書斎は私の城だ。
年月をかけて、金もかけて、労力を惜しまず築き上げた私の城砦。数多の文字と、紙と、言葉で綴られた財産だ。
愛すべき紙束たちは、いつも私の側で寄り添い、癒してくれる。ゆりかごから墓場までとはこのこと。私の一生にはいつだって本が手にある。
絵本でもいい、教科書でもいい、文学でも、図鑑でもいい。
そこにあるのはいつだって、未知の世界への渇望だった。
いつからだったか、そこには不定期な客人が訪れるようになった。
クソガキが大半だが、素直に本を読んでくれる彼らはみんな良い子達だった。特異な状況にもすんなりと慣れ、適応し、本の世界へ飛び込んでいく彼ら。いつの間にか消えていることが多いけど、また会った時にはちゃんと覚えててくれていて。
大変だったりムカついた時も多くあったけど、なんだかんだ楽しかったのだ。彼らとのやりとりは。青いところもあったけど、根本は善性だ。
今目の前にいる、コイツと違って。
*
「なるほど、元凶はお前か」
いつものように書斎を掃除していた時に現れた男。ああいつもの客人か、と初対面にはまず最初に説明する、この不思議な現象と書斎のこと。それを聞いた客人は、なにか合点がいったかのように腕を組んだ。
五条くんや夏油くんより年上っぽい、頭に縫い目がある男だ。
派手な接合部分は手術痕だろうか? 包帯をしなくてもいいのだろうか。
まぁ人の傷跡をジロジロ見るのも失礼なので、ちゃんと顔に視線を合わせる。なんか胡散くさい顔をしている。というより、雰囲気だろうか。
「元凶とは? 誰か知り合いに私のことでも聞いてたの」
と言っても、ここに来ているのはまだ小さい恵くんたちを合わせても4人。彼らと今目の前の男に接点があるとはあまり考えられなかった。
「いいや? 一方的に知ってるだけさ。──私の計画はお陰で難航中だ」
「ふーん。なんか知らんけどすまんね、それは。なんの計画?」
私が向こうに与えた影響なんて大したものはないはずなんだけどなぁ。本読ませてただけだし……なんだろ? マジで思いつかん。五条くんか夏油くんがなんかやらかしたか? 次来た時説教する必要がある? いやこの場合謝罪?
微塵も思いつかない己のミスに思考を巡らせる。気づかないでやらかしているのが一番怖い。何をやっちまったと言うのか。
しかし、考察中によって動きが止まった私の、あろうことか首を男は突然締め上げてきた。
体格で負けている男の手は、私の喉元を完全に潰そうと力が入る。
あまりに突然の暴挙に、私はなにも防御できず、しまいには足が浮いていく。
「がっ……っ!? ……ぁ゛っ……っ!」
「夏油傑の死体を利用し、五条悟を封印する計画がね」
「っ……!?」
今、自分の命を握り潰そうとしている相手から出た知り合いの名前。数日前、2人揃って教員として楽しくやっていることを報告してくれたクソガキコンビ。私が少しだけ悩み相談に乗ってあげた、少年たち。
死体? 封印? ふざけんな!!
怒りに抵抗する腕に力が入る。しかし首に食い込む爪はさらに皮膚を抉っていくばかり。視界が白んで意識も朦朧としてくる。生理的な涙が頬を伝う。口の端からも泡が噴き出る。
「汚いな」
私の必死な反撃も、消えていく命の反応も、コイツにとってはただの「面倒くさいこと」のようだった。
なんで、なんでこんなことに!
私はただ本を読んでただけだ。客人と雑談し、たまにおやつを食べてただけだ。なんでこんな目に遭わないといけないのか。理不尽だ。不条理だ。小説だったら酷評ものだ。
あ、もう無理。落ちる、死ぬ、終わる────
そう、抵抗の手を緩め諦めた時だった。
「なにしてんだ、お前」
「……その手を離せ、下衆以下の猿が」
パラパラと、パラパラと、ページが風にめくれる音が聞こえた。
*
「説明」
「知らん男 書斎に到来 首絞め」
「誰が3行で言えって言ったよ。いっぱい説明しろ」
「悟、相手は意識を取り戻したばかりなんだ。あまり問い詰めるなよ」
高専? の保健室で五条くんが私に詰め寄っている。
夏油くんはベッドに横たわる私にりんごを剥いてくれている。ママか?
あれから2人を視認……というよりほぼ聴力だけで認識した私は、即意識を失った。
そして気づいたら見知らぬ天井だった。これがリアルスペースキャットってやつかぁ。
私の首にはしっかり包帯が巻かれ、なんでかわからんけど顔にもガーゼが張られている。なんで? 助けようとした時に投げ捨てられて地面に擦った? はえ〜。
「それしか言えんよ。私は相手を知らなかったけど、向こうは知ってたみたい。なんか私のせいで計画が狂ったとかなんとか」
「計画ぅ? なんだそれ」
「まだあっちの尋問が済んでないからね、そっちでわかるだろう」
「あー、夏油くんを殺して五条くんを封印とか……言ってたような……?」
「身の程知らずにも程があるな。てか狙い僕らかよ、一番被害被ってる人がほぼ無関係とか」
「書斎に突然現れた時点で『こっち』の世界の人物だろうし……本来関わらないはずのあなたに酷い迷惑をかけてしまったね」
絶対アイツ消す。と低い声で言う五条くんを横に、夏油くんはりんごを置いて頭を下げてくれる。夏油くんはいつだって真摯に礼をしてくれるなぁ。
「気にすんな。知らん人に対する警戒心が薄くなってた私も悪い。本来自衛できた事だし、君らには何も無いようで良かったよ」
そもそもねぇ、家に知らん男の人がいたら、家に1人の女は警戒すべきなんですよ!! 常識とかそういうレベルじゃなく!!
知らない他人が家にいることに慣れてしまっていたのだ。自宅は一つのテリトリー、その人だけの安全圏であるべきなのに、その認識が緩くなったところを突かれてしまった。警戒心や危機感の欠如がこの事件の大半だと思う。私が五条くんたちの場所に来れなかったら死んでた。己の悪運に感謝。
「てかアイツ誰なん?」
「羂索と名乗っていたね。どうやら高専職員の身体を乗っ取っていたらしい。道理で校内に入れるわけだよ」
「ま、おかげで発見できたんだけどな」
「乗っ取りとかあるんだ……この世界怖……」
そんなフィクションみたいなことあるんだ。本当に別世界なんだなぁ、五条くんたちからはジュリョク? とかジュツシキ? っていう謎単語も飛び交ってるし。
「しかしまさか自分がワープすることになるとは。書斎でずっと待機してる側だと思ってたのに」
「これ帰れんのかな」
「多分帰れると思う。なんかよくわからないけど『帰れる』って確信はあるよ。何時間かかるかはわからないけど」
「あー、僕もそういう感覚あるから最初からそんな警戒してないんだった。良かったじゃん」
「あの男はこっちでしっかり処理しておくよ。今度来た時は謝罪の品を渡させてほしいな」
「処理……? いやまぁほんと、私の危機感が無かっただけだから気にしないで」
これからはちゃんと警戒しないとなぁ……でも不定期に突然現れる客人にどう警戒しろというのか。せめていつでも通報できるように携帯持ちながらとか……? いやどうせ数時間で帰るんだから意味……。というか今回は滞在時間数分とかいう過去最短だったな。苦しくて永遠に感じれたけど。
「なんかちゃんと緩んだ精神治さないとなぁ……『あなたのための誘拐』とか読むかぁ」
「結局本かよ」
「高専にも書庫があるから、見てみるのも良いかもね。まぁ傷が落ち着くまではベッドで待機だけど」
「僕が何冊か見繕って来てあげよーか」
「お、五条くんセレクト気になる〜お願いします!」
「りょーかい」
夏油くんの切ってくれたりんごを頬張りながら、保健室を出ていく五条くんの背中を目で追う。いやぁ立派な背中に育ったもんです。お姉さんも鼻が高い。もちろん夏油くんもね。
「夏油くんセレクトもどっかで見たいなぁ。SNSで流行った自分を表す本10選みたいな」
「面白そうだね。ちなみにお姉さんの場合は?」
「悩む……『駆け込み訴え』、『活版印刷三日月堂』、『僕らのごはんは明日で待ってる』、『舟を編む』、『さみしい夜にはペンを持て』、『文房具の解剖図鑑』、『虚構推理』、芥川龍之介の『蜜柑』、『放哉の句を読まずに孤独』、『お探し物は図書館まで』。あたりかなぁ、かなり迷うから変わりそうだけど……」
「『駆け込み訴え』しかわからないや。太宰治だよね?」
「正解。なんとなく青空文庫で読んだ時から頭から離れなくて……あ、あと本というより作品だけど、寺山修司の詩は大抵好きだな」
「……本当に本の知識量がすごいな」
伊達に本に人生かけてませんよ。
殺されるなら知らん男に首絞められるより、本に潰されて死んだ方がマシだな。