「うわ、クッセェ」
突然、私の書斎に現れた日本人離れした髪のガキが、開口一番こう言い捨てた。
紙とインク、そして糊の香りが漂う我が城は、決して雑な暴言で貶されるような小汚い場所ではない。定期的な虫干し、掃除に埃除けの布など、手入れを欠かしたことがないし、私自身も本を汚すわけにはいかないため清潔には気を遣っている。
だというのに、このガキ、クッセェだと??
「不法侵入しといていい度胸だなクソガキ。さっさと出てけ」
「呪霊ぃ? ……なんだ人間か」
「あげくに人を怨霊呼ばわりとか礼儀知ってんのかクソガキ」
これが私と、これからこの部屋に何人も訪れることになる「客人」の最初の出会いだった。
私はしがない活字中毒の女である。
一般家庭に生まれ、本とともに育ち、いずれは自分も本を……と思い立つも挫折。それからは校正の仕事に就き、たまに副業で文字起こしなどして小金を稼ぐ。休日は書斎の整理や読書に励み、週一で近所の図書館に通う。
うむ。我ながらなかなか良い人生である。小説にしたら1ページも売れなさそうだが。
さてそんな私の家はなんと平家一軒丸々である。そこまで立地は悪くない、しかし古……趣がある和風建築だ。畳も縁側もある。30の女がなぜこんな家に1人で住んでいるのかというと、簡潔に表すなら両親の遺産だ。そして引っ越さない理由は書斎にある。
元々あった父の書斎を、さらに隣の父の部屋の壁をブチ抜いて広げ、さらに隣の使わない客室をブチ抜いて拡大した。我ながらこの本の量には引くが、まだ床が保ってくれているのでまだ増やせると思っている。
そんな広い本の森に、何故だか知らんが見知らぬ子どもが立っていた。
同じ部屋で掃除をしていたのに全く気づかなかった。このガキ忍者の末裔か。
そして冒頭の一言。
数度のやり取りでわかったが、こいつクソガキである。それも可愛げのないタイプのクソガキ。
ここいらじゃ見かけない真っ白い髪に澄んだ天色の瞳。日の本を知らねぇ外国人の類かと思ったら、口に出てきた雑言は流暢な日本語だ。日本生まれの外国血筋ってやつだろうか?
「俺はもうガキじゃねぇよ。てかどうやってここに連れてきた? お前からは呪力を感じない」
「あ? お前が勝手に入ってきたんだろ。施錠してたはずなんだけど、縁側から入ってきたのか?」
「……他に呪術師がいるか……いやでも気配が……」
なんかよくわからんことブツブツ喋ってるが、私としてはさっさと出てってほしい。掃除の続きがしたい。と言っても軽くはたくだけで終わるがな。
「それにしてもすげぇ本。ここって本屋?」
「私の書斎だクソガキ」
「クソガキって言うな。なぁ何冊あんの?」
「1000超えてから数えてねぇな」
「ふーん」
聞いといて興味無しかクソガキ。
父親の遺した私の趣味じゃない本もあるので明確な数値はわからん。一度連休でクソ暇な時に数えようとしたが、部屋の半分行かないくらいで飽きた。上にも下にも積んである本は数えていると酔ってくるのだ。
クソガキはチョロチョロと本棚を見てまわっている。ここは本屋でも図書館でも無いんだが。
「つまんなそーな本ばっか」
「絵本コーナーはもっと手前だ」
「大人なのに絵本もあるのかよ」
「絵本舐めるなよクソガキ。お前だって読んだことあるだろ」
「ねぇよ。あんなガキのための話、面白くもねーだろーし」
お前今全国の絵本作家を敵に回したぞ。いや逆にそういうクソガキをどうギャフンと言わすか熱が入るだろうか。絵本作家の皆さんはいつも子どもの浅い捻くれた思想の一歩先を行かねばならない。
だがしかし、絵本を「ちゃちぃ」と表現するのは、それこそまだガキだ。絵本作家世界の厳しい壁や、子どもに寄り添った話を大人が書くことの凄さが、この若造はまだ知らないのである。
しかし絵本を読んだことがないのは少し違和感がある。この歳のガキなら、親に買い与えられたり、学校の図書室で読んだりと絵本に触れる機会は少なくないはず。
身なりは綺麗だが、「そういう」ご家庭なのだろうか。と不穏な予想が頭をよぎる。
しかし不法侵入されたただの部外者にできることは少ない。
「そんなに言うなら絵本読んでみろよ。面白くなかったら別の本棚行け」
「…………何読めばいいんだよ」
カーテンが揺れる窓際の、本棚一角を占領している大量の絵本には、さすがのクソガキも圧巻だったようだ。高いところ用の脚立もすぐ横にあるし、椅子もスツールが置いてあるからすぐに読書作業に取り組める。鮮やかな絵本が並ぶこの窓際は、書斎の中でもお気に入りのエリアだ。
さて、絵本のおすすめと言われると正直、かなり困る。
「お前何歳?」
「10」
「小学校中学年か……」
年齢を聞くとさらにクソガキ感が強まった気がするな。まぁ反抗心が育ってくる頃だろうから健全に成長している? のか?
多少なら漢字も読める年齢だろうし、この絵本の中からガキのファースト絵本を選ぶとなると、なんだか重たい責任が肩に乗っかった気がした。
「王道なら『ぐりとぐら』。新鋭なら『りんごかもしれない』。個人的に好きなのは『バムとケロ』」
「どこだよ」
「タイトルがわかったならそのお綺麗な目で探すことだな。まぁ途中で気になるタイトルがあったらそれ読むのが1番いいだろうさ」
「探すのめんどくせぇ」
「残念ながら私はそこまで優しくねぇもんでな。読んだらちゃんと元の棚に戻せよ」
まぁそこら辺の名作絵本は大きさ的にも取りやすいところに置いてあるから、そうそう迷うことはあるまい。バムとケロじゃなくて『カバンうりのガラゴ』を読んでもいいし、りんごかもしれないじゃなく『ぼくのにせものをつくるには』に行ってもいい。本棚の前じゃあ読みたい本の優先順位なんて女心より早く移り変わっていく。
本棚心と秋の空。天高く本棚増える秋……これ以上増やすとなると隣の客室も空けねばなるまい。まぁこの家に来客なんてそうそう来ないし。
「ああそうだ、本汚したり破ったりしたらそのページ分お前の骨を折るからな」
「エッ」
クソガキにはこのくらいの脅しで十分だろう。
残念ながら図書館司書や専門業者じゃないので、本の修理には疎いのだ。
*
しばらくして様子を見にいくと、クソガキは行儀良くスツールに座って絵本を読んでいた。
だがしかし足元には読み終わったらしい大量の絵本が散らばっている。ちゃんと戻せよお前。まさか踏んでねぇだろうな。と視線が鋭くなるが、クソガキはそれを無視して目の前のページを追っている。
ふむ、オススメした『りんごかもしれない』を読んでくれているらしい。足元の本の中にはぐりとぐらも、バムとケロシリーズもある。そういうところは律儀な奴なんだなとコイツに関する認識が更新された気がする。
「……面白いな。これ」
「舐めてた割に素直だな。まぁ絵本作家はお前みてぇなクソガキの相手なんざ余裕よ」
「クソガキって言うな」
クソガキはクソガキ。私の認識を覆すくらいの言動をしたまえよ。
そう言おうとすると、ガキの腹の音で遮られる。時計を見ると15時ちょっと。まぁ小腹が空く時間だろう。
「ん、丁度いい。ほらこれ食え」
そう言って差し出したのは、まるごと美味しい焼きリンゴ。ホクホクと暖かさが伝わる甘い香りは、食欲をそそるだろう。ガキも唾を飲み込んで喉が鳴った。腹もまだ鳴っている。
「毒とか入ってねぇだろうな」
「お前がリンゴアレルギーか、シナモンアンチならこれは毒だな」
「……貰う」
「本は置け、座って食べろ。熱いからな」
フォークも落とさないよう気をつけて渡す。小さめのリンゴを選んだが、まだ小さい小学生には量が多いかもな、とも考える。まぁ目の前の食いっぷりからその考えは棄却したわけだが。
「しかしよぉ、本当にどこから侵入したわけ? ここら辺じゃ見ない子どもだし」
「俺だって知りてぇよ。気がついたらここにいたし、なんかの術式かも知れないけど」
「ふーん。私が誘拐犯にされる前に帰ってくれ」
「もうなってるかもな。家のジジイどもは噂が回るのだけははえーし」
「それ私やばくね? 弁護してくれよな」
「しょーがねーな」
やれやれ。とあからさまにため息をついてフォークをくるりと回す。やっぱクソガキだなコイツ。誘拐犯だとしても攫いたくねぇわ。でも綺麗にひとくちサイズに切り分けて食べられる焼きリンゴや、咀嚼中に喋らないあたり育ちが良さそうだ。日本人離れした色彩だしいいとこの外国の坊ちゃんかも知れないガキに、自分の最悪の未来を想像して背筋に冷や汗が垂れる。
「お前、結構大事にされてるんだな」
「……俺の才能が欲しいだけだし。あんなペコペコ取り入るしか脳の無い大人に大事にされたいとは思わねぇよ」
「ふーん」
なかなか複雑らしい。他人の家にそうそう口出しはできねーけど、これ、児相案件か? しかし接点が見えなさすぎる私が通報したら逆に怪しまれるんじゃねーかな。わからん、こう言う時どうすればいいのか……今度そういう本でも読んでみるべきか?
取り敢えず、今は目の前の子どものことに集中するとしよう。
「絵本とか、あったかいおやつとか、初めてだし」
「楽しい?」
「楽しい」
「じゃあ好きなだけ読んで、楽しんでけよ。1日ぽっちで読み切れるほどうちの絵本選手層は薄く無いんで」
「むしろありすぎんだよ」
そこそこな時間をかけて読んだ足元の絵本の冊数じゃ、うちにある絵本の1割にも届かない。
食べ終わった食器を回収すると、ガキはまた本に集中し始めた。子どもの切り替えって早いな。
私も焼きリンゴを食べ、自分の読書に向かう。子どものことで色々思うことがあったから、それ関連の本を読もうと思ったが……生憎うちにはそういう社会問題とか、ショッキングな内容のノンフィクションは少ない。私はどちらかと言うとフィクションを好む傾向にある。思想書とか哲学書にはなかなか食指が動かない。
結局、私が手に取ったのは『むかしのはなし』という小説だった。
ひと段落ついて、またガキの様子を見に行った。
時刻はもう夕方で、蛍の光が流れそうだ。
流石に夜まで居座らせるにはいかないと重い腰を上げたのだが……。
「いない」
床に散らばった本を残して、ガキはどこかへ消えていた。
…………本片付けて行けよ。
*
あれから一週間と少しが経った。
あのガキは結局どこから来て、どうやって帰ったのか。わからずじまいだ。施錠を確認したがちゃんと閉じられていたし、どこか穴が空いていたと言うわけでも無い。白昼夢のような体験だったが、捨てられたリンゴの種が現実だと訴えてきている。
幽霊だったとしたら、真っ昼間に絵本を読むだけの子どもの霊なんて、飲みの席の怪談話にもならない。随分とかわいらしい話だ。
と、回想もほどほどにワープロを弄っていると、書斎から本が落ちる音がした。
どこか不安定な積読が崩れたかと扉を開けると、前も見た白頭が薄暗い室内に映えている。
「よぉ、久しぶりだな」
「……なんでまた来たんだよ」
「知らねーよ。また気づいたらここにいた」
「はぁ〜〜……」
こうして、よくわからないまま私とガキの交流は始まったのである。