柔道の天才と呼ばれた高校生、
偶然垣間見てしまった廻し姿の女子――最初は――初見の一瞬だけは、女子だと認識していなかった。何故なら、土俵に上半裸の人物が四股を――正確には
しかし。
相撲部員にしては腕が細く、腰も細く、そして、胸だけは異様に肉付きがよく――それに気づいた時点で清は逃げ出した。いつの間にか学校の外におり――息が上がっているのは全力疾走によるものだけではないだろう。そして、立ち止まって被写体を確認する。そこに映っているのは、紛れもない女子の上半裸の姿だと。
こんな危険な画像はすぐにでも削除すべきだろう。しかし――開かれた両腿、色づいた先まで丸々と顕になった胸、そして、フラッシュに気づいて振り向くきょとんとした表情――すべてが可愛らしく――いや、これは相撲部が何らかの形で稼働している証拠――そう思い込むことで――『学校の課題』フォルダにその一枚をこっそり移した。
そんな入学初日を終えて翌日――
一先ず、教員側が相撲部への入部届けを却下したことで校舎内は平穏を取り戻している。あくまで、見かけ上は。けれど、その内実は膠着状態――格闘家の本能というべきか――清は廊下から確かに感じている。自分を監視する気配を。
ゆえに、誰もが清に声をかけられない。かけづらい雰囲気を、清自身が醸し出している。だが、そんな嵐を断ち割るように。文字通り、空気を読まずに。
「やぁ、ちょっといいかな」
その一声に、最も驚いたのは清自身だった。ゆえに、反射的に。
「なるほど、噂には聞いていたけれど」
凍り付く教室の中で、来訪者は動じることなく飄々としている。座席を蹴り、思わずブレザーの胸倉を掴んでしまった清だったが、その指先に柔らかさを感じて――男子は慌てて手を放す。その滑稽さに――昨日の柔道騒ぎからずっと殺伐としていた空気が初めて和んだ。
「ももも……っ、申し訳ない……!」
ひたすら頭を下げる清だが、女子は男子の顔の横にそっと唇を寄せる。そして。
「……昨日、相撲部屋、覗いてたでしょ?」
その一言で――実に失礼な話だが、廻しと、その胸があまりにも衝撃的すぎて――思わず顔を上げたが、その女子に見覚えはない。が、あのことを耳打ちするくらいなのだから、その本人に違いないのだろう。
あまりに突然のことで謝罪の言葉すら失っている清を、その女子は怒ることもなく、嘲笑うこともなく、ただ――ふわりとした優しい瞳で。
「放課後、教室で待っていてくれるかい?」
彼女がそう告げたところでチャイムが教室の喧騒を塗り替えていく。
「おっと、ボクも戻らないと。それじゃあ、またあとでね」
用件は伝えたのだから、これ以上ここに留まっている必要はない。少女は踵を返すと軽い足取りで自分の授業へと帰っていった。そして、清は――疲れ切った手つきで飛ばしてしまった椅子を立てる。至極重々しい手つきで。そして、改めて座り直したところで――まだまだ自分も精進が足りないな――そんな格闘家じみたことを思うのだった。
***
一日の授業が終わり、同級生たちはひとり、またひとりと教室を出ていく。そんな中、清はポツンと座席に残っていた。あの少女に言われたとおりに。
あれから半日経っているのだから、当然気持ちは切り替えられている。それに、写真もこっそり見返した。なるべく首から下は見ないようにして。確かに、彼女は午前中声をかけてくれた人物に他ならない。
彼女が自身の言葉通り、再び会いに来てくれるのであれば――先ずは、昨日の失礼を詫びるべきだろう。話はそれからだ。
放課後だけに、廊下には断続的に昇降口へと生徒たちの気配が流れている。そんな中で停滞しているのが数名――それも、ひりついた闘志をまとわせて。例によって、柔道部関係の監視だろう。清の行動を探るための。
だが、そんな鍔迫り合いの中を、またしても。
「やぁ、待たせたね」
例の女子が、女子にしては少し大きなリュックを背負って――下校の途中に寄ってみた、という雰囲気で清の席へと寄ってくる。違うクラスではあるのだが、遠慮や躊躇いの様子はない。そして、そんな彼女の乱入により――監視たちの空気が変わった。明らかに、好戦的なものへと。彼女は昨日、相撲部屋にいたのだから――それも、ある意味本格的な格好で――一先ず清は、彼女は柔道関係者ではないと踏んでいた。監視たちの様子もそれを裏付けているといえる。
ゆえに清は――念のため警戒を解くことなく――それでも、女のコを怖がらせないよう精一杯の朗らかさで。
「昨日は、大変失礼いたしました」
今朝の件とは別に、改めて深々と頭を下げる。だが。
「そんなことで謝られても困るんだけど」
そんなこと――あのような姿を見られたことを女子本人が一蹴したうえで。
「ともかく、ボクと来てくれるかな。ここじゃ話も進まないし」
言って踵を返すが、すぐに清の方へと振り向く。
「ボクが傍にいた方が、“あの人たち”も手を出しづらいでしょ?」
決して廊下の方を意識することなく。それで清は――この敵地のような学校で、ようやくひとりの味方に出会えた気がした。
彼女の言う通り――この状況で強引に襲おうものなら、同伴者をも巻き込んでしまう。ゆえに、慎重にならざるを得ない。思えば、清を教室から動かさず待機させていたのも、柔道関係者を刺激しないための配慮だったのだろう。
だが――手や腕こそつないでいないものの、ふたりの距離は異様に近い。女のコの腕の柔らかさ、温かさが伝わってくるほどに。異性を意識してしまうと、昨日見たものが脳裏に蘇り――顔が熱くなるのを清自身感じているが、当の彼女がそれに気をかけることはない。
「あぁ、そういえば自己紹介が遅れたね」
淡々と廊下を歩きながら、彼女は清の方へと顔を上げる。
「ボクは一年C組の
「す……ッ!?」
思わず大声を上げそうになったが、監視を刺激しないよう慌てて飲み込む。
「ボク、相撲部顧問の山本先生を頼ってこの学校に来たんだけど――」
清も入学したばかりゆえに、全教師の顔と名前を覚えているわけではないが。
「いざ進学してみたら、山本先生が飛ばされてて」
どうやら清の勧誘のためにかなり強引な手口で進められていたようだ。
慧は相撲部員を名乗るが、部活自体はすでにない。実は、その手続きは昨年度のうちに――どうやらこの学校への進学が決まった中学生の時点で、慧は個人的に交友関係のあった顧問に入部届を提出していたようだ。
一方、若木高校相撲部は実体のない、いわゆる幽霊部である。顧問の山本教員も深く考えず、形だけのものとして入学前の生徒の入部届を受理してしまった。その直後、県外の学校へと飛ばされることも知らずに。
この入部届を正式なものとして扱って良いものか疑問の余地はある。しかし、実情として――慧は入学前から相撲部屋に出入りしていた。そのため、前顧問から合鍵も受け取っている。それを使って清たちは難なく室内へ入ると――昨日覗いた土俵があった。とはいえ、その前に清が案内されたのは更衣室の方。
「ところで、廻しの締め方は大丈夫?」
「い、一応予習はしましたが……」
その答えに、慧はにんまりと笑みを深くする。その期待の大きさに、清はつい気圧されて。
「ただ、さすがに持ち合わせは……」
普通の学生は相撲道具を持ち歩くことはない。
「大丈夫、廻しなら僕が持ってきてるから」
「は、はぁ……」
どうやら慧は普通の女子高生ではなかったらしい。
「無理そうだったら言ってね。廻し風パンツもあるから」
女子にしては大きなカバンだと思っていたが、清の部活道具を用意していたようだ。とはいえ、
「なっ、な……うわっ!?」
女のコがスカートの腰回りを外してストンと落としてしまったので、清は慌てて更衣室へと飛び込んでいく。が、そんな男子の背に投げかける声は実にのんびりと。
「やれやれ、そんなに怯えてたら先が思いやられるな」
どうやらスカートの中にはすでに廻しを仕込んでいたらしく――だが、それを清が確認している余裕はない。
じゃあ、ボクは土俵で待ってるよ――扉の向こうから慧はそう告げる。清は遠のいていく足音に耳を澄ませて――渡された白い廻しをじっと見る。確かに、どんなものかと調べはしたが、実際に締めるのは初めてだ。そして当然一度で覚えきれる手順ではなかったので、スマホで再確認しながら見様見真似で。ひとりで締めるのはなかなか難しいが、これを女子に手伝ってもらうわけにもいかない。それでもどうにか形を整え――柔道着と違って肌の露出も多く、少しだけ照れくさい気もする。だが、相撲部を志願する以上、堂々としなくては――意を決して、更衣室から出てみるも――
「!?」
清は恐れおののき土俵に背を向ける。何故ならそこにいたのは――あったのは――まさに昨日、窓越しに目撃してしまった女子の姿であり――
けれど。
「そんなことで、ボクとすもうを取れるのかい?」
「いや、女子相撲は……!」
異性の方は別種目としてあまり注目していなかったが、中に水着を着込んでいたはずである。でなければ大問題だ。
しかし――それでも慧は譲らない。
「ここは男子の相撲部屋だよ」
だからこそ。
「これが、お相撲さんとしてあるべき姿なんだから」