ばんえいウマ娘、北の大地を駆ける 作:mzk_arachne
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さて、ちょっとドタバタしましたが首尾よく入学手続きも終わりました。
入寮と、自室への軽い引っ越しも首尾よく完了。
入学式も無事に終わり、あれから数日。
学内のオリエンテーションなども終わり、新しい生活の始まりに浮付いてドタバタしていた校内の雰囲気も徐々に静かに、普段通りといった感じになってきました。普通に授業も始まっています。
今や晴れて、あたしも帯広トレセン学園の生徒です。
授業の終わった教室。
窓の外からは、まだ春にはなりきれていないものの、着実に春を運んできている四月の明るい陽射し。そろそろ実家では田起こしの準備にかかっている頃でしょうか。
廊下からは、友人達同士の賑やかな笑い声がさかんに響いてきます。
まだお互いにぎこちなさが少し残る別れの挨拶をクラスメイトと交わせば、あちらはここ数日で出来たであろう友人達とグループになって、姦しくはしゃぎながら2メートル近い体躯を揺らし、じゃれつかせあいながら教室を足早に出ていきました。ばんえいウマ娘は牧歌的で穏やかな性格の子が多いですから、見知らぬ同士でもひとたび話が弾めば仲良くなるのは早いです。
ばんえいウマ娘と言っても、体格こそ段違いですが、心は軽種のウマ娘と変わるわけではありません。新生活真っ只中にあって頭の中を満たすのは不安と希望と、それを覆い隠して余りあるほどのたっぷりの好奇心。
帯広と言えば、十勝地方の中心都市です。実に人口十六万人ちょっと。あたし同様に人口数千や一万人程度の町から来た子達からすれば、なんでもある華々しい街に見えます。なにせ、あたしも同じですから。車で一時間もかけて函館まで出ないと行けないようなお店が歩いて行ける距離にあることの、なんと素晴らしいことでしょう。そんな具合の、全身からワクワクを振りまいて探検と称して街に繰り出す女子学生達を、誰が止められるでしょうか。
しかし、あたしの頭の中は、それとは別の事でいっぱいです。
トレセン学園の生徒となったら、やる事は一つ。トレセン学園生のウマ娘たるものレースでしょう。
レースしましょう!
その前にどこかでトレーナーを拾ってきましょうか。
レースに出走するには、チームに所属するか、専属のトレーナーがいないといけません。このルールは"中央"と通称されるURAでも、ばんえい競バと帯広競バ場が所属するNAU――地方ウマ娘全国協会の略です――でも変わりありません。
とは言え、拾うにして拾われるにしても、どうすればいいものでしょうか。
どうやってトレーナーを拾ってくればいいものかと思案にくれていたら、教室に一人の男性が入ってきました。やや色の褪せてくたびれたトレセン学園のジャージを着ています。
「あー、ちょっと、君!カミノクニスノウ君!」
「はい!あたしです!おお、あなたがあたしのトレーナーさんですか?!」
「僕はただの指導教官だよ。入学したばかりの生徒にいきなり専属トレーナーがつく訳がないだろう。クラス担任から元気なのがいると聞いてね。君、やる気十分なのは良い事だけど、レースでどうすればいいのか分かっているのかな?」
「はい!ゲートに入って、よーいどん!でゴールまでびゃーッと走ります!」
教官は、肩をすくめて溜息をつきました。
「やれやれ。君の熱意は買うが、実技の前に座学が必要なようだな。どうせ授業でやるだろうが、この際だ。席につきなさい。ばんえい競バのレースについて説明していこう」
あたしは教官に言われるままに、さっき立ったばかりの自分の席に再び着席しました。
教官は、黒板に白チョークで簡単な図を描いていきます。
水平の線は地面で、そこに立っている棒人間がウマ娘でしょう。棒人間なのに、ウマ耳と尻尾のようなものがしっかり描いてあるのが可愛いですね。
「余計なことは言わんでよろしい」
「はい」
「まず、ばんえい競バで使用されるコースだが、これは直線200メートルのダートのみ。ダートと言っても土ではなく、砂。砂利だな。そして、スタートからゴールまで走るレーンが決まっているセパレートコースとなる」
「短いですね。それですと、あっという間に走り切ってしまうのでは?」
「距離だけ見ればそうだな。人間が走ったところで一分とかからないだろう。さて、ここから先がばんえい競バ最大の特徴にして、世界中のどこに行っても見られない唯一無二の点となる」
黒板に描かれた棒人間が向いている方向とは逆側に、箱っぽいものが増えました。
その箱と棒人間が、太い線で結ばれます。
「ばんえい競バのばんえいとは、漢字で書くと『輓曳』となる。どちらの字も、荷物などを曳くことを意味する。つまり、君らには重量物を積んだ橇を曳いて、コース上に設置された障害と呼ばれる二箇所の小山を越えて、ゴールを目指してもらう」
「小山を越える?それはすごいハードな、無茶苦茶きついのでありませんか?!」
「君ら重種のウマ娘であれば、小さい頃から似たような遊びやお手伝いをしていたと思うがね。あるいは地元の祭りなどで見ているかもしれない。ばんえい競バ自体、もともとは農閑期のお祭りや、仕事帰りの遊びなどが発祥だ」
教官は、そう言いながらチョークで黒板をカツカツと小突きます。
「レース自体に慣れてはいなくとも、今までの君の経験として、あるいは重種ウマ娘の本能として、やるべき事はなんとなく掴めている筈だ」
ふむふむ、そう言われてみれば確かに。
いきなり言われたにしては、すとんと腑に落ちるというか、教官の言葉はあたしの中で違和感を生みません。
地元とはちょっとルールが違いますが、実質的には、正式のレースは記憶の中の遊びとあまり変わりがありませんでした。
教官の話は続きます。
「ばんえい競バで使用されるコースだが、その直線200メートルは、五つのエリアから成り立っている」
あたしがふむふむと頷いているのを見て、教官は黒板にカリカリと書き込みます。
「まずは、スタートから第1障害までの約35メートルの直線。
正式名称が無いため、便宜的にこのエリアを『第1直線』と呼称する」
黒板に描かれている水平の線。
そこに、スタート地点から全体の五分の一ほど進んだ地点に、区切りを示すためのドットが打たれます。
「続いて『第1障害』。高さは1メートルになる」
黒板の絵に小さめの三角形が増えました。
越えるべき二箇所の小山のうち最初の一つ。越えるのがどれくらいきついのか、ちょっと想像つきません。
「降りた後の直線だが、第1障害から第2障害までの間で約77メートルになる。正式名称が無いため、便宜的にこのエリアを『第2直線』と呼称する」
黒板の線に、第2直線を区切るドットが打たれます。
「その次がくるのが『第2障害』。ここは先ほどの第1障害よりも大きい。高さが1.6メートルになる」
黒板の絵に、一つ目よりも大きい三角形が増えました。
これがどれくらいきついのか、もう全く想像がつきません。
「最後の直線が、第2障害からゴールまでの約62メートル。ゴール手前40メートル地点には、上り勾配5パーセントになる10メートルの坂がある。こいつは、第3の障害とも言えるな。ここが地獄の一本道になるか花道になるかは、君らの鍛え方次第だろう。正式名称が無いため、便宜的にこのエリアを『最終直線』と呼称する」
チョークが黒板の上を走って独特な音を立て終わると、ゴール地点には簡単な花を模したゴール板が表れていました。
さきほどから教官、絵が上手いですね。
「仕事柄だな。まさに今のように、図や絵で説明した方が早いことが多々ある。なお、スタートしてからゴールするまでの速さを競うこと自体は、他の競バと変わらない。ただしゴールのタイミングが他とは異なり、ゴールしたと認められるのはゴールラインを橇の最後端が通過した時だ」
「仕事は最後までやり切ったらゴール、という事ですね」
あたしの言葉に、ほぅ、と教官は感心したような表情を浮かべてから頷きました。
「そういう事だ。先ほども言ったように、ばんえい競バは仕事を、神事や遊びの道具に転化したことが発祥だ。きつい仕事の合間に遊んでいようとしても、仕事は仕事だ。転化しても、そこの精神は失われなかったのだろう」
あたしは、ふぅ、と息を吐きました。
これは大変そうです。
いや、どんなジャンルでも他の人に勝とうと張り合っていこうとするのが大変だというのは分かっていましたけど。
「さて、簡単ではあるが、説明は以上とする。これより先は教科書を参考にするか、実際に走ってもらった方が理解が早いだろう」
チョークを置くと、教官は黒板消しで絵を消し始めました。
「いずれ本年度の入学生と、それ以外にもチーム未所属でデビュー前の生徒を対象とした選抜レースが開催されるだろう。君がデビューするに足る素質の持ち主であるかは、その時に明らかになるだろう。君のやる気が良い方に転がる事を期待するよ」