ばんえいウマ娘、北の大地を駆ける 作:mzk_arachne
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スタート前のトレーナーさんとのやり取りが緊張を抜いてくれたおかげだと思います。
するっとレースに集中できました。
目の奥は熱いのに、視界は普段よりも広い。興奮と緊張は体を熱く駆動させているのに、どこか一歩引いたような感じでゲートに入れました。
体と心の歯車がきちっと噛み合ったような、奇妙な感覚。
ゲートが開くや否や、10人それぞれが好スタートを切り、横一線の飛び出しを見せました。
あたしもスムーズな出足で、そのまま勢いを殺さずに第1直線を過ぎ、軽快に第1障害を突破。
ここで逃げるグラムさんモチモッツァレラさんに先行されます。
予想通りなので慌てはしません。第1障害でこちらの速度が落ちるのは想定内です。
それにしてもモチモッツァレラさんが第1障害を越えるのが早い。
モチモッツァレラさんの逃げに焦ったのか、クインルゴサローズさんのペースが大きく崩れました。
彼女をパスしながらも、あたしも思わずモチモッツァレラさんを追いかけたくなるところを、ぐっと堪えます。
(待ちなさい、あたし。今日はちゃんと周りが"見えてる"。障害で追っちゃダメですよ!)
内心、自分を叱咤します。
モチモッツァレラさんは身長219cmの長身。あたしよりパワーはあるし粘り強い足腰をしています。障害で勝負するには分が悪い。けれど、スピードではこちらが有利です。仕掛けるなら、直線。
10人全員がレースでは未知のばんえい重量3000kg。
しかしながらジュニア級では実力者ぞろい。レースでは未知だから、と侮れる相手達ではありません。
足を温存するために刻みながらもジワッ、ジワッと曳くペースを上げて、ペースを崩して速度の落ちたモチモッツァレラさんに追いつきます。刻みながらも走るテンポは崩さずに、勢いよく中間点を通過し、第2障害にたどり着きました。
でも、まだ逃げるグラムさんには追い付けない。
焦らず、第2障害の麓でしっかりと刻んで溜めます。熱が籠ってオーバーヒートしかけで、息切れしかけている全身の筋肉達を冷まして酸素を送り込みます。踏ん張っていた血圧が急激に抜けてグラグラと眩暈と頭痛がします。
残るは、第2障害と最終直線。
力の弱いあたしでは、いくら刻んでもバイキを上手くこなせても第2障害では地力の差で大きく劣ります。特にグラムさんには到底敵わない。
仕掛けどころは、あたしのスピードを活かせる、第2障害の天板から最終直線。
「ッしっ!」
たった標高1.6メートルなのに見上げるような威圧感。それを弾き返そうと、喰いしばったあたしの口から鋭い呼気が漏れます。最大出力を絞り出すべく、うねるように盛り上がる全身の筋肉。それでも苦しいのが第2障害です。
一腰では越せず、這い上がるようにして第2障害をクリア。
グラムさんにはまだ追いつけない。
"まだ"です。
"もう"ではない。追いつけないほど、彼女の背中は遠くない。先を行く短く刈られた芦毛を睨みつける。
一瞬、先行して第2障害を下るグラムさんの、その背中がブレました。橇の重みに体幹を押されたのか、少しだけ砂に足を取られたのか、あるいはあたしの追撃の音がプレッシャーになったのか。理由など知ったことか。
ですが、
「行くなら、ここだぁぁっ!」
「ヤッバ!ック……ソァ!いかせねーっしょおっ!!」
第2障害の下り坂の勢いを利用して駆け下り、距離を詰め、逃げるグラムさんを捉えました。
ゴールが遠い。
残り35メートル。
上り勾配5パーセント。あたしとグラムさん。二人の足が、その傾斜に絡みつかれて止まります。
ゼハッゼハッと観客席まで聞こえるほどの荒い音。天を仰いで、肩というより上半身全体を使って呼吸します。
ここで脚を止めたのを好機と見たのか、中盤まで控えていた他の子達や、抜いた子達が猛烈な勢いで第2障害を越えてきたのが、橇の鳴る音で分かります。軽くて一歩が長いリズムの足音はモチモッツァレラさんの。あの重い足音はクインルゴサローズさんの。
息を整えたらすぐにバイキをかけて歩き出し、追い込みをかける後続を突き放します。逃がさぬとばかりに後ろから音が迫る。
「でも、この距離ならぁッ!」
あたしの足は、負けない!!
前を見据える視界には対戦相手は誰もいない。
降り積もったばかりの真っ白で鮮烈な新雪。その誰の手も触れていない処女雪に蹄跡を刻んでいくような、全てがあたしの後に付いてくる快感。
苦痛と快感を同時に味わいながら橇を曳き、ゴール板を先頭で通過して、曳き切りました。
身体を駆け抜ける衝動。
ヘトヘトの身体はその喜びを表現させようとするには動きが足らず、行き場を探していた興奮は、自然とまだ動く足に向かいます。
あたしは、地面をズンと思い切り踏みしめました。
ごつい蹄鉄とシューズが、乾いたぶ厚い砂に沈みこみます。
どれだけ強烈に踏みつけてもやんわりと受け止めてくれる、頼もしい大地の感触。
勝利の雄たけびが、焼けそうなほどカラカラの喉を付いて迸りました。
『カミノクニスノウ、今ゴールイン!2着に一バ身の差をつけての堂々の1着!ジュニア級三冠の一つを手に入れ、世代最強に一歩近づいた!』
『カミノクニスノウが地面を踏みしめて吠えていますね。よほど嬉しいと見えます』
「にくだーー!!」
肉です。
ニク、ニク、ニク、ニク。
ニクタベイコウ。ソウシヨウ。
さすがに頑健なばんえいウマ娘とは言え、全力を出し切ったレース直後では、まともにご飯は食べられません。疲労は鉛のように四肢を重くし、最大限のパワーを得るために酷使した筋肉達はちょっと動かすだけで悲鳴を上げ続けます。
数日経ってからジンギスカンです。
実際、レース後の回復としても、体作りとしても良質な蛋白質の補給は欠かせません。ばんえい競バを走るウマ娘は筋肉の重さが負担になるような長距離を走るステイヤーではないので、筋肉はしっかり育てる必要があります。
その為には肉、特に赤身の肉が食べたいです。
「ところで、どうして皆さんもいるんですか?」
「いやぁ、スノウが肉だっつーから。そっち祝勝会こっち残念会。まとめてやれば楽っしょ」
「次こそは負けませんわぁ。その為には一刻も早く体を戻しませんと。それにはやっぱりお肉が一番ですわぁ」
「あの、私も、一緒にお肉、食べたいなって。あ、ジンギスカンで食べるラム肉ですけど体内で合成できない必須アミノ酸やミネラルビタミンがバランス良く含まれていて低脂肪高蛋白質でアスリートの体作りにとても役立つ良質な食材で……」
お店の中に立ち込めている、煙と香りと音。
その全てが食べ盛りの乙女の食欲をばちばちに刺激します。
四人の乙女の、ですが。
トレーナーさんと二人で行く筈だったのですが、どこでバレたのか、ジンギスカンパーティのようになってしまいました。
ばんえいウマ娘、それも現役競走バが四人も同じテーブルについていると狭くて仕方ありませんので、お店には申し訳ないですが、仕方なく隣のテーブルも使わせてもらっています。空いたお皿を置く専用として。
それでも狭いので、ばんえいウマ娘のテーブル、トレーナー陣のテーブルと別れて座ることになりました。向こうのテーブルにはあたし、グラムさん、クインルゴサローズさん、モチモッツァレラさんのトレーナーさんが席に付いています。お冷の入ったグラスを片手に、それぞれのトレーナーさんが微妙に引き攣った顔をしています。
それにしても、身長2メートル近い巨体のウマ娘が四人もいると、密度がすごいです。焼いて食べる肉が出てくる前から、テーブルに筋肉がみっちりしてます。
帯広に住んでいれば、ばんえいウマ娘が集まっているのはそんなに珍しい光景でもないのですが、他所ではまずお目にかかれない光景でしょう。たまたま来店していた観光客の方と一緒に記念撮影もしたり。中央と違って知名度が低く、観光資源としての面も強いばんえい競バにとって、ファンサービスは大切です。
「今回は負けたけど、次はヤングチャンピオンシップで勝負するさー!」
「その前にトライアルですね!」
「望むところですわぁ。でもぉ今日はお肉の量で白黒つけるといたしましょうか~。ぶっ潰して差し上げますわぁ」
ぶっ潰すのはあたし達のお腹ですか、お店の在庫ですか。それともトレーナーさん達のお財布ですか。
どこかからか、悲鳴が聞こえた気がします。
でりしゃす!