TS貴族令嬢の複雑すぎる婚活事情 作:桜木桜
それはマカートスがブドゥーベル市へと戻ってから、しばらくしてからのこと。
マカートスの耳に、ロゼリアがクシアエールを登用したという報告が届いた。
「ふむ、てっきり侍医の地位を与えたのではないかと、恐れたが……」
しかしその詳細を聞き、マカートスは胸を撫でおろした。
ロゼリアがクシアエールに与えた物の中には、とてつもなく高価な物もあった。
しかしそのリストの中には“侍医”の地位はなかった。
「彼女も地位を求めている様子ではありませんでしたから」
筆頭騎士頭サンブラッグはクシアエールの姿を思い返しながら頷いた。
むしろクシアエールはそうした地位や職を得ることを、嫌っているようにも思えた。
仮にロゼリアが侍医への就任を打診したとしても、クシアエールはそれを断っただろう。
「必要なものは全て、医学の研究に必要な物、か。無欲なことよ」
マカートスたちが恐れたこと。
それはクシアエールがロゼリアの寵臣となり、権力を握ることだ。
怪しげな呪い師の類を重用し、邦を滅ぼす貴族の逸話は枚挙に暇がない。
ロゼリアはその手の迷信を信じるタイプではないが……。
しかし病を切っ掛けに、人格が変わってしまうことはよくある。
特に生死の境を彷徨ったロゼリアの場合、その人生観が前後で一遍してしまっている可能性は十分にあり得た。
「今のところロゼリアの様子に変わりはない、か」
そしてロゼリアの性格や能力は以前と特に変わっている様子はなかった。
今までは政務に復帰しており、精力的に活動している……という報告がマカートスの下へと届いている。
「以前よりは早く寝るようになったそうですが」
「それはむしろ良いことだろう。あの子には良い薬になった」
唯一、変わったことはロゼリアが以前よりも夜更かしをしなくなったことだ。
これはマカートスたちにとっても、喜ばしい変化である。
「薬と言えば……まさかブドゥーベル熱の特効薬が見つかるとは」
「偶然という可能性もございます」
「わかっている。しかし真であれば、これほど喜ばしいことはない」
すでにマカートスは“東大陸の黄花蒿”と“南大陸のキナノキ”の収集を密かに命じていた。
来年に備えてのことである。
「さて、本題に入ろう。……ロゼリアの結婚問題についてだ」
「はい」
サンブラッグは深く頷いた。
マカートスがサンブラッグを呼び出したのは、娘の結婚問題について協議するためである。
「結論から言うと、だ。……ラークノール公爵の倅との結婚を、認めようと考えている」
「それはまた……大胆な決断をされましたな」
「あぁ……」
サンブラッグの言葉をマカートスは否定しなかった。
マカートス自身も、それが正解とは決して思えない。
しかし……。
「此度の件で思い知った。……ロゼリアには早く、子を作ってもらわねばならん」
ロゼリアはすでに十四歳。
今年の冬には十五歳となる。
少々……否、早すぎるが、しかし十分に子供が産める年齢だ。
「私に男児がいない以上、邦の安定には一刻も早く……次代が必要となる。ロゼリアと親子喧嘩をしている暇はない」
ロゼリアはまだ若い。
しかし若いことは、死なない理由にならない。
すでにロゼリアはブドゥーダル公国にとって、なくてはならない存在になっている。
ロゼリアの代わりが務まるとすれば、それはブランシュではない。
ロゼリアの子供だ。
「オレアニス王が亡くなられたことが事実であれば……王家との同盟も危うくなる」
オレアニス王が死亡しているとすれば、次の王はカーヴェニル王子。
彼は元々、ロゼリアとバルトナ王子との婚姻に消極的である。
そしてまた、彼の目は西に向けられている。
「ラークノール公爵の倅は……はぁ、危なっかしいが。しかしその武勇は……父譲りであることは、疑いようがない」
マカートスは頭を抱えながら言った。
彼にとって、トール・エル・ラークノールは娘を託せる相手ではなかった。
しかし、もはやマカートスにはロゼリアと戦う気力は残っていなかった。
「ロゼリアの言い分も……一理ある」
マカートスはラークノール公爵のことが嫌いである。
そもそも、ラークノール公爵のことが好きな貴族など、そう多くはない。
自分の孫にラークノール公爵の“血が混じる”と考えると、少し……いやかなり思うところはある。
しかし、それが偏見となっているのかもしれない。
もしかしたら、ロゼリアの言い分は正しいのかもしれない。
……そんな気がしないでもない。
「今思えば、ロゼリアには……過酷な道を歩ませてしまった」
ブドゥーダル公爵家を継ぐように、ブランシュに命じた時。
ブランシュはひどく嫌がった。
家長になど、なりたくないと。
マカートスは内心でブランシュに同情した。
自分も家長になど、なりたくてなったわけではないからだ。
そしてふと、気づいた。
ロゼリアは……?
「不満一つ漏らさず、ブドゥーダルの地と……加えてプルーメラの地まで、私はあの子に背負わそうとしている。しかしあの子は不平一つ、口にしない。そんな子が初めて口にした我が儘だ」
ロゼリアなら大丈夫だろう。
マカートスもプルーメラ大公も……諸侯も騎士も、平民たちですら。
ロゼリアに重荷を背負わせている。
「であれば、我が儘一つ、叶えてやっても良いのではないか。いや、叶えてやるべきではないか」
小娘の我が儘一つで混乱が生じるとするなら、それは勝手に荷物を背負わせたものの責任ではないか。
ロゼリアが荷物を分け合う相手としてトール・エル・ラークノールを選ぶのであれば、荷物を背負わせた者はそれに従うべきである。
マカートスは今、そう考えていた。
「貴殿の考えを聞かせてほしい」
「……」
マカートスはサンブラッグに意見を求めた。
サンブラッグは僅かに考え込み、それから口を開いた。
「主がそうするべしと決断されたのであれば、それを支えるのが騎士の役割。ご決断に異議はありませぬ。しかし……」
サンブラッグは柔らかな表情を浮かべる。
「あえて申し上げるのであれば、邦が割れ、仕えるべき主君が割れる……そのような事態が避けられたことに、安堵しております」
諸侯や騎士たちにとって、最悪はマカートスとロゼリアの政争が武力衝突へと発展することだ。
それが避けられたこと自体は喜ばしく、歓迎するべきことだ。
「問題はロゼリアの婚姻相手が変わることによって生じる、内外の動揺だが……そこはロゼリアに頑張ってもらおうか」
「そうですな。姫様の我が儘ですから」
現時点でロゼリアを中心に結集しているロゼリア派だが、彼らは決してロゼリアとトールの婚姻に賛成しているわけではない。
だからマカートスがロゼリアとトールの婚姻を認め、二人の対立の理由がなくなれば、ロゼリア派は自然解散するだろう。
そして解散した彼らが、反ロゼリア・マカートス派に変わる可能性は大いにある。
もっとも、今のロゼリアの実力であれば手助けなどなくとも十分にそれを抑えられるとマカートスたちは考えていた。
「姫様にはいつ頃、お伝えするおつもりで?」
「冬までにはブドゥーベル城に戻るように伝えている。その時だな」
ブドゥーベル市では、ロゼリアの病が原因の暴動が生じた。
すでに収まってはいるものの、ロゼリアの姿を見せた方が良いとマカートスは考えていた。
「今までの姫様であれば、トルーニヤ城に残ると言い張りそうなものですが……」
マカートスの内心はともかく、ロゼリアはマカートスと対決しているつもりでいる。
戻ってこないのではないかとサンブラッグは心配するが……。
「すでに了承は得ている。ブドゥーベル熱の対処をしたいそうだ」
幸いにもロゼリアはあっさりと、戻ることを承諾した。
代わりにブランシュがトルーニヤ城の守りに入ることになっている。
「春から始まる、帝国議会の相談もせねばならんしな」
婚姻の話を抜きにしても、面と向かって相談しなければならないことは多かった。
マカートスの方針にサンブラッグは頷く。
「承知いたしました」
こうしてブドゥーダル公国を揺るがす親子喧嘩は幕を閉じた。
十月末頃。
晩秋にはロゼリアはブドゥーベル城へと戻ってきた。
「お父様。先日はお父様には多大なご迷惑を……」
「病は天の気まぐれ。致し方がないことだ。頭など、下げるな」
早速、謝罪から始めようとするロゼリアをマカートスは手で制した。
そしてマカートスはロゼリアにソファーへと座るように指示する。
「此度の一件にて、わたくしは増々、己の身の重さを痛感いたしました。これからは今までよりもいっそう、ブドゥーダルの地の後継者として相応しい言動を心がけます」
「その気持ちはありがたいが……あまり気負うな」
それから二人は世間話を始め、それから話題をブドゥーベル熱へと移す。
ロゼリアが考えたブドゥーベル熱への予防だ。
「蚊が原因、か。……しかしそれはクシアエール殿の知見であろう?」
ブドゥーベル熱の原因が蚊であると、マカートスは聞いたことがなかった。
何の証拠も根拠もない。
しかも主張しているのは、当方出身の怪しげな助産師である。
クシアエール一人の知見を基に政策を組み立てれば、ブドゥーダル公爵が怪しげな迷信に嵌ったと謗られかねない。
「はい。しかしわたくしの方ですでに実験をしております」
「ほう……?」
ブドゥーベル熱から回復したロゼリアは、マカートスを説得するための実験を行っていた。
ブドゥーベル熱に感染した患者と、健康な人間。
それを密室に閉じ込める。
部屋を二つ用意し、一つには蚊を充満させ、もう片方には蚊を一匹も入れない。
という人体実験である。
「蚊のいない部屋にいた者は感染しませんでした。一方で蚊を充満させた部屋にいた者は、みなブドゥーベル熱に掛かりました」
「なるほど」
非人道的ではあるが、この時代においてはそれがもっとも手っ取り早く、結果的に死者数を減らすことができるとロゼリアは考え、断行した。
なお、感染者はみなクシアエールによって治療され、死者は出なかった。
「しかし蚊など、どうやって……」
「蚊は水場で増加します」
「ブドゥーダル河か……?」
「いえ、流水ではなく、淀んだ水……沼地や水たまり、湖、水田などで増加するそうです」
「……なるほど」
ロゼリアの説明にマカートスは唸る。
「古くより、ブドゥーベル熱は沼地から生ずる瘴気が原因と伝わるが……。その話を聞くと、確かに一致する」
マカートスにとって、ブドゥーベル熱は蚊が原因という説は少々、信じがたいことであった。
しかし経験則とは一致している。
突拍子のない話と、笑い飛ばすことはできない。
「となれば田は潰すか?」
「……いえ、田は確かに蚊が増える要因ではありますが。しかしブドゥーベル熱流行の直接的な原因ではないと、クシアエール殿が」
「……ふむ?」
「蚊はあくまで媒介者です。人口密集地であるブドゥーベル市で蚊が増えていることが問題なのであって、田で蚊が増えても……それ自体は問題ないとのことです」
水田があるのは農村部である。
もちろん、そこでブドゥーベル熱が流行すればその農村は大打撃を受けるが……。
しかし水田がなくなっても、農村そのものが立ち行かなくなってしまう。
本末転倒だ。
「しかしブドゥーベル市には沼地などないだろう?」
「沼地はありません。しかし水場はあります。……水瓶とか」
この世界では蛇口をひねれば水が出るなどということはない。
そのため水場から水を持ってきて、それを水瓶に貯蔵する。
また、雨水も貴重な生活用水だ。
そのため雨が降った時に水を溜められるように、庭に大きな水瓶を置いておく家庭は珍しくなかった。
通常はゴミなどが入らないように、使用しない時は蓋をするが……。
しかし横着者はどこにでもいる。
実際は蓋が開けっ放しになり、そこに落ち葉などのゴミが入ってしまうことはよくあった。
「水瓶だと? しかし撤去するわけにはいくまい」
「……お父様は水瓶の水面に、小さな生き物がいるのを見たことがありませんか?」
「……まあ、確かにあるが」
「あれは蚊の子供です」
「なに……!?」
マカートスは目を大きく見開いた。
この世界では蚊やハエなどの生物は自然に発生すると考えられている。
いわゆる“自然発生説”である。
“蚊が水場から発生する”と言われ、マカートスが想像したのは自ら蚊がそのまま誕生する姿だ。
まさか蚊に「子供」という概念があるとは、思っていなかったのだ。
「血を吸うのは繁殖のためだそうですよ。卵を産むには精をつける必要があるので……。だから血を吸うのはメスの蚊だけとか」
「……蚊にも夫婦がいるのか」
蚊も大変なんだな。
もしかして、蚊の子供にも反抗期とかあるのだろうか?
自分と同じような悩みを抱いたりするのか……?
などとマカートスは首を傾げた。
「ですから、無から生じるわけではありません。蚊が子を産めぬように、蓋をしっかり付けるだけで良いのです」
「ふむ。それだけであれば、罰則を設けるだけでも効果があるな」
「はい。あとは下水の修理や蚊帳の配布だけでも効果があるかと。それから除虫菊という植物が……」
ロゼリアが考えてきたブドゥーベル熱の予防策は、どれも経済的・社会的なコストの低いものであった。
どれもすぐに始めることができるようなものばかりだ。
「よし、分かった。……どのみち、蚊が好きな者などいない。ブドゥーベル熱が防げなくとも、蚊が減れば皆、喜ぶだろう。人と予算は貸し与える。好きにやりなさい」
「ありがとうございます」
ロゼリアは小さく頭を下げた。
“ブドゥーベル熱の予防”という千年間、誰も成し遂げられなかった偉業に手を伸ばそうとする娘の姿に、マカートスは気を良くする。
「やはりお前を後継者に指名したことは、間違いではなかった」
「買いかぶりです、お父様。わたくしは迷惑を掛けてばかりで……」
「その迷惑の話だ」
マカートスはロゼリアの目をジッと見つめる。
そしてロゼリアに尋ねた。
「トール殿と共に地を歩もうという気持ちに変わりはないか?」
マカートスの問いにロゼリアは目を大きく見開いた。
そして答えた。
「……いいえ」
「そうか。……いいえ?」
いいえ。
NO。
つまり……「変わりはある」という意味。
「添い遂げたかったのではないのか?」
「……はい」
マカートスの問いにロゼリアは気まずそうに目を逸らした。
それから首を左右に振った。
「昔のことでございます」
「む、昔……?」
いや、でも数か月前まで……。
混乱するマカートスに対し、ロゼリアははっきりと答えた。
「今はそのような気持ちはありません」
「な、なぜ……? どうして心変わりをしたのだ?」
マカートスは激しく混乱する。
あれほど恋い慕っていたではないかと。
「喧嘩でもしたのか?」
「……いえ、別にそういうわけではありませんが」
「では、なぜ?」
「先ほど、申し上げた決意の通りでございます」
「……先ほど?」
ロゼリアは背を伸ばし、はっきりと答えた。
「これからは今までよりもいっそう、ブドゥーダルの地の後継者として相応しい言動を心がける……そう申し上げました」
「……」
「今まで、わたくしはお父様と……家族、臣下、そして民草のことをしっかりと慮らず、勝手な言動を繰り返してきました」
唖然とするマカートスにロゼリアは告げた。
「わたくしの婚姻は邦を、いえ、大陸の情勢を左右すると自覚しております。下らぬ千年の夢ではなく、目の前の足元をしっかりと見据え、選択するべきであると考えております」
「……」
「ですから……」
ロゼリアは一瞬、言い淀んだ。
わずかに目を伏せ、唇を一度だけ噛み締め……。
そして再びマカートスの目を見つめる。
「ラークノール公爵との同盟はあまりにリスクが大きいと考えております。別の同盟相手を模索するべきかと」
そのバラ色の瞳には、何の感情の色もなかった。
その冷たい為政者の表情にマカートスは……。
「そ、そう……か」
何の反論もできなかった。
【朗報】ロゼリア姫、やっぱりメス堕ちしてなかった
無事に元のロゼリアに戻りました!
良かったですね!!
持たざる者から奪うことはできませんから。
先に与える必要があったのです。
オスに戻さないと、ちゃんとメス堕ちできませんからね。
次回更新ですが、お盆に合わせたいという希望的観測があります。
無理だったらシルバーウィークですかね。
高評価ありがとうございます(敬称略)
toyama0417 ストレイドッグ
nakimi ウネ