「迷った」
そうつぶやいたのは、先ほどまで迷うことなく歩いていたフリーレン様。
唯一の道しるべであろう彼女がこうして投げ出してしまっては、私たちにできることはない。すでに倒れてしまったシュタルク様を肩にかけてなんとか行軍するが、薄紫色の髪の毛の上に降り積もる雪はもともと白っぽいフリーレン様をさらに同化させている。
(下手したら見失ってしまいますね…)
おそらく、いや確実にそうなったらおしまいだ。
シュタルク様を背負うために荷物はすべてフリーレン様に預けている。
もしはぐれたら一日と持たない。
「…いい匂い…」
(こっちは本気で心配しているのに)
「置いていっていいですか?」
「我慢して。麓まで行けば避難小屋があるはず…」
「それ80年前の知識ですよね」
手を伸ばせば届くような距離なのに、ぼやけ始めていたフリーレン様に普段より力を込めて返した。
少しだけこの危機にいらついていると自覚する。
(大丈夫かな)
それは知識面でも、自分自身にも思っていたことだった。
しかし、結論から言えばなんとか山小屋を見つけることはできた。
ほかに何もない中にぽつんと立ったそれを見つけて、かなり大きく息を吐いた。
「良かった。まだ定期的に管理されているみたいだね」
「人の気配がします。先客でもいるのでしょうか」
とはいうものの、選択肢がないのはわかりきっている。
「とにかく中に入るよ。このままじゃ氷付けになるのは目に見えてるからね」
そう言って、フリーレン様は体に乗った行きを振り落としてから、きしむ音のする扉を開けて――閉じた。
…閉じた?
「え、なんで閉じてるんですかフリーレン様」
「…ええっとね」
どうも歯切れが悪い。
この状況はわかっているはずなのに。
「なんですか、こんな山奥に変態でもいたんですか」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
むしろ変態よりもたちが悪いというか、と小さくつぶやいていたがそれは堂々と無視する。
同時に小さく指を合わせてショボン顔をする姿はそれが大事ではないことを物語っていた。
「フリーレン様、事態は急を要しています。絶対に無理なら諦めますが、そうでないなら入れてください」
「絶対に無理って言うわけじゃないんだけど、できれば――」
つまり大丈夫だと。
私は最後まで聞ききることなく小屋の取っ手に手をかけた。
はやくシュタルク様を暖めたい一心で。
すると中にいたのは、フリーレン様と同じ薄紫色の長髪を持った女性だ。
全体的に細く、黒い格好をしていて、身長は女性としては高い部類。
そして何よりも特徴的だったのは、その耳だった。
「あれ、次は人間じゃないか。フリーレンのやつはどこへ行った」
妙に蠱惑的な笑みを浮かべ、こんな天気は苦でもないような顔をしている。
けれどそれよりも気になるのは、その言い方と身体的特徴。
もしかして、エルフ?
「おい、止まるな。入るならさっさと入れ。暖かい空気が逃げる」
「す、すいません」
とりあえず考えるのを止めて中に入る。
それからシュタルク様を壁に立てかけた。
部屋は外が極寒であることを忘れてしまうほどに暖かい。
(ひとまず、シュタルク様は大丈夫そう)
さきほどまでは苦しそうな表情をしていたが、この部屋に入ってからはまだましな表情をしている。
一般人なら、少なくともフェルンではこのまま死んでもおかしくはないが、まあ、シュタルク様ならなんとかなるだろうと思い、とりあえず自分が着ていた分のローブだけ掛けてあげて、その謎の女の前に座った。
部屋を見てみると、暖炉と机と四脚の椅子。
質素で最低限しかないが、少なくとも命の危険はなくなった。
となれば、気になるのはこの女。
どう考えても、フリーレン様はこの女から逃げているようだった。
「あの、いいですか」
「なんだ」
おずおずと問うフェルンに対して、傲慢ともとれる態度を示し続ける女。
警戒を緩めずに、そして言葉を選びながら会話を続ける。
「お互い、災難でしたね」
「ああ、そうだな。とはいえ、ここの天気は変わりやすいので有名だ。風さえしのぐ場所さえあれば、用意してきたものでなんとかなるだろう」
「変わりやすいと言うことは晴れやすいと言うことでもありますしね。申し遅れました、私は魔法使いのフェルンといいます。人間です。あなたは?」
「名前はセラ。魔法使いと言えば魔法も使えるが、ウォーサイスも使えるしなんならゴーレムだって作れる。一応、エルフだ」
「手札が多いのは素晴らしいことですね。長く鍛錬なさってきたんでしょう」
「長いと言えば長いが、どちらかと言えば器用貧乏の類いだよ。そのせいでこんな嵐で一晩耐えなければならない」
「自然の力は雄大ですからね」
「まあ、それが楽しくもあるんだがな。予想通りの人生、いや私はエルフだしエルフ生か。どちらにしろ、そんなものは面白くない」
「同感ですね。それでパーティーメンバーが倒れなければ、なおのこといいんですけど」
「パーティーメンバー、か」
セラと名乗った女性は目を細め、何やら遠くを見るようにつぶやく。
エルフである彼女は、フリーレン様のように想像を超えるような長い旅をしてきたのは容易に想像ができた。
当然、そこにはかけがえのない出会いと、必然の別れがあったはずだ。
さぞ、しみじみとした思いをしたのだろうと、彼女を眺めていると、ふとその視線の先に違和感を持った。
追って自分も顔をその先へ向けてみると、そこには先ほど置いたシュタルク様が。
「なあ、お前はそこのと恋仲なのか?」
「…え?」
「だから、そこの男はお前の彼氏かと――」
「いや!それはわかっています!」
突然のことに調子を狂わされてしまい、同時に彼女の方からニヤリと笑った音も聞こえた。
すると、先ほどよりも楽しそうに、しかし顔は冷静なままに話を続ける。
「じゃあ聞き返すな。あと、大きな声も出すな」
「それは謝りますが、話が飛躍しすぎでしょう」
「飛躍?いやいやそんなことはない。今のところは入ってきたのは、フリーレンとお前とあの男だけだ。エルフであるあいつがそうホイホイ男に捕まるとも思えない。なら、それは男女のペアが旅をしているのと同義だろう。意識しないわけがない」
「主観的な判断が多くありませんか、それ」
「何よりもの証拠はお前の顔だな」
「そんなわけ――
ない、と言おうとして何かが喉につっかえてしまったような感じがした。
私はあんな男を意識していない、はずなのだ。
だが、その一瞬が致命的。
沈黙は肯定と見なされる。
「ほらな、やっぱ「あまり私の弟子をからかわないでよ。姉さん」…ああ、やっときたかフリーレン」
やっとフリーレン様が入ってきた。
もう少し早く入ってきてほしかったが最終宣告を出される前だったので、まあ、よしとする。
よく見ると、先ほど落としたはずの雪が再び彼女の頭に乗り始めていた。
そんなに嫌だったんだ――分かるけど。
しかし、今それよりも重要なことを言った気がする。
「え、お二人って姉妹なんですか」
「そうだよ」
「そうだな」
…。
(もう、やだ)
***
「とりあえず、夕食の準備でもするか」
「そうだね、いくよフェルン」
止まった時間を動かしたのはルーティーンじみた声がけだった。
ともに確認し合った食料の残量はざっと二週間分。
さすがに、二週間ずっとこの猛吹雪が続くことはないだろう。
この建物も、手入れが行き届いているのか、そうそう崩れる予感はしない。
私たちは、シュタルク様が起きるのを待ちつつ、暖炉を囲ってあまりおいしくない保存食をかじった。
「…やっぱり、味としては落第ですよね、これ」
「まあ、そうはいってもこいつらのおかげで飢え死にすることはないんだし、文句をつけるべきじゃないよ」
「もし晴れたらウサギの一匹や二匹くらい捕まえてやるから、とりあえず我慢していろ」
「…約束ですよ。一日二日ならまだしも、一週間連続でこれは洒落になりませんからね」
「早くやむといいね」
「同感です」
「とはいえ、この吹雪のおかげで出会えたんだ。少しくらいはのびのびさせてやろうじゃないか」
「またそう言って姉さんは…。前はそのまま三年くらい山に籠もるハメになったの学んでないの」
「あれはあれで楽しかったじゃないか。孤独は生命のスパイスだ」
「それは否定しないけどね。でも今はフェルンたちもいる」
「確かに、人間にはあの雄大な時間感覚は分からんだろうな。と、そういえばこいつらは何なんだ?お前、弟子をとったのか?」
あ、いきなりこっちに話が来た。
「そ、弟子のフェルン。いい子でしょ」
「大丈夫かフェルン。こいつ、なかなか起きないし、魔法馬鹿だし、結構抜けてるところあるだろ。迷惑かけてないか?」
ずい、と顔を近づけて心配そうな目で見てくるセラ。
そこにあるのは、妹が迷惑をかけていないか心配な姉の顔。
「まあ、それなりに」
大抵のことはなれたが、たいした成果がないとわかってミミックに突っ込んでいくのは勘弁してほしい。
「そこは否定してほしかったなぁ」
「事実ですから。でも――
ちょっとだけ気恥ずかしいが、こういう場面でないと多分いえないから。
「それ以上に、私はフリーレン様が楽しそうに旅をするのが好きなので」
耳が急に熱くなる。
フリーレン様も目を大きく開いて驚いてくれたようだ。
それなら、言った甲斐がある。
「おお、言い切ったなお前。そんなど直球に来るとは思わなかった。お前もドヤッてするのやめろ。迷惑かけてるのは変わらないんだぞ」
「いいよ、フェルンは優しいから」
「そんなこと言うのなら、明日は三つ編みにしますからね」
「いい考えじゃないか、私もフリーレンの三つ編みは見てみたい。髪とか無頓着だったもんな」
「まあ、二人がいいって言うならいいけど、あれ、ちょっと邪魔なんだよね」
それから数十分か、数時間かはわからないが時は流れ、少なくともセラ様には悪意はないこと、それからただ単にからかうのが好きだとを身をもって体感した。
娯楽なんてあるわけもないこの小屋にあるのは、ただの思い出話。
ゆっくりと三人で温かい飲み物を飲みながら、シュタルク様の回復と眠気を待った。