ばんえいウマ娘、北の大地を駆ける 作:mzk_arachne
――11――
ある日の放課後。
あたしとトレーナーさんは、練習コースに設置してあるゲート前に集合しました。
今日から、トレーニングメニューにスタート練習が追加されます。
トレーナーさんからは事前に指示があって、ウォーミングアップ済みです。
「トレーナーさん、一つ思ったのですが、どうしてスタート練習なのですか?」
「スノウ君の模擬レースや今までのトレーニングを見ていて、気が付いたことがあってね。早いうちに改善しておいた方がいいと思ったんだ」
あたしは首を捻りました。
自分では、そんなにスタートが下手な気はしていないのですが。
「その辺は、後で見ればよく分かると思う。何かを直すにしても、まずは現状把握から始めていこう」
トレーナーさんは、ゲート近くビデオカメラを取り付けた三脚を設置しながら、スターター台まで移動していきました。
おお、それっぽい!
今まではこういうのは、仲間同士でスマホ使って撮影し合うしかありませんでしたからね。
あたしはカメラの事はよく分かりませんが、同室のグラムさんがビデオカメラが好きで、良くカタログや雑誌を眺めています。彼女なら、トレーナーさんが仕掛けていったカメラのスペックなんかも良く知っているでしょう。グラムさんは撮影や動画作成ではなく、純粋にガジェットとしてのビデオカメラの類いが好きなのだそうで。小型のを何台か持っていて、寮の部屋でもたまにカメラを回しています。確かにジンバルカメラの、ターゲットを追う猫の首のようにクリクリ動く様子は可愛らしいので、彼女の気持ちもちょっとは分かります。
トレーナーさんがスターター台の上から、赤い旗を振り回して合図をします。スターター台と言っても実際のレースで使うような箱タイプではなく、練習用設備なので細く頼りない梯子の上に鉄パイプで荒く編んだバケツのようなものを置いた程度の簡素なものです。
あたしはゲートの中で、スタート態勢をとりました。
今日はスタート練習だけに集中するために、曳くものは無しです。
大きく息を吸って、ゆっくりと吐きだします。息を整えていくにつれ、胸の奥底からやる気がゆっくりと頭をもたげます。視界が端の方から、じわりじわりと赤く染まっていきます。
スターター台の上で赤旗が振り下ろされました。
同時に、ゲートオープン。
あたしは全速で駆けだしました。
「っしゃぉりゃあぁぁあっっ!!」
基本的に重種のウマ娘は温厚でのんびり、気長な性格の子が多いです。とは言え、人間の性格が千差万別であるように、軽種重種を問わずそこはウマ娘だって同じです。重種ウマ娘は全体的な性向としてのんびりしてはいますが、当然、中には気性が荒い子だっています。
気性の荒さは色々な形でレースに影響します。
常日頃から闘争心剥き出しでは周りが困りますが、レース中に無いのは、それはそれで困ります。
あたしは途中から画面が見れませんでした。
恥ずかしさで紅く染まった顔を少しでも隠したくて、両手で顔面を覆います。
「……あたし、こんなに激しく乱れてたんですか?」
「……全く気が付いてなかったのか?」
ビデオカメラの小さい液晶ディスプレイの中のあたしは、それはもう酷いものでした。眦は吊り上がり目は血走って、口から飛び出すのは気合というよりも罵声でした。
「今さら言うまでもないだろうが、レースで闘争心が無いのは困りものだ。例えば、他と競り合った時に闘争心が旺盛な方が、より前に前にとフィジカルを最大限まで絞り出して進むだろう。そう言う意味では、競走バにとって激しい闘争心は必須だ」
トレーナーさんはビデオを巻き戻して、また再生し始めました。
「でも、闘争心があり過ぎるか、上手く制御できていないと言うのもまた困りものだな。この君のように」
やめてください……それ以上は見せないでください……。
「まずは現状把握からと言ったろう?今どうなっているのかを把握するのはとても大切だ。ほら、しっかり見ないと」
はい……ああ、激しく乱れてます……重心が右に左にブレブレです。
恥ずかしさのあまり顔面を覆った両手の指の隙間から見えるのは、液晶ディスプレイの中で荒ぶるあたし。
「だろう?こうしてゆっくり再生するとよく分かる。ほら、気合が入りすぎているあまり上半身が上を向いている。出掛かりの瞬間の加速が鈍い」
こうして、あたしはたっぷりと現状把握させられました。
「と言う訳で、現状把握が済んだから、次は対策だ。スタートの瞬間への集中力を鍛えよう。先行が向いているスノウ君が序盤で出遅れるのは、かなりの不利を被ってしまう。スノウ君の場合、フォームそのものの問題ではない。自らのやる気が高すぎて逆にプレッシャーになってしまい、反応の遅れやフォームの乱れに繋がってしまっているのが問題だ」
そこでトレーナーさんはいったん言葉を切りました。
「まずはトレセンの外周を5kmほど走ってくるように」
「ええっ?!」
「まずは適度に体を疲れさせて気合を抜く。それからゲートを使って、最適のスタートタイミングを体に叩き込む。質問は?ないかい?では、駆け足はじめ!」
トレーナーさんの言葉の鞭が飛びます。
あたしは強く尻尾を引っ張られたかのように、駆けだしました。
その日は、へとへとになるまでスタートダッシュの繰り返しでした。
ダッシュしてはビデオ映像のチェック。
ダッシュしてはビデオ映像のチェック。
次の日も、その次の日も、同じメニューでした。
もちろん基礎的なトレーニングも行っていますが、トレーナーさんのプランでは、それらも現状維持ができるだけの最低限に留めていました。
思えば、こんな風に特定のポイントにターゲットを絞って重点的にトレーニングする事は今までにありませんでした。ウェイトトレーニングなどのメニューに少しずつ差は出るものの、だいたい一通り決まっているメニューをルーチンワークのようにこなすだけ。
いくら教官達に指導されているとは言え、がっちりとマンツーマンで見て貰ってはいません。
自然、ところどころは自己判断になりがちです。
しないように、とは注意していながらも、どうしたって自分自身に甘えてしまうのはどうしようもないことでした。
誰にも頼らず、修行僧さながらに甘さも弱さも一切見せずに、自分を鍛えるウマ娘もいるにはいます。
ただ、そういうのは天才とか呼ばれる一部のウマ娘だけです。
あたしは、あくまで普通。
そこまでストイックになり切れませんでした。
それをトレーナーさんは許してくれませんでした。
他人だからこそ出来る甘さの排除。何を得て、何を妥協するかの取捨選択。
「そうだ!スノウ君!今のタイミングだ!頭の中で何を見つめて、何を追い出したか分かったな?そいつを身体に叩き込むぞ、もう十本!!」
「はい、トレーナーさん!」
こうして、あたしはゲート内で集中するべき事柄を整理することで滾る心を抑えて、上手くスタートを切れるようになってきました。
メイクデビュー戦への準備は、着々と進んでいきます。
「スノウ君、君のメイクデビュー戦のスケジュールが決まったよ」
それは唐突でした。
「一週間後、ですか。早いですね」
「この時期は大きいレースもないし、メイクデビュー戦ばっかりだからね。空いている枠さえあれば、すぐだよ」
「と言う訳なので、グラムさん」
「あにさ」
「トレーナーさんから四日後から先は軽いトレーニングにして、体を休めるように言われました!時間が出来ましたので、せっかくですし、甘いものでも食べに行きませんか?」
「いーよ?どうせだし、他のヤツらも誘って六華亭いくべさ」
「おお、それはナイスアイディア!あたし、帯広本店のリコッタパンケーキ大好きです!」
リコッタパンケーキは、その名の通り、リコッタチーズを使ったふんわりしたスフレのようなパンケーキです。店は注文が入ってから焼くので食べられるまで少しばかり時間はかかりますが、待たされる分だけ、いやが上にも期待感が高まります。そして食欲と期待が十二分に高まったあたりでお出しされる、ふかふかと柔らかく熱く厚いパンケーキ。そのままでも美味しく、生クリームを付ければ最高、メープルシロップを垂らせばもう絶品。これはもう乙女の心と舌と胃袋を蝕んで離さない毒です。
こういう、ちょっとした贅沢する為にもアルバイトして貯金してる訳ですし、なによりも甘いものはテンション上がります。走る前から意気消沈してちゃ、レースで出せる力も出ませんからね。
なお、お店のスイーツは突如として押し寄せた食欲旺盛なばんえいウマ娘の群れに喰い尽くされた模様です。
でりしゃす!