やさしさの土俵   作:添牙いろは

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4話

  若木(わかぎ) 高校(こうこう)柔道部――希代の天才柔道家・ 佐藤(さとう)(きよし)を誘致するために急造された部活ではあるが、そこに肝心の清の姿はない。

 若木高校相撲部――担任教師は廃部になったと吹聴していたが、相撲部屋と共にいまもなおそこにある。何しろ特例で存続を続けてきたのだ。そこには理事長の確たる意思が宿っており、現教員たちの一存で取り潰すことなどできようもない。

 ということで、今日もふたつの部活は共にある。そして、ふたつの部活は強い因縁のような関係でつながっているようだ。

 土俵の上に立つ廻し姿の力士は――力士にしては脂肪が薄い。そして、あからさまに慣れていない様子である。剥き出しの尻をソワソワと気にして落ち着かない。

 それに相対するのは柔道着を着こんだ佐藤清――だが、彼が柔道に戻ったわけではないようだ。

「さあ、始めましょう。もし自分が負けたら――」

「次の大会には出場してくれるんだな?」

「ええ、大会には」

 学校側にもメンツがある。次の柔道大会に清が出場しなければ、柔道界の至宝に何をやらかしたのかと叩かれかねない。

 そのために、この男は相撲部屋の戸を叩いた。相撲取りではないにせよ、骨格はしっかりしている。その肉付きは耐え抜かれたものであり――それなりの手練れであることは間違いない。

 廻しを締めた柔道部員は仕切り線の前に立つと――パンと自分の両頬を叩いて喝を入れる。その顔つきはすっかりアスリートのものであり――もう慣れない相撲装束に惑わされることはない。

 そんなふたりを見守るのはひとりの少女――ふたりだけの相撲部員の片割れ・ 駒辺(こまべ)(けい)。廻しならふんだんに所有している彼女もどうやら行司服の用意はないようで、普段の学生服姿だった。

「それじゃあ、アマチュアルールでやらせてもらうよ。はっけよーい、で試合開始だからね」

 いまさら確かめるまでもないこと――ふたりは頷きすらせず、目の前の相手に向けて闘志を漲らせている。互いの呼吸で始める大相撲ルールであっても息を合わせられそうな一体感だ。自分の相撲は本流ではない――慧はそう自覚しているからこそ、本流の戦いを前にして自ずと身が引き締まる。これ以上、行司としてもったいつけることはしない。

「はっけよい!

 相撲の掛け声で始まる相撲対柔道の異種格闘技戦――勝敗の基本は相撲と同じく足の裏以外が土俵に着くか、外に踏み出すこと。だが、一方が柔道着であるため、決まり手は相撲の枠に収まらない。

 しかし――

 

 ――バシィッ

 

 廻し姿の挑戦者は掴みかかった手を掌底で弾かれて少し怯む。基本は相撲ルールであるため柔道では禁止されている“張り手”は有効だ。柔道部員はそれをすぐに思い出し――けれども、戦略は変えない。何故なら、それこそ相手が最も嫌がっている証拠に他ならないのだから。

 ゆえに、試合は襟を掴むか掴まないかの打撃戦へともつれ込む。しかし、清も元は柔道家だ。即席の打撃はすぐに綻び――

 

「ッ!?」

 まるで、時間が飛んだかのような感覚。

 気づけば――柔道部員の方が膝を突かされていた――?

 

「……き、清乃島ーっ」

 慧もあまりのことに少しだけ呆けていたが――行司として気を取り直して勝ち名乗りを上げる。ポカンと見上げていた柔道部員も、それを聞いて勝敗を理解した。しかし、何が起きたのか理解できてない。ゆえに、清が敗因を諭す。

「足技の勝負を避け、背負い投げにいきましたね」

 それは相手にとっても無意識のことだった。襟を掴んだ瞬間――ここからの展開は数え切れない。だが――清も腰ならば掴むことができる。せっかくつかみ合ったのに、足元で競り合っていてはアドバンテージがもったいない。だからこそ上半身に――だがその瞬間、軸足を払われた――まさに、襟を掴んだその瞬間――勝利を確信したからこそ隙ができ――その隙を見逃す清ではない。

 敗者にとって、完全に意識の外だったため理解するのに時間がかかった。しかし、理解したからこそ――諦めて嘆息をつく。

「次は対策してから出直そう」

「ええ、またの挑戦をお待ちしておりますよ」

 立ち上がる足腰はしっかりしており、負けながらに清々しい。何故なら、次は勝てるかもしれない――もし、普通の柔道で争えば、全国レベルの実力者であっても勝ち目は皆無だろう。しかし、相手に襟を掴ませないというハンデがあるのなら――かつて、清の前に立つ者はみな絶望しきった目をしていた。万にひとつの勝利もないのに、何故ここに立っているのか――

 ゆえに、清もまた思い出す。自分も大会に出るまではこうだった、と。今日の試合は勝てるのだろうか――その迷いはいつの間にか失われ、ただ、相手が見せる隙を突いて技を決めるだけ――その迷いを、清は取り戻した。この先、負けることもあるかもしれない。けれど、だからこそ――勝負は面白い――清には、そう思えた。

 そのキッカケを与えてくれたのは――紛れもなく彼女だろう。

「今日も快勝だったね」

 敗者の尻を見送りながら慧は隣の男子を労う。

「いや、そうでもないですよ」

 実際のところ、清の張り手はまだまだ甘い。今回は拳撃を旨としない柔道部員が来てくれたからそれ相応に対応できた。あっさりと組み合っていたら、誘っていたのがバレていたことだろう。

 だが、きっと次はこうはいかない。だからこそ、力士としての腕も磨かなければ、と清は気持ちを新たにするが、慧は少々不満そうだ。

「けど、みんなやる気ないなぁ。もっとゴリゴリ押し寄せてくると思ってたけど」

「ははは……」

 清は笑って誤魔化すが、その理由は何となく察していた。やはり、いくら清を柔道に戻したいとはいえ、廻しを締めるのは敷居が高いのだろう。清が求めているのは襟を掴めないハンデ戦――その上、相手は今年度に入って相撲を始めたばかりである。そんな戦いにわざわざ主将クラスが出張る必要もない――お陰で、日々様々な相手が挑戦しに来る。先日に至っては、助っ人としてアメフト部員がやってきたこともあった。

 ゆえに。

「けど、本物のお相撲さんが来たらどうするの」

 そんな懸念を慧は抱く。噂を聞きつけて本物の相撲経験者がやってくるかもしれない。

「そうなったら、今度は柔道場で戦いますよ」

 こんな相手が来たらこのような『条件』で――『柔道対相撲』という緩い枠組みしか提示していないため――清の方が柔道大会出場を賭けていることもあり、ルールの細かな決定権は清にある。だが、それは己を有利に立たせるためではない。どこまで自分を追い込めばギリギリの勝負ができるのか――柔術同士で戦おうとすれば、誰もに敬遠されてしまう。実際、公式大会でさえ不戦勝も茶飯事である。それが、いまでは相手の方から挑んでくるのだから、こんなに嬉しいことはない。

 きっと、いつの日か負けることもあるだろう。しかし、恐れる必要はない。何故ならば――勝っても負けても、“ここ”がなくなることはないのだから。

「じゃあ、そろそろ」

 慧は少し照れた表情で軽く相撲部屋を見回すと――広くもないので、ここにふたりしかいないのは明らかだ。それで――すっとスカートを持ち上げると――その中は、廻し――白い下着ではなく、新たな戦いに赴くためのもの――

 だから。

「ここからは、駒乃波と呼んでほしいな」

 けれども、彼女が立つのは男同士の土俵ではない。同じ土俵であっても――彼女が立つとき、その意味は変わる。

 戦いそのものが特別なものとなる。

 彼女は更衣室を使わない。

 使う必要がない。

 この戦いを、ふたりは何度も続けてきたのだから。

 ゆえに。

 その小さな背中からブレザーがするりと落ち、

 スカートを緩め、

 ブラのホックを外してストラップを腕から抜いていく隣で、清もまた柔道着の帯を解いていく。慣れたものだが、何度取り組んでも、慧との<おすもう>は心が踊る。

「通算なら、ボクの方が一勝多かったっけ?」

「いや、昨日は俺の勝ちだろう」

「えー、ボクの方が耐えたと思ったけどなぁ」

 ならば、今日は誰の目にも明らかなほど圧倒的に――けれども、他の誰の目に触れさせるわけにはいかない。これから取り組まれるのは――どんな戦いより激しくも穏やかな――ふたりのやさしさで作られた土俵なのだから。

 

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