ばんえいウマ娘、北の大地を駆ける 作:mzk_arachne
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前回のレース後、トレーナーさんは今後の話をされました。
まだそれについて、あたしは答えが出せていません。
疲労が全然抜けていない回復途中では体の疲労に引っ張られる形で、判断にもブレが出るだろうという事で、トレーナーさんからも答えは急がされませんでした。
しかし、そろそろ決めるべきでしょう。
あたしの進む道を。
あたしは、トレーナーさんに今後の方針について伝えました。
「このまま突き進みましょう!進めるなら進むべきです」
「……わかった。その線でトレーニングプランを練ってみよう。怪我が治って調子の戻った今のスノウ君なら、いいところには喰い込めると思う」
トレーナーさんは、あたしの目を真っ直ぐ見て言いました。
「ただし、過密スケジュールにはなるだろう。帯広トレセンは夏季休暇に入るが、夏に帰省できる時間も減ると思う。移動を考えると、疲労の残り具合によっては帰省を我慢してもらう事になるかもしれない。その点について、ご家族とも一度話しておくように……話しづらいのであれば、僕からもスノウ君のご家族にお話しようか」
おばあちゃんお父さんお母さん妹達。猫達にどきゅーとタイシン。あたしの大切な大切な家族。
その家族に会いに行けなくなるかもしれない。
思いがけない言葉に、ひどく唐突に、胸の奥が締め付けられます。
きゅ、と心が軋みます。
喉奥が急に乾きます。
今の今まで気にしていなかった、いえ、授業にレースにと目まぐるしい毎日にすっかり覆い隠されて大丈夫な気持ちになっていただけの、ずっと心に影を落としていた一つの事実。産まれて初めて家を離れ、家族と引き離された心が生み出す思い。
寂しい。
何とかなっていると思い込もうとして、ちっとも何ともなっていない事実が目の前に赤裸々に突き出されます。
それと否応なしに向き合わざるを得なくなった時、あたしはまるで冷たい手にいきなり心臓を鷲掴みにされたかのようでした。
そんな心が表情にも表れていたのでしょう。ひどく浮かない顔しているだろうあたしをトレーナーさんが心配してくれましたが、
「いえ……大丈夫です」
お断りました。
おそらくは、トレーナーさんはあたしの家族を説得する事態になるかもしれないと思ったのでしょう。帯広トレセンに通っているばんえいウマ娘と言えども、農家の子達は帰省を当て込んだ農繁期の戦力として数えられがちですので、あながち間違った推測ではありません。
しかし今回はそれは違います。
問題は、あたしの中にあります。
前に勝った時の電話では、おばあちゃんお母さんお父さん全員が田んぼは心配するなと言ってくれています。妹達もあたしの分まで頑張ると息巻いていました。揃って、あたしの背中を押してくれています。
それなのに、あたしはこれです。
その後、具体的なスケジュールを詰めて、トレーナー室を後にしました。
トレーニングウェアに着替えて装具とハーネスを付け、練習場に出ると、空はべったりと灰色の雲で塗りつぶされていました。
練習場は、一面に土舗装が施された広大なグラウンド。
その一角に練習用の橇や錘が雑然と並べてあり、そのうち一つの橇を引っ張り出しました。永年の練習に使用されてあちこちフレームが歪んで錆も浮いていますが、並んでいる橇達はどれもこれも似たり寄ったり。今までに数え切れない人数のトレーニングに付き添ってきたであろうベテラン達です。
同級生や友人たちが声をかけてくれ、後から来た子にはこちらからも声をかけます。どこか心ここにあらずで、そんなやり取りをしながらもあたしの肉体は自動的にいつものプロセスを勝手になぞってはトレーニング前に体を温めていきます。
ウォーミングアップをしている間にも、西から吹き付けてくる、夏の湿った匂いのする風。
芳醇な土と樹の匂いをたっぷりと含んだ、故郷の上ノ国とは違って海の香りがまったくしない、風の匂い。
いっそ降ってくれればいいのに。
橇に錘を積み込んで身に着けた装具とハーネスとベルトで繋ぎ、練習場で曳いている同級生や先輩達に混ざって、曳き始めました。
いっそ降ってくれれば、雨がこの寂しさと、それに負けそうな情けない想いを洗い流してくれるかも知れないのに。
レースよりも多いばんえい重量に設定して、平らな練習場を曳きます。
喰いしばった口からあふれ出てくるのは、苦悶と気合。
ハーネス越しに、重さが全身に喰い込みます。
フルパワー近くでないと曳けない大重量を曳いては休み、休んでは曳く。
その繰り返し。
曳くたびにパンプアップした筋肉にさらに血が流れ込み、一歩進めるたびに太腿の筋繊維がミシミシと音を立てる錯覚すらします。
ズリ曳き運動を終えて汗だくになったトレーニングウェアに湿った風が当たります。
雨は降りませんでした。
トレーニングの日々は容赦なく過ぎていき、十勝にも暑くて短い夏が来ました。