ばんえいウマ娘、北の大地を駆ける 作:mzk_arachne
──12──
一週間後。
とうとう、あたしのメイクデビュー戦です。
勝っても負けても、これがあたしのばんえい競バの始まりです。
装具を付け終わってパドックに向かう前のあたしに、トレーナーさんからは一言「楽しんでおいで」と。勝っても負けても生涯でただ一度しかない、始まりのレース。なら、楽しまなければ損だと。
ズジャ、と鉄製の蹄鉄がバ場の砂を踏みしめ、重い音を立てます。平地競争を走る軽種のウマ娘はアルミ製の蹄鉄ですが、重種であるばんえいウマ娘は自分の体重と踏み込んだ際の暴力的なまでの荷重に負けないような強度が必要なので、レースで使う蹄鉄は鉄製なのです。あとはそこまで速度が出ないので、蹄鉄にまで軽量化を要求されないというのもあります。
ずしゃ、ずしゃとざらついた地面を踏みながらパドックに向かいます。
一足踏むたび、一面に撒かれている札内川沿いから採ってきた砂利が躍るように跳ねます。
先輩達のレースを通じて横からは何度も見ていましたが、正式のレースが初めてなら、お客さんが見守る中でパドックに立つのも初めてです。
緊張の面持ちで立つ、お立ち台の上。
深呼吸を一回。
あたしは羽織っていたジャージを一息に放り投げました。
先輩方のように綺麗には広がりませんでしたが、バッとジャージが宙を舞います。
ワァァ……。
細波のような歓声が降り注ぎます。
それに手を振って応えました。
皆さん、見ていて下さいね!
『10番人気は7番カミノクニスノウ。あの通算成績50勝をあげた"上ノ国の女傑"のお孫さんとなりますが、どうでしょうか?』
『トレーニング中は目立ったところは無いとの話ですが、入学前に負った怪我が治り切っていないとの情報も入っています。ただ快方に向かっているとのことですので、好走は期待できるのではないでしょうか』
快方に向かっていますが、まだ完全復活とは言えませんけどね!
とは言え、期待のされ具合には、心が沸き立ちます。
でも人気と期待のされ方に妙な食い違いがあるのが気になります。期待はされているけれど人気は低い……レースを引っかき回しそうで面白い、とか思われてませんか?
パドックからゲートの設置してあるスタート位置まで、レースコースと観客席の間にある走路で移動します。
レースコースの南側には、スタートからゴールまで、レースの全てを見渡せる開放的な帯広競バ場メインスタンドがあります。トゥインクルシリーズが行われる競バ場のものに比べればこじんまりとしていますが、それでも三階建ての大きなメインスタンド。そのスタンド前にはシートなどが無く、そこでレースが出来るくらいに大きく開けた立ち見の観客席が広がっています。
走路を移動するばんえいウマ娘と観客の間は、ラチ一本挟んだだけの、それこそ互いに手を伸ばせば握手できるほどの距離。選手と観客との距離が近い、ばんえい競バの魅力の一つでもあります。
歩いていく時にも、ぱらりぱらりと声援が投げかけられます。メイクデビュー戦とあってお客さんも少なく、声援の量はまばら。それでも見てくれている事には変わりありません。
声援に両手を振って応えます。カミノクニスノウは頑張りますよー!
一緒に走る子のご家族でしょうか。直に名前を呼んでの応援も。
あたしの家族は来ていません。さすがに実家から車で片道六時間以上かかる上に、田んぼが忙しいので来てもらう訳にはいきませんので、それは承知の上です。
でも、少しだけ、あの子が、羨ましい。
「スノウ!けっぱれよー!!」
耳に届いたそれは、グラムさんの声。
声のした方に、今日一番の笑顔を向けました。
「はい!頑張りまぁす!!」
いつもの体操服の上から装具やハーネスは着用済み。緩みや違和感もなし。
ゲートに入ります。
重機がディーゼルエンジンを唸らせながら、橇を所定の位置に置いていきます。
係員さんが、あたしが身に付けている装具に牽引力の掛かるベルト、ハーネスの左右の腰部分にかじ棒と、ばんえいウマ娘が橇と繋がる為の用具を手際よく繋いでいきます。
体のあちこちをパンパンと叩かれ、装着確認も完了です。
あたしの前にある開閉扉を締めて、右、左とキビキビと指差し呼称。係員さんがピッと両方の親指を立てます。
「ありがとうございます!」
あたしのサムズアップに、崩れた敬礼をしながら、コース外に離れていきました。
気合十分!
あたしは握った左右の拳で、自分の太腿をトントンと軽く叩きます。下手なヒト耳の女性のウエストよりもなお太い、あたしの鍛錬の成果。
アップが終わってしっとりと湿っている太腿は今か今かと出番を待ち望み、十分に血流が回って膨らんでいて、がっちり締った肉の感触を返します。
「日本の米はぁ……」
そのまま右拳で左肩、左拳で右肩を。
パァン!
最後に両手が頬を張った乾いた音が、辺りに響きます。
「世界一ぃ!!」
『7番カミノクニスノウ。気合充分!いい顔してますね!』
実家のお米と田んぼを思うと懐かしい気持ちになると共に、スーッと心が落ち着いていきます。
気合の抜き方も十分!
周りがどう見ようが、気になりません。これが、トレーナーさんと一緒に決めた、あたしのルーティーンです。
今日のあたしのばんえい重量は、2500kg。
やる気は『絶好調』です!
『各ウマ娘、ゲートに入って体勢整いました』
トランペットとスネアドラムが勇ましくも軽快な、一般競争ファンファーレが帯広競バ場に響き渡ります。
スターター台の上で、発走委員の方が掲げる赤い旗が翻ります。
スターターの旗が振り下ろされても、それはゲートオープンには直結しません。旗はあくまでレース開始を告げるものであって開扉の合図ではありません。安全確認や係員の退避が完了して全ての準備が整ってから、ゲートが開くまでには若干のラグがあります。このわずかな時間差に気を取られて集中を乱さないよう、必要な瞬間まで維持します。ばんえい競バは各ウマ娘がゲートインしてから橇を接続するので、ゲートに入ってから実際に走るまでの待ちの時間が平地競争に比べて格段に長い。その為、集中を維持しなくてはいけない時間も長いのです。トレーナーさんが、まずスタートと集中力を鍛えた意味が分かります。
『すべての係員が離れていき……離れ終わりました』
誰が指示した訳でもないのに、場内が、スーッと潮が引くように静かになっていきます。
静寂。
ゲートが開きました。
『各ウマ娘、一斉にスタートしました』
ガッジャァン!!
橇とばんえいウマ娘をつなぐ装具が一斉に鳴ります。
これが、ばんえい競バ特有のスタートです。ばんえい競バ以外でこんな音がすることはあり得ません。
鎖、シャックル、かじ棒、橇のフレーム、装具の金具、橇に載せられた何枚ものプレート状の錘。色々ものが押し合い、引っ張り合い、ぶつかり合って、音が轟きます。まるでばんえいウマ娘が全身に鈴をつけているかのようです。
赤鼻のルドルフが引っ張るサンタクロースの橇の如く、辺りに鳴り響く特大の鈴の音の合奏に、歓声が添えられます。
ジュニア級でまだ身体が出来ていないとは言え、大音量を立てるばんえいウマ娘の巨体が並んで走る迫力に、少ないとは言えお客さんの歓声に空気が震えます。
一部のお客さんは一緒にスタートを切って、ラチの向こう、スタンド前の観客席で併走しています。
肩周りに喰い込んだガラとハーネス越しに、橇の重みと砂の抵抗を、全身に感じます。
重い!
ですが、いける!
トレーナーさんとの練習の成果はバッチリでした。狂ったように叫びだしたい心を必死に宥めて、扉が開く瞬間を狙いすましたお陰でスムーズにゲートを出れました。
じゃらん!じゃらん!じゃらん!と盛大に、リズミカルに、装具を鳴らしながら第1障害に向けて駆けます。
せっかく得たスピードを殺さずに、そのまま第1障害に突き進みます。
残念ながら、あたしのパワーでは後半に障害での競り合いとなった場合、負ける方が多いでしょう。出来れば序盤でペースを握っておきたい。と言うトレーナーさんの判断でした。
幸いなことにスピードとスタミナには、それなりに自信があります。
小さい頃から田んぼの泥の中を歩き回って鍛えた足腰は伊達じゃないですよ。
第1障害直前で大きく吸気し、筋肉を出来るだけ緊張させて、
「ふん……!ぬ!りゃぁああ!」
そのまま一気に第1障害天辺まで駆け上がりました。
「ぶっはぁぁ!」
緊張が抜けた全身の筋肉がもうもうと熱を発します。でも、これでお終いではありません。橇の重量を利用して、障害を駆けおります。
第1障害を駆けおりたスピードは無理に制御しようとしないで、そのまま背を押されるようにして進み……あたしは第2直線の半ばで脚を緩めました。
別にトラブルではありません。
レース真っ最中のウマ娘がコース内で止まるのなんて、ばんえい競バの常です。これもばんえい競バ以外ではあり得ない光景です。
『カミノクニスノウ、ここで脚を止めました。第2障害に向けて早めに刻んでいくか』
刻み、と呼ばれるばんえい競バ特有のテクニックです。
格に合わせて適性なばんえい重量を曳いたばんえいウマ娘が、スタートからゴールまで止まらずに進むなんてことは、よほどの事がない限り、その重量故にまず無理です。それはあたしのいるジュニア級から最強格の先輩達がいるオーバーシニアまで同じ。
ばんえい競バは由来として、仕事の延長線上にあります。仕事は最終的に果たせればいいので、途中で休んでもいいのです。レース中に脚を止めて休憩と息入れを行うのことを"刻む"と言います。
ちょっと進んでは休み、休んでは進みます。
腰に手を当て、天を仰ぎ、ハッハッと荒く浅い呼吸を繰り返します。
力を籠め続けていた全身が急に緩んだせいか、耳鳴りがします。
『カミノクニスノウ、第2障害を遠めに見て再び刻んでいます。これは重いか?』
併走するお客さんからの、頑張ってーという声がやけに遠く聞こえます。
大丈夫です。
頑張りますよ。
そうですよ。
頑張る為に、あたしは!ここにいますよ!!
『カミノクニスノウ、進みました。また刻む……いや、刻まない!刻みません、そのまま第2障害に挑戦します!』
パワー不足なのでしたら、スピードで補います。
遠めに刻み始めたのは、助走をつける距離を作るするためです。
障害の手前から一度も止まらずに、障害の上まで一気に登りきることを"一腰"と言います。
ただ、これは相応のパワーが無いと出来ません。
トレーナーさんとの打ち合わせでも、あたしは一腰で越えられないだろうとの想定で進めていましたが、やはり無理でした。
第2障害の途中、坂のど真ん中で、足が止まってしまいました。
前傾して体重をかけて橇ごとずり下がるのを防ぎます。
ハーネスを通して、重さが全身に喰い込みます。
これが2500kgの痛み。
あたしも藻掻きます。不意に上体を起こされてしまったら、次に動くときに力が入らない。必死です。
奥歯がギリギリと軋みます。
傾斜と砂に足が取られて踏ん張れず、蹄鉄はまともに地面を捕らえられない。
ヒュッと息を吸いながら一瞬、上体を起こす。
次の瞬間にはガバッと前のめりになって体重を前進力に変えて、そのリズムを合わせて足を出す。
「っふ!おぉ……らあぁっ!」
それを一歩、また一歩。
ゆっくりと、少しずつ前に、ひたすら前にと輓曳します。
辛いのは分かってはいました。
キツいです。
吐きそうです。
それでも、前に。前に。ひたすら前に。
第2障害の天辺に、足が、かかりました。
「っりゃああああっっ!!」
第2障害の頂上にあるわずかに平らになっている部分、その天板と呼ばれているところに足が掛かれば、斜面よりも格段に踏ん張りが効くようになります。
踏ん張りさえ効くようになれば、後はあたしの力でもなんとかなる。全身を前に投げ出すようにして踏み込み、曲げた膝を伸ばせば、脹脛と腿がバキバキに膨れ上がり大木に絡みつく蔦のように血管が浮き上がる。油圧ジャッキのように動きはゆっくりでも、しかし力強く応えてくれる四肢。そのまま橇を上げきりました。
あとは一気に滑り降りるだけ。
『カミノクニスノウ、越えた!苦戦しましたが第2障害を越えました!しかしこの隙に後続も必死に追い付いてくる!』
「ふっ!はぁっ……ふっ!はぁっ……」
まだ足は残っています。
ちんたらしてられませんよ!
滑り降りる橇のスピードを殺さないよう、自分と橇を前に前にと進めます。
第2障害を越えたらゴールまでもう少し。
「――――ッッ!!」
ゴールから10メートル刻みで立ててあるハロン棒があと2本。
あと1本。
ゴールまで、あと一足。
入線。
橇の最後端がゴールラインに触るまでほんの少し。
橇の最後端がゴールラインを過ぎると同時に、あたしの膝からフッと力が抜けて、崩れ落ちそうになりました。
でも、屈しません。
バンッと両の手で膝頭を押さえて、崩れかける身体を無理やり支えます。
全身からは汗がブワッと吹き出し、まるで水蒸気がそのまま噴き出しているかのような熱感。
練習で何度も何度も経験して、いい加減慣れそうなものですがいまだに慣れない、あの感触。酸欠と疲労で視界がぐにゃぁと歪んでいます。手も足もつっかえ棒のようにしておかないと倒れてしまいそうで、動けません。
荒い呼吸を繰り返して、酸素を脳味噌と全身に送ります。
順位は?
視界はグニャグニャ。
喉の奥はなんだか酸っぱいです。
なんとか頭をあげて見まわそうとすると、トレーナーさんが駆け寄ってくるのが目に入りました。
ぼやける目を掲示板に向ければ、まだ二番手の子はまさにゴール板に差し掛かるところでした。
二番手が後ろにいる。
そう。
『カミノクニスノウ、事前人気をひっくり返しました!堂々の1着でゴールイン!勝ったのはカミノクニスノウです!』
気が付いてみれば、最終直線での伸びで2着を大きく引き離し、8バ身差をつけての堂々の1着。
こうして、あたしはメイクデビュー戦を勝利で飾りました。