さてさて、先週から押し寄せ続ける怒涛の展開に若干ついていけていない俺。とりあえず、東南百貨店のトイレの前で、MI-YA-COさんが出てくるのを待っている。
「お待たせしましたー……」
多分、履き替えてきたのだろう。何というか……まー……スカートの中身を? おむつを下着と呼んでいいのか若干迷うところだが、使い捨ての下着として分類すべきなのかもしれない。
さて、ここから先はデリケートな領域だ。気になることは山積みとはいえ、こちらから根掘り葉掘り問い詰めることは難しい。MI-YA-COさんと接触するのはこれで二回目。その少ない情報で推測できることはふたつだけ。ひとつは、彼女のピアノの腕前が確かなものであること。もうひとつは――何らかの事情により、おもらし癖があるということだ。
一方で、MI-YA-COさんから見て、俺に関する情報は何もない。というか、間違って伝わっている可能性すらある。何しろ、トイレの前で引き止めて、間に合わなくしてしまった相手とこうして前向きな会話を交わしているのだから。
しかし、そこは――俺である。MI-YA-COさんから嬉しいお言葉が。
「実は……一度お話してみたくて……」
「えっ、それってもしかして――」
さすが俺! 十万回再生は伊達じゃねぇ!
と、誇らしげに胸を張ってみたものの。
「えっ」
お互い首を傾げる。
「……あ、いや、俺が歌い手だって知ってたのかなー……とか」
「あっ、申し訳ありません。不勉強ながら……」
ぐえー。十万回再生では力不足だったかー。けど、だったら何で。
俺が余計なことを口走ってしまったばかりに、ふたりの間に気不味い沈黙が流れる。昼間の百貨店だけに人は絶えず通りがかるがトイレの前ということもあり、俺たちのことを気にする人はあまりいない。
しかし、まー……歌い手としての俺を知らずにいてくれたのはやや僥倖だったかもしれん。カメラの前ではハイテンションなクセしてプライベートではモゴモゴしてんのかよ、とそれだけで幻滅されてしまっただろう。
MI-YA-COさんの方は――俺と同じく口下手なのか、ショッキングな暴露シーンの直後だから話しづらいのか――ともかく、俺の勘違いを正してくれる気にはなったようだ。
「その、お気に障ったら申し訳ないのですけど……」
「は、はい……?」
これまでの状況で、彼女が俺から不興を買うようなことはひとつもない。
「あの服を差し出してくれたとき――」
うん、さっき新しく買って渡してくれたのと同じヤツな。服というか、仮装用の衣装だけど。
MI-YA-COは頬を染めてはにかみながら、一つひとつ、言葉を選んでいるようだ。
「――何といいますか……とても“嬉しそう”な顔をされていたのが――」
「えっ!?」
「あっ、勘違いだったらごめんなさいっ」
申し訳なさそうに慌てているので、俺は肯定しなくてはなるまい。少なくとも悪い感情は持っていないようだし。
「かっ、勘違いではないですよ……はい」
これで……この回答で本当に良かったのか……? 少なくとも、MI-YA-COさんはホッとしてる雰囲気だし。そして、少しモジモジしながら。
「私、そのー……あんなことをしてしまって、人様から喜ばれるとは思っていなかったので……」
俺だって思わなかったよ! てか、俺が喜んでたなんて実感ねぇよ! あのときはとにかく『ヤッちまった!』って後悔ばかりで。てか、あの状況で喜べるヤツがいたとしたら相当ヤベェだろ。
しかし、そのような前提で話が進んでいる以上、俺はそういうヤツになりきらなきゃならんわけで。……いや、無理だろ。どこが良かったのかとか理由とか訊かれたら即行で詰むわ。
しかし、不本意ながらそれが俺とMI-YA-COさんのたったひとつの接点となってしまっている。MI-YA-COさんがお漏らしして、俺が喜ぶ、という奇妙な関係性――いずれは俺の歌声を認めさせなくてはならないが、一先ずは、それで。……けど、漏らさせて喜ぶ連中ってどういう思考してんだ? まあ、ネットは広大である。ググればいくらでも情報は出てくるはずだ。
ということで、一先ずは。
「それで、もし良かったら――」
MI-YA-COさんからの提案ならどんなことでも受けよう。
「これから、うちに来ませんか……?」
まさか、女のコの方からお宅訪問のお誘いを受けるとは――
しかも、情報を集める猶予さえなく。
***
どうやら、MI-YA-COさんは近所のマンションに住んでいるらしい。といっても大学は違う。むしろ、ここから数駅行ったところにある音大――俺のようなノリと雰囲気でどうにかしている素人と違ってガチの音楽家だった。上手いとは思っていたけれど……何というか、恐縮すぎる。
だが、だからこそ逆に、この出会いに感謝しよう。本来、声をかけることすら叶わない相手なのだから。
道中の話題は、もっぱら音楽関係のこと。お互い音楽配信者なのだから当然の成り行きだろう――と言いたいところだが。
「……えーと、最近はどのような歌を……」
俺はMI-YA-COさんのファンだが、MI-YA-COさんは俺のことを知らなかったわけで。関心を持ってくれているというより、核心を避けている、という雰囲気だ。そもそも、彼女が俺を誘ってくれたのは歌い手としての俺じゃない。女のコのお漏らしに喜ぶようなヘンタイである。つまりは――
「え、えーと……こちらを……」
彼女が真っ赤になって俺に手渡すのは円形のゴムの縁を薄い梱包で挟み込んだ――コンドーム――!!
まあ、到着までの話題はこれといって盛り上がらず――こっちとしては、MI-YA-COさんの演奏の魅力について語りたいところだったが、全然そういう雰囲気ではなかったし。かといって、音大生とやり合えるほどの音楽的教養を持ち合わせているわけでもなく。
そんな残念な十数分が過ぎたところで、MI-YA-COさんの自宅に到着した。どうやら、大学に通うためひとり暮らしを始めたらしい。
ということで、間取りはワンルームだ。ピアノルームならともかく、生活部屋でもあるためベッドも一緒に置いてある。……ただ、ピアノの椅子って普通は結構しっかりしたヤツじゃなかったか? プラスチック座面のパイプ椅子って……ピアノはしっかりしてるだけに安っぽさのギャップがスゴイ。
おかげでこっちは少し意識が逸れたってのに、MI-YA-COさんからこんなもの――避妊具を手渡されたもんだから、こっちも動揺を隠せなくなる。しかし、据え膳食わぬは男の恥っていうし。こ、これは、先にシャワーとか浴びてきた方がいいやつか……?
などと、段取りについて思案していたが――MI-YA-COさんの方がくるりと踵を返す。そして向かった先はバスルーム――などということはなく。
「え、えーと……その……リクエストはありますか……?」
ピアノの前でそんなことを言うので。
「そ、それじゃあ……革命のエチュードを……」
やはり、MI-YA-COさんの演奏の中で一番好きなのはその曲だったから。
けれど。
「あっ、そうじゃなくて」
スカートの裾を指先でキュっと摘まみながら。
「どんな風に……スるのが……いいかな……って」
そ……それは……ピアノの演奏……ってわけじゃあない……だよな……?