「さあ、お立合い!世にも見事な剣舞が始まるよ!」
野太い男の声が叫んだ。街の広場で観衆の中心にいるのは片目を布で覆った若い女剣士だった。クセのある豊かな紫色の髪が背を滝のように流れ落ちている。不敵な笑みを一瞬浮かべたのを合図に、彼女は倭刀を鞘から抜き、舞い始めた。力強くスピードのある剣裁き、大胆な跳躍に着地、ショーとしての見せ場をふんだんに盛り込んだ流麗な剣舞。彼女のすらりとした長身に胸元や二の腕、腿が露出したセクシーな格好が抜群のプロポーションと相まって、観衆は感嘆の溜息を漏らした。
やがてショーが終わり、女剣士が倭刀を鞘に納め優雅な物腰で一礼をすると、大きな拍手が起こった。すかさず彼女の連れである厳つい中年の戦士が大きく口を開けた革袋を持って観衆を回る。人々は拝観料を革袋に入れると徐々に散っていった。
「マリス殿。」
クリスは野営地でマリスの許へ行き、話しかけた。街のギルドから護衛を依頼された隊商は今、アリティアとグラの国境近くに差し掛かっていた。父ダイスとともに隊商を護衛する仲間である彼女は木箱に露出の多い脚を組んで座り、小瓶の酒を呷っていたが、クリスに話しかけられて布で覆われていない方の目で彼を見た。
「お前は確か…クリス、だったな。」
「ああ、クリスだ。昼間立ち寄った街でのあなたの剣舞、見せて貰った。今までに見たことの無い型だったが…我流か?」
「ああ。」
「余りにも流麗な…っ!?」
「何だと。」
「な、なぜ、武器を抜く?」
徐に立ち上がったマリスに倭刀の切っ先を突きつけられてクリスが思わず両手を上げる。
「まあ、一度目だ。許してやる。」
そう言って剣を納めたのでクリスもホッとして手を下ろした。
「俺の親父、ダイスは賭博が好きでな。親父の奴、金をいくら稼いでもすぐに使っちまう。だから覚えたんだ。見世物としての、剣技をな。」
「なるほど。」
そこでマリスは改めてクリスを上から下まで見た。
「お前も剣を使うのか?」
「ああ。」
「ふうん?けっこう鍛えてるっぽいな。…どうだ?お前に剣舞を教えてやろうか?もちろんタダじゃないぜ?」
「あー…、教えてもらいたいのはやまやまだが…、今そんなに持ち合わせがないんだ。」
「チッ。」
申し訳なさそうに後ろ頭を掻くクリスにマリスは舌打ちしたが、品定めをするように少しの間じっとクリスの顔を見る。
「?」
「お前。可愛い顔してるのな?…講習代、ワンナイトでもいいぜ?」
マリスがにやりと笑い、クリスの耳元に顔を寄せ、囁く。
「……へ?」
「おっと。」
が、次の瞬間マリスが弾かれたようにクリスから離れた。
「やれやれ。お目付け役がいたんじゃ無理か。じゃーな、クリス。」
大仰に天を仰ぐと木箱の上の酒瓶を取り、背を向け空いた手をヒラヒラさせて去って行った。後ろから枯葉を踏む音がしてクリスが振り向くとミカリスが険しい貌でこちらを見ていた。
「ミカリス?」
「気をつけろ、クリス。安易に誘いに乗って身包み剥がされることもあるのだぞ。」
暗黒戦争時の行軍中、自軍の兵士が娼婦に被害を受けたのを聞き及んでいたミカリスはクリスに警告した。
「あ…ああ。…その、助けてくれたんだよな?ありがとな、ミカリス。」
クリスは何となく居心地悪く感じ、礼を言うとその場を離れた。
夜半。月は明るく、風も凪いでいる静かな夜。寝静まったキャラバンの傍らでクリスとミカリスは焚火の前の丸太に並んで腰かけ、眠気を紛らわせるために時折言葉を交わしながら見張り番を務めていた。ミカリスの愛竜アレキサンダーは彼の近くで丸くなって眠っている。
「…あんたがいてくれるおかげで、受けられる依頼も増えた。感謝してるよ。」
焚火の炎をぼんやりと見ながらクリスが呟く。単独のものだけでなくペアを対象に募集している依頼が受けられるようになったのはありがたかった。
「行くあてのなかった俺にお前は居場所を与えてくれた。礼を言うのはこちらの方だ。」
「はは…」
クリスが少し照れたように後ろ頭に手を遣る。それきり会話が途切れた。沈黙する中、ミカリスはクリスを見た。焚火の明かりがクリスの端正な横顔を照らしている。彼を見るともなしに見ているうちにミカリスは切ないような、胸が苦しいような感覚を覚えた。それは彼と出会ってから、時折感じていたものだった。
――一体何だと言うのだろう?
ミカリスが自問し、その感情の正体を早く理解しなければ、と焦燥感に駆られる。
「ミカリス?」
名を呼ばれてミカリスははっと我に返った。クリスがこちらを見ていた。
「何だよ、じっと見て。俺の顔に何かついてるか?」
「ああ、いや…」
ミカリスが焚火に目を戻す。そして揺らめく炎を見ているうちにかつての居城の篝火を思い起こした。篝火は夜毎煌々と焚かれて城の威容を照らし、誇示するものだった。だが今、目の前にある焚火のささやかな明かりはただ居心地が良く、心さえ温めてくれているかのように感じられる。
――何故?
ミカリスは自身に問うて――一つの出来事に思い当たった。
隊商の護衛の仕事を引き受ける数日前。子供の急な発熱とやらで村人に請われて飛竜で隣り街の医者まで薬を取りに行ったことがあった。村を出発したのが夕刻だったため帰路は随分と薄暗くなっていたのだが、薬を渡した後クリスの家へ帰ろうとして窓の灯りが見えたとき、じんわりと温かな嬉しい気持ちになった。
――あのときの感覚と似ている。
そして帰り着いて『お帰り。村人のためにご苦労様。』と言って向けられたクリスの笑顔に、自分でも不思議なくらい心が満たされたのを覚えている。
そこでミカリスは突如として理解した。”クリスが居て、自身の帰りを待つ”家の灯りに温かな気持ちになったのだと。
――ああ、だから…この明かりも温かく感じるのか。”クリスがいる”から。
気づいてしまえば、簡単だった。
――そうか。俺はクリスのことを-…
そこでふいに遠い昔、妹ミネルバが言った言葉を思い出す。
『静かな夜、二人きりで暖かい暖炉を前にソファーに寄り添って座り、愛の詩でも囁けば、兄上のルックスならきっとオちます。』
――あれは確か…当時の婚約者レナと俺に愛のある結婚を望んでいた妹が俺にしたアドバイズだったか。なぜ今、思い出したのか?
ミカリスは疑問に思ったが――ふと今のこの状況が彼女が言っていた状況に近いことに気付く。実際には暖炉ではなく焚火、ソファーではなく丸太で、(寄り添ってではなく)少し間隔を空けて座っていたが。
――今が想いを告げる絶好の時、なのか?
だが、とミカリスは思う。想いを告げることで今の良好な関係を壊し、彼の傍に居られなくなる可能性もある。ミカリスの冷静な部分は自身にそう言い聞かせるが。それでも。
――このままずっと、ただの同居人でいるというのか?
それは途方もなく虚しいことに思えた。その思いが友情を失うリスクを上回る。ミカリスは迷った末、意を決してクリスの方に身体ごと向き直った。
「クリス。」
「ん?」
クリスがミカリスのどこか緊張した様子に不思議そうに彼を見る。
「一篇の詩を…聞いてくれないか?」
「詩?ああ、いいけど?」
ミカリスはクリスを真っすぐに見つめ、口を開いた。
「あなたは太陽 光の中で私を目覚めさせ 暖めるもの
あなたは星 夜の平穏の中で寝む私を 見守るもの
私の標であり 人生の旅路を 導くもの
移ろうすべての季節に 雨の日も 嵐の日も
喜びのときも 悲嘆にくれるときも 傍らにはあなたがいる
あなたなしで 私は息さえできない
あなたは私の 永遠の生命」
いわゆる”恋愛”のカテゴリに分類される詩でミカリスが覚えているものはごく僅かで、これはその中の一つだったが、ほとんど今の自身の気持ちそのものだった。
「……」
ミカリスの詩を黙って聞いていたクリスは暗唱を終えて尚、じっと見つめ続ける彼に顔が熱くなるのを自覚した。そしてやっとのことで、はは、とぎこちなく微笑う。
「…あんたみたいなイケメンにそんな真剣な貌で愛の詩?なんて詠まれたら、勘違いしてしまいそうになるよ。それ、あんたの好きな詩なのか?」
「クリス、俺は…」
「よお、お二人さん、そろそろ交替の時間だよ。」
そのとき、テントのフラップを開けてダイス・マリス父娘が出て来た。
「ああ、じゃあ頼むよ。」
クリスが微笑って腰を上げたのでミカリスも嘆息して立ち上がり、自分たちに割り当てられたテントへと足を向けた。
*
隊商は無事に目的地であるグラ王国の首都に到着した。お得意先の大店に荷を納品し終えると、雇い主の商人がクリスたち護衛4人のところへやってきた。
「今日は空き部屋に泊めてもらえることになった。それで今夜たまたまホームパーティーをする予定だってことなんだが、お前たちもどうだ?準備と片付けを手伝ってくれるなら手ぶらで参加していいとよ。」
「美味い飯と酒にありつける、ってんなら、もちろん参加するぜ!」
「親父が参加するなら、俺も。」
とダイスとマリス。クリスがミカリスを振り返った。
「折角だし俺たちも参加しないか?」
「お前がそう言うなら…」
「よし。親方、俺とミカリスも参加します。」
クリスは笑顔で答えた。
そして夕方、ホームパーティーが開かれた。お得意先はほとんど豪商と言ってもいい規模の商家で居住スペースも広く、テラス窓を開け放して処々にランタンが置かれた明るい庭園と一続きにした大部屋に続々と人が集う。カウンターやテーブルにはエールとジュースのサーバー、クラッカーカナッペやパン、チーズや燻製肉のスライス、魚のパイ包み、サラダ、野菜スープ、エッグタルトなどが所狭しと並んでいて、パーティーに来た人々も何かしら持ち寄り、品数は更に増えていった。
めいめいがジョッキを片手にあちこちで談笑する中、クリスとミカリスも皿に取り分けた料理とエールの入ったジョッキを持ち、テラスにあるテーブルの一つに着いた。
「セラ村では冠婚葬祭のとき以外、こんな風に大勢が集まることなんてなかったから、新鮮だな。」
「俺もホームパーティーなるものは初めてだ。」
素朴な家庭料理に自家製のエール、人々の楽し気な笑い声。そして目の前には気の置けない友。
――これが平穏、というものか。
ミカリスが思う。少し前まで自身が身を置いていた殺伐とした世界が遠い昔のことのようで、クリスへの想いを自覚してからはより一層、何でもない平穏な日々がとても貴重に感じられる。本当に、彼と出会えたこと、彼の傍にいられることが、奇跡のように思えた。神など信じていない自分が、それを感謝したいと思うほどに。
――いつか、クリスが俺の気持ちに気付いてくれたなら。
ジョッキを口元に運びながら、クリスを見つめて、思う。
――そしてあの小さな村でずっと…
少し、ぼんやりしてしまっていたらしい。
「ミカリス?」
名を呼ばれてはっとした。クリスが訝しそうな顔で見ていた。
「どうしたんだ、酔ったのか?」
「ああ、いや、…ぼうっとしていただけだ。」
「よお、クリスにミカリス。」
その時ふいに声を掛けられて二人は振り向いた。マリスだった。
「男二人でべったりってのはいただけないな。一人でいれば二人ともモテるだろうに。」
「別にモテたいとは…」
クリスが言い掛けるが。
「周り、見てみろよ。」
とマリスが顎をしゃくった。釣られて周囲を見てみると、何人もの女性たちがある者は何かを期待するように、ある者は仲間と何か囁き合いながら二人を見つめているのがわかった。
「…全然気づかなかった。」
「話しかけないのか?」
「え…っと俺、そういうの苦手で…」
クリスが言葉を濁したのでマリスはミカリスを見た。
「あんたは?ミカリス。」
「俺も別に…」
「お前さんたちが動かないと娘さんたち皆が”私にも可能性があるかも”と思って他の男連中が割り込む隙がないんだよ。」
とマリスの後ろから現れたダイスが口を挟む。ミカリスはフン、と鼻を鳴らし、椅子の背に凭れかかった。
「それなら、伝えてくれないか?俺は過去、一方的に婚約破棄されたことがあって、女性に声を掛ける気にならぬのだと。」
「「「えっ!?」」」
クリス、マリス、ダイスの三人は驚いてミカリスを見た。三人が三人とも痛ましい目を向けるのに可笑しくなってフ、と笑い、ミカリスが続ける。
「クリスも唯一の肉親を亡くしてそう日が経っていない。だから今はそういう気分になれないと、そう言ってやればいい。」
「わかった。なら親方にはそう伝えるよ。お得意先の坊ちゃんが娘さんたちに話しかけても相手にしてもらえなくて困ってたんだと。」
ダイスはそう言って肩を竦め、マリスとともに行ってしまった。二人を見送ってミカリスはクリスに向き直り、
「これでゆっくり飲めるな?」
と言って微笑った。
「ミカリス、さっきの話だけど…」
ホームパーティーが終わり、庭園の方を片付けて廻りながら、クリスがミカリスに話しかけた。
「うん?」
「婚約破棄された、って話。」
「ああ…、もう昔のことだ。」
「けど、辛かっただろう?失恋して自ら命を絶ってしまった人の話を聞いたことがある。あんたがそうならなくてよかったよ。」
「……」
自死。そんな選択肢は微塵も思い浮かばなかった。婚約破棄されたとて、自分の中ではせいぜい腹いせにレナの兄マチスを前線に遣る程度の些末なことだった。
「…お前は俺が生きていてよかった、と思うのか?」
「それは、そうさ。生きているからこそこうして出会えて、今も依頼を一緒に熟すことができるんじゃないか。…よし。これで庭園の片づけは終わったな。キャラバンの皆のところに戻ろう。」
ミカリスは咄嗟に屋敷の方へ戻ろうとするクリスの手首を掴み、ぐいと引き寄せた。
「ミカリス?」
「…俺が。」
「え?」
「もし俺が、今もそのことを辛く思っていたなら、」
そして空いた方の手でクリスの顎を捉えて上向かせる。彼に触れて、自身が如何にそうしたかったか、そのとき自覚した。
「…お前は俺を慰めてくれるのか?」
クリスの同情につけ込む卑怯な訊き方だとわかっていた。酔ってなどいなかったが、今なら何を言っても酒のせいにできるという打算もあった。
――これをきっかけにクリスと恋仲になれたなら。
一縷の望みを抱いて、ミカリスがクリスを見つめる。が――
「ははっ…」
驚いた顔で見上げていたクリスは我に返ると乾いた笑いと共に掴まれていない方の手で自身の顎を捉えるミカリスの手をやんわりと外した。
「あんたのようなイケメンがそんなこと言ったら洒落にならない、って。」
「クリス!揶揄っているのでは…」
「おおーい!そっちは終わったかー?」
そのとき、テラスの方からダイスの呼ぶ声が聞こえた。
「ああ!今行く!」
クリスが返事をし、掴まれた手首をさり気なくミカリスの手から抜き去ると屋敷の方へと歩き出した。
「クリス…」
ミカリスは少しの間その場から動けずに、遠ざかって行くクリスの背を見つめた。そしてふと、彼の手首を掴んでいた掌を見下ろす。ミカリスは想いを大切に抱き締めようとするかのように、ゆっくりと掌を握った。