ちなみに私は赤から鍋が好みです。
俺の手が伸びたすぐ先を目にも映らぬ速さで細い何かが通る。そしてそのその後に届いた俺の手の先は何も掴んではいなかった。先ほどまで確かにあった物は先の一瞬でかすめ取られたのだ。
ならばと、手首をわずかに捻り別の物に狙いを定めるが……何もなかった。いったいいつされたのか分からない。すでに先読みされていたのだろう。結局俺は何も取れなかった。
「れ、蓮元気出して……ほら、まだいっぱいあるから」
「ああ、いけないよマルグリット。まず有る物から食べるのがマナーだ」
右隣にいるマリィから優しい申し出があったが、正面の糞野郎が認めない。有る物と聞き嫌な予感を感じつつも左手に視線を送れば何もないはずの器には俺が頭の中で想像していた者があった。
――いい加減、
「俺にも肉を食わせろッ!」
そう言い放ち左手の器から
「いい加減にしろ! ラインハルトにカールクラフト!」
「日本の鍋とは戦場と聞いた。そして戦場ならば相手の補給を断ち切るのが有効だ」
「然り然り、君は糸こんにゃくを腹で膨らませているのが似合いだよ」
ラインハルトはまだ許せる。教えたやつをぶん殴りたい境遇にはかられるがマリィが取る肉は取っていかないからマリィに取ってもらえばいい。だがカールが俺の器にいつの間にか糸こんにゃくを放ってくる為いつまでたっても食べれない。鍋のルールとしてやはり器にある物を片してから次の物を取るべき、この辺りは司狼だって守るルールだ。
「だが糸こんにゃくも無限じゃない。もうずいぶん少なくなってきたじゃないか」
俺の指摘通り鍋の中には糸こんにゃく――というか全部だが――はもうほとんど残っていない。そしてカールクラフトにもラインハルトにも器にはまだ具が入っている。そして俺の器は空だ。いまなら取れる――
「まだあるが」
と思い箸を伸ばしたらその上に新しい糸こんにゃくが降ってきた。糸こんにゃくは俺の箸に絡まり、これは否応なく掴んだことになるだろう。それだけでも辛いのにさらに二、三袋の糸こんにゃくが降ってくる。降り止む頃には当然だが糸こんにゃくで鍋が埋め尽くされた。
もし、マリィがいなかったら卓袱台を引っ繰り返しただろう。
「ていうかなんでお前らがいるんだよ! 誘った覚えはないぞ!」
「別にかまわんだろう。出汁を作ってやったのだからその位は見逃してほしいものだがな」
「私はカールがまた何かやらかさないように、監視の意味合いも込めてな」
なら遠慮しろよ、とラインハルトに目で語るが華麗にスルー、美味しそうに肉を食べる姿は当て付けのように思えるが単にラインハルトの食べる姿が絵になっているだけだ。
それに対してカールは……同じく絵にはなっているのだが第一印象が最悪すぎたのでこちらは完璧に当て付けに感じる。実際ニヤニヤしながら見てきてるし。
ああ、殴りたい。この笑顔。それも二、三〇回くらい。しかしそんなことをしてもこの男には効かないのだろう。平和的に言葉で解決しようとしてもこいつの喋り方と言い振る舞いと言い苛立つし、手っ取り早く暴力で解決(できないが)しようにも何も効かない。
「何をそんなに苛立っているのかね? この糸こんにゃくでも食べて落ち着いたらいかがかね」
「糸こんはもういらん! 肉を食わせろ!」
「戦場で敵に容赦はせんよ」
カールから糸こんを薦めて来るが当然のごとく断り肉に箸を伸ばすが再びラインハルトに取られる。その際重要な血管が四、五本ほど切れたような音が俺の中からした。
「れ、蓮、落ち着いて!」
「大丈夫だよマリィ俺は十分落ち着いているよ」
「でも……卓袱台、ミキミキ音たててるよ」
そう言われて卓袱台を見てみれば俺がいつの間にかつかんでいたところにはまるで鉄球が落ちて来たみたいに、亀裂が走っていた。これはいけない、明日買いに行かないと。とりあえず素数を数えよう、こういう時こそ落ち着くべきだ。
……よし、だいぶ落ち着いた。
「ラインハルト」
「何かな?」
「表出ろ」
「ふむ、それは戦の合図か」
違った。まだ落ち着きが足りなかったかもしれない。もう一度深呼吸して心身を落ち着ける。
「ちょっと話したいことがあるから、来てくれないか」
「ああ、そういうことか。良いだろう。少し離れるぞご両人」
マリィとカールを二人きりにするのは心配極まりないのだが……しょうがない。すぐに帰ってくるからな、マリィ。
※※※
居間から扉二枚と廊下を隔てて表へ出る。鍋を始める前はなんともなかったが今は雪が降っている。雪が降り積もる様子を眺めると荒みに荒みきった心身が癒される。
「ラインハルト、提案がある」
「何かね?」
「同盟を組もう」
先ほどラインハルトは鍋を戦争と言っていた。それを正してもいいのだが今はその誤解を解かずに利用できるなら利用したい。戦争ならば同盟はありだ。俺とラインハルトとマリィが同盟を組み、カールクラフト包囲網を完成させる。
「ふむ、確かに。なかなか戦の通りにかなっておる」
「だろ。それにあんたもあいつの尻拭いには疲れてるだろ」
「まあな。その意趣返しの意味で、と言う訳か。しかし些かメリットが少なくないかね」
その通りだ。確かにカールへの意趣返し程度ならば別に今この時でなくてもいい。ラインハルトも普通に鍋を楽しんでいる。ああそうさ、これだけじゃあ押しが弱いよな。だが俺がそれを考えてないと思ったか! 他の奴ならいざ知らず、この戦争厨ならば効果のある文句は既に考えてあるんだよ!
「もし同盟を組んでくれたなら――――今後一週間俺はお前の店の争奪戦に参加する!」
「いいだろう、卿と同盟を組もう」
俺たちは互いの手を固く握りしめた。【スワスチカ】は強豪ぞろいだから常に激戦だ。だがラインハルトはそれだけでは満足できない。クリスマスの時と同じくらいの激戦を臨んでいる。そしてその時弁当を手に入れた俺、つまりクリスマスの激戦の中心にいた俺ならばあの時のと同じくらいものを起こせるのではないかと思っているのだ。まあ一週間くらい弁当が全部売れて戦場にならないことも十分あるが。そういう点を考えるとやはりカールへの意趣返しが過半数を占めているのだろう。
「では行こう。奴の鼻を明かしてやれ」
「任せろ。度肝抜いてやるよ」
待ってろよカールクラフト。その憎らしい面を(´・ω・`)に変えてやるぜ!
「……それはネタかね?」
「心を読むな」
※※※
(ほう、やはり同盟を組んだか)
戻ってくるなり二人して勝ち誇ったような笑みを浮かべて席に着く。そして箸を持ちまるで牽制するかのような構えをするラインハルトに、隙を見つければいつでも取るようにする蓮。基本的にカールの作戦は蓮の器に糸こんを大量に入れて他の具材が入らないようにする作戦だ。しかしそのためにはばれない様にしなければならない。なぜならばカールの『蓮の器に大量の糸こんを入れる』作戦は誰かに見られそれを指摘されれば自分が食べなければならない。 それが鍋ルール『一度つかんだものは責任を取って食べること』だ。もしラインハルトがカールの箸の動きを止めれば掴んだ器一杯分の糸こんはカールが食べることになる。そうなれば蓮は肉を掻っ攫っていくだろう。ちなみに糸こんを食べながら妨害と言うことはできない。『器がいっぱいになったら一度平らげてから箸を伸ばすこと』が鍋ルールだからだ。ラインハルトと同盟を組んでおりマリィが普通に食べている状態でいきなり肉が消えたらそれはさすがにばれる。そうなればカールはこの後ずっと具材入れ係りとして何も食べることなく終わるだろう。ならばどうするべきか……。
そう悩んでいると蓮の箸が伸び始めた。先ほどから動かないカールの箸を見てラインハルトならば止められると判断したようだ。こちらも牽制として箸をわずかに糸こんの方向へ向けるがそれだけで何もできない。それを見て確信したように蓮が勝ち誇る。
まずい……カールの顔が僅かに曇った。カールとしては愛しのマルグリットと鍋を囲うなどと言う至高の時間を楽しませてやるつもりはない。だからせめてもの嫌がらせで『糸こん以外を何も食わせない』ようにした。だが今それが破られようとしている。蓮の肉と箸の彼我の距離は大体6センチくらい。時間にしてあと6秒だ。
カールクラフトは考えた。奴に肉を食わせない為にはどうするか。
奴より早く肉を掴む? 却下だ。ラインハルトがなんらかの妨害をしてくるだろうしそんな単純な動きなら蓮の方が早く肉に届く。
鍋に蓋をかぶせる? これも却下。現状それをする意味はない。それに蓋を閉じようとすれば蓮はそれより早く肉を攫って行く。
再びラインハルトを味方にする? これが一番無理だろう。おそらくラインハルトが向こうに着いた理由の八割はこちらに対する意趣返しだ。
ならばどうする? 箸と肉の距離は3センチ、時間だと3秒だ。カールクラフトは考え、考え、考え続け、やがて考えることをやm……ではなくて妙案が思いついた。
これ以上の妙案はないと知り、カールクラフトは即座に行動を起こした。それに僅かにラインハルトが、蓮が、反応した。蓮が肉に箸を伸ばし、ラインハルトはこちらの箸を抑えようとするができない。なぜなら今カールクラフトは糸こんを掴んでいるだけで放ろうとはしていないからだ。ただ抑えるだけではだめだ。決定的な証拠として押さえなければ意味がないのだ。 故にラインハルトは動けない。だがこれを入れようとすれば必ず箸は動く、だからラインハルトは見に徹し、故に負けるのだ。
現在鍋の様子は糸こんが上にこんもり乗っており、その下からいくつかの具材が見え隠れする状態だ。蓮が標的にしているのはその見え隠れしている肉の一つだ。つまり
蓮が勝利を確信して肉に手を伸ばし掴みにかかる。だが、蓮の箸は何も掴んではいなかった。見れば先ほどまであった肉が消えていた。またしても取られたかと思ったがこの距離で分からないはずがない。では何故? そう思ったとき、疑問は明らかになった。
糸こんが動いている。それも一部ではなく全体が、だ。
最初糸こんはどういう状態だったか。具に箸を伸ばした蓮の箸の上に四袋もの糸こんにゃくが降ってきた。そして蓮が掴んでいた糸こんにゃくは最初に落とされたものでさらに振って来た後も蓮は掴んだままだった。そしてすべて降り止んだ後にそれを器に運んだ。その時、蓮が糸こんにゃくを器に入れるとき、糸こんにゃくは複雑に絡まったのだ。そしてカールクラフトはそれを利用した!
見ればカールクラフトが箸を突き刺した糸こんにゃくはまるでフォークで丸めたスパゲティのようになっておりその中にはたくさんの具材が見え隠れしている。
そう、カールクラフトは鍋一面の糸こんにゃくを全て巻き取ることで鍋全体の具材をも巻き取ったのだ。そして具材がなくなった鍋は新たに具材を投下して煮えあがるのを待たなければならない。そしてその間にカールクラフトは器からも漏れ出るその鍋具材in糸こんにゃくを食べつくすだろう。まさに攻防一体の必殺技である!!
さすがの蓮も、ラインハルトも認めざるを得なかった。自分たちの完敗を……。
※※※
結局あの後、マリィの『みんなで楽しく食べよう』宣言により和平をし、蓮は肉を食べることが出来た。
だが蓮も、ラインハルトもしばらく鍋ばかりを食べていたらしい。証言者のSさんとEさんによれば『あの男にだけは負けられない』だの『真に愛するならば壊せ、しかし鍋を壊しては鍋ができぬか……』という不穏なセリフが多々あったとかなんとか……。
さらにスーパー【スワスチカ】では鍋系弁当が多々出現し連日連夜争奪戦が開催されたらしい。その時の蓮の恐ろしさから新たに【鍋将軍】という二つ名がついた。