そして世界を救うため~偽勇者として追放されたけど、俺に聖剣なんて必要ないし、何ならお荷物なんだが?~ 作:ナカザキ
―――時詠みの賢者サルモアは黒ウミヘビのボスアセロラである。
その事実を指摘しながらもアレインは内心で、
(どういうことだ?)
という疑問を抱いていた。
彼がサルモアとアセロラが同一人物だと判断したのは、フードから除く顔の半分や、耳に届くやや掠れた声が、両者はそっくりだったからだ。
しかし、こうして現実で答え合わせをさせられると、「一体どうして?」
という大きな疑問が湧いてくる。
サルモアは30年は前の人間の筈であり、アセロラは16歳程度の少女だ。親子の線も疑ったが、サルモア自身がアレインの考えを肯定している。
いや。
それを言うならば、こうしてサルモアとアレインが、30年間のリーリア湖で対面していること自体がそもそもおかしい。
「そういえば、お前を見る様になったのは、アセロラと接触した後だったな」
「私は近くにいる人間に私と同じ時詠みの風景を見せる力がありますから」
「……今、俺とこうして話しているのも時詠みの力なのか?」
「はい。正確には話しているのではなく、時詠みで未来のあなたを見て、それに合わせて私が過去で言葉を発し、会話をしている風に見せかけているだけですが。今あなたの目の前にいるサルモアは、紛れもなく30年前にいた存在です。あなたと同じ時間軸にいる訳ではない」
「王都で人の会話を記録する魔道具、確か『録音機』とかいうのを見たが、それと同じようなものか」
「はい。今の魔道具を例にするのなら、人の会話を予め完全に予測し、その音を録音して流せば、会話をしているように見せることができます」
アレインとサルモアが会話をしている理屈については一応分かった。
他人に己の時詠みの風景を見せる能力を応用しているのだ。
一個人が数十年もの時を超える未来を見通し、さも他人とリアルタイムで会話しているように見せかけるほどの未来視を行えるのか、という疑問は残ったが。
次の質問をアレインが言葉にしようとしたのを察したのか察していないのか、サルモアは軽く指を振った。
それだけで世界の景色が一変する。
一面の淡水湖から、山岳地帯に囲まれた地方都市へと場所は移った。市場が開かれているのか、がやがやと熱気ある人々の声が聞こえる。
「ここは……」
「ガイアス王国南東部、ボルス市のスラムです」
傍らのサルモアが答える。
場面は更に、地方都市のスラムへ。
見すぼらしい一軒家の中に一人の少女がいた。歳は10歳にも満たないだろう。幼い頃のサルモアだ、とアレインは気付いた。
「……そこで私は産まれました。父の記憶はありません。母はいましたが、あまり思いだしたくはないですね。母は父のことをひどく憎んでいたようで、父譲りの私の赤い髪を見るたびに、悪態をついていましたから。時にはぶつこともありました」
サルモアの母が彼女に暴力を振るう光景が再生された。
それをいたたまれない目で眺めながら、アレインは呟いた。
「だったら、どうして子どもなんて作ったんだろうな」
「貴方は時としてとても純真な幼子のようなことを言うのですね。子どもなんて、やることをやってればできますよ。そこに愛なんていりません。一皮むけば、人も獣。ただ増えるために生きているだけです」
「冷めた悲しいことを言うんだな」
「間違っていると思いますか」
「いいや。全く」
しかし、ステラならば『それでも』と言うのだろう。
不条理で悲しい世界の現実を前に、それを道理だと弁えながら、人の正しい道を説くはずだ。そんなことをアレインが考えていると、
「今、違う女のことを考えていましたね。目の前にこんな美女がいるというのに」
サルモアは不機嫌そうに言う。
「自分で言うなよ。本当のことでもな」
場面はまた変わる。
「10歳まで母と共に暮らしていました。しかし、母が酒を飲んでひどく暴れたことがあって……私は抵抗して母を壁に叩きつけました。母は死にはしませんでしたが、頭から血を流し……私はもうこの家にはいられないことを悟りました。着の身着のままで外に出て、あとはスラムで物乞いとゴミを漁りをながら生きながらえました。衣食住という意味ではこの時期が最底辺でしょうね」
サルモアは市場の隅っこで座り込んでいた。
喧騒の中では彼女の存在がひどくちっぽけに見える。幼子の小さな背中が、アレインには更に小さく感じられた。
そこに、一人の老婆が現れた。
『アンタ、時詠みの素質があるね』
老婆はにやりと歯を見せながら笑い、サルモアに問いかける。
『もしここから抜け出したいと思うなら、アタシたちと共に来な』
差し出されたしわくちゃの手。
これが善人の掌なのか、悪人のそれなのか。
当時のサルモアには分かりっこない。
それでも。
彼女の選択に迷いはなかった。
ここにいても自分の将来に展望は見えない。薄暗い道がただ続き、緩やかに落ちていくだけだ。
抜け出せるの機会があるのなら、誰の手だってとってやる。半ば破れかぶれの考え。だが、貧困街育ちの少女にとっては、切実な不退転の決意をもった、一歩だった。
老婆の手を取る。
………がさがさして、渇いていて、暖かい掌だった。
老婆は背後の仲間を紹介する。
『こいつは黄金剣スタンドール。甘いマスクには騙されるなよ。女なら見境ない奴だ。そこら辺の種馬の方がまだ節操がある』
『さすがの私でも子供には手を出しませんよ』
『どうだが。だが、こんな奴だが面倒見はいいし、剣に魔法、斥候に交渉となんでもござれだ。アタシは魔法しか教えられないから他の諸々はこいつから学ぶといい』
『で、こいつは情厚きグラン。正確には、自称情厚きグラン、だ。自分で自分のことを情が深いなんて言うヤツは、大体ろくでもない奴さ。だけど、こいつの盾捌きに並ぶ者はいないだろう。こいつの人格は信用できないが、こいつの技量は信頼していい』
『んで、アタシは灼眼の魔女マリア。魔法学院でやらかして、今は冒険者崩れをやってるババアさ。……アンタの名前は?』
どうやら、全員がロクでもない人間だということは分かった。だが、丁度いい。
所詮サルモアだって、帰るべき場所のないスラムの根無し草だ。貧困方正すぎる団体に入った所で、彼女の肩が狭いだけだろう。
少女は告げる。
己の名を。
『……サルモア』
『いい名だ。サルモア、アンタは私の弟子になるんだ。アタシのことは師匠と呼びな!』
それは間違いなく、サルモアの人生を変えた出会いだった。
灼眼の魔女マリアによって、初めてサルモアは明日に希望を持って眠ることができるようになった。
10歳の子供なら保障されてしかるべき未来への前向きな展望を、彼女は自身の師匠によって与えられたのだ。
「そうして私は、冒険者パーティー『七色の狼』に拾われ、そこに所属する灼眼の魔女マリアの弟子となりました」
サルモアの修行は厳しかったが、それは自分に期待しているからだとすぐに分かった。だから彼女は修行を辛いなんて、これっぽっちも思わなかった。
「才気あふれる私は彼女の元で魔法を学び、その全てを吸収していきます。私は、マリアの見込んだ通り、非常の優れた時詠みの才能、未来を見る力にも目覚めていきました。能動的に見れるのは数秒から数分先の未来。さらに遠くの出来事は夢や漠然としたイメージで現れます。この時詠みはパーティーの危険を避けるのに、大いに役立ちました。また交渉ごとにおいても便利でしたね。時詠みのことを知らない人によっては、私のことを異常に
勘が鋭いと聞いてアレインが思い出すのは、アセロラのことだ。
彼女の勘はもしかしたら、サルモアの時詠みの魔法が不完全に発現した結果だったのかもしれない。
場面はどんどんと移り変わっていく。
サルモアとマリアの魔法の訓練の様子。
馬車にのって迷宮へと向かう様子。
そこで宝を守るドラゴンと戦う風景。
その後の宴会。
それらを懐かしそうに、眩しそうに、サルモアは眺めていた。
まるで、現実に屈した大人が近所の公園で遊ぶ子供を眺めるような、長い隔絶を感じさせる錆色の笑み。
「この数年間が一番良かったですね。新しいことを学ぶのは楽しかった。できることが増えていくのは、嬉しかった。師匠から新しい魔法を教えてもらう旅に胸が高鳴った。移動の馬車から見える森林の風景、魔物を前にした時の緊張感、魔法を敵に当てた時の胸の高鳴り、冒険の後の疲労が残る身体で採る食事。全てが良い思い出だと今なら言えます。少しずつ、パーティーにも貢献できるようになっていって……あぁ‥…」
嵐の夜だった。
すすり泣くサルモアの背中をマリアが優しく撫でる。
マリア自身もどう声をかければいいか、迷っている様子だった。
「泣いてるな」
「怖い夢をみたんです。とても怖い夢を」
サルモアは時折、
美しい湖が干上がっていく。
豊饒なる緑が干からびていく。
その中心にいるのは、凄絶なまでに美しい―――。
それがただの夢なのか未来に起こる出来事なのか、サルモアにもマリアにもまだ判断はつかない。だが、これが本当に起こる未来なら、何という―――。
そして、また場面が変わる。
「あとは、下り坂です」
『七色の狼』のリーダー、スタンドールが血だまりの中に一人、呆然と立っていた。その腕の中には、灰と化した女がいた。
「黄金剣スタンドールが悍ましい吸血鬼に魅入られました。愛憎の果ての激闘の末、彼は半吸血鬼の堕ちました。彼は魔物と人間の狭間の存在になり、パーティーを抜けました。自らに流れる血を儚んで」
彼は一人荒野に消えた。
半吸血鬼と化した自身は、もう人々の輪の中に入れないと考えたのだ。
「元々、『七色の狼』はスタンドールが造ったギルドです。彼がいなくなり、『七色の狼』は半空中分解となりました。この数年で加入した新メンバーの多くも、去っていった。これから私たちはどうなるのだろう。不安に苛まれる私を嘲笑うように、悪いことは続きます。いえ、これからが本番です」
夕焼けだった。
血を煮詰めたように、どす黒い、不気味な空だった。
「奴らは突然やってきました。……魔族は」
世界に無数に穴が開く。
空に煙草を押し付けたような、黒いシミ。
それは実存世界が魔界と繋がってしまった証拠だ。
魔界から、人類の敵が下りてくる。
――――魔族の軍勢だ。
「控えめにいって、地獄でしたよ。大陸のあらゆる地域にほぼ同時に突如として、人類の敵が現れたんですから」
魔族による最初の襲撃。
俗に『大侵攻』と呼ばれるそれは、人類にとっては寝耳に水で、故に人類は多大なる出血を迫られた。
「状況もわからず目の前の魔族たちを撃退しました。当時私が逗留していた町に入ってくる情報は、どこどこの町や村が壊滅してきたと言うものばかり。どこもかしこも助けを求めているのに、そんな余裕なんて全くない。人も大勢死んだし、家も壊れた。そして魔族は次々どこからともなく次々に現れる。近くの村々を滅ぼしながら、地図を黒く塗りつぶすように、無軌道に侵略していく。いいえ、人類を殺しつくしていく。村と町が滅んだという情報は一月もしない間に、どこどこの地方が魔族に滅ぼされたという話になっていました」
サルモアたちは武器を片手に各地を放浪する。
それは終わりの見えない戦いだった。
目の前の魔族を撃退しても、自分たちは勝っているのか負けているのかすら分からない。
三日三晩の激闘の果てに強大な魔族を倒しても、その明け方には隣村が別の魔族に滅ぼされたことを聞く。
そんなことを繰り返す毎日だった。
英雄と言えども一個人。
あらゆる場所には目が届かない。
いくら未来が見えたところで、間に合わない。救えない。何も為せない。意味がない。ヤスリでゆっくりと心を削るような日々。
「私は残ったパーティーメンバーと共に大陸を回っていきます。ただひたすらに駆け回り、魔族と呼ばれるようになった人類の敵と戦っていく。やがて師匠は深手を負い、グランは民を庇って亡くなりました。そして、『七色の狼』は終わりました」
大切なものの多くは失われた。
それでも、サルモアは戦い続ける。
何のため?
誰のために?
分からない。答えは出ない。
……現実は苦しい。
良いことなんて一つもない。
いや、確かに輝かしい日々はあったのだ。すぐに全部奪われてしまっただけで。
ベットでサルモアはすすり泣く。
こんな姿は誰にも見せれない。
人々にとって、サルモアは時詠みの賢者であり英雄なのだ。
もはや、国も冒険者ギルドも頼りにならない。
だからサルモアは仲間たちがこの世を去った後、兵を束ねてそのリーダーとなった。魔族に脅かされる人々を救う希望の灯となった。
だけど、彼女は16歳でしかなかった。16歳。ちょうど今のアレインやアセロラと同じくらいの歳。成人の1年前の子供の肩には、人類の英雄の名は重すぎる。
「また泣いてるな……」
「現実も夢も中も、怖いものがたくさんあったので」
数年前から見る様になった、夢の光景が少しずつ鮮明になっていく。
夜眠るたびに、
美しい湖が干上がっていく。
豊饒なる緑が干からびていく。
その中心にいるのは、凄絶なまでに美しい魔族。
白銀の髪、黄金の瞳、四本の角を持つ、恐ろしいまでの魔力を持つ魔族の手には、禍々しい輝きを放つ一本の剣。
それに対峙するのは、今よりも更に大人になったサルモアだった。
魔族が剣を振るうと、世界が光に包まれて、全てが粒子に代わり消滅していく。
見る者が笑ってしまうくらいの圧倒的な破壊の風景。
『……ああ、あの光景は本当に起こるんだ…』
サルモアはいつしか確信した。
あれは、これから迫りくる未来だ。
あの魔族が何者なのかは分からない。あの湖がどこなのかも。一体あれが何年後の光景なのかすら不明だ。
しかし、あれは間違いなく起きる。
魔族とその手にあった不気味な黄金の剣によって、一つの国とそこに住む人々の全ての命が一瞬で失われる。
サルモアだけが、今、それを知っている。
夥しいまでの死に立ち向かうことできる。
人々にいつか訪れる死を予知し、それを覆せるのは彼女だけだ。
『…………いやだ』
それが紛れもない、本音だった。
――――――もう、沢山だった。
『今』だって、精一杯やっている。
『これまで』だって、死にものぐるいでやってきた。
スタンドールが去り、マリアがいなくなり、グランが死んだ。
そこから、自分なりに、できることをやろうと、騙し騙し頑張ってきたのだ。
それなのに。
天におわす女神は、自分にこれ以上の成果を求めるのか。
もう嫌だ。
『未来』なんて、考えたくない。
あんな死の権化のような存在と魔法を、どうやって止めればいいのか。
少なくとも自分だけでは絶対に無理だ。
―――死、死、死。
今までサルモアが助けた、或いはこれから助けるである人々の命を無数に投入して、投げ出させて、ようやくあの魔族の隙を一瞬だけ作れるだろう。
そして、間違いなくサルモアは死ぬ。
所詮、サルモアなんて人族の中で多少突出しているだけにすぎない。
彼女が将来対峙しなければいけないアレは、人を遥かに超える魔族の中でも頂点に近い存在だ。
―――死、死、死。夥しい死を背負って、やっとその足を掴むことができる。
今だって救えなかった人々の命の重さに押しつぶされそうなのだ。
自分の手であの世に向かって旗を振り、大勢の命に犠牲を強いるなんてできる訳ない。おまけに、それだけやっても自分の命さえ救えそうにない。
――死について考えてみた。
気付けば身近にあったものだった。
己は終わりに向かって歩いているのだと気付く。
どうして自分だけが、と一人嘆いた。
逃げ出したい、と誰にも言えずに泣け叫んだ。
いつしか、両足が震えて立てなくなった。
やがて震えさえも、消えていった。
それでも終わりは向こうから近づいてる。
顔を抱えて、怯える毎日だった。
ふと、もう一度前を見る。
――――そこに誰かががいた。
道の果て。
終わりの遥か、遥か、遥か、遥か先。1万の夜を超えて、彼はいた。
『………………………………誰?』
「…まさか」
サルモアが見つめる先にいたのは黒髪に灰色の瞳の少年。背は高く筋肉質な体形だが際立った巨漢という訳でもない。どこにでもいそうなただの少年。
「―――俺?」
アレインだった。