天皇賞・春以降、サトノクラウンはより一層トレーニングに励んでいた。
「さて、と。タイムはどうかしら?トレーナー」
「良い感じではあるが……目標には届いてないな」
目標、というのは当然キタサンブラックとドゥラメンテのこと。世代最強の2人を想定し、彼女達に勝つため努力を惜しまない。
(大阪杯で差を知った。春天で真髄を感じた。安田記念で、覚悟を見せられた)
キタサンブラックやドゥラメンテが持っていて、今の自分にないもの。それはきっと覚悟なのだと、サトノクラウンは思い至る。
一度たりとも自分のスタイルを崩さないドゥラメンテ。安田記念で大逃げを選択したキタサンブラック。どちらも自分の力を信じて、玉砕してもいいって考えていたからこその栄光だ。
(あの2人に並ぶには、私も腹を括らなきゃいけない。全力の先の先、突き進む覚悟を決めないと)
「もう一本、って言いたいところだけど」
ちらりと、倉科の方へと視線を向けるサトノクラウン。倉科は首を横に振った。
「さすがにダメだぞ。もう本数はこなしたからな」
「分かっているわ。無茶をして、ケガをしたら本末転倒だもの」
給水のボトルとタオルを受け取って、休憩へと入る。
休憩中であっても手は止めない。身体を動かさなくてもできること、レースの資料に目を通す。
「……凄いわね。序盤から11秒台を刻み続けてるし、道中は10秒台もある。それを最後まで持たせるなんて」
安田記念のラップタイム。キタサンブラックの大逃げは、改めて凄いものだと実感していた。
無論、キタサンブラックだけではない。ドゥラメンテもまた、凄まじい末脚である。最終的に届かなかったものの、ハナ差まで追い詰めている。最後の直線だけで、キタサンブラック以外のウマ娘を大外から捲って上がってきたのだ。
(距離のロスを考慮すると、まさに飛び抜けた末脚ね。最後キタサンは落ちていたとはいえ、差を縮めるのは並大抵の脚じゃ無理)
「気が滅入りそう。キタサンとドゥラメンテさん強すぎよ」
現状を把握して、思わずため息を吐くサトノクラウン。ステータス的な差はないものの、覚悟の違いを知って負けたことを悟って落ち込む。
そんな彼女の様子を見て、倉科は慌てながらフォローを入れる。
「だだ、大丈夫だクラウン!まだまだこれから、問題点が分かれば次に活かせばいい!それだけの話だって!」
「慌てなくても大丈夫よトレーナー。ちゃんとわかっているもの」
「そ、そっか。それならよかったっ」
慌てる倉科の様子に思わず笑みを浮かべるサトノクラウン。不意に漏らした言葉にしっかりと励ましの言葉を送るあたり、彼は良いトレーナーなのだと改めて実感する。
その後、自分の現状を把握する。何が不足しているのか、自分が鍛えるべきものはなんなのか?しっかりと考える。
(……経験の差どうこうじゃない。後は私自身の、覚悟の問題)
結論は変わらない。鍛えるべきは身体ではなく、メンタル面にある。
持つべきは挑戦する心。絶えず前を向き、絶望にも屈さず、それでいて──どんな状況でも輝くこと。それこそが、キタサンブラック達に勝つための方法だと理解する。
(シュヴァルもきっと、同じような結論に達したんでしょうね)
G1制覇以降、一皮むけたように成長したライバル。彼女にも負けていられないなと、決意を新たにした。
ちらりと時計を確認する。気づけば休憩の時間は終わっていた。
「さて、一息ついたところで頑張りましょうか!宝塚記念はもうすぐよ!」
「おう!待ってろよ~、今度こそクラウンが勝つからなー!頑張れクラウーン!」
「……何しているのよ、もう」
とは言いつつも、まんざらではないサトノクラウンだった。
◇
気づけばあっという間。宝塚記念の日はやってきた。阪神レース場に大勢のファンが詰め寄っている。天候は曇りのバ場は稍重。良バ場ほどではないが、走りやすい環境が整っていた。
ファン投票で堂々の一位、今回のレースでも最注目の1番人気はキタサンブラック。安田記念制覇によって成し遂げた偉業、SMILE区分G1全制覇はサクラバクシンオーに並ぶ大記録だ。
「今日も絶好調!お祭りはどこまでも続きますよー!ワッショォォォイ!」
「「「ワッショォォォイ!」」」
「お客さんも凄いわね、これ」
「恒例になりつつあるね」
キタサンブラックの声に呼応するファン。アーモンドアイは風物詩になりつつあると、慣れた反応をしていた。
1番人気はキタサンブラック。対抗する2番人気は──ドゥラメンテだ。
「……っ」
静かに、それでいて内の激情は絶えず燃やす。静かにウォーミングアップをしているように見えるが、ウマ娘達は感じている。
(刃物みたい、ね。鋭く研ぎ澄ませている)
気合いの入り方が尋常ではない。彼女もまた、絶好調でこの宝塚記念に乗り込んできた。そう思わせるには十分すぎるほどの覇気を纏っている。
やはりこの2人に注目が集まる。どちらかが勝つと予想されており、他のウマ娘は厳しいと見ていた。
「ま~春天と安田の結果を見たらねぇ」
「大阪杯もだぞ。やっぱキタサンとドゥラメンテの格は違うよ」
「頑張れー!キタちゃーん!」
厳しい言葉。だが、サトノクラウンにシュヴァルグランは気にも留めていなかった。
(やれること、全部やる。今更怖気づく必要なんてない)
(……どこまでやれるのか、試させてもらおうじゃない)
むしろ燃え上がっている。世代の頂点に君臨する2人相手に、闘志を燃やしていた。
そんな宝塚記念は、出遅れなく始まる。キタサンブラックがハナを取り、他の逃げウマ娘と先行勢がマークするいつもの展開。少し違うところは、シュヴァルグランの位置がいつもよりも後ろだということだ。
先行勢を後ろから見るように窺っている。前から7番手の位置、中団の先頭につけていた。
無論、この位置取りにも理由がある。
(キタサンをマークで削るのはほぼ不可能。あれだけの数がいても、きっとキタサンは意に介さない)
並のプレッシャーははねのけて走るキタサンブラック。マークに徹して無意味にスタミナを消費するよりも、自分の走りに集中することにした。
多少は割り切らなければいけない。割り切らなければ、相手の牙城を崩すことはできない。信じるのはただ、自分の脚のみ。
《向こう正面を走ります各ウマ娘。先頭を走るのはキタサンブラック、キタサンブラックが快調に飛ばして逃げています。マークするウマ娘は実に5人!ですが、気にも留めないキタサンブラック、悠々と逃げている!》
《これが彼女の持ち味ですね。対峙しているウマ娘には、厳しい姿です》
《7番手にこれは珍しいシュヴァルグラン今回は中団の先頭。サトノクラウンは中団の後ろ13番手につけています。ドゥラメンテは外の最後方、こちらも自分の走りを崩さない。ただ、ちょっと外目を走っているか?》
ペースは普通。最初の1000mを59秒で通過し、お互いにけん制し合うように動いている。
レースが動くのはどの場面か?どこで仕掛け、誰が抜け出すか?観客の視線が向こう正面を走るウマ娘達に集中する。
「頑張れー!応援してるぞー!」
「落ち着いていきましょう!」
阪神レース場の熱気は、曇り空を晴れ上がらせてしまいそうなほど。期待に胸を膨らませ、決着の時を待つ。
向こう正面半分を過ぎた頃。ここで動いたのは──
《おっと、ここでキタサンブラックがペースを上げる!キタサンブラックがペースアップだ、仕掛けたのはキタサンブラック!ここから消耗戦に持ち込むつもりだ。得意の舞台では負けないと豪語するキタサンブラック、半分を過ぎてのロングスパート態勢だ!》
キタサンブラック。いつものように、スタミナに任せての逃げ切り態勢に入る。
単純だと思うだろう。変わらないと思うだろう。派手さがないと、退屈と思うファンもいるだろう。
だが、これが強いのだ。これができるからこそ、キタサンブラックは世界最強と呼ばれるに相応しい実力者と言えるのだ。
ぼそりと、レースを観戦していた高村は呟く。
「極論、理想通りの逃げが展開できればまず負けない。自分のペースを貫いて、後続を封殺すれば負けることはない」
「その通りだねぇ。見るものは退屈するかもしれないが……突出した強さを持っていなければできない芸当だ」
「自分の強みを理解して、相手にそれを押し付ける。言うは易く行うは難し、ですね」
ホッコータルマエの言うように、実現するのはかなり難しい。求められるステータスは当然高くなる上、何事にも動じない不動の精神も必要になってくる。あれも必要、これも必要と。数え上げればきりがないだろう。
キタサンブラックならば、その理想を体現できる。キタサンブラックは可能にする。相手に何もさせず、得意な土俵に引きずり込むという芸当を。
「そ、それじゃあ。キタさんは負けない「そうとは限らないのが、レースのミソさイクイ君」は、はぁ」
イクイノックスの言葉を遮り、アグネスタキオンは愉快そうに笑う。彼女の視線は後方へと注がれており、特にドゥラメンテを注視していた。
「確かに、キタ君の走りはイレギュラーが起きなければ勝つだろう。だ・が~?」
「レースにイレギュラーはつきもの。絶対はない、でしょう?タキオンさん」
不確定要素。理想の走りを貫けばレースは勝てるものでもない。どんなレースであろうと、理想を覆すようなイレギュラーが発生する。だからこそ、絶対に勝つという走りは存在しない。
「その通~りだともアイ君!さてさて、イレギュラーを起こすのは誰になるのか……楽しみだねぇ」
ドゥラメンテだけではない。シュヴァルグランに、サトノクラウンといった面々にも視線を向ける。レースの行く末を、愉しそうに見守っていた。
そして、宝塚記念は終盤へと差し掛かる。
《キタサンブラックが逃げに逃げる。この阪神でもなるかキタサン祭り。キタサンブラックが快調に飛ばして逃げている。後方からはシュヴァルグランがじわじわと上がってきているぞ。サトノクラウンは内から、ドゥラメンテは大外から上がっていく》
《ドゥラメンテはかなり外を回らされていますね。これは厳しいのではないでしょうか?》
ドゥラメンテの位置はそのまま走れば観客席の目の前を走るんじゃないか?と思うような位置。当然、ロスも激しい。
ただ、彼女の表情に焦りはなかった。
ウマ娘達がそれぞれペースを上げる。前を走るキタサンブラックを捕まえんと、勢いを増していく。
キタサンブラックは──崩れない。まだ余裕とばかりに走り、後続を突き放そうとペースを落とさない。勢いのままに、最後の直線へと入っていった。
《最後の直線、先頭で入ってきたのはキタサンブラック、キタサンブラックだ!後ろからはシュヴァルグランが猛然と襲い掛かってくる、シュヴァルグランも末脚を発揮しているぞ!内からはサトノクラウンが追走、すでに4番手まで位置をつけている!先頭キタサンブラックを捕まえることはできるか!?ドゥラメンテは、ドゥラメンテはっ!?》
最後の直線。2番手との差は4バ身程。通常であれば、このまま逃げ切り勝ちを狙える差だ。
(油断はしない。絶対にッ!)
加えて、キタサンブラックは手を緩めない。彼女を追いつくのも、追い抜くのも至難の業だ。
またもキタサン祭りが響き渡るか。脳裏によぎったファンに、地面の爆ぜる音が聞こえた。
実際に耳にしたわけではない。幻聴でしかない。それでも、なにかに導かれたように最後方へと視線を向ける。
彼らが目撃したのは──ドゥラメンテの姿。
《さぁ来ました!ここから大外の直線一気ドゥラメンテ!直線を向いたならば、そこは私の独壇場!この舞台ならば誰にも負けない、決して負けない!これがドゥラメンテの末脚だぁぁぁ!》
瞬く間に前との差を詰めていく。あれだけあった差を、初めからなかったと思わせるほどに埋めていく。稍重のバ場であるにも関わらず、良バ場で走っているかのように加速する。
残り200m。先行集団を追い抜く。残り100m。シュヴァルグランとサトノクラウンを追い抜く。
そして残り50m──キタサンブラックを、意識外から抜き去る。
《ドゥラメンテドゥラメンテ!意識外から急襲して競り合いにすらさせなかった!ドゥラメンテ衝撃の末脚!この末脚こそがドゥラメンテだァァァッ!あっという間の逆転劇、恐ろしいほどの末脚!ドゥラメンテが見事な末脚を発揮して、キタサンブラックを下したぁぁぁ!》
《い、いや。どんだけのスピードだったんですか!?気づいたら先頭に立っていましたよ!?》
《お前に春シニア三冠は渡さない!負けっぱなしでは終われない!安田記念の屈辱はここで晴らす!ドゥラメンテが見事に宝塚記念を制しました!》
あっという間の出来事。大外一気の末脚を発揮して、ドゥラメンテが宝塚記念を制した。
◇
……なるほど、ね。
(キタサンの粘り腰を見越して、大外をぶん回して加速してきた、ってところかしら?ドゥラメンテさん)
競り合いに強いキタサンは、たとえスタミナが底をついていようと二の足を発揮する。根性だけで走り切れる。嫌というほど知っている事実。
だからこそ、ドゥラメンテさんは意識外となる外から飛び込んできた。キタサンの意識が向かない、超大外を回して。
「とんでもない力業ね。私にはできないことだわ」
ま、それ以外の分野で攻略するんだけど。
視線の先にドゥラメンテさんとキタサンを捉える。また負けちゃったけど、気持ちは少しも下を向いていない。
(さぁて、攻略といきましょうか)
「楽じゃないわね、本当に」
そう呟くけど、私の炎は燃え上がっていた。それはもう、メラメラと……ね。
ステータス的には差はないんですよね、えぇ。しかし恐ろしいのうドゥラ……。