その偶然の出会いには運命の歯車がカチリとハマるのを感じた。が、その歯車が回り始めるとは限らないらしい。ハマったばかりの歯車が、ゴロンと丸ごと外れてしまった音が、俺の耳にもしっかりと届いた気がする。いや、ゴロンというよりビチャビチャ、という感じだったが。
さてさて、十万再生くらいは稼ぐネット歌い手の俺は、とあるキーボーディストのファンだ。その人は同じようにネットに自分の演奏を上げている、ハンドルネーム『MI-YA-CO』――演奏以外の様々なパフォーマンスでビューを稼ごうというこの時代に、手元しか映さない猛者である。……いや、これで何百万と回してれば猛者なのだろうけど、閲覧数は数百程度。かといって、彼女の腕が拙いわけじゃない。選曲があまりにも地味すぎて――それこそ、最近の曲を弾いたら一気に万バズかましそうだ。
けれどもMI-YA-COさんは自分のスタイルを変えることなく――どうにか組んで唄いたいという俺の目論見は箸にも棒にも掛からないほど手応えがなく――そんな中で、まさかの邂逅――東南百貨店で買い物を終えた俺の耳に届いたのは、まさに聴き間違いようのない彼女の演奏だった。
とにかく話だけでも聞いてもらおうと、逃げるMI-YA-COさんを追いかけたが、それは大きなミステイク。彼女はただ、トイレに行きたかっただけで、直前で俺が引き止めてしまったばかりに、その一歩手前で――
おっきい方でなくて本当に良かった、と胸を撫で下ろしつつ、それでも水溜まりだけは如何ともしがたい。床の方は店員を呼んでどうにかしてもらうとして――とにもかくにもMI-YA-COさんである。
俺は幸いにも安売りの殿堂『モンキー・ホーテ』で買い物を済ませたばかりだ。そこで、衣装に使えるかな、と思って、二〇世紀を思わせるビラビラ付きのパンタロンスーツを買っていたので――せめてものお詫びの印として俺はそれを彼女に押し付けて――それに着替えれば、少々ダサかろうが、シミ付きスカートよりはマシだろう――すいませんでした、と一言だけ謝って、俺はただただ逃げ出していた。ふたつ上の『モンキー・ホーテ』のフロアを目指して。もう一度、同じ衣装を買わなきゃだからな。いや、他の小道具とかの兼ね合いもあるから外せねーんだよ、あのパンタロンスーツ。
さて。
大抵のことでは落ち込まない俺だが、今回ばかりはさすがに凹んでいた。憧れのキーボーディストと縁が切れたことだけじゃない。そんな憧れの相手に、あんな恥を掻かせてしまったなんて――謝れることなら謝りたいが、その機会さえないときている。
少々トラウマ気味になりつつも、その一週間後の日曜日――まさに同じような時間に、俺は再びやってきていた。まるで、ヤンキーから校舎裏に呼び出されたように。そこは、東南百貨店六階フロア――その楽器売り場で、俺はMI-YA-COさんと出会った。
とはいえ、もう二度と出会うことはないだろう。何しろ、あんな粗相をしでかしたのである。MI-YA-COさんはもう、ここで買い物などできるはずがない。彼女がここにいるわけがない。それはわかっている。なのに――俺は、再びここへ来ていた。特に自分の買い物があるわけではない。用があるわけではない。なのに、俺は――
それは、ただの未練だったのだろう。あの出会いをやり直したい、という叶わぬ願いに囚われただけの。だから、何を得られるわけではない。俺はエアギターを担いだだけのボーカルである。楽器店に足を向けることさえおこがましい。だから、ただ一周回ったらそのまま帰宅するつもりだった。
しかし――
――この曲は――!?
つい駆け出しそうになったが、先週の失敗を思い出して足を止める。そして慎重に、他の買い物客に紛れるよう自然体を装い直して。まるで先週の録音を流しているかのような演奏へと一歩、また一歩と近づいて――
そこに、彼女はいた。紛れもなく、MI-YA-COさんが。変わらぬ姿で――いや、緑を基調とした服装だった先週に対して、今日は白のワンピースである。それが、ピアノの発表会のように、俺には見えた。
やはり、MI-YA-COさんの演奏は素晴らしい。それは通りすがりの買い物客たちの心をも打つ。曲はすでに終盤に達していたため、先に足を止めて聞き入っている人たちが通路を塞ぎ切らないくらいには集まっていた。
それに釣られて俺もまた、つい聴き惚れてしまったことで――俺は彼女と目が合う。そっと見守るように隠れておくつもりだったのに間に合わなかった。通路の向かい側――ヘッドホンの棚から半身以上出ていては、星飛雄馬のお姉さんもビックリの露骨な見守りである。
それでも彼女は睨みつけてくることもなく、辛そうに目を背けることもなく――ただ、軽く会釈を。知り合いを見かけただけのようにさり気なく。
それを俺は――どう受け取れば良いのだろうか。少なくとも、敵意は見られない。けれども、先週強引に迫ったばかりだ。なので――あまり距離を詰めないように――演奏が終わったら、俺に構わず退散できるくらい遠くから――再びMI-YA-COさんの生演奏を聴くことができた――その幸運に感謝して――
曲が終わっても、拍手が鳴ることはない。そして、MI-YA-COさんが一礼することもない。あー終わった終わった、と言いたげに、取り巻きはひとり、またひとりと去っていく。
そしてまた、MI-YA-COさんも、足下のカバンを拾い上げると、そのまま――どこかへと帰ることなく、俺の方へと――
そして。
「先週は、その……ありがとうございました」
MI-YA-COさんから礼を言われることなど何もないというのに、彼女の方から頭を下げながら――
「またここで演奏すれば、お会いできるかなー……と思いまして」
彼女の方から俺に会いたいと思ってくれていたなど、あまりにも予想外すぎる。まさか、お礼参りじゃあるまいな? とむしろ警戒してしまったのだが――彼女がカバンから取り出したのは見たことのある安っぽいパッケージに安っぽい生地――なにしろ、うちに同じものがあるからな。俺が先週彼女にあげたパンタロンスーツである。
わざわざ同じものを探してきて――というか、上の階で売ってるからすぐにわかったのだろう。新しいのを買い直してくれたらしい。とはいえ、二着あっても仕方ないのだが。かといって、彼女の手元にあっても仕方ないだろう。ということで、一先ずありがたく受け取っておく。
さて――これは本当にどうしたものか。社交性あふれるパリピ連中ならどうにか無難に対処できるのだろう。だが、俺は一介のネット弁慶にすぎない。あとは、ライブに着てくれるファンの前でだけ超強気というか。前回の失態もあるし、どうやって話をつないだら良いのかもわからない。というか、あんなことをしでかして、こんなに好意的に接してくれる心境もわからない。
なので、俺から声をかけることができず――だが、MI-YA-COさんの中ではすでに腹を決めていたのだろう。そもそも、彼女の方が辱めを受けたわけであって。そんな相手と改めて顔を合わすにはそれ相応の理由があって当然だ。
MI-YA-COさんは軽く視線を左右に振って、特に注目されているわけではないこと確認すると――ワンピースの裾を両手で摘まみ上げ――ここが、ヘッドホンの棚と棚に挟まれた細い通路だから、ということもあるのだろう――ひょい、とわりと躊躇なく。結構上まで。腰のあたりまで。
だから――わかってしまった。中に穿いていたのが、白いパンツではなかったことに。
いや、パンツはパンツなのだが――パンツにしては厚い。そして、大きい。年頃の女子が身に着けるものとは思えないほど。
つまり、それはただのパンツではない。子供用の――いや、大人用もあるが――むしろ、それは老人の介護用じゃないのか? ――それは、紛れもなく――オムツである、と――