ばんえいウマ娘、北の大地を駆ける 作:mzk_arachne
――10――
「そのオデコはどうしたんだい?」
「いえ、なんでもありません。お気になさらず……」
トレーナーさんは怪訝な顔をしていましたが、それ以上は追及してきませんでした。
今思い起こせば、ちょっと浮かれ過ぎていたのは確かですし、それを正直に話すのは苦行というか拷問でしかありませんので聞かれないのは助かります。
昨日のあたしの浮かれ具合を目撃していた友人達からは「浮かれてるんじゃなくてイカレてる」「反重力実装済み?あんなに地に足が付いてないヤツ初めて見た」「キモかった」と、それはそれはストレートな感想を頂きました。
さて、あたしの身体も順調に回復していっていますし、選抜レースでの勝利を経なくてもトレーナー契約も結べました。
いよいよ、メイクデビューの条件が整いました。
普段のトレーニングの合間を縫って、トレーナーさんと今後についての作戦会議です。
「メイクデビュー戦でのばんえい重量だけど、今までの模擬レースや選抜レースよりも重くなる。具体的には選抜レースでは2000kgだったのが、2500kgに加増される」
「プラス500kg。橇一個分ですか」
「これはスタート地点ではあるけれど、BGⅢのナナカマド賞でも同じ程度のばんえい重量になる。これが無理なくいけるようになれば、重賞、ひいてはジュニア三冠路線へのエントリーが現実味を帯びてくるね」
手の届かない位置にいたきらびやかな星々が、急激に手の届く現実に降りてきた幻覚に捕らわれそうになります。
ごくり。
あたしが唾を飲む音が、やけに大きく聞こえます。
「ただ、僕が思うに……」
そんなあたしの妄想をぶち壊す為か、トレーナーさんは、そこでわざと言葉を切りました。
「今のスノウ君の実力であれば、メイクデビュー戦の勝敗は半々といったところだと見ている」
トレーナーさんの目は本気でした。
そこに「信じてる」とか「君なら出来る」とかの余計な装飾は一切無く。
「そこでメイクデビュー戦までのトレーニングに、いくつかの選択肢が出てくる。しかしながら、その選択肢全てを、とはできない。やろうとしても時間的に厳しいだろうし、なによりオーバーワークで疲労を残しながらのトレーニングになってしまうだろう」
見た目からしてあたし達の太い脚が表しているように、ばんえいウマ娘は総じて平地競争のウマ娘よりもかなり頑丈頑健ですが、それだって無敵という訳ではありません。
無理は必ず体に表れます。
トレーナーさんが言うように、全てに手を伸ばすのは現実的ではない。
メイクデビュー戦までのトレーニング方針として、ターゲットを見極めて、何かしらを選ぶ必要があります。
「そうだね……スタート練習を重点的に行う線でトレーニングプランを組んでみよう。これが吉と出ても凶と出ても、少なくとも得るものはあるだろう」
あたしは頷きました。
「ただ、ちょっとの間だけどトレーニングは現状維持でいこう」
「それはどうしてですか?」
「プランに合わせて練習場や設備を確保しないといけないからね。他の子達だっていろいろ使う。前から予定していたなら兎も角こちらのチームは新しく出来たばかりだから急に使用者が増えたことになる。こっちのやりたい事が出来るように、彼女らのトレーナーと譲り合いと分捕り合いさ」
トレーナーさんは肩をすくめました。
「特に僕みたいな新人同然で顔が利かないとなると、なかなかスムーズには進まなくってね」
「大変なんですね」
「なに、トレーナーの仕事なんて実際のところは地味な裏方さ。情報収集と裏取り調査、あっちやこっちとの事前調整、書類につぐ書類。どんな仕事も段取り七割だよ」
うんざりした口調のトレーナーさん。しかし、その顔には、この仕事が好きで好きで仕方がない、と言った表情がありありと浮かんでいたのでした。
普段通りのトレーニングメニューはこなしていますが、未だに本調子ではないあたしは練習量が少ないです。
ぶっちゃけ暇です。
かと言って、怪我が治れば忙しくなるのが分かっているので、部活や委員会活動を入れられるほどの余裕がある訳ではなしの、宙ぶらりん。一人でブラブラ帯広の街中を散策するのも良いですし、そういうの好きですが、そればかりでは面白くありません。
どうせなら空いている時間を有効に使う為、学生課に来ました。
求人票を見ていくと、建設業以外、なんでもありました。
白く小さな紙きれを、たわわに実らせる掲示板の前で、小さくガッツポーズを取るあたしが目に止まったのでしょう。
「求人票の更新タイミングで来られるとは、良いタイミングでしたね」
とは、入学時にお世話になった事務員さんの言。
募集の日程にあわせて求人票を貯めておいてからまとめて貼りだす時もあれば、募集日時が近い案件は、受けたらすぐに貼っていく場合もあるとか。あたしが学生課に来た時に、たまたま後者が多かったようです。
畑仕事が一番慣れてるので、農場のアルバイトがあるのは助かります。
この時期ならではの、アスパラガスの収穫手伝いをしてきました。
露地栽培の畑で、湿った茶色の土からチンアナゴか土筆のように、にょっきり生えているアスパラガス。あたしは収穫の今しか会っていませんが、見た目の色艶や形で、丹念にお世話されてきたのが伺えます。
専用のアスパラ収穫鋏で、一定の太さまで育った青々としたアスパラガスの根本付近をパチンと切っては回収。パチンと切っては回収。それを圃場の端から端まで延々と繰り返します。
立って使えるアスパラ収穫鋏はそこそこ重いのですが、あたしにとっては羽毛も当然です。
お給料は、10,000円ほど頂きました。
オマケで規格外品のアスパラガスをたくさん頂きましたよ!
寮の裏で七輪を出して、バターで炒めて美味しく頂きましょうか。調理する前にマヨネーズをつけてシャキシャキボリボリと生で齧るのも爽やかな風味が直に味わえて良いですね。アスパラガスは様々なビタミンに加えて、疲労回復に効果があるアスパラギン酸を含んでいるのでばんえいウマ娘のような激しいトレーニングをするアスリートには嬉しい食材です。
身体の回復の方はボチボチです。悪化はしていませんが、特に回復が急に進んだ感じはしません。治りつつある実感はありますが、時間に任せるしかないのは実際、歯痒いものでした。