「久しぶりって……まだ一週間しか経ってねぇだろ」
そうぼやくと、ガキは心底不思議そうな……何言ってるんだこいつ。とでも言いたそうな顔で私を見た。
改めて顔を見ると目がデケェしまつ毛バサバサだなコイツ。将来が楽しみだが、このままだとクソガキのまま育ちそうだ。
「何言ってんだ? もう一年経ってるだろ」
「はぁ?」
引きこもりがちな在宅ワーク。日付感覚が狂うことはよくあるが、流石に月が一周回るほど日は経ってないと断言できる。スマホのカレンダー機能は正常だし、週刊雑誌だってこの前買ってきたばかり。いくら大人と子どもじゃ体感時間が違うとはいえ、ここまでのバグはそうそう無い。
しかし顔だけじゃなく子どもの全体に目を向けてみると、確かに背は伸びているし歳を重ねた成長を感じる。
小学四年生が五年生になったような……そんなざっくりとした外見年齢の変化。
「よくわからんが……お前にとっては1年ぶりなのか……」
「時間のズレが起きてんのかもな。この現象だって謎だし」
「はぁ……『ゾウの時間ネズミの時間』的なアレか……?」
書斎に突然ガキが現れ、しかもそのガキとは時間がズレている。なんかフィクションじみた展開になってきたが、私はこの先事件に巻き込まれてあったりするんだろうか。遠慮願いたい。自分が特別な存在で、人知れず超常現象に巻き込まれて……なんて、そんな妄想をする歳ではなくなってしまった。高校生の己に今の状況を渡したい。
「で、家主を呼ばず本を読もうとしたのか」
「別に知ってるとこだし良いかなって」
「ひと言断ろうとしろクソガキ」
足元に広がるのは絵本たち。どうやら前回で絵本の良さに目覚めたらしい。それは何よりだが人の家に来たならまずは挨拶くらいしろクソガキ。
手に持っているのは「恐竜がかいた恐竜のほん」。小ネタが多くて隅々まで読むのが楽しい本だ。あとガキは恐竜が好き。
「良いチョイスだ。またそこの椅子に座って読みな。私も息抜きに何か読もうかな」
「読書が息抜きになんの?」
「仕事の文字と、本の文字は違う。別腹」
「仕事しろよ」
うるせー、急ぎの仕事は無いから良いんだよ。ガキがいっちょ前に仕事とか言うんじゃねぇ。
「なんか軽くつまめる本……『国語辞典の遊び方』でも読むか」
「国語辞典はただの辞典だろ?」
「気になるなら読む……いや、小学生には少し難しいな。もう少しデカくなったら読みな。面白いから」
「ガキ扱いやめろ」
「うるせー。高校卒業してから言うんだなそういうのは」
小学生なんてまだガキもガキだろ。本には適正年齢というものがあるのだ。お前にはまだ絵本か軽めの小説がちょうど良いだろ。「エルマーとりゅう」とか。
「……別に俺だって難しい本読めるし。家庭教師に習ってるし」
「やっぱボンボンだなお前……じゃあ『ペンギン・ハイウェイ』とかどうよ。お前くらいの歳の少年が主人公だし、本屋大賞取ってるし」
「分厚いからやだ」
「クソガキ」
これで分厚いとは、やはりまだガキだな。まぁ文庫本は文字も細かいから子どもには厳しいか。映画化してるしそこまで内容も難解じゃないと思うんだが……。
学校司書ならもっと的確なレファレンスができるんだろうか。このくらいの時って私何読んでたっけ……「怪談レストラン」とか? 星新一っていつから読んでたっけ……?
「なげー話は国語の授業思い出すから嫌だ」
「国語嫌いなのか?」
「『この部分の作者の意図を答えなさい』とか知らねーし。そんなん答えてどーすんだよ」
「ああ……」
ああいう手合いはまぁ、捻くれた思考なら突っかかるよなぁ……。読解力とか思考力はそういうところを鍛えないとなかなか……うん……。
しかし文章から感情や意図を感じとる力は、メールやチャットでやり取りをする事が多い今大切だからな……。それに共感性や感受性をこういう問題で養っておかないと将来自己中共感性皆無野郎が爆誕してしまう。国語が苦手だから共感性に乏しいというイコールが成り立つ訳ではないが。
いやなんでよく知らないクソガキの将来像を心配してるんだ私は。
「ネタで『〆切やばいって思ってるだろ』とか書くなよ。読解力が無いと将来苦労する」
「別に俺将来の夢は小説家じゃねーし」
「いいかクソガキ、何を伝えたくて、何を思っているか読み取る力は小説家に限られた技能じゃないぞ」
話の理解力とか、会話の瞬発力にも必要なものだ。まぁ読解力があるからコミュ障じゃないとはならないのも現実の難しい所だけどな!
…………小学生になに講釈垂れてるんだろうな、私。悲しくなってきたからここら辺で話を打ち切っておこう。
*
「あ゛〜。そろそろ仕事に戻るかぁ……」
「仕事しろよ」
「だから戻るっつってんだろ」
1時間くらい経ったか。いくら急ぎの仕事が無いとはいえ、だらけて良いという訳では無い。そもそも書斎の物音を確認しにくる前はメールチェックをしていた訳だし、大して根を詰めていないのに1時間も休憩してしまった。会社だったら普通に怒られている。在宅で良かった。
「じゃ、私仕事部屋に戻るから。本は丁重に扱えよ」
「骨折られたくねーよ」
ま、もしかしたらこの前と同じようにいつの間にか消えてる可能性もある。消えるタイミングが向こうにも調整できないものだとしたら、席を外しているタイミングで帰られるのもしょうがない。
あの子どもの正体も、なんで私の書斎に現れるのかもわからない。だけど、絵本に向ける表情や真剣な眼差しに悪いものは感じないし、言葉はクソガキそのものだが本の扱いが特段問題がある訳でも無い。読んでる時は静かだし、1人で勝手に何を読むか決めれる。
特に放置してても害が無いのである。
それに、彼が絵本をほとんど読んだことが無いのなら、邪険にもできない。
絵本というのは、ある種の交流ツールだ。
懐かしい絵本や、一般常識レベルで浸透している絵本を知らないのは、同世代や年下と関わる時にひとつ共通の話題を失くしてしまう。それは寂しい。
それに、情操教育や感情の育成にも不便だろう。あの子どもの保護者の教育方針は知らないが、ひと言物申したい。最悪語彙や言葉の発達が遅れるぞ。
「めんどくせぇ〜。独身女に子どもの相手は難しい……」
かと言って育児書や子育てエッセイをわざわざ買うのもなぁという状況だ。他に欲しい本もあるし、書斎に突然現れる条件もわからない今、今日来たからといってその未来にまた来るかもわからないのだ。
「要らぬ親切ってやつになりそうだしな……はー仕事仕事」
慣れない心配なんてしてたら湿気で本が痛む。
*
エンターキーを高らかに押して、夕方。
眼精疲労と腰の痛みに根を上げて、キッチンで水道水を一杯飲んだ後書斎に顔を出した。
ガキはまだ本を読んでいる。そろそろ帰ったと思ったんだけどな。
タイトルは「スイミー」。うむ、名作。
「スイミーはさー」
「ん?」
ぼんやりと本棚を眺めていると、突然話しかけられた。書斎に入ったことに気づいてたのか。集中して読んでるからこっそり入ったのに。
「なんで1匹で生きなかったんだろうな」
「…………」
スイミーってそんな孤独とかの話だったっけ……? みんなで力を合わせることの大切さとかそういう話じゃなかった……?
なんか序盤で大きな魚に襲われたけど、スイミーだけは泳ぐのが速かったから生き残ったんだっけ……。それで「ぼくが目になろう」の流れがあって……。ガキの時学芸会で劇をやった記憶はあるんだけど……。
「……寂しかったんじゃねぇの……?」
「……ふーん」
あ、納得いってなさそう。適当に言ったしな私も。
「俺さぁ、最強なの」
「うん?」
「だけどさぁ、こんな風に自分がわざわざ危険な目に遭ってまで他の雑魚を助けようって思えねぇんだ。嫌味で、自分がいい思いしたいだけで媚び売ってくる奴らだし」
「…………」
「俺はスイミーにはなれねぇなぁ」
そう溢すと、子どもは「スイミー」を閉じた。
少年の足元には前と同じく読み終わったらしい本が無雑作に置かれていて、やっぱりスイミーもそこの一冊になる。
そして、また絵本の棚を物色し始めた。ああ、そこの棚にはレオ・レオニの本が他にも何冊か置いてあったはずだ。気に入ったのだろうか。
私は、目の前の子どものことを何も知らない。
だから、そのほんの少し見せられた闇に、咄嗟に反応することができなかった。
「……別に、それは悪いことでもなんでもねぇだろ」
「……?」
「今のお前の周りにはスイミーにとっての大きな魚みたいなもので、デカくなって環境が変わったら、お前が目になりたいって奴も出てくるんじゃねーの」
そもそも小学生のガキが誰かと危険を犯してでも助けたいなんて思ってる方が特異だろ。ガキはガキらしく自分のことだけ考えて遊んでろ。
そう言うと、目の前の子どもは少し驚いて、そしてすぐに笑った。
「じゃ、マグロを退治できるくらい強くならねーとな」
「お前の場合、協力してくれる赤い魚たちを集めんのが先じゃねーの? 1人だけ強くなっても意味ねーだろ」
「あー……そっか」
コイツについてきてくれる赤い魚がいるのかね……と思ったが、なんか性格的にクラスの人気者枠やってそうだよなぁ。ガキ大将というか……そんで女子に嫌われている。クソガキだから。
ともあれ納得した答えを出せたようでなによりだ。何が刺さったのかは知らんが、子どものカウンセリングなんてレファレンスより無理だからな……。
「あ、そういえばスイミーは教科書に──」
そう振り返ると、散らばった絵本を残してガキは消えていた。
だから本を片付けて帰れよ。
「……久しぶりに読むか、『スイミー』」
表紙の黒い魚は、どうにもあの子どもには見えないがな。