菊花賞が終わった後、ルドルフさんから言われたことがある。
「シュヴァルグラン。キタサンブラックとドゥラメンテは有馬記念を最後に、海外遠征をするそうだ」
「は、はい。インタビュー見たので、知ってます」
「そうか。では、単刀直入に聞こう……このままでいいのか?」
キタサンとドゥラメンテさんが海外遠征をするけど、僕はそのままでいいのかって。このまま、ジャパンカップにも有馬記念にも出走しないで、年明けの調整に備えていいのかって。そう言われた。
出走しようと思えばできる、と思う。ファン投票でも選ばれたみたいだし、出走自体は可能だってトレーナーさんは言ってた。だけど……僕は。
(出走しても、キタサン達には……)
キタサンブラック。ホープフルステークスから、ううん、多分もっと前から目に焼き付けてきた。彼女の輝く後姿を。見る者の目を焼いてしまうような、眩い輝きを放つ彼女を。
どうしても尻込みしてしまう。クラシック三冠でのキタサンとドゥラメンテさんは強かった。僕なんて、到底及ばない強さだった。だから、挑んだところで……なんて気持ちがある。
「い、いいんですよ。もう十分、分かりましたので」
「……なにをだ?」
「元々、立っていた場所が違うんです。キタサン達はみんなの中心に立ってるウマ娘で、僕なんかとは違う」
それに、偉大なウマ娘という目標で必ずしも戦う必要はない。うん、そうだ。無理にキタサン達と戦う必要は……。
(胸、ズキズキする……)
違うだろう、そうじゃないだろう。そう主張するように、胸がズキズキと痛む。
本当は、分かってる。僕がやっていることはただの逃げだって。現実逃避に過ぎないんだって。そんなことは分かってるんだ。
だけど、脚が竦む。立ち向かおうとしても、挑もうとしても、キタサン達の輝きを目にしたら……気後れしてしまう。菊花賞で味わったあの輝きが、僕の頭にこびりついて離れやしない。
ルドルフさんは、静かに目を閉じていた。何を言うわけでもない、僕を非難するわけでもない。ただ眼を閉じて、じっとしていた。
「……本当にいいんだな?」
「る、ルドルフさん?」
「本当にこのままでいいんだな?シュヴァルグラン」
射貫くようなルドルフさんの目。どんなことを思っているのかは分からない。だけど、これが最後の通告だ、とばかりに鋭く睨んでいる。少し、怖い。
「トレーナー君はキミの意見を尊重するだろう。無理に戦わせる必要はないと判断する。無理に戦って、君が完全に折れてしまっては本末転倒だからね」
「……はい」
「しかし、私は言わずにはいられない。今のままではいけないと思っていてね。シュヴァルグラン……このままだと君は、必ず後悔することになる」
咎める口調。今度はしっかりと伝わってくる。このまま、逃げてもいいのかという目だ。思わず目をそらしてしまう。
「後悔って……な、なんでですか?」
「それは君が一番よく分かっているはずだ。君の目標と照らし合わせたうえで、どうして後悔することになるのか?その理由をね」
「そ、そういわれても……」
……分かってる。正しいのはルドルフさんの方で、僕がやっているのはダメなことなんだって。
だけど、どうしても一歩が出ないんだ。キタサン達に挑む勇気が、僕には──ない。
「どうする?今ならまだ有馬記念に「い、いいんですよ。このままで」シュヴァルグラン」
「ルドルフさんの気持ち、凄くありがたいです。僕のことを思ってくれてるんだって、分かります」
でも、ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。
「僕は年内のレースにはもう出ません。このままシニア級に上がろうと思っています」
「……決意は変わらないのか?」
頷く。ルドルフさんはまた眼を閉じて、考え事をしていた。幻滅、したよね?
それも仕方ないか。臆病風に吹かされた後輩を見て、がっかりしているに違いないんだから。
「……先んじて言っておくが、君に幻滅したなんてことはないよシュヴァルグラン」
!?こ、心が読まれて!?
「君は少々分かりやすいな。君は私のチームの後輩、幻滅するなんてことはない。これからも何かあれば、気軽に相談してくれたまえ」
「は、はぁ」
「今日は君の意思を再確認したかったんだ。それでは、ここで解散にしようか」
部室の扉に手をかけて退室しようとするルドルフさん。去り際に、僕の方を見た。
「シュヴァルグラン。どんな時でも私達は君の味方だ。耐えきれない時は、遠慮なく頼ってくれ」
「る、ルドルフさん?」
「それでは、な」
それだけ言ってルドルフさんは退室した。残されたのは、僕一人。
「必ず後悔することになる……」
ルドルフさんが言ってたことが頭に残り続ける。いつまでも、ずっとこびりついた。
◇
年明けになると、キタサン達が所属しているチーム・ミーティアは海外遠征へと旅立った。そして、海外初戦から目覚ましい結果を残すようになる。
「凄いわねぇキタサン達。ドバイのレースを圧勝して、そのままガネー賞もコロネーションカップも勝っちゃうんだから」
「……本当に、凄いね」
キタサンはドバイワールドカップ・ガネー賞・コロネーションカップを連勝。ドゥラメンテさんはドバイシーマクラシックを制した。やっぱり、あの2人は強いんだなってことを改めて思い知らされる。
(対して僕は、大阪杯でクラウンさんに負けて春の天皇賞でアースさんに負けて……)
どっちも2着。されど2着。比較して、落ち込んでしまう。
「やっぱり凄いなぁ、2人とも」
「……そうね。本当に凄いわ」
クラウンさんも同じ気持ちなのか、少し声が落ち込んでいる。
「だけど!だからこそ燃えるってものよ!次戦う時は絶対に負けないんだから!長距離も走れるようになって、あの2人に挑むわよ~!」
「……長距離?」
「あ、シュヴァルには言ってなかったわね。私、今長距離を走れるようにトレーニングしてるの」
え、え?どうして?長距離は走れないから菊花賞を諦めたのに、どうして?
「なんでって顔をしてるわね、シュヴァル。まぁ……理由はちょっとアレなんだけども」
その後語られた理由は、なんともアレな理由だった。クラウンさんのトレーナー、結構早とちりだったり感情任せなとこはあると思ってたけど。まさかクラウンさんが長距離を走れないことを悔やんでるんじゃないかって思ってたなんて。
「でも、トレーナーが私のためにってやってくれたことだし。それにリベンジの機会は多い方がいいもの!トレーナーから言われて目が覚めたわ!」
「そ、そうなんですね」
「えぇ。今となっては感謝してる。最初から諦めるなんてダメだ、って言ってくれたトレーナーにね」
最初から、諦める……僕にも刺さる言葉だ。
(……胸が、痛いなぁ)
ズキズキしてる。キタサン達が海外遠征をしてからずっとだ。
大丈夫、大丈夫。きっと、また戦う機会だってあるんだ。だからこのままでいいんだ。
「次は宝塚記念ね。勝負よシュヴァル!」
「う、うん……」
「?元気ないわね。どうかしたの?」
「だ、大丈夫だよクラウンさん。僕は、大丈夫」
心配するようにのぞき込むクラウンさんから逃げるように、僕は教室を後にした。
(クラウンさんは前を向いてる。なのに僕は……)
年明け、僕は僕の道を行くってトレーナーさんに宣言した。だけど、このままでいいのかな……?それに、戦う機会だってないのかもしれないのに、本当にこのままで……。
「……いいんだ。僕が決めたことだから」
無理やり自分を納得させる。こんな状態のまま、宝塚記念に挑むことになった。
◇
宝塚記念は、僕とクラウンさん、そしてアースさんの三強対決と目されていた。逃げウマ娘を見るように僕が3番手を追走、クラウンさん達は後ろを走っている。
問題なく走れている。ペースを乱さずに、冷静にレースを俯瞰できている。
(……けど、どこか物足りない)
第4コーナーを迎える頃に、僕は進出を開始する。基本に忠実に、差しのウマ娘が届かない位置に抜け出すために。
《最内からシュヴァルグラン、最内からシュヴァルグランが抜けてきた!シュヴァルグランが先頭に襲い掛かる、後続からはサトノクラウンとサウンズオブアースがじわりじわりと上がってきているぞ。シュヴァルグランが先頭に変わりそうな勢い。まもなく最後の直線、ここで躱すことができるかシュヴァルグラン!》
最後の直線で先頭の子に並ぶ。その後は、あっという間に躱して単独先頭に躍り出た。
(ここまでは大丈夫……問題は、この後!)
クラウンさんとアースさんが伸びてくるこの最後の直線。最後まで気を抜かずに、先頭で走り切るんだ!
走る、駆け抜ける。全速力で、自分の持てる力をすべてぶつけるつもりで走り抜ける。
「ハァ、ハァッ」
息が苦しくなってきた。それでも、1着を取るために……偉大なウマ娘に近づくために。今は一歩でも前へ!
《シュヴァルグランが先頭だ、シュヴァルグランが先頭で残り200m!ここでサトノクラウンとサウンズオブアースが同時に上がってきた、サウンズオブアースがわずかに前!サトノクラウンが必死に追走する!シュヴァルグランとの差は3バ身!》
近づいてきているのが分かる。でも、負けない!絶対に、絶対に!
「勝つんだぁぁぁッ!」
もう負けられない、チームのみんなに恥じないように、僕もG1を勝つんだ!
少しずつ縮まる差。早くゴールしてよ、なんて思考すらままならない。がむしゃらに走って、走って……
《シュヴァルグランだ、シュヴァルグランだ!ついに栄光のゴール板を駆け抜けたのはシュヴァルグランだぁぁぁぁぁッ!ついに届いた栄光のゴール板!G1初制覇を成し遂げた!サトノクラウンとサウンズオブアースの猛追を振り切り、宝塚のトップスターに輝きましたシュヴァルグラン!2着はクビ差サウンズオブアース、3着はサトノクラウン!》
僕は、1着で駆け抜けることができた。
呼吸を整えて、掲示板を見る。1着のところにある番号は──僕の番号。
(1着……1着だっ、1着だ!)
「か、勝ったんだ……!」
勝つことができた。僕より後にデビューしたダイヤさんがクラシック二冠を取って、チームでG1を取ってないのは僕だけだった。ようやく、取ることができたんだ!
(偉大なウマ娘への一歩を……っ?)
そこでふと、気づく。勝ったことは嬉しいけど、それと同時に……心にぽっかりと穴が空いたような喪失感を。
(なんで、どうして?)
夢にまで見たG1勝利。G1で勝つことは凄いこと、1勝だけでもとんでもないことなんだ。そんなレースを勝ったのに、どうしてか……思ったより嬉しくない。
どうしてだろう?なんでだろう?考えて、思いついたのは──あるウマ娘の存在。
(……キタサン)
突然、頭に浮かんだ。キタサンのことが。今海外で走っている、まぶしい輝きを放つ彼女のことが、頭に浮かんだ。
彼女が前を走る姿が頭に浮かぶ。凄く早くて、追いつけなくて。僕を置き去りにする彼女の姿が頭に浮かぶ。僕は必死に追いかけて、追いかけて……がむしゃらだったことを思い出す。距離が縮まって、喜んで。距離が離れて、悲しんで。些細なことで一喜一憂していたことを思い出す。
その瞬間、バラバラだったピースが一つになるように。
(……あぁ)
点と点が線で繋がるように。
(あ、あぁ……あぁ……っ!)
一つの答えが、僕の中に浮かんだ。
今ようやく理解した。どうしてルドルフさんがトレーナーさんよりも前に僕に警告したのか?
(僕は、僕がやりたかったことは)
どうしてトレーナーさんが僕に海外挑戦を勧めたのか?
(僕が、本当に望んでいたことは)
どうして2人が、僕に挑まないのかと再三警告したのか?そのワケを、僕は……ようやく理解した。
(僕は……僕はッ!)
「キタサンに、勝ちたかったんだ……ッ!」
僕は、自分が思っている以上にキタサンを特別視していたんだ。彼女に勝ちたいから、彼女に認められたいから。だから僕は、自信がなくてもクラシック三冠に挑戦したんだ。逃げることをせずに、キタサンに挑戦したんだ。
だけど、ジャパンカップと有馬記念は逃げた。出走はできたのに逃げたんだ。もう彼女には勝てないからって、勝手に諦めて。挑戦すること自体を止めたんだ。
(そんなの、全然偉大なウマ娘じゃない!)
ルドルフさんはこのことを言ってたんだ。僕の目標を考えるなら、逃げない方がいいって。それなら多少はマシになるだろうからって。僕に前もって警告してくれたんだ。だけど僕は、その警告をふいにした!逃げたんだ!
「う、あ、うあああ……っ!」
《おっと、シュヴァルグランが蹲っています。これはアクシデントでしょうか!?》
《……いえ、どうやら嬉しさのあまり泣いているようですね。G1制覇がよほど嬉しかったのでしょう》
僕は、勝ちたかった!キタサンに勝って、G1を制覇したかったんだ!おこがましくても、身の程を知らなくても!僕は、僕は……キタサンブラックに勝ちたかったんだ!
(だけど、もうキタサンとは戦えないかもしれない……海外遠征が終われば、そのままドリームトロフィーに行くかもしれないから)
ドリームトロフィーで戦えるかもしれないけど、僕はトゥインクル・シリーズで戦いたいんだ!なのに僕は、数少ないチャンスを無駄にした。脚が竦むからって、怖いからって。キタサンに挑むことを止めた!何が偉大なウマ娘だ。ただの臆病者じゃないか!
大バカじゃないか……こんな時にならないと分からないなんて……!僕は、本当の大バカだ!
「うあああ……ッ!」
《歓喜の涙を流すシュヴァルグラン!盛大な拍手に包まれて、新たな宝塚スターを称賛の声が包みます!おめでとうシュヴァルグラン!》
後悔したってもう遅い。キタサンとはもう戦えないかもしれないという事実に気づいた僕は……涙を流すことしかできなかった。
◇
それからどれだけの時間が経ったのだろう?それほど経ってないのかもしれない。聞こえてきたのは。
「諦める必要はないよ、愛しの
アースさんの声。安心させるように、優しい声色で、僕に語りかけてくる。
「君の
「……アースさん」
「だからこそ、
顔を上げる。アースさんは、両手を広げて、自信たっぷりに告げた。
「ドゥラメンテも、キタサンも!彼女達は必ず帰ってくるとも!」
……意味が分からない。どうして、断言できるのか。
「……なんで分かるんですか?」
「なぁに。単純なことだよ
ウインクして。アースさんは──告げた。
「彼女達はライバルを放り出さない。だからこそ、日本でもまた
「……え?」
「強くなって待てばいい。それでは、次は負けないよ」
それだけ言って、アースさんは戻っていった。
キタサン達は、戻ってくる?何を根拠に、そう思わずにはいられない。だけど。
(……不思議と、説得力があった)
自信満々なアースさんの言葉に、不思議と、戻ってくるんじゃないか。そう前向きに思うようになった。
アースが圧倒的光すぎる……!