幼馴染は脱ぎたがり   作:添牙いろは

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1話

 浴室の壁は気密性と撥水性の都合からよく反響する。だが、それを差し引いても。

「偶然が~♪ 重なった奇跡~♪」

 鼻歌と呼ぶにはその声ははっきりしている。一般家庭にしてはやや広めな浴槽のしっかりした縁に後頭部を預け、眠るような安らかさで――そして、美しい――そんな歌声を、彼女は響かせている。長い髪をまとめたタオルを枕にして。波々と湛えられた緑色の湯船の中で――歌い終わった 蒼泉(あおずみ)(あゆむ)は目を開いた。そこに当然拍手などない――

 ――と思われたが。

「相変わらず、風呂の中だといい感じに聴こえるな」

 女の寛ぐ浴室に響く男の声。パチパチと叩かれる手は見えない。さすがに、その小さな換気窓では――男は顔を出すので精一杯のようだ。

「んー……お風呂だからねー」

 歩に口調に慌てる様子はない。それでも、さり気なく少しだけお尻を滑らせて肩までしっかりと浸かり直す。男の視線はしっかりと意識、及び警戒はしているようだ。

 一方で男の方も――飄々と話しながらも視線は湯船から放すことはない。

「でも、こないだ脱衣所でも歌ってたろ。そのときもいい声出てたぞ」

「ふーん、よく知ってるね」

「気にするな。昔は一緒に風呂にも入った仲だろう」

「気になるよ。いまはそういう仲でもないんだから」

 歩から一蹴されて。

「まあ、本題に戻すぞ」

 と男は仕切り直そうとはしてみたが。

「新たな覗きが発覚したこと以上の本題ってあるのかな?」

 歩からの追求は続く。

「覗いたとは限らん。声の話だからな」

春貴(はるき)が覗き以外でうちに来ることないじゃん」

「失敬な」

 と覗きながら抗議しても説得力がない。そもそも、歩の方もまともに取り合うつもりはないようだ。

「で、私そろそろ上がろうと思ってるんだけど」

「うむ、長湯は身体に良くないからな」

「ということで、帰ってくれる?」

「気にするな。昔は一緒に風呂にも入った仲だろう」

「ここから先はホントにNGだからね。騒ぎにしたくなければ大人しく帰っておいた方がいいよ」

「やれやれ、時の流れとは残酷だねぇ」

 そんなことをぼやきながら、男の顔は引っ込んでいく。春貴としてもそのあたりの線引きは弁えているらしい。

 ――と、見せかけて――歩はそんな疑いをかけてみるも、男子は思いの外素直だったらしい。けれども油断せず――チラチラと壁面を窺いながら速やかに浴槽から上がる。そして、パジャマを着込む前に――脱衣所近辺まで侵入しているという自白を得ているのだから、このような場所であっても裸でいるのは危険なことはわかってる。だが、歩は何だかんだで春貴のことを信頼しており、そして――

『でも、こないだ脱衣所でも歌ってたろ。そのときもいい声出てたぞ』

 春貴は覗きのために聴いてもいない歌に世辞を言うようなタイプでもない。覗くときは言い訳などないのだから。なので。

「伝えられなかった~♪ メロディ~♪」

 当然、ここに浴室のような反響はない。ゆえに、歩にはいい声を出せているかの自信はない。だが――

「いまを楽しむ~♪ ことなら~♪」

 少なくとも、気分良く歌えていることは間違いない。

 そういえば、これまではずっと狭い浴槽に浸かった姿勢で――そもそもこうして立って歌うこと自体が音楽の授業ぶりではなかろうか。手足が小さな箱の中から開放されて――

「後ろ指~♪ 差されても~♪」

 身体が自然に動く――歩にとって、歌の授業も、ダンスの授業も、苦行の時間であった。歌おうとすればするほど喉が詰まり、踊ろうとすればするほど手足が縮こまる――苦行であるがゆえに克服しようと、学校でも音楽の授業を選択していた。けれども、成果は現れない。先生から何度教わろうとも――自分でも教わったとおりに実践しているつもりなのに――

 言われたことさえできないことが申し訳なく、歌も踊りも楽しいと思ったことはない。けれど、いまは――

 だが。

 鏡に映る自分の姿で、歩は我に返る。裸のままでは湯冷めしてしまう。その場でせかせかとパジャマを着込むと二階の自室に戻り、カーテンを閉めようと思ったところで――

「よぅ」

 また例の男と目が合った。隣の家の、彼の部屋から。

「どうしたの?」

 歩に怪訝な様子はない。ただ、早いな、と思っただけで。そして、春貴は歩からの反応を気にしない。

「最後に一言言っておこうと思ってな」

 少し距離はあるけれど――真面目な話をしようとしていることは歩にも察せられた。

「脱衣所で歌ってたときにいい声出てたって話、本当だぞ」

「今日も聴いてたの?」

 春貴は浴室で見せたように、ここでもやれやれと頭を振る。

「聴いてほしければ、もう少し早い時間の入浴をオススメしたいね」

 すでに夜九時を過ぎており、歩の家には両親がいる。どうやらそれは都合が悪いらしい。

 だったら、夕方にでも――そんな言葉が歩の喉から出かかった――が、何故だか思い留まる。覗きはさておき――先程の歌は――正直、聴いてみてほしかったところはある。みんなの前で披露する前に。

 なので。

「じゃあ、今度録音したのを聴かせてあげる」

 その答えに少しの間が空き――

「……ふむ」

 どうやら春貴としても意外だったらしい。それは、想定されていた淡白な反応が返ってこなかったことだけでなく、歩が自分の意見に聞く耳を持っているところまで含めて。

 歩が脱衣所に関して何らかの手応えを感じているのなら。

「試しに、“浴室と環境を近づけてみる”といいぞ。何か新たな道が拓けるかもしれん」

「アドバイスありがとう。でも、ここで脱ぐつもりはなからね」

「おいおい、カーテン越しなら構わんだろう」

「窓に張り付いたら隙間くらい開いてるかもしれないから」

 春貴は子供の頃から屋根から飛び出して歩の部屋まで渡ってくる。そんな春貴を歩の両親はあまり良く思っておらず――そのため、玄関から訪れることが憚られ――その悪循環の結果がこのやり取りだ。

「だから……先ずは音声ファイルでいいよね」

「いやいや、歌声ってのは直に聴かせてのものだろう」

「それはいずれ、かな」

 話は終わり、と言いたげに歩はカーテンを締めた。そして、施錠もしっかりと。

 

       ***

 

 歩は春貴からの助言を前向きに受け止めている。が、全面的に信用したわけではない。ただ、脱衣所でパジャマを着る前に軽く歌ってみたときに思ったこと――もう一度、今度はもっと、人に聴かせられる場所で。春貴の言い分ではないが、直に披露したい思いはある。だが、いまはまだ恥ずかしい。音楽の授業で好成績を残したことのない身としては。

 ゆえに、先ずはその前段階として――その週末、ひとりカラオケにて。

「――――♪ ――――♪」

 やはり、あのときとはどこか違う。少なくとも、脱衣所で歌ったような爽快感はない。

 脱衣所と浴室の共通点――それは、部屋の広さや構造ではなさそうだ。

 ならば――あまり考えたくはないのだが――

 羽織っていたカーディガンから袖を抜くと、それだけで――少なくとも肘から下は動きやすくなった気がする。これまで意識してこなかったけれど。

 思い切って――Tシャツも――腰から上が爽やかになった。

 しかし、胸の周りは未だ締め付けられた感覚があり――けれど、それは考えないようにして、スカートを――腿――膝――とても軽くなった。

 ここで歩は、一瞬正気に返る。下着姿で歌って踊って――カラオケボックスで――これは尋常なことではない――けれど――

 監視カメラはあるかもしれない。けれど、ちょっと試すだけだから――少なくとも、彼氏を連れ込んで、ということでもないし――

 本当に少しの間だけだから――むしろ、この状態で迷っている方が危険だ。やると決めた歩は――クイ――ブラのホックを緩め、そして――

「始めよう~♪ 私たちで~♪」

 信じられないほど――喉から声が溢れ出す。けれど、力が入らない――お腹に――その原因の見当はすでについていた。ここまで来たら、もう――!

 風呂を除けばトイレくらいでしか下ろすことのない最後の一枚に歩は手をかけて――そして――!

 

「みんなで作る~♪ ステージ~♪」

 

 すごい……すごい……っ! 初めての感覚に、歩は無我夢中で身体を動かす。この曲のPVはネットで観たことがあった。覚えていたつもりはなかったのに、いまでははっきりと思い出せる。

 

「光の~♪ 後には~♪」

 

 一曲フルコーラスで最後まで歌いきり、踊りきり――途端に―歩の熱は冷めていく。

「ぁ、ぁ……私……!」

 すぐに服を着直さなくてはならないことはわかっている。けれど――掻き集めた一式を胸に抱き、歩はふるふると小さく震える。

 高揚から一転して――これは恐怖か。とんでもないことをしでかしてしまったことに対して。

 そして何より――あんなことをしていたのに、それを“気持ちいい“と感じてしまった自分に対して。

 

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