警告!:後半に事後シーンがあります。Rタグをつけるほどではないと判断してつけていませんが、つけた方が良いと思われる方がいたら知らせてもらえるとありがたいです。
クリスとミカリスが隊商の護衛を終えてセラ村に帰ってきたとき、暗黒戦争が終結したことを知った。山間の小さな村であるセラ村に戦禍は及ばなかったが、戦争終結の報は村人にも安心を齎した。各国は復興に向け本格的な舵を切り、風の便りにマケドニア王国もミネルバ王女中心に祖国再建に向けて動き出したことを聞き及ぶ。
――あいつなら、大丈夫だ。三姉妹もついているしな。
ミカリスは遠く離れた妹のことを思う。だが後に行方不明になったエストを探してパオラとカチュアがバレンシア大陸へと渡り、彼女たち腹心の部下が不在の隙にクーデターが起こることを、今のミカリスには知る由もなかった。
セラ村での生活は平穏に過ぎて行った。――否。クリスにとってはある意味平穏ではなかった。
「後は俺がやろうか?」
食事の後、使った皿を洗っているとき。静かに後ろから近付いてきたミカリスがそっと掌をクリスの肩に置き、耳元で囁いたのでクリスは肩を撥ねさせた。
――何か、近くないか?
「は…はは、今日は俺の当番だから、いいよ。」
耳元で囁かれた低音に内心ドキドキしながら何でもないように振る舞う。
「そうか?」
どことなく残念そうな響きを含んだ声が答えると、クリスの肩に置かれた掌が少しの間そこに留まった後、ミカリス自身とともに離れて行った。
――ミカリスは誰にでもこうなんだろうか?
近過ぎる距離。何気ないボディタッチ。彼は男の自分でも時折目を奪われるほどの美丈夫だったため、村の年頃の娘が何人も彼に憧れていることをクリスは知っていた。
――俺はともかく。他の人にしたら誤解されかねない。
もし誰かに過剰な接近をしているのを見かけたら言ってやらなければとクリスは強く思う。そのため暫く気を付けて見ていたのだが――ミカリスは他の人にはそんなことはなく、クリスは彼の振る舞いを同居人故の気安さだろうと自分なりに結論付けた。
――時期尚早だったかもしれない。
それがグラから帰って来てミカリスが思ったことだった。クリスと出会って実質ひと月しか経っていない時点で愛の詩を詠まれたり性愛の誘いをされて戸惑うのも無理からぬことだと思われた(それは人に依るのだが、ミカリスも豊富な恋愛経験があるわけではない)。
――まずはそれとなく好意を示すのがいいだろう。
そう考えて折に触れて手伝いを申し出たり実際に手伝ったりしたのだが――クリスはただ同じだけの親切をミカリスに返すだけだった。そして自身を意識してほしいがためにさり気なくしていたボディタッチも今では…
「とりあえず、見ていてくれ。そしたら次は一人でも作れるだろ?」
食事の支度の手伝いを申し出たところクリスにそう返されてミカリスは隣りに立ち彼の腰(!)に手を廻して彼の手元を見ていたのだが、そんな親密な接触も彼は気にも留めていないようだった。
――このままでは何の進展も望めない。何かきっかけがあれば…
ミカリスが溜息交じりにそう考え始めた頃――いつしか季節は移ろい、一大イベント”聖夜祭”の季節になっていた。
*
聖夜祭が近付くにつれ、セラ村には――特に若者中心にソワソワとした雰囲気が漂い始めた。それもそのはず、聖夜祭は単なる年中行事ではなく、恋愛・結婚を考えている若者にとって重要なイベントだからだった。聖夜祭当日は家族と過ごすのが一般的だが、これから家族になりたい相手を家に招き共に過ごすことでより親密になり、周囲からも認めてもらうという趣旨があった。付き合っていない相手でも聖夜祭に家に招かれたらそれは告白と同じで、『あなたとお友達以上になりたい』という意思表示に他ならない。所謂”お年頃”の年齢になりはしたものの、あまり恋愛というものに興味がないクリスにとってこのイベントは頭が痛かった。去年の聖夜祭は祖父が病床に付していて招待を断ることができたが、今年はそうはいかない。既にもう何人もの娘たちから『今年はぜひウチに来て!』と期待にキラキラした目で言われていた。断る適当な理由が思い付かず、返事はすべて保留のまま。
「なぁ、ミカリス。あんたは聖夜祭、誰と過ごすか決めたのか?」
ふと相方はどうするのだろうと思い、クリスは夕食の席でミカリスに尋ねた。
「…お前はどうなんだ?」
だが返って来た答えは問いに問いで返すというものだった。
「俺?」
「誰と過ごすんだ?」
「……俺は、じいちゃんの墓参りをして、後は…この家で一人で過ごすよ。」
少し迷った末、そう答えた。やはり、その気もないのに異性の招待に応じるべきじゃない。心の中でそう決めていたものの。“クリぼっち”(聖夜祭に一人で過ごすことをそう呼ぶらしい。語源は不明。異世界の言葉…?)になることを改めて言葉にするとクリスの胸はズキズキと痛んだ。
――大丈夫。じいちゃんがいつも俺を見守っていてくれてる。
「それなら、…その。俺と一緒に過ごさないか?」
ノスタルジックな思いに浸っていたクリスは躊躇いがちなミカリスの言葉に目を瞠った。
「へ?あんた、誰からも招待されていないのか?」
相方はモテる。きっと数多の招待を受けていると思い込んでいたクリスは首を傾げた。
「……まあ。何人かから招待されはしたが…」
『共に過ごしたい相手がいる』と言って全て断っていた。結局のところ、ミカリスが聖夜祭をともに過ごしたいのはクリスだけだった。今までの地道なアプローチもイマイチ伝わらない以上、このイベントに賭けることにしたのだが――
「誰の招待も受けなかったのか?」
「ああ。」
「そうか。それなら、一緒に過ごそう。」
クリスが笑顔で答える。この村に来たのもクリスと居るのも成り行きに過ぎないというのに聖夜祭を共に過ごしてくれるという申し出はありがたかった。クリスの応えにミカリスも嬉しそうに微笑んだ。
*
聖夜祭当日。冬でもアリティアは雪が降ることはなく比較的温暖ではあるが、それでもその日は少し肌寒かった。家々のドアには手作りのリースが掛けられ、窓や壁にフェルト製のバナーや三角フラッグ、ガーランドが飾られた家もある。村人たちは朝からウキウキとして家族で囲む普段より豪華な夕食の準備に勤しんでいた。
「何か、さ。招待してくれた娘たちに聖夜祭をあんたと過ごすって話したら『ああ、うん。何となくそうじゃないか、って思ってた。ほんの少し夢を見ていたかっただけだから私のことは気にしないで。』ってなことを皆に言われたんだけど、どういう意味なんだろうな?」
二人で夕食の下準備をしながらクリスが話し掛けたが、ミカリスはそれを聞いてただ笑っただけだった。
夕食の下準備を終えた後、クリスとミカリスは二人で村の片隅にある墓地へと向かった。クリスの手にはささやかなドライフラワーの花束が握られていた。秋に野花を摘んで乾燥させているのを見て、ドライフラワー作りがクリスの趣味なのかと思っていたミカリスだったが、この日のためのものだとわかり合点がいった。
クリスの祖父マクリルの墓は墓地の中央辺りにひっそりと佇んでいた。白っぽい石でできた墓石はまだ新しい。クリスは跪いて墓前に花を添え、手を組んで静かに祈りを捧げる。そしてゆっくりと立ち上がるとミカリスを振り返った。
「墓参りに付き合ってくれてありがとな。あんたがいてくれてじいちゃんも俺が一人じゃない、って安心していると思う。」
「クリス…」
クリぼっちにならなくて済んだ、という意味で言ったクリスの言葉に他意はなかったのだが。
――俺の気持ちはちゃんとクリスに伝わっていた。俺の今までのアプローチも無駄ではなかった。
ミカリスの心が温かく満たされる。
「俺も、お前の祖父に祈らせてくれ。」
跪き、クリスを守り育ててくれたことに感謝の祈りを捧げた。
「さあ、家に戻ろう。」
ミカリスが祈りを終え立ち上がるとクリスが微笑んで言い、二人で元来た路を歩き出した。
手の込んだ、普段より豪華な夕食。少しばかり奮発したワイン。暖炉の炎で暖まった部屋で、聖夜祭のディナーは楽しい歓談とともに過ぎていった。
心なしかいつもより幸せそうな笑顔で話すミカリスを見ながらふと、クリスが不思議に思う。一体何が彼をこの小さな村に留めるのだろう?と。出会ったばかりの頃、彼が内に野心や自己顕示欲を秘めていることは何となく感じていて、この村もすぐに発つと思っていたのだが、クリスの予想に反して彼は季節が移り替わった今も去らない。
「この村が気に入った?」
問うたのは些細な好奇心からだった。ミカリスは微笑んで。
「ああ。」
と答える。
「それはよかった。」
クリスも微笑み返す。
――だからか。ミカリスが去らないのは。いずれ誰かと所帯を持ってずっとこの村で…?
単純に、友達には幸せになって欲しかった。
「あんたが幸せなら、俺も嬉しいよ。」
「クリス。」
ミカリスの顔が熱くなる。今すぐクリスにキスをして抱き締めたい衝動に駆られるが――そのとき隣り街にワインを買いに行った際に買い求めた品の事を思い出した。
「……そうだクリス、踊らないか?」
「え?踊るって…」
「この前、街でオルゴールを買ったんだ。」
ミカリスが席を立ち、荷袋の中から掌大の小箱を取り出し、持ってくる。アンティークな色合いと美しい音色に惹かれて購入したもので、螺子を回すとゆったりとした愛らしい旋律のワルツが流れた。
「綺麗な音だな。けど俺は踊ったことなんて…」
「小難しいステップなど踏む必要はない。さあ!」
ミカリスがオルゴールの蓋を開けてテーブルに置き、笑顔でクリスに片手を差し出す。クリスは弱り顔で、それでも未知の体験に少しばかりワクワクしながら、手に手を重ね立ち上がった。
ミカリスがクリスの手を引いてダイニングテーブルと厨房の間にある空きスペースに導き、彼の片手を自身の上腕に添えさせ、もう片方の手は合わせて軽く握る。そして…旋律に合わせてゆっくりと踊り始めた。ただ横に揺れ、時折くるりと回転するだけの単調なダンス。それでも初めはあたふたと動きを合わせていたクリスもすぐに慣れ、余裕が生まれる。相手の胸元ばかり見ていた顔をふと上げると、ミカリスが微笑みながら見つめていた。暖炉の炎の影が彼のフォルムで揺れ――柔らかく彩る。それはまるで…黎明の薄闇の中で微睡む妖精が見る夢のようで…クリスは彼の微笑につい見入ってしまう。
やがて…繰り返し流れた旋律も、巻いた螺子が尽きてついに止まる。旋律が止んだことで二人も動きを止めたが、互いに触れている手を解かずに向き合っていた。薪の爆ぜる音だけが響く中でただ見つめ合う。そして。ミカリスが近付き…そっと触れるだけのキスをした。一瞬で離れていった相手の唇を思わず目で追って――今、何が起こったのかクリスは遅ればせながら理解した。
「ミ…ミカリス……」
驚きのあまり、それ以上言葉が出て来ない。
「あ…」
次の瞬間、抱き締められて自身の身体に廻されたミカリスの腕の力強さと温もりを痛いほど感じる。さすがに色恋沙汰には疎いクリスでも彼に好意を寄せられていることがわかった。
――ミカリスが俺を?……俺、を?
理解した途端、動悸が激しくなる。ふいに、ミカリスと出会ってから今日この日までのことを思い出す。
――もしかして。ミカリスが隊商の護衛の時に俺に聞かせた詩も、ホームパーティーの後の誘いも、日常の距離が近かったのも、全部……
今、点と線とか繋がって、何故か泣きたいような気持がクリスの胸に込み上げた。
「ミカリス……」
唯一の家族である祖父マクリルが逝ってしまってから――疲れて何も考えられなくなるまで鍛錬に打ち込んだ時期があった。今ならそれが寂しさを紛らわせるためだったとわかる。だがミカリスと出会ってからというもの、そんな無茶な鍛錬とは無縁になった。
――傍にいつも、ミカリスが居たからだ。
今この瞬間、彼の存在が自身にとって如何に大きかったか、クリスは知った。そして…クリスは心を震わせながら――ミカリスの背に腕を廻した。
*
「スイートハート(恋人よ)…」
熱を分かち合った後。ベッドの上でミカリスは自身の肩口に凭れるクリスを抱き寄せて、紺色の髪の頭頂にキスをした。
「うぅ…そんな呼び方しないでくれ。」
赤くなった顔を隠すようにクリスがミカリスの素肌に顔を埋める。
「マイディアレスト(最愛の君)というのはどうだ?」
「も…もっとダメだ!」
笑みを含んだ声で言うミカリスにクリスは顔を上げ慌てて言った。そして再び彼に凭れて。
「…今まで通り、名前で呼んでくれればいいよ。」
小さな声で呟いた。
「わかった。」
ミカリスが答え、もう一度クリスの頭頂にキスをする。
「……この、傷。」
最中にも気になっていた、サイドテーブルにある常夜灯の淡い明かりに浮かび上がる、ミカリスの胸の傷。治ってはいてもかなり酷いそれにそっと触れながらクリスが呟く。
「うん?」
「戦争の時の?」
「ああ。」
「致命傷になり得たかもしれないのに、よく死ななかったな。」
「俺もそのときは死んだと思ったさ。だが……妹の懸命な治療で生き長らえた。」
「そういやあんた、妹さんがいるんだっけ?」
「ああ。」
「妹さんも聖夜祭を楽しく過ごしているといいな?」
「妹たちの傍には固い信頼と愛情で結ばれた乳兄弟がいるはずだから、きっと楽しく過ごしている…と思う。」
――パオラは白騎士団団長、カチュアは副団長、エストとも力を合わせたトライアングルアタック、だったか。彼女たちは強い。あの三姉妹は常にミネルバとマリアの傍で二人を守ってくれているはず。
「そっか。それを聞いて安心したよ。」
クリスが微笑む。
「……ところでそのペンダント、」
クリスはミカリスの胸元にある、首飾りのペンダントヘッドに目を遣った。それもやはり行為のときから気になっていた。
「彫られているのは何かの紋章?」
「…ああ。紋章には違いないが…ごくありきたりなものだ。」
その紋章が何なのか、わからない様子のクリスにミカリスは当たり障りなく答えた。
「そうなのか?精巧な造りといい、光沢と言い、何と言うか…随分と由緒ある家柄を示すものに見えるよ。」
「はは…彫金師の腕がよかったのだろう。」
「そうなのか?出会った時にあんたが着ていた服も豪奢だったし、そのペンダントが王族の証だと言われても信じただろうに。」
暫しの沈黙。ややあって、クリスが口を開いた。
「……さっきの、手を差し出してダンスに誘うあんた……まるで王子様みたいだった。」
「……」
「…なんてな?」
クリスが可笑しそうにはは、と笑い、ふいに眠気を感じる。
「……うーん、眠くなってきた。」
「眠るといい。俺も眠い。」
「ああ…お寝み……」
「お寝み。良い夢を。」
ミカリスがクリスの頭頂にお寝みのキスをする。素性を明かさず、欺瞞の上に成り立つ関係。それでも二人は、今この時は世界の片隅の小さな村で聖なる夜をともに過ごす恋人同士でしかなかった。
――このまま。
腕の中で眠るクリスを見つめ、ミカリスが思う。
―― “ミカリス”としてお前と生きて行きたい。
聖なる夜に。ミカリスのささやかな望みは人知れず静かな闇に溶けていった。