TS貴族令嬢の複雑すぎる婚活事情   作:桜木桜

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第7話 歴史の必然

 時は遡ること、半日前。

 狩猟大会を無事に終えたロゼリアは、トルーニア市への帰路についていた。

 

 オーセン狩猟地からトルーニア市へ。 

 ロゼリアを乗せた馬車がゆっくりと進む。

 

 狩猟大会は無事に成功したが、しかし一行の雰囲気は重かった。

 

(旦那様との会談を拒むなんて……)

(姫様は何を考えていらっしゃる)

 

 特に侍女デラーウィアと騎士スティーンの気分は晴れない。

 二人は実の父親であるブドゥーダル公爵マカートスから、ロゼリアとの会談の場を整えるように依頼されていた。

 

 マカートスはロゼリアと結婚について、話し合うつもりだったのだ。

 

 ロゼリアもその意向を受け入れた……はずだった。

 しかし昨晩、ロゼリアはそれを断ってしまった。

 

 拒むのであれば、最初から受け入れなければ良い。 

 受け入れてから拒むのは、非礼な振舞だ。

 

 それが分からないロゼリアではないはずだが……。

 

(意図を問いたださなければ)

(姫様も旦那様と敵対する意思はないはず)

 

 二人にとって、ロゼリアとマカートスが決定的に対立することは、絶対に避けなければならないことだった。

 臣下であると同時に、姉であり、兄であり、娘であり、息子である自分たちが、架け橋とならなければ。

 

「デラーウィア。今日の夜」

「……はい」

 

 打ち合わせを決める。 

 そこで馬車が止まる。

 

 休憩の時間だ。

 

「……姫様。休憩のお時間です」

 

 デラーウィアは馬車の中へ、声を掛けた。

 返事がない。

 

「姫様?」

 

 デラーウィアは強く馬車のドアをノックする。

 返事がない。

 

「姫様。開けますよ」

 

 デラーウィアはそう宣言し、ドアを開けた。

 中にいたのは……。

 

「姫様……? 姫様、大丈夫ですか!?」

 

 馬車の中でぐったりとしているロゼリアの姿だった。

 壁に半身を預け、座っているのもやっとという状態だ。

 

「失礼いたします! ……!!」

 

 デラーウィアはロゼリアを揺すり起こすために触れ、その余りの熱さに驚く。

 ロゼリアが薄目を開けた。

 

「風邪を……引きました」

「ま、まずはお外に……!」

 

 デラーウィアはロゼリアを馬車から降ろそうとする。

 するとロゼリアは口元を抑えた。

 

「ゆ、揺らさないで……うっ……おうぇ……」

 

 馬車から降りると同時に、ロゼリアは地面に向かって嘔吐した。

 その吐瀉物の色は、黒かった。 

 赤黒い血が地面に染みこんでいく。

 

「な、何事か!?」

「姫様!?」

 

 騎士スティーンや侍女ブラースも、ロゼリアに近づき、そして目を見開く。

 誰かが呟く。

 

「……ブドゥーベル熱」

 

 ブドゥーベル熱。

 黒嘔熱。

 アーマリアの祟り。

 

 かつて、マカートスの兄であるグレイブスの命を奪った病。

 ブドゥーダル地方に根付く風土病。

 

 千年後の後世においてもなお、世界で年間百万人の命を奪うことになる、“アーマリア”と呼ばれる病だった。

 

 

 

 

 

 “アーマリア”。

 毎年、世界で年間百万人の人々の命を奪うこの病の正体は、寄生虫である。

そしてその媒介者は蚊だ。

 

 “アーマリア”に感染した蚊が人間を吸血することで、体内に寄生虫が入り込む。

 寄生虫は赤血球を養分とし、血液中で増殖する。

感染者は激しい悪寒と高熱、頭痛、吐血を伴う嘔吐に襲われる。

 

やがて寄生虫は人間の体内に満ち、蚊がその血液を吸血することで、感染が拡大していく。

 

その病名の由来はブドゥーダル地方の土着神、女神アーマリアである。

 

 ブドゥーダル地方は西大陸でも有数の堆積平野である。

 河からは毎年、春になると大量の雪解け水と共に養分を含んだ土砂が流れ着く。

 また西大陸でもっとも暖かい土地でもあった。

 

 それ故に古代において、この地は西大陸でもっとも住みやすい土地の一つであった。

 それは蚊にとっても同様であった。

 

 この地には太古から“土着アーマリア”が根付いていた。

 

 毎年、春になると河の洪水と共に、ブドゥーダル地方は湿地帯となる。

 そして夏になると大量の蚊が発生し、それに伴い“アーマリア”がこの地に住む人々の命を奪った。

 

 “アーマリア”とブドゥーダルの人々の戦いの痕跡は、その遺伝子に刻まれている。

 

 ブドゥーダル地方の人々は、他地域と比較して“そら豆中毒”を引き起こす体質の者が突出して多い。

 その原因は活性酸素の除去に関わる遺伝子疾患である。

 この遺伝子疾患を持つ者がそら豆を食べると、赤血球が溶血し、貧血などの症状を引き起こす。

 

 一般的には生存に不利に働くこの遺伝子疾患は、“アーマリア”に対して耐性を持つことが知られている。

 

 そのためブドゥーダル地方ではこの遺伝子疾患を持つ者が自然選択の上で有利に働いたと考えられる。

 裏返せばそれだけ数多くの人間が“アーマリア”によって殺害されたことを意味しており、その戦いの激しさを物語っている。

 

 しかしブドゥーダル地方の人々は、決して“アーマリア”によって一方的に殺されていたわけではなく、上手く共存していた。

 

 女神アーマリアは疫病の女神であり、死神である。

 一方で湖や水源を守る、ブドゥーベル市の守護神でもあった。

 

 遥か太古の昔から、ブドゥーダルの地に住む人々はこの病が湖や沼地、湿地帯から生じることを知っていた。

 それ故に人々は湿地を避け、風通しのよい丘の上に住居を構えた。

 

 夏場は丘や山の斜面で葡萄やオリーブを栽培し、山羊を放牧した。

 そして冬場、蚊が大地を去ってから丘を降りて、低地で小麦を育てた。

 

 ブドゥーダル地方は蚊さえよけることができれば、西大陸でもっとも豊かで暮らしやすい土地の一つだった。

 

 ブドゥーダルの人々は女神アーマリアが死だけではなく、恵をもたらすことを知っていた。

 だからこそ彼らは女神アーマリアを恐れると同時に信仰し、この地に住み続けた。

 

 “アーマリア”はブドゥーダルの人々を殺すだけでなく、守ることさえあった。

 

 というのも“アーマリア”はブドゥーダルの人々だけではなく、侵略者たちにもその死神の鎌を振るったからである。

 

 侵略者たちはたびたび、この豊かな地を奪おうとブドゥーダル地方に侵入したが、その殆どは“アーマリア”に襲われ、撤退を余儀なくされた。

 

 そのうちのもっとも代表的な人物はカルテマ帝であろう。

 

 カルテマ帝の山越えとシュミシオン城の陥落は、彼の英雄的な逸話の一つである。

 

 シュミシオン城をほとんど犠牲なしで攻略してみせたカルテマ帝は、そのままブドゥーダル公爵軍を野戦で撃破し、勢いそのままブドゥーベル市に攻め寄せた。

 

 撤退の際、ブドゥーダル公爵は堤防を破壊し、ブドゥーベル市周辺を水没させた。

 この悪あがきはカルテマ軍に対して何の損害も与えなかった。

 

 しかし水没した畑は泥濘となり、そこから大量の蚊が発生した。

 蚊はブドゥーダルの人々と共に、カルテマ帝と戦った。

 

 もちろん、蚊はブドゥーダルの人々とカルテマ帝を区別しなかった。

 

 しかしブドゥーダルの人々は“アーマリア”との付き合い方を長年の経験から心得ていた。

 

 ブドゥーダルの人々は高台に布陣し、蚊を避けた。

 またブドゥーダルの人々の多くは幼少期に“アーマリア”に感染した経験があり、多くはその免疫を獲得していた。

 

 一方でカルテマ帝とその軍勢にとって、この病は未知のものであった。

 カルテマ軍の兵士の殆どがこの病に感染し、うち二割が死に至った。

 

 カルテマ帝本人も病に倒れ、ブドゥーダル公爵軍の反撃を許した。

 

 結果、カルテマ帝はブドゥーダル公爵家を滅ぼすことができず、推戴権を与えた上で講和を結ぶしかなかった。

 

 ブドゥーダル地方の風土病であったブドゥーベル熱は、カルテマ帝とその兵士たちによって運ばれ、西大陸全土に広がった。

 

後にブドゥーダル公爵家はカルテマ家の内紛に付け込むことで帝国を分裂させた。

分裂の最中、相次ぐ戦乱と農業不振で免疫力が低下した人々を“アーマリア”が襲った。

 

 戦乱と “アーマリア”はカルテマ帝の父系子孫たちの命脈を断ち切った。

 そして母系子孫の血はバークスの血に合流した。

 

 蚊はカルテマ帝の野望を打ち砕き、その子孫すらも殺害し、西大陸の歴史を変えた。

 

 蚊と同盟を結んだ山羊の勝利だった。

 

 ブドゥーダルの地とバークスの血に、女神アーマリアの加護あり。

 バークス家は声高にそれを宣伝した。

 

 このような事例は、おそらく幾度も繰り返されたのだろう。

 バークス家が千年の命脈を保ったことも、他地域では滅んだオスク語の話者が生き残り続けてきたのも、決して歴史の偶然ではなかった。

 

 すべては必然であった。

 ブドゥーダルの地とバークスの血は蚊と共に繫栄した。

 

 蚊と山羊は千年来の親友だった。

 

 その友情が崩れ始めたのは、悪魔公カラブルスの御代からである。

 

 悪魔公カラブルスはアーマリア信仰を含める伝統的な神殿と信仰を弾圧した。

 ブドゥーダル地方に各地に封じられていた分家を粛正し、その家族や臣下たちをブドゥーベル市に住まわせた。

 

 彼の代になり、ブドゥーダル公爵家は他家に先駆けて中央集権化に成功した。

 肥大化した行政組織はブドゥーベル市に集められた。

 

 彼の安定した統治と集住政策はブドゥーベル市の人口を増大させた。

 

 人口の増大により、高台に住めるのは富裕層だけとなり、多くの貧民は低地に居を構えた。

 下水処理は飽和し、雨が降れば道路を汚水が覆い尽くした。

 

 人口の増加を支えるため、多くの森林が伐採され、保水力を失ったことで湿原は増加した。

 また都市に肉を供給するために山羊より豚が好まれるようになり、豚舎から汚水が溢れた。

 

 溢れ出た汚水は湿原へと流れ込み、養分をたっぷりと含んだ水は蚊の楽園となった。

 

 さらに太陽活動の活発化による世界規模の温暖化により、ブドゥーダルの地はかつてないほど暖かくなった。

 南方から稲作の技術が伝来し、これは蚊の生育環境の増大に貢献した。

 

 他方で東大陸や南大陸では戦乱が続き、多くの知識人たちがブドゥーベル市に移民として訪れた。

 先進的な知識・文化・技術、香辛料や象牙などの交易品に紛れ、新たな死神がこの地に密航した。

 

 “熱帯性アーマリア”である。

 この病は今までブドゥーダルの地に根付いていた“土着アーマリア”と比較し、致死率が極めて高かった。

 

 その致死率は現在においてもなお、未治療の場合は五日で五割、十日で十割に達する。

 有効な治療手段がなく、対症療法しかない当時においては、その致死率は事実上、百%に近かった。

 

 もっとも、世界的交易都市であるブドゥーベル市には、遥か以前からこの“熱帯性アーマリア”が侵入していたと考えられる。

 しかしながらこの病が本格的に流行することはなかった。

 

 “熱帯性アーマリア”を媒介する熱帯蚊が、西大陸の冬の寒さに耐えきれず、多くが死滅したからである。

 幸いにも、ブドゥーダル地方の土着蚊は“熱帯性アーマリア”を媒介する能力を有していなかった。

 

 しかし人の移動の活発化に伴う試行回数の増加と、西大陸の温暖化は熱帯蚊に繁殖の機会をもたらした。

 

 彼らは次第に「冬季は暖かい下水や人家で越冬する」という行動様式を身に付けることで、ブドゥーダルの地の気候に適合していった。

 

 人口密集地であるブドゥーベル市では、越冬する場所には困らなかった。

 

 次第に越冬に成功する蚊の個体数は増大し、彼らは冬を乗り越え、春に繁殖を行えるようになった。

 

 “土着アーマリア”に紛れ、“熱帯性アーマリア”が密かに流行した。

 この病はバークスの子供たちの命を奪った。

 

 カラブルス公の粛正と女神アーマリアの呪いは、バークスの血を先細らせた。

 

 そして暖冬が二年連続で続いた年。

 ブドゥーダルの人々が豊作に喜ぶ中、多くの蚊が越冬に成功し、春から繁殖活動を開始した。

 

 蚊は夏場には爆発的に増加。

 空を覆い尽くした。

 

 そしてそれに伴い“熱帯性アーマリア”が大流行した。

 

 その年の夏。

 六月から九月にかけての約四か月の間に、ブドゥーベル市だけでも、その人口の一割が失われた。

 

 この時の疫病は、そのもっとも代表的な罹患者の名前から“ロゼリア熱”と呼ばれている。

 

 彼女の代でもって、父祖バークスと女神アーマリアが結びし千年の盟約が破られたのは、果たして歴史の偶然か、必然か。

 

 確かなことは、彼女が千年の末であったことだけである。

 




実際のところ、マラリアは血を吐きません。
血を吐くのは黄熱病の特徴ですが、吐いた方が派手かなと思ったので。
ブドゥーベル熱はマラリアではなくアーマリアなので悪しからず。


高評価ありがとうございます(敬称略)。
みゃんまゆ kiju mozukohun 戸馬的 kujin あさだかな
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