注:ミカリスはミシェイルの英語版の名前です。ゲーム本編でクリスは料理ができない設定ですが、過酷な鍛練をする人がまともな食事を作れないのは不自然に思えるので、このお話では料理ができることにしました。
アリティア王国の片隅にある、二つの清流が通る山間の村・セラ村は数十世帯が暮らす小さな村である。その村外れの空き地で――
「せいっ!やあっ!とおっ!」
紺色の髪と目をした一人の青年――クリスがいつものように鍛錬に励んでいた。少し前まで老いた養父に師事していたのだが、彼は亡くなってしまった。クリスにとって鍛錬は幼い頃から続いている日課でほとんど生活の一部のようなものだったため、たとえ指導者がいなくても鍛錬を止めようなどとは微塵も思わなかった。
「はあっ!」
片手剣を振るとともに枯れ草が舞う。いつの間にか陽は大分傾いていた。そんな中、頭上をサーっと何かが通り過ぎて、クリスは思わず上を振り仰いだ。一頭の飛竜だった。飛竜はみるみるうちに高度を落とし、空き地の端へと突っ込むように着地した。飛竜の背には人が乗っていて、長い赤髪が黒いマントの背を流れ落ちている。
「おーい、どうしたんだ?」
明らかに不自然な着地にクリスが駆け寄ると、騎手が振り返った。凛々しい顔立ちをした若い男だ。飛竜の背に乗っているため上から見下ろす形であることと、生来のものらしい威圧的な強い眼差しにクリスが気後れしそうになるが。
「…飛竜がケガをしていて、これ以上飛べなくなった。」
男は答えて慣れた所作で飛竜から降りた。男の言葉にクリスが改めて飛竜を見ると、あちこちの傷から血が滲んでいた。騎手の衣服も豪奢だが薄汚れてところどころ破れており、彼の手に握られている銀の槍もかなり疵ついていた。
「これを使うといい。」
「…感謝する。」
クリスが鍛錬でケガをした場合に備えて持ってきていた傷薬を差し出すと、赤髪の男が受け取り、礼を述べた。
「あんたもケガを?」
「いや。俺のケガは妹が治してくれたから問題ない。近くに飛竜を休ませられるような場所はあるか?」
「それなら、そこの岩場の陰に俺が鍛錬の合間の休憩や急に雨に降られたとき使っている洞があるから飛竜はそこで休ませるといい。」
「わかった。」
赤髪の男は飛竜をクリスが示した洞へと導き、鞍と轡を外して傷薬を塗り込み始めた。
「水や餌は必要か?」
「今は必要ない。少し前に与えたばかりだ。」
飛竜を処置するのを見ながらクリスが問うと、男が答えた。
「…よし、これでいい。随分疲れていたようだな。無理をさせてすまない、アレキサンダー。ここでゆっくり休め。」
傷薬の塗布を終え、眠りに就こうとする愛竜の背を男が撫でる。
「あんたも休息した方がいいんじゃないか?俺の家に来るか?」
「……いいのか?」
クリスが申し出ると男は戸惑った目で彼を見た。
「ああ、構わない。」
クリスが安心させるように微笑んで見せ、ついて来い、という素振りとともに村の方へと歩き出した。
村の端にあるクリスの家はさほど大きくもない石造りの家で、長方形の一つの空間の片隅に厨房と食卓、奥の方にベッドが二つ、その傍に木の扉があった。
「生活空間は主にこの一部屋だけ。あの奥にも部屋はあるが、物置きだ。」
「…家族がいるのか?」
クリスが家屋の説明をするが、それよりも男はベッドが二つあるのが気になった。
――この青年は親切にも俺を家に招いてくれたが、家族が俺を歓迎するとは限らない。
「祖父と住んでいたんだが、少し前に亡くなった。」
「そうか…」
男の心配は杞憂に終わった。
「ところで自己紹介がまだだよな?俺はクリス。あんたは?」
「…ミカリス。」
「じゃあミカリス、腹減ってる?今から飯作るんだけど…」
「ひどく空腹だ。」
「はは、それならすぐに作るから待っていてくれ。」
クリスは早速食事の支度に取り掛かった。
ほどなくして食卓には何品かの料理が並んだ。
「このパンは近所の人が焼いて朝、届けてくれたものだ。これはウチで採れた野菜のスープ。これが豆と干し肉、じゃがいものトマト煮。それでこれがサラダ。口に合うかどうかわからないが…」
「十分だ。ありがたく頂こう。」
数日ぶりのまともな食事にミカリスの顔が綻ぶ。クリスも彼の堅い表情が和らいだのを見て思わず微笑み、食べ始めた。
「…あんたのその赤い髪、マケドニア人?」
二人で食事を摂りながら、クリスが尋ねる。
「ああ。俺はマケドニア人だ。」
「ワケアリみたいだけど、どうしたんだ?」
思い切ってクリスが踏み込んだ質問をする。話せないことかもしれないとは思ったが、やはり訊いておかねばならなかった。
「少し前に起こったマケドニアでの戦いで軍に参加していたんだが、アリティア軍に敗れて逃げて来た。」
「逃げて?アリティア軍が敗残兵に酷い扱いをしたという噂は聞いたことがない。逃げずにいたら、国も家族も捨てなくとも済んだかもしれないのに。」
「…そうだとしても。俺は新しい地でやり直したかった。」
「それならあんたが落ち着きたいと思う処が決まるまでここに居てくれて構わない。」
「……」
もともとミカリスは北のフレイムバレルを目指していた。彼の地に拠点を置く火の部族なら自身の出自など問わないはずで、同盟軍に密告される心配もない。彼らに混じって潜伏し、これからどうするかを考えるつもりだったのだが、辿り着く前に飛竜が力尽きてしまった。
――どのみち、飛竜が飛べるようになるまで動けぬ。
密告される可能性が頭を掠めたが――ミカリスの第六感が大丈夫、彼は信用できると告げていた。
「それはありがたい。…そう言えば、ここは何処なんだ?」
「アリティア王国のセラ村だ。」
「ここはアリティアなのか…静かな村だな。」
「何もない村だけど人は親切だ。」
「はは、お前を見ていればわかる。」
ミカリスが微笑った。
夕食後。
「その服、ボロボロだ。俺の服でよかったら貸そうか?」
クリスが申し出ると、ミカリスは改めて自分自身を見下ろした。元は上質な生地でできた服も戦いであちこち傷み、汚れていた。
「それは助かるが…」
「よし。なら、着替える前に沐浴した方がいいよな。村人たちは黄昏時から薄暮にかけて村を流れる小川の下流で沐浴するんだが、今から俺たちも行かないか?」
窓の方を見ると外は夕闇が濃くなり始めていた。ミカリスはクリスの提案に頷き、二人は着替えとタオルを持って外へと出た。
「こちらの小川は男連中が、向こうの端にある小川は女性たちが使っている。薄暗いし、人の目は気にしなくていい。」
歩きながらクリスが説明し、小川に着くと早速服を脱ぎ始めた。既に小川では沐浴をする数人の村人たちの影がちらほらと見える。ミカリスも衣服を脱いで裸になり、クリスに続いて水の中へと入って行く。夕闇がミカリスの目立つ容姿を覆い隠してくれ、彼の存在を気にする者は誰もいなかった。
二人は腰まで浸かって沐浴を済ませると、身体と髪を拭き服を着て元来た道を戻り始めた。
「うーん、やっぱり俺の服じゃ小さいな。あんた、背が高いものな…」
帰り道、クリスがミカリスを見て言った。袖も上衣の丈も明らかに短く、ブーツで隠れている足首も見えてしまっているに違いない。
「明日、街に服を買いに行こう。ああ、その前にあんたを村の人たちに紹介しなきゃな。」
「村人に俺を?」
自身の存在を村人たちに知られることなく、飛竜の傷が癒え次第この村を去るつもりでいたミカリスは、クリスの言葉に眉を顰めて訊き返した。クリスは逆にミカリスの方が何を言っているのか、とでも言いたげに。
「当たり前だ。そんなに長くは居ないのかもれないけれど、少しの間でもこの村に住むんだから。」
「だが…」
――もしも密告されたら?ただでさえ小さな村に異邦人は目立つ。ましてこの赤い髪なら。
「実はさ、ワケアリの人なら以前も居たことあるんだ。グルニア人の三人組で、じいちゃんが何かと面倒みてたんだけど、暫くして『北へ行く』と言って村を去って行った。」
「三人のグルニア人?」
ミカリスの脳裏にかつて盟友だと思っていた黒騎士と彼の腹心の部下三人の姿が思い浮かんだ。
――三人は確かカミュとともにニーナ王女のオレルアン亡命を手助けした後、姿を消したと聞く。もしや彼らか…?
「ああ。だからあんたのことも、村の連中は受け入れてくれると思う。」
「……」
「俺に話してくれたことは言っても構わないか?」
どうやらクリスの中で村人に話すことは確定らしい。(恐らく)カミュの部下がかつて村に滞在していたことから、クリス始めセラ村の人々は異邦人にも寛容な気質だと思われた。
――少しの間、ここで休息するのもいいのかもしれない。
ミカリスの心がクリスの申し出に傾く。実際、敗戦からの逃避行で疲れていた。
「…構わない。」
「よし!決まりだ。」
クリスが快活に言い、ミカリスの背をポン、と叩く。家に帰り着くとクリスはミカリスに祖父のベッドを使ってもらい、その日は眠りに就いた。
*
翌朝。二人はまず飛竜の様子を見に行くことにした。飛竜の餌になりそうな穀物と水を汲んだバケツを持ち、昨日二人が出会った村外れの空き地へと向かう。岩場の洞を覗き込むと飛竜は蹲って眠っていた。
「傷薬と休息のお陰ですっかりよくなったようだ。これならもう飛べるだろう。」
「それはよかった。せっかくよく眠っているんだ。このまま寝かせといてやろう。」
飛竜の傷を確認したミカリスの言葉にクリスが安堵し、二人は穀物と水を傍に置いて村へと戻った。
朝食を済ませた後、クリスは村長と村の主だった者たちにミカリスと彼の飛竜のことを話し、彼らを受け入れてもらった。
「挨拶回りも終わったことだし、これから街に買い出しに行こう。」
「それなら、飛竜に乗って行かないか?」
家に戻った後クリスが言うと、ミカリスが飛竜で街に行くことを提案した。
「二人も乗れるのか?」
「ああ。鎧を着こんでいなければ二人乗っても大丈夫だろう。」
ミカリスが請け負い、再び二人で飛竜のいる洞へと向かう途中で。
「クリス、その袋は何だ?」
クリスが家の片隅から持ち出した白い布袋を見てミカリスが訊いた。
「この袋には俺が野焼きで造った食器が入っている。知り合いの店に持って行くと買い取ってくれるんだ。」
「野焼き?」
ミカリスは食器を造ることができる“野焼き”という方法に興味を引かれた。
「俺にも教えてくれないか?」
「ああ。時間のあるときに。」
他愛ない会話をするうちに二人は洞に着いた。飛竜は起きていて、水も食べ物も空になっていた。
「いい子だ。アレキサンダー。」
ミカリスが飛竜の首を撫で、鞍と轡を取り付ける。
「鞍は一つしかないぞ?」
クリスが戸惑いの目を向けると、ミカリスはフ、と笑った。
「前に詰めれば二人乗れないこともない。お前はしっかり俺に掴まっていてくれ。さあ。」
ミカリスが飛竜に乗りクリスに手を差し伸べる。クリスは一瞬躊躇したがその手を取り、彼の後ろへと乗り込んだ。ミカリスの合図に飛竜が飛び立つ。
「うぉ、すごい!空を飛んでる!」
「はは、俺はもう飛ぶことに慣れ過ぎて何の感慨もないな。」
クリスが地上を見下ろして感嘆の声を上げると、ミカリスが笑って言った。
「あんた、いつから飛竜に乗っているんだ?」
「物心つく前からだな。」
「はぁー…。それなら遠出するのも楽でいいな。俺なんか小さい頃、祖父の言いつけで薪を山ほど担いではあちこちの村に運んでたからな。山を越えていくこともあった。」
「大変だな。俺には想像もできない。」
「ま、行軍訓練の代わりに、ってことだったんだけど。」
「行軍訓練?」
「ああ。じいちゃんは俺を騎士にしたかったんだ。」
「お前は騎士を目指しているのか?」
「そうだ。だが孤児の俺ではせいぜい有事の志願兵が関の山…マルス王子がアリティアを解放したとき、志願兵としてアリティア軍に参加したかったんだが…そのとき祖父の体調が思わしくなくて加わることができなかった。今となってはもう追っていけないよ。」
「それは…残念だったな。」
口では『残念』と言っていながらミカリスはクリスと戦うことにならなくてよかったと、何故か思った。それきり会話が途切れ、暫く飛竜の羽ばたく音だけが響いた。そして…
「……ミカリス。あんたの背中、広いな…」
「…!?」
片頬を肩に押し当てながら、ふいに呟かれたクリスの言葉にミカリスがドキリとした。改めて背に感じるクリスの体温と身体に廻された腕を意識する。――が。
「じいちゃんの背中を思い出すよ。」
「……」
続く言葉に内心ひどく落胆した。
「そら、街が見えてきたぞ。」
気を取り直して言い、手綱を操って飛竜を降下させた。
街の少し手前で地上に降りると、街道脇の森に飛竜を待機させ、二人は街へと足を踏み入れた。まずクリスの知人の店に食器を納品した後、ギルドへ行って掲示板を確認する。
「ないか…」
「何がないんだ?」
ガッカリした様子のクリスにミカリスが尋ねる。
「傭兵の仕事の依頼。あれば大抵任せてもらえるんだ。じいちゃんも俺も剣の腕は確か、ってことで知られていたからな。まあ、食器の売上金があるから服を買うのに足りると思う。」
とクリスは明るい顔でミカリスを振り返った。そのときミカリスはクリスが彼のために金を工面しようとしていたことに気づく。
「貴金属を換金できる場所はあるか?」
「貴金属?ああ、あるにはあるけど…」
クリスがミカリスを古物商に案内すると、そこでミカリスは自身が嵌めていた指輪の一つを外し、店主に渡した。
「幾らになる?」
「…おお、なかなかに良い品ですな。これなら、このくらいで…」
指輪をモノクル越しにしげしげと見た店主がミカリスに紙幣を数枚渡し、彼はクリスに紙幣を見せた。
「服の代金、これで足りるか?」
「あ、ああ…」
クリスは驚き頷いた。
街での買い物を終えると二人は飛竜の処に戻った。そこで…
「今度はお前が飛竜を駆ってみるか?」
ミカリスがクリスに打診する。
「え…」
「俺がサポートする。前に乗った方が眺めもいいぞ?」
「それなら、やってみる!」
思いもよらぬに申し出にクリスは顔を輝かせて頷いた。
「よっ…、と。」
クリスは鐙に片足を掛け、体勢を低くしている飛竜の背に跨り、村を出発するときミカリスがしたように彼に手を差し伸べたが、彼は『不要だ』と言ってひらりとクリスの後ろに乗り込んだ。そしてミカリスがクリスの手ごと手綱を掴んだとき、彼の大きな手にクリスは思わずドギマギしてしまう。
「行くぞ。」
ミカリスが手綱を軽く打ち付けて合図すると、飛竜が羽ばたいた。
飛竜の操縦はクリスが思ったよりも簡単だった。前進するときは手綱を軽く打ち付け、方向転換したいときは行きたい方向の逆に手綱を引いて飛竜の頭をそちらに向けさせる。上昇は手綱を強く引き、急降下はピシッとやや強めに打ち付ける。中空で静止するときは手綱を引く。ゆっくりと降下するときは飛竜の脇腹を軽く蹴って合図。
セラ村が見える頃にはクリスはすっかり一人で飛竜を駆れるようになっていた。
「上出来だ。」
ふいにミカリスに耳元で囁かれてクリスの肩が撥ねる。急に、背に密着している彼の引き締まった身体と自身に廻された腕を意識した。
「…はは、そうか?」
笑って受け流したものの、知らずに顔が熱くなる。
――何、意識してんだ、俺!
そうは思っても顔の熱はすぐには引いてくれない。
「ミカリス、村に着いたら鍛錬に付き合ってくれないか?」
咄嗟に思いついて、言った。身体を動かせば顔が赤くても不審には思われない。
「スパーリングか?いいだろう。」
「よし。じゃあ下りるぞ。」
クリスは飛竜の脇腹を軽く蹴って村へと降下させた。
村外れの空き地に着くと飛竜を岩場の洞に戻し、ミカリスはそこに置いていた自身の槍を拾い上げた。クリスも腰の剣を抜き放ち、向かい合う。
「遠慮はいらない。」
「もとより。」
その言葉を合図に二つの刃が交わった。ガィン、キィン、と金属のぶつかり合う音が村外れの空き地に響く。ミカリスはクリスが驚くほどの槍の手練れだった。防戦一方で暫く持ち堪えていたが遂に――
ガキィン、と、一際大きな音が響き、ミカリスの槍がクリスの剣を弾き飛ばした。
「……っ…」
クリスが痺れた右手首を押さえて痛みに身を固くする。
「大丈夫か?済まない。つい熱くなり過ぎてしまった。」
「俺が弱かっただけだ。」
「見せてみろ。」
ミカリスがクリスの右手首を手に取り、親指でなぞって骨が傷んでないか確認する。
「…折れてはいないが無理はしない方がいい。今日はここまでにしよう。」
クリスはまだ鍛錬を続けたかったが、有無を言わせぬミカリスの物言いに渋々頷いた。
そして村への帰り路で。
「ミカリス。これから毎日俺との鍛錬に付き合って欲しい。」
「それは構わないが…」
「俺は自分がより強い力をつけた時、自分より手強い敵と戦う時、わくわくするんだ。これからの戦いに血が滾り、気持ちが高ぶる…俺はいずれあんたより強くなってみせる。」
クリスの強い意志を感じさせる言葉にミカリスは目を瞠り――次の瞬間には彼の若さ故に逸る気持ちに苦笑する。
「…焦らなくてもいいのではないか?お前はスジがいい。お前が俺くらいの歳になる頃にはきっと俺を越えていると思うぞ?」
「俺は強くなる機会をムダにしたくないんだ。」
称賛に甘んじることのないクリスの真摯な強さへの希求をミカリスは好ましく思い、微笑んで『わかった』と頷いた。