく。

 こうして行列全体に私の意思が伝わる。

 

 あぜ道をゆったりと進んでいると……。

 

「姫様……!?」

「薔薇姫様!」

「御領主様!」

「ロゼリア様だ!!」

 

 農作業をしていた農民たちの歓声があちこちから聞こえてきた。

 彼らは仕事の手を止めると、こちらへ駆け寄ってきた。

 

「ありがたや……」

「ご加護を!」

 

 農民たちは手を合わせ、こちらに祈り始める。

 そしてそうこうしているうちに。痺れを切らしたのか、そのうちの一人が駆け出した。

 彼はゆっくりと慎重に私の近くを併走し、そしてタイミングを見計らい、私の外套に手を伸ばす。

 騎乗して尚、地面を引きずるほど長いその外套の端に手を伸ばし……。

 

「御領主様、万歳!」 

 

 叫んでから、その外套の端にキスをする。

 それを皮切りに、農民たちは私や騎士たちの外套に触れたり、キスを始めた。

 

 私たちはそれを無視しながら。行進を続ける。

 

 農民たちの行動は、たまたま街で見かけた芸能人に握手を求めるようなものに似ている。

 もっとも。それよりもより信仰的な意味合いが強い気がする。

 彼らは割と本気で、お貴族様に触ると御利益が得られると思っているらしい。

 

 基本的に害はないので、殆どの貴族は農民たちのこのような行動を許す。

 魔力を持たない平民が貴族や騎士を独力で暗殺することは、ほぼ不可能だ。

 もちろん、鬱陶しいという理由で追い払っても良いが、それは印象がよくない。

 

 ここで言う印象というのは、農民からのではなく、貴族や騎士たちからの印象だ。

 

 例えるなら「鳩や子猫を足で追い払う政治家」と「鳩や子猫が足下に纏わり付いてくる政治家」、どちらの方が印象が良いかという問題だ。

 

 優しく寛大・寛容な君主という印象は基本的にはプラス評価である。

 

 だから通行の妨げにならない限りは許される。

 そして農民たちもそのあたりは弁えているので、上手くやる。

 

 もっとも……。

 

「んっ?」

「ぎゃ!」

 

 外套が引っ張られる感覚。

 同時に小さな悲鳴。

 後ろを振り返ると、子供が私の外套の端を掴んだまま、地面に倒れ込んでいた。

 

 たまにこういう事故は起こる。

 

 私は馬の足を止めた。

 騎士の手を借りながら馬から下り、地面に倒れ込み、呻いている子供を見下ろす。

 

「あっ……」

 

 農民たちは呼吸の仕方を忘れてしまったかのように、黙り込んでいた。

 子供――九歳ほどの少年は、目に涙を浮かべたまま、顔を真っ青にしながら固まっていた。

 

「立てますか?」

「は、はひぃ!」

 

 少年は慌てた様子で立ち上がった。

 膝を見ると、血が出ている。

 

「足を出して」

 

 少年はおずおずと足を差し出した。

 私は腰に下げていた水筒を手に取り、水で傷口の泥を軽く落とした。

 そして軽く手を翳す。

 

 傷口が塞がり、傷が消える。

 

「痛いところは他にありますか?」

「あ、ありません」

「それなら良かった。元気が良いのは結構ですが、怪我には気をつけてくださいね」

 

 私は軽く少年の頭に手を当ててから、立ち上がる。

 彼は逃げるように駆け出すと、母親らしき人物に抱きついた。

 そして堰を切ったように号泣し始める。

 

 母親はそんな少年を強引に地面に座らせ、そして自身も座ると、深く頭を下げた。

 私はそんな親子を無視して、馬に乗る。

 そして再び歩き出す。

 

 するとデラーウィアが駆け寄ってきた。

 

「沙汰はいかがしましょうか?」

 

 デラーウィアが私に確認を求める。

 私は首を左右に降った。

 

「不要です。きっと、これから怖い思いをするでしょうから」

 

 可哀想に。

 彼はきっと、この後、村人たちに折檻される。

 死ぬよりも怖い目に合うだろう。

 

 殺されるようなことがなければよいが。

 

 

 

 

 正午には目的地である村に到着した。

 この辺りでは一番大きな村で、規模としては町に近い。

 村民だけでなく、近隣の村々から村長たちが集まってきており、彼らは全員揃って頭を下げ、私を出迎えた。

 

 軽く挨拶を済ませ、村の集会場へと向かう。

 召使いたちが椅子やテーブル、そして敷物を用意し、簡易的だが貴族に相応しい空間を整える。

 そこに次々と農民たちがやってくる。

 

「以前、腰を打ち付けてから腰痛が酷く、農作業に支障が出るほどで――」

 

 農民たちが自身の怪我や病気を訴えてくる。

 それを騎士たちが魔法で治療していく。

 

 これは「癒やしの恩賜」と呼ばれる行事である。

 文字通り、治癒魔法を無償で平民たちに掛けてあげるイベントだ。

 

 不定期開催な上に、重傷を負ったタイミングでたまたま貴族が巡幸に来てくれるような運の良い人間はそう多くないので、公衆衛生という観点ではあまり意味はない。

 

 どちらかと言えば、貴族や騎士の魔法の練習という意味合いが強いだろう。

 

 平民たちも「傷を治してもらう」よりは「治癒魔法をかけてもらう」ことが目的になっている感じはする。

 

 また、厳密には無償ではなく、平民たちは心付けとして豚や鶏などを供出する。

 供出された豚や鶏は料理され、集まった怪我人や病人、その家族たちに提供される。

 ちょっとしたお祭りだ。

 そちらが目当ての平民たちも集まってくる。

 

 騎士たちで治療できることは、騎士たちにやらせるのが基本だ。

 私は騎士たちの治療を見て回りながら、平民たち一人一人に声をかけて回る。

 

「姫様。お力をお貸しいただけないでしょうか」

 

 と、そこで侍医に声を掛けられた。

 侍医とは、医学と治癒魔法に精通した騎士である。

 

「別に大したことたぁねぇって、言ったんすがねぇ。家内が……」

「馬鹿! あんた、こんな瘤みたいになって、大したことないわけがないでしょう!!」

 

 呼ばれて来て見れば、いたのは平民の夫婦。

 怪我人は男性の方だ。

 足が大きく腫れ上がり、駱駝の瘤のようになっている。

 

「数日前に鍬で脛を誤って斬ったようです。昨日の夜から腫れ始め、今はこのような状態。また、微熱があります」

「ふむ。あなたの見立てでは?」

「切り落とさなければ、足から腐った血が回り、死ぬかと」

「えぇ!? そ、そんな、大げさな!!」

「あんたは黙っていなさい!」

 

 声を上げた旦那の頭を奥さんが叩いた。

 傷を切開して、膿を取り除くだけでも治せる気はするが……絶対はない。

 私は素人だし、医者の見立てを信じるしかない。

 

「大量出血が予想されます。どうか、姫様のお力を」

「いいでしょう」

 

 治癒魔法の出力は魔力量に依存する。

 ここは騎士よりは私が最適だ。

 

「き、切り落とす!? そ、そんな……」

「姫様のご恩寵を賜る幸運を投げ捨て、死神を選ぶというなら止めはしないぞ」

「お願いします! どうか、主人を……! ほら、あんたは頭を下げる!」

「うぐっ……お、お願いいたします……」

 

 妻は夫の頭を床に打ち付ける勢いで、夫の頭を下げさせた。

 夫も観念したのか、治療を私と医者に頼み込んだ。

 

 医者を含めて騎士たちは黙々と準備を始める。

 あっという間に男はロープで拘束され、猿轡を噛ませられる。

 患部より上にロープが強く巻かれ、血流を止める。

 そして騎士は斧を振り上げ……。

 

「――!!」

 

 足が切断される。

 私はすかさず治癒魔法を掛け、傷が塞がる。

 出血は必要最小限で済んだ。

 

「あ、足が……」

「足一つで命が助かった。運がよかったな」

 

 呆然とする男を医者が励ます。

 あまり励ましになっていない気がする。

 それに……。

 

「姫様?」

「彼はわたくしの領民ですからね」

 

 私は切断されたばかりの患部に触れた。

 魔力を隆起させ、大量の魔力を流し込む。

 肉がゆっくりと盛り上がり、足が形成される。

カルテマ家の相伝、「大帝の慈悲」だ。

 

「足先を動かして見てください」

「は、はい。……う、動く!」

「それは良かった」

 

 ふぅ……。

 私はゆっくりと立ち上がり、従者を連れて集会場の奥、カーテンで区切られた休憩室へと向かう。

 そして倒れ込むように椅子に座り込んだ。

 

「姫様。あのような農民の足など、捨て置けばよいものを……」

「彼はわたくしの荘園の農奴ですよ?」

 

 障害が残っては、不利益がある。

 それに定期的に使わないと腕が鈍る。

 

「それに魔力が増えたおかげで、前よりは疲労は感じません」

 

 あと二回。

 頑張れば使える気がする。

 

 もっとも、その後は特に私の出番はなく、怪我人の治療を終えてしまう。

 

 次は病人の治療だ。

 村の中心にある神殿にはすでに遙々とやってきた病人たちが敷物の上に寝かされていた。

 

「今年はアーマリアの呪いに触れたものが多く――」

「なるほど」

 

 アーマリアの呪い。ブドゥーベル熱。夏熱。

 毎年、夏になるとブドゥーベル市を中心に発生する熱病だ。

 今年は特に酷いと聞く。

 

 残念ながら、この熱に効く魔法はなく、解熱魔法をかける以外に対処法はない。

 これでは根本的な治療にはならないが、それでも平民たちは藁にも縋る思いで、貴族のところへやってくる。

 

「己の力不足を痛感いたします」

「疫病は星辰、神々の機嫌次第でございます。人の力は天には及びません」

 

 ナーバスな気分でいると、デラーウィアが私を慰めた。

 限界があるのはその通りだが、やれることは何かないかと思ってしまう。

 

 ――クシアエールを連れてくれば、何か変わっただろうか?

 

 騎士たちが嫌がるだろうし、執筆に集中させるために置いてきてしまったけど。

 やれることをやりきらなかったことへの後悔が、今更膨れ上がる。

 

 その日は蚊の羽音の鬱陶しさも手伝い、寝付けなかった。

 




カルテマ家の相伝の名称は、“癒しの恩賜”としていました。
しかしこれはあまりにも普通名詞っぽすぎます。
ネーミングミスです。
異世界転生モノ小説に「転生者の冒険譚」というタイトルをつけるようなものです。
どうしてこんな名前を付けたのか、過去の自分が何を考えていたのかよくわかりません。
よって、カルテマ家の相伝の名称は“癒しの恩賜”ではなく、“大帝の慈悲”とすることにしました。
以後、このようなことはないようにしたいですが、多々あると思うので多めに見てください。
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