TS貴族令嬢の複雑すぎる婚活事情 作:桜木桜
ロゼリアがブドゥーベル熱に倒れた。
その報を聞いたマカートスは、ロゼリアが宿泊するオーセン城へと大急ぎで駆け付けた。
彼らが到着したのは、ロゼリアが倒れた日の翌朝――早朝だった。
「ロゼリアは?」
「つい先ほど、解熱魔法と――頭痛が酷いようでしたので、阿片を処方いたしました。今は眠っておられます」
マカートスの問いにロゼリアの侍医は答えた。
今は眠っている。――見舞いをして起こすようなことはしない方が良い。
侍医の判断にマカートスは苦々しい思いを抱きながらも頷く。
「容体はどうだ」
「酷い高熱で、下がる気配がありませぬ。……悪性やもしれません」
ブドゥーベル熱には、良性と悪性の二種類がある。
良性の場合、その致死率は二割程度だ。
もっとも、解熱魔法などの対処療法を受けることができる貴族の場合、致死率は一割以下まで下がる。
こちらはマカートスも、ロゼリアも罹患したことがある。
一方、悪性の場合、その致死率は百%に近づく。
対処療法に頼れる貴族や騎士の場合は多少下がるが……それでも致死率は極めて高い。
「狩猟大会の時から、すでにご体調が優れなかったご様子。お倒れになられたのは先日の午後ですが、発症は一昨日の朝からでしょう」
「だからか……」
体調がよくない。
ロゼリアのその言葉は決して嘘ではなかったのだ。
娘を疑ったことを、マカートスは深く後悔する。
「ロゼリアはかつて、ブドゥーベル熱に罹患したことがあったはずだが……」
「悪性の場合は関係ありませぬ」
一度ブドゥーベル熱に罹患したものは、二度目に罹患した時にその症状が軽くなることが知られている。
しかしそれは良性の場合。
悪性の場合、症状が軽くなることはない。
「最善は尽くします。しかしながら……」
「わかっている。心構えと準備を進めよう」
マカートスは、兄を悪性ブドゥーベル熱で亡くしている。
故に“最悪”が起こる可能性が決して低くないことを心得ていた。
「出来得る限りの便宜を図ろう。用意するべきものはあるか?」
「それではどうか、ブランシュ様をお呼び出しいただけますか?」
「すでに伝えているが。……理由は?」
もしも、ロゼリアが死亡するとなれば、側にはブランシュがいた方が良い。
そう判断したマカートスはすでに早馬をブドゥーベル市へと向かわせていた。
オーセン城からブドゥーベル市まで、身体能力強化を用いた快速郵便であれば、二日もあれば到着する。
「姫様が……ご乱心した時の備えとして、必要となりましょう」
高熱や薬の副作用により、ロゼリアが幻覚を見て、暴れる。
そうなった時、ロゼリアを止めるためには最低でも公爵級一人に加えて、伯爵級以上の補佐がいる。
マカートスだけでは、ロゼリアを安全に無力化できない。
「なるほど。……覚悟しておこう」
マカートスは険しい表情で頷いた。
それからマカートスは、ロゼリアに仕える宮廷の騎士たちを含む、重鎮たちを集める。
侍医たちを交えた上で、ロゼリアの容体や経過についての情報を整理する。
「今思えば、狩猟大会の最中……ご体調に優れていないご様子でした」
アールゴキアは悲痛そうな表情でマカートスにそう告げた。
彼女は両手で顔を覆う。
「申し訳ございません。あの時、もっと早くに……もっと強く、諫めていれば……」
「病は天の機嫌次第。地を治める我らには、どうすることもできぬ」
マカートスはアールゴキアを慰める。
ロゼリアの体調管理も彼女の仕事であるが、責めても仕方がないことだ。
「侍女ブラース」
マカートスは数ある騎士たちの中、一人の女性を呼ぶ。
騎士たちの輪から距離を取るように、隅で控えていた女性がゆっくりと進み出た。
「はい」
「プルーメラ大公に伝令を出していただきたい」
マカートスの命令に対し、ブラースは大きく頷いた。
「すでに旦那様にはご報告を申し上げました。ご容赦を」
旦那様とは、ブラースの主君であるプルーメラ大公だ。
彼女にとってロゼリアは次期ブドゥーダル公爵ではなく、次期プルーメラ大公である。
「ならばよい。盟友に隠すことなど、何一つない」
「ははっ!」
ブラースは深々と頭を下げた。
これでブラースは大手を振って、ロゼリアの容体をプルーメラ大公に伝えることができるようになった。
「情報の統制は?」
「戒厳令を引いております。しかしながら途中で引き返しました故……」
「違和感を覚える者も出るか。致し方がない」
ロゼリアの危篤。
それが広まれば、大変な騒ぎになる。
しかし……。
「旦那様。姫様にはラザァーベル伯爵と会談の予定がございました。いかがいたしましょうか」
「……ふむ」
ロゼリアのスケジュールは仕事の予定で詰まっている。
そして中には貴族との会談――ロゼリアにしかできないこともある。
「……私から手紙を出そう」
断らないわけにはいかない。
しかし今のロゼリアに手紙を書かせるわけにはいかない。
かといって、代筆などさせれば異常がわかってしまう。
となれば選択肢は「正直に伝える」以外にない。
長期的に考えれば、隠す方が信用を失う。
公国の重鎮たちには情報を開示し、統制への協力を求める。
方針を決めたところで……。
「旦那様。オーセン伯爵領の騎士たちから、姫様に謁見したいと申し出が」
「……もうすでに嗅ぎつけたか」
事態が起こる。
オーセン狩猟地から、トルーニア城へと向かうはずのロゼリアがオーセン城へと戻った。
そしてマカートスが大慌てで駆け付けてきた。
異常が起こっていることは、明らかだ。
人の移動は隠せない。
ここに来て、ロゼリアの政治能力の高さが裏目に出る。
普段なら、謁見を求めてきた騎士を、ロゼリアは門前払いしない。
ロゼリアに謁見ができないということは、ロゼリアに「なにか」が起きたことを意味する。
「騎士たちに伝えるにはまだ早い。引き延ばせ。……いや、オーセン神殿の神官長には情報を開示せよ。オーセン伯爵領維持のため、工作を開始する」
ロゼリアが死亡した場合、真っ先に生じるのはオーセン伯爵領の帰属問題である。
オーセン伯爵領は“オーセン帝冠領”とも呼ばれる、大帝が定めた西大陸の首都。
大帝の母系子孫であるロゼリアの領地であり、マカートスにはこの地を支配する正当性がない。
もしロゼリアの次があるとすれば、それは帝国の皇帝だ。
無論、現在のオーセン伯爵領はブドゥーダル公爵であるマカートスが実効支配している。
すぐさま、皇帝の領土となることはない。
しかしロゼリアという正当性の高い主君を失った騎士たちが、何を思うかは騎士たちにしかわからぬことだ。
「次にロゼリアの意識が安定した時のことだが……」
その日の会議は未明におよんだ。
何が起きてもすぐに対応できるように、交代で休憩を取れ。
マカートスは騎士たちにそう命じると、自身も仮眠を取るために部屋へと籠った。
しかしこのような状況で眠れるはずもなく……。
「私が……私が、しっかりと見ていれば……」
特にロゼリアの乳母であり、侍女長であるアールゴキアの精神は非常に不安定だった。
顔を両手で覆い、時折すすり泣く。
そんな初めて見る母親の姿に、デラーウィアは動揺する。
もしかして、今、本当に良くない事態が起きているのではないか……。
侍女たちの間に動揺が広がる。
「いい加減にしなさい」
そこで声を発したのは、ブラースだ。
彼女は低い声でアールゴキアを睨む。
いつもは眠そうな目が、いつになく鋭い。
「姫様は赤子ではない」
「あなたにはわからないでしょう! 私にとっては……」
実の娘も同然。
この手で抱き、乳を与えたのだ。
アールゴキアはそう主張しようとして、口をつぐむ。
単なる侍女風情が、貴族の親を名乗るようなことはあってはならない。
「少なくともあなたよりは、家族を失うことには慣れている」
ブラースは落ち着いた声でそう言った。
プルーメラ大公の子供たちの多くは、その嫡出・非嫡出に限らず、病や戦乱で死亡している。
ブラースもまた、数多くの兄弟・姉妹を、甥を、姪を失っている。
「邦の主足るものは、城の主足るものは、大地の主足るものは、みな、“男”でなければならない」
それはプルーメラ大公の口癖だ。
プルーメラ大公がロゼリアに与えた言葉だ。
「そして仕える者もまた、“男”でなければならぬ。“男”たるものが、メソメソ泣くな。剣を置き、家に帰れ」
「……」
アールゴキアはブラースを睨む。
が、しかしゆっくりと頭を垂れた。
「……あなたの言う通りです。謝罪します」
「わかればいい。謝罪は不要」
ブラースは短くそういうと、その場を立ち去る。
デラーウィアは辺りを見渡してから、小走りでブラースの後を追う。
「侍女ブラース」
「どうしましたか。侍女デラーウィア」
「姫様は……」
デラーウィアはそこまで言いかけ、首を左右に振った。
そして落ち込んだ様子で肩を落とす。
「実感が……湧かないのです。つい、数日前までは、お元気だったのに……」
「こればかりは天の気まぐれです」
つい数日前まで元気だった家族が――。
病で。事故で。戦で。魔獣によって。貴族の気まぐれで。
死ぬ。
この世界ではよくあることであり、日常にありふれている。
「しかし、姫様は……貴族です」
「貴族であっても、地を這う人」
騎士や平民は、貴族を絶対の存在だと崇める。
だから誤解する。
貴族であっても、同じ人。
「天上の主には逆らえないものです」
「姫様は……本当に、お隠れに……」
デラーウィアはそう口にし、慌てて口を塞ぐ。
ブラースはそれを咎めない。
「天のみぞ、知るところです。我らがするべきことは、ただ地を歩むのみ」
「……はい」
デラーウィアは小さく頷いた。
ブランシュがオーセン城へ到着したのは、ロゼリアがブドゥーベル熱を発症してから五日目の深夜だった。
馬車を使わず、馬に乗り、少数の護衛の騎士のみを従えた強行軍でこの地にやってきたのだ。
「はぁ……はぁ、お父様。お姉様は……!」
「よく来た、ブランシュ」
深夜であるにも関わらず、マカートスは起きていた。
マカートスは肩で息を切らす泥だらけの娘を労う。
途中で雨に降られたのか、簡素な旅装はびっしょりと濡れていた。
「まずは水浴びを。それから着替えなさい。話は後で……」
その時。
オーセン城の時が止まった。
マカートスも、ブランシュも。
騎士たちも皆、呼吸を忘れたかのように、体を凍り付かせる。
石造りの城だけが、迸る魔力の波動で、わずかに振動する。
数瞬遅れ、誰かが叫ぶ。
――姫様、ご乱心!!!
次回
ロゼリアVSアーマリアVSマカートス
高評価ありがとうございます(敬称略)
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