ばんえいウマ娘、北の大地を駆ける 作:mzk_arachne
──25──
北海道の短い夏は、あっという間に過ぎていきます。
九月に入れば、夏よりももっと短い秋。
冬支度を前にして、全てが一気に色づき、実ります。今頃は田んぼも刈り入れ時でしょう。一面に広がる黄金色が目に浮かびます。実際はそんなゆったりと感傷に浸っている余裕はないのですけど。刈り入れ時、収穫中の農家は戦場同然です。採って詰めて出してのエンドレス。豊作だと嬉しいのですが、豊作であればあるほど作業時間は増えるという板挟みな喜びの悲鳴。
帯広トレセンの圃場も収穫時期なので、実習がとても忙しいのです。収穫した作物は学園で消費したり、一部は一般の方向けに購買部で売られたり。
「収穫で忙しい時期だけど、次のレースも近づいてきたし気を引き締めていこうか」
「はい!」
圃場で引っこ抜いてきた人参を齧りながらトレーナーさんとミーティングです。
細くて規格外となってしまった人参です。
寸足らずなだけで、ゴリゴリとした歯応えも良く、なかなかの糖度。良い出来です。
「トレーナーさんも一本いかがですか?」
「人参まるごといけるのはウマ娘だけだよ。せめてスティックにしてくれないかい?」
次走は、九月半ばの特別競走いちい賞です。
おそらくはBGⅢナナカマド賞を視野に入れて、皆も出走してくるかもしれませんので油断は出来ません。
第10R、いちい賞、特別競走です。
同室のシャコータングラムさん、白菊賞1着のクインルゴサローズさん、白菊賞2着のモチモッツァレラさん。
皆さん、出走登録しました。
同クラスですし誰かは出てくるかとは思っていましたが、まさかここで三人が出揃うとは思いませんでした。
同クラスの枠内で戦うシステム上、見知った顔と何回も競う事になるのは出走回数が多いばんえい競バならでは、です。
レースによってばんえい重量は変わりますし、天気もコース条件も変わります。似たような顔ぶれだからと言って、いつも同じ結果になるとは限りません。
今回もそうです。
やり返す機会がこんなに早いとは、三女神様と"偉大なる母"イレネーに感謝します。
相手は強い。
そんなの分かっています。
荷が重くたって、それでも臆することなく前に進んでこそ、ばんえいウマ娘です。
装鞍所で装具の準備を整え、じっとスタート地点の方を見つめながら、すでに暖め済みの筋肉と関節をほぐしていきます。
ふと、背中にねっとりとした視線と言うか、気配を感じました。
振り返って見れば、クインルゴサローズさんが、すっごいニコニコ笑顔です。普段からわりとにこやかな人ですが、今日はいつにも増して笑顔が咲いています。
今まで対戦する機会がなかっただけでグラムさんもジュニア級の中ではかなりの強者ですからね。この間の彼女の言葉からすれば、今日のレースはそれはそれは嬉しいのでしょう。
「パドック入場でーす!」
係員の呼びかけに従い、一人、また一人とパドックに入っていき、次はあたしの番です。
ばんえい競バは基本的に開催時刻が、平地競争に比べるとかなり遅いです。四月から十一月までのばんえい競バは第1競争の出走時刻は14時過ぎですし、第10競走ともなれば出走時間は19時を過ぎます。
夏前は19時くらいまで日没しないので明るいですが、今はもうナイター照明が点灯するくらいには暗いです。それにも関わらず、パドックでジャージを翻せば、歓声は大きい。
皆さんそれぞれに徐々にファンがついているようです。
あたしの名前を呼んでくれるお客さんも、ちらほらといます。
見ていてください!
頑張りますよ!
本日のレースでのばんえい重量は、2600kg。
やる気は『絶好調』です!あたしの名を呼んでくれたファンの方々に応えなくては。そして何よりも、やり返してやるというモチベーション。そう思って腹を括って前を向けば、嫌でもやる気も上がろうと言うものです。
天気は、雨。
『天が与えた試練の雨か、帯広競バ場。夜間照明に灯が入りました。第10競走は特別競争、いちい賞。期待の俊英10人のばんえいウマ娘たちが競います。そろそろゲートイン完了です』
『冷たい秋雨がダートを濡らします。良バ場となります。スピード勝負となるかもしれません』
あたしは握った左右の拳で、自分の太腿をトントンと軽く叩きます。
いきますよ、あたし。
「日本の米はぁ……」
そのまま右拳で左肩、左拳で右肩を。
パァン!
最後に両手が頬を張った乾いた音が、辺りに響きます。
「世界一ぃ!!」
熱くなった筋肉に冷えた空気があたり、あたしの肌からはオーラのようにうっすらと湯気が漂っています。居並ぶ他の九人のばんえいウマ娘も同様。
『人気こそ低いですが3番人気の6番カミノクニスノウ。気合充分!いい顔してますね!この評価は不満か、5番人気は9番シャコータングラム。不敵な笑顔だ、勝ちは十分に狙える6番人気10番クインルゴサローズ』
『人気が分散しておりますが、いずれもパドックでは注目を集めた素晴らしい仕上がりですね』
『涼しくなってきた夜風を吹き飛ばす熱戦に期待しましょう。さぁ各ウマ娘、ゲートイン完了。出走の準備が整いました』
出だしの短く刻む音符の連射から一転、高く長く吹かれるトランペットが特徴的な特別競走のファンファーレ。
スターター台の上。赤い旗が天を指し、ファンファーレにあわせて翻り、闘いの開始を告げています。
緊張感に満ちた静寂が、場を支配します。
『係員が次々に離れていきます。今、離れ終わりまして……』
小さなロック解除音が号砲。
ゲートが開き、目の前に広がる直線200メートルの戦場に躍り出ます。
『合図かかりました!各ウマ娘、一斉にスタートしました』
橇とウマ娘をつなぐ装具が一斉に、盛大に鳴り響きます。
第1障害を過ぎ、第2障害を越え、残すは最終直線。最後の勝負。
肺が痛い。
胸が苦しい。
体のどこもかしこも焼け付くように熱い。
手が重い。
足が重い。
まるで自分の物ではないように思い通りに動かない。
この場でハーネスを脱ぎ捨てて、冷たく濡れた砂の上に転がれたら、どんなに開放的なことだろう。
足を止めて立ち止まった途端に勝手に溢れ出てくるそんな弱音を、前に進む足と叫び声で吹き飛ばす。
勝ちたい。
勝ちたい。
「みんなに、勝ちたいっっ!!」
決定的にスタミナが切れる前に立ち止まり、刻みます。
腰に手を当て、深呼吸を数秒。
最後の深呼吸にタイミングを合わせて、身体を反らすようにして伸ばしながら一歩下がります。
けっして臆したのではありません。
足は一歩下がっても、橇の位置は変わりません。
かじ棒、橇のフレーム、ハーネスなどのそれぞれを繋ぐ部分には可動部分を確保するために余裕があって、多少は前後に動きます。言わば歯車やネジなどのバックラッシにあたります。
その、ほんの一歩を使って勢いを付けます。
吸気が頂点に達したと同時に息を止めて、下がった反動と合わせて、前に身体を投げ出すようにして全身の体重と力を一気にかける。
全身の筋肉がパンプアップして膨れ上がり、最大出力を絞り出します。
バネをグッと縮めて放す要領で、瞬間的な牽引力を跳ね上げて前進する。
バイキ、と呼ばれるばんえい競バ特有のテクニックです。
ガツンとかかる荷重が装具とハーネスを通して体中に響き、骨と筋肉が悲鳴を上げます。橇がずるりと進み始めます。砂粒が蹄鉄と橇に踏まれ、潰れ、砕ける音を引き連れて前進する。
たかが体が痛い程度でビビってなんていられません。
スタートしてからずっと先頭を逃げるクインルゴサローズ。
そこから僅かに遅れてシャコータングラム。
後ろからはモチモッツァレラ。
最終直線で、あたしの位置は3番手。
クインルゴサローズさんもシャコータングラムさんも流石です。恵まれた体躯から繰り出される輓曳っぷりは圧巻です。
でも、あたしだってスピードとスタミナには自信があります。
逃げスタイルの二人が、もう手の届くところにいる。
足が、腕が重いです。でも、まだ、あたしの足は鈍っていません。
だから、
「勝つのはあぁ!!あぁたしだぁぁぁぁぁっ!!」
雄叫びを上げて、自分を奮い立たせて、一歩、一歩、進むんです!
「「「だああぁぁぁぁっっ!!」」」
あたしはゴール直前で脚の衰えたクインルゴサローズさんとシャコータングラムさんを捕らえました。
喉の奥から出てくるのは、肺がぜひゅぜひゅと鳴るような呼吸音。
すっからかんですが、まだ僅かに足は残っています。
二人よりも足を動かす時間をコンマ一秒でも長く。
足を止めてバイキに移るまでの時間をコンマ一秒でも短く。
あたしには二人ほど強い力がありません。一気に橇を曳いて抜くことはできません。だから、一つ一つの動作を丁寧に行って積み上げて、競り合う。
そうして、苦しそうなシャコータングラムさんを抜き。
吠え猛るクインルゴサローズさんを抜きました。
結果は、1着。
「良いレースでしたわぁ。正直なところ、私、カミノクニスノウさんを見くびっておりましの」
豊かな灰色の髪を汗と雨に濡らして、肩で息をするクインルゴサローズさん。ゴール直後、手足にはべっとりと疲労がへばりついているでしょうに背筋は曲がらず、胸を張って毅然と立つ彼女。
止む気配のない小雨は全身の汗を洗い流しながらずぶ濡れにして、レース中に跳ねあげた砂と泥が濡れた腕や足と言わず体操服のあちこちもにへばりついて、それが雨で流されて全身を汚しています。泥水のシャワーを頭から浴びたようなひどい有様です。それはあたしも、いえ、ここにいる誰もが同じな戦いの痕です。
すっと、ごく自然な所作で差し出された右手。
その手を取り、握ります。
今度は、その手は優しく、あたしを讃えてくれていました。
「私はそれについてあなたに謝罪しなければなりませんわねぇ、ですが私、それがとても嬉しいですわぁ」
いつもと同じく、ほわほわした口調です。
「なにせカミノクニスノウさんが、楽しく闘り合えるお相手だと分かったのですから。今日のところは勝ちをお譲りいたしますけれどぉ、次はぶっ潰して差し上げますわねぇ」
その口から出てくる言葉は妙に武闘派ですが。
ぶっ潰す以外の選択肢はないんですか?
頭の片隅で、そんな醒めたことが浮かびますが、口にはしません。
代わりに、
「はい!次も負けませんから!」
ハーネスから橇と繋ぐ金具を外したグラムさんが肩をコキコキ鳴らしながら、こちらに近づいてきます。
「なーにを二人だけで雰囲気だしちゃってんのさー。いやぁ、負けたっしょー。スノウ、おめでとう」
「ひゃい!」
唐突なハグに、思わず返事が上擦りました。
雨と汗に濡れていてもなお熱いグラムさんの身体。全身の筋肉に血流が漲っていまだバキバキに硬い中、そこだけは柔らかいままのグラムさんの巨大な胸の肉塊が押し付けられます。
そして聞こえてきたのは、辛うじてあたしにだけ届くであろう、微かな囁き。
「次は負けないから」
「あたしもですよ」