世界を救った正義のヒーローはダンジョン攻略に駆り出される 作:たまご
北極に造られた天を衝くような巨大な塔。
慈しみの塔と名付けられたその建造物の最上階。
そこでは一人の女と一人の男の対決が決着していた。
「其方は何故、
巨大なオルガンのような装置をバックに、見目麗しいその女は長い黒髪を耳に掛けながらそう嘯く。
しかし倒れたその女には右腕と左足が欠落しており、全身には数々の傷跡が痛ましく残っている。
多量の出血から見るにあと数分でその命が途絶えるのは、最早逆らうことのできない定めと言えた。
「何故だと? 分からないのか? お前が人々を殺そうとしているからだ」
後ろにあるその装置。
平和のオルガンと名付けられたその機械は、全世界に人間を洗脳する電波を発信する効果を持つ世界侵略兵器だ。
その発動を止め、人々の自由を侵す残虐な悪行を成そうとしたその女を止める――いや、殺すために男はこの場にやってきた。
「此方が殺す? それは逆であろう」
「人間を自分の都合のいいように洗脳する。そんなのは死ぬのと同じだろう? どうしてそんな非道なことができる!?」
「ならば問おう。正義の使者【アルスマイア】よ」
「答えよう。悪の総帥【キルラスト】よ」
悪の総帥【キルラスト】。平和のオルガンを用い人類の全てを洗脳し、所謂【世界征服】を目論み、その成功まであと一歩の場まで漕ぎつけた人類史上最悪の悪人。
対して今この瞬間、世界を救わんとする正義の執行者。
これは彼等の最後の対話である。
「今この時この瞬間。世界は平和か? 人間は自由か? 人々は平等か? 本当にこの世界はお前が愛すべき世界か? 本来のこの世界はもっと自由でもっと広くて、もっと美しいもののはずなのではないのか?」
正義を背負うその男、アルスマイアは静かに黙って悲痛なる最後の言葉を聞く。
「金も国境も愛憎も、全ては人が頭の中で造りだした幻想だ。その非実在を人々はあると信じ共有している。その関係こそが世界を歪める原因だとは思わぬか? この世界には統治する者が必要だ。絶対で絶大で誰も逆らうことのできない支配者が必要なのだ。此方が統べよう、此方はその力を用意したのだ。此方だけが単独で悪を背負おう。その世界が最も平和で最も美しく、優しさと温かさに満ちた世界であると此方は信じる」
それが反逆の理由であった。
「だから此方が幻想を制御する。見たい夢を見せ続けよう。平和な世を築き信じさせよう。満足を与えよう。争いの存在しない平和な世を作り上げよう。これが此方の信じる正義だ」
悪の総本、人類の天敵、そう呼ばれたその女が最後に口にしたのは『正義』だった。
「違うよ。僕は信じている。今を生きる人々の優しさを。その未来はきっと誰にとっても暖かなものになるんだって。僕はそう信じているんだ。だから奪わせない」
真っ直ぐな瞳を持ってして、刺すように答えたアルスマイアの言葉をキルラストは嗤った。
「後悔するぞ。必ず」
「しないさ。きっと」
その会話を最後にしてキルラストは息を引き取った。
絶世の美女と言って間違いのないその顔は、命の輝きが消失した後であっても消えはしなかった。
「君は正義を知っていたんだな。僕は悪を知らないよ。そんな僕と君、どっちが正しいか勝負だな」
そう言いながらアルスマイアは聖剣を振り上げる。
キルラストの腕と足を斬り飛ばし、ついには致命傷を与えるに至った純白の剣はまるで正義を体現するような神々しさを放っている。
頭上より振り下ろされた純白の剣によって、『平和のオルガン』は粉々に破壊され尽くした。
誰もこの悪魔の兵器を蘇らせることができないように……粉々に、微粒子レベルまで、剣戟によって消滅されていく。
「帰ろう。疲れた」
手の剣が役割を終えて消えると同時に、そう呟いたアルスマイアは帰路へと付く。
世界征服を成し遂げようとした悪の組織の幹部、そして総本たるキルラスト、それら全員を下し、絶対なる勝利を掴んだはずのその背中は、どこかみすぼらしく感じられた。
世界が救われたなんて事実をほとんどの人間は知らない。
世界が危機に瀕していたことすら誰も知りはしないのだ。
◆
特異能用監獄『鬼ヶ島』。
公式には存在しないとされるこの島は海流の関係で通常の方法では絶対に訪れることができない。
そんな場所には政府が建造した特殊な牢屋が存在する。
看守はいない。
完全無人のその施設は遠隔操作のロボットによって管理されている。
何故ならそこに収容される犯罪者は、普通の人間が接触するには危険すぎる者ばかりであるからだ。
しかし、そんな島に西暦2032年10月3日今日日、一機のヘリコプターが着陸した。
「ありがとうございます! もう行って構いません!」
艶めく赤い髪に柔らかそうな白い肌。キリッとした瞳は強さを感じさせる。
黒いスーツに身を包み、メイクも最小限でナチュラルなものだけ。
女性らしさを感じない訳ではないが、弱々しい雰囲気は悉く排除されているような様相にも見える。
ヘリより下りたその女性はプロペラ音に対抗するために声を張って操縦者に告げる。
「しかし
「ご心配なく、早く行ってください!」
操縦者は紅姫に凄まれると同時に息を呑み、「了解」と言いヘリを離陸させた。
「さて、行きますか……」
一人になった彼女はヘリが離れたことで静寂を取り戻した鬼ヶ島のヘリポートで小さく呟く。
ポートの外側に配置されている扉を目視で確認した彼女は、そこへ歩みを進める。
扉を開けると階段が続き、紅姫は自分がきた目的ある最下層へと降りていく。
鬼ヶ島ではより危険な収容者であるほどより下層に投獄されるからだ。
この島に現在収容されている罪人の数は全部で五名。
それぞれの収容スペースがワンフロアを占領している。
一階。世紀の爆弾魔。
特殊な装置を開発したその男は、世界中のあらゆる物をどこに居ても爆発させることができたという。
地下一階。
その女は目を合わせるだけで相手の心内の全てを見抜き、その姿を相手が最も欲する姿へ変貌させることができた。
地下二階。異界の絵師。
その画家は書いた絵に人を封印する術を編み出し、今でも数百人の人間が絵の中に閉じ込められたまま、拷問に近い責め苦を受け続けている。
地下三階。世界征服達成の一歩手前で捕縛された組織の第二席。
それは素手でビルを倒壊させる。それはあらゆる損傷を即座に回復させ、あらゆる毒物に完全な耐性を持ち、生身で宇宙空間での活動すら可能な超人である。
そして地下四階。世界を救った救世の英雄。
かつて、世界は三度の危機があった。どれも彼がいなければ人類もしくは地球に対して甚大な被害が発生したであろう事案であった。
しかし彼はその全てを単独で打倒、事実として彼は世界を三度救っている。
にも拘わらず、彼は栄誉を求めず、栄光を知らず、己の存在こそが人々を不安にさせると悟ったならば自分の意志で鬼ヶ島に投獄されることを選ぶような、そんな人類史上最高かつ最強の英雄である。
「
防弾ガラスを通常より三倍厚くした特殊ガラスによって分断された両者を繋げるのは、会話用の小さな穴だけである。
「それとも英雄アルスマイアとお呼びした方がよろしいでしょうか?」
地下四階。
目的の人物の収容施設へ足を踏み入れた紅姫は、恐る恐るガラスの向こうで体育座りをしている男へ声を掛けた。
「どっちでも……」
男は顔も上げずに小さく答える。
「では天城さん。本日は折り入ってお願いがあってきました」
「分かってるよ」
警戒はしていた。
「は?」
ガラスが粉々に砕け散った。
いやそれはいい。この程度の防御機構で彼を閉じ込められると思っていたわけではない。
だが、彼が何をしてガラスを破ったのか、その所作が一切見えなかった。
そんなことがあり得るのだろうか?
相手はこの場所に収容されるレベルの人物であることは理解していたつもりだった。
しかし認識を改めざるを得ない。
この人物は紅姫の想像していた数倍、いや数十倍の危険人物であると。
「行こうか。今回は何? 隕石? パンデミック? 異能者? それとも宇宙人でも襲ってきたかい?」
天城は立ち上がり、紅姫に向かって歩いてくる。
息が詰まりそうな圧迫感を感じながら、紅姫はその問いに真摯に答える。
絶対に彼の逆鱗に触れぬよう、細心の注意を払って。
「一昨日、つまり西暦2032年10月1日の21時24分。東京に突如異界へ繋がるゲートが出現しました。同日22時03分、そのゲートより怪物……呼称名を『異界生物』が出現。自衛隊によって鎮圧されましたが、多くの犠牲者が出ています。更に昨日の内部調査によるとゲート内部にはその怪物は、数百から数千匹以上確認されたそうです。連盟はこれを【世界危機】と断定。アルスマイアに救済を命じるとのことです」
「救済を……命じる、か……」
紅姫とて分かっている。
彼が賞賛も讃美の声も知ることなく、この薄暗い牢獄に閉じ込められていたことを。
そしていつでも出られる能力を持ちながら、黙ってその状況に甘んじていたということも。
そんな人間は都合よく人々の救済を願われて、はいそうですかと、潔く協力してくれるだろうか。
故に紅姫は自分の役割を理解している。
己の持ちうる全てを使って彼に頷いて貰う。
私はそのための『贄』なのだ。
「もし私を殺すのでしたら、ゲートの場所までご案内してからにしていただけますでしょうか?」
殺されようが犯されようが、拷問に掛けられても、それでも自分は構わない。
それだけの理由がある。彼を頷かせなければ世界が滅ぶと知っている。
故に尊厳も自由も必要ない。
世界が救われるのなら十字架に張り付けにされ、火炙りにされても構わないのだから。
「偉い人が君みたいな真面目な子を寄越したのは、君の心にある正義に僕が同調するとでも思ったからなんだろうね」
白い毛髪を揺らしながら薄く笑った彼は、面会用の椅子に座り紅姫に背中を見せた。
「取り合えず、髪切ってくれない? 前が見えないと困るからさ」
そう言って彼は純白のハサミを紅姫に手渡してくる。
どこから出したのか、いやそもそもそんな物を持ち込めるはずがない。
そう思いながらも紅姫はハサミを受け取る。
「分かりました。どのようにしましょうか?」
「適当でいいよ。おまかせで」
「分かりました」
互いに無言で天城の髪に紅姫はハサミを入れる。
それが世界を救うための
裸になれと言われればそうするし、死ねと言われればそうする。
自分の臓物を抉る覚悟も、生きたまま頭蓋を砕く覚悟も決まっている。
この程度の願いに疑問も文句もありはしない。
「そう言えば聞いてなかったね」
ふと思い出しように天城は紅姫に問う。
「結局僕は具体的に何をすればいいんだい?」
その問いの答えはどう取り繕っても彼の成果の愚弄である。
故にこそ紅姫は死をも覚悟していた。
意を決し、紅姫は語って聞かせる。
世界を統べる者達の、天城の言葉を借りるなら『偉い人』たちの願いを。
「ゲートにより繋がった異世界を【征服】していただきたいとのことです」
言葉を受けるように、噛み締めるように、目を瞑った彼は「そうか」と頷き。
「かつて滅ぼした悪と同じことをしろと言うんだね」