ばんえいウマ娘、北の大地を駆ける 作:mzk_arachne
──36──
「スノウ君、次走が決まったよ」
トレーナー専用のタブレットに表示されているのは、次のレースのエントリー画面。
「前走から三週間なので、ちょっと連続気味になってしまいそうで疲労残りが心配だけどね。スノウ君ならそこまで回復は遅くないと判断した。若干詰め気味にしたのは、この次を考えてだ。このレースからヤングチャンピオンシップまでは四週間空けてあるので、疲労はそちらには影響しないようにしたよ」
「次走は……個人の協賛競争ですか。レース名は、赤鼻のトナカイ特別、ですか。面白いですね」
「季節柄だねぇ。どうせならみんなでトナカイの角でも付けて走れば見た目は面白いけれど、レースだからふざけるのは無しだな。クラスはジュニア級のAクラス戦扱いになる」
そういうのは別の機会にやってもらおうかな、とトレーナーさん。
「やる機会があるとは思えませんよ」
「どうかな。で、次走の予定が決まったところでトレーニングの話だ」
トレーナーさんがタブレットをスケジューラーにします。
「レース前でどうかと思ったが、模擬レースを行おうと思う。スノウ君の走りたいという希望は、ただ走るのではなく、少なくとも一対一での併走、出来ればより実戦に近い形での『走りたい』だとみた」
あたしが黙っているのを、肯定と受け取ったのか、続けます。
「コース自体は借りられるからいいけど、問題は一緒に走ってくれる相手だな。やるなら少なくとも同格、出来れば格上。強いばんえいウマ娘の胸を借りる形で走った方が、スノウ君は得るものが多いだろう。なんだかんだで僕も新人だし、そこまでの伝手はないが知っているチームとかに頼んでみるよ」
「ありがとうございます!」
「では、さっそく手配しようか。と言う訳で、悪いがスノウ君はアップをして、先にトレーニングを始めていてくれないか。メニューは昨日渡した通り。僕もあちこちの連絡が終わり次第、遅れていくけど、ズリ曳きする前は身体を十分に温めて解すのを忘れないように」
「はい!では、いってきます!」
模擬レース練習当日。
「あの、トレーナーさん」
共同で借用したコースには四人の先輩方がいました。
「聞いていないのですが」
『言ってないからね』
しれっと言ってくれました。
『レースではすべての情報があらかじめ集まっている訳じゃない。対策の軸に据えてた相手が直前で競争中止になったりすることだってある。現場判断でその場でプランを修正していく練習だよ』
シニア級の先輩達が三人もいますし、特にあのクラシック級の先輩。一緒に走ったことはありませんが、無茶苦茶強いのは知っていますよ。重賞勝ってるじゃないですか。一人だけオーラというか雰囲気がなんか違うんですけど!
シニア三人のうち一人はBクラスで、それもBクラスのうちでも強い等級です。
残るシニアのお二人はCクラスですけど、シニア級で勝てていないからと言って、ジュニア級のあたしより弱いという事にはなりません。
そもそも身体の出来具合が違います。
シニア級と言うだけでジュニア級とはばんえい重量が全然違うからです。ジュニア級では重賞で3000kgですが、シニア級では最も下のCクラスでも3000kgを曳きます。
「いや、かなり格上じゃないですか?!」
『格上の方が得るものが多いと言ったじゃないか。逆に言えば、相手もこれを単なる手伝いではなく、それぞれの練習の一環と捉えているんだ。あちらが級は上でも、スノウ君が走って意味のある相手と見なされているのは光栄なことじゃないか』
トランシーバーの向こうから聞こえてくる、大排気量ディーゼルのエンジンノイズに塗れたトレーナーさんの声。
今日は、練習コースの1番を借りての併走となりました。
併走と言うか、人数的には模擬レースです。
その準備のために、数台の重機が忙しく練習コースの周りを走り回っています。
あたしのトレーナーさんは先輩達のトレーナーさん方と一緒に、アタッチメントをバケットからフォークに換装したホイールローダーで橇を持ち上げては移動させてゲート後方に置いていきます。
本番のレースコースにはコース脇に小さい線路が敷いてあって、ゴールを過ぎて曳き終わった橇は貨車に積んでスタート地点までまとめて移動させます。練習コースには、そのような設備はありません。重機が使えない場合、コースを使うばんえいウマ娘達が協力して橇を人力で移動させます。
ホイールローダー達は見事な連携を見せて、スルスルと橇を置いていき、あるいは錘の入ったバスケットを引っ張ってきます。
しかし、トレーナーさんがあんなに重機を上手く扱えるとは知りませんでした。車体はガクつくことなくリフトアームも滑らかで、明らかに手慣れている動き。すごいですね。
『ばんえい競バのトレーナーだったら、これくらい出来ないと話にならないからね。サブトレしていた時は、よくチームのトレーニング前にこいつで雪かきとか、トレーニング中の橇運びとかしてたもんだよ』
中央トレセンのトレーナーになるには東大に合格するよりも難しいとはよく聞きますが、帯広トレセンはこちらはこちらで、それとは別ベクトルで難関のようです。
トランシーバーの向こうから聞こえてくるディーゼルの咆哮が落ち着きました。
『最後の一台を並べたよ。僕らが退いたら、みんなで錘を載せてくれるかい』
「分かりました!」
ガオォォと排気ガスとエンジン音を吐き散らしながらホイールローダーが離れていきます。
通常、レースでは橇に錘を乗せるのは帯広競バ場のレース運営スタッフの役割ですが、今日は自分達で載せます。
レース本番では公平性の為に絶対に触れませんが、練習では不正も何もあったもんじゃないですからね。自分達でやります。
「今日のあたしは、ばんえい重量3250kg、と」
皆で協力して、ぶ厚い金属製の板の錘を何枚も、橇の上にあるケース状の錘収納部の中に積んでいきます。こういう時は先輩も後輩もありません。一箇所にまとめて積み重ねると重心が高くなるかバランスが崩れて危ないので、出来るだけ橇全体に広がるように均等に積んでいき、固定します。
微調整用の弁当箱の中にも、板状の錘を何枚も重ねて入れていきます。最後に、錘ケースの蓋と、弁当箱と橇を脱落防止用のプレートとワイヤーで固縛すれば完成です。
ばんえい重量は、今までよりも重めです。
格上の先輩達は、こっちよりもさらに重く設定してくれています。
試しに自分の橇に片脚をかけてグイッと押してみます。それくらいでは橇はびくともしません。
あまりの不動ぶりに、にへらと口元が緩みます。諦観なのか、恐れなのか、それら全部ひっくるめたモノ達からの現実逃避なのか。
ペチン!
あたしは両頬を軽く張りました。
そうです。
走る前からビビッてどうするんですか。例え相手がどんな強敵だろうとしても勝とうとしない限りは勝てません。それに、たかが練習です。せっかくトレーナーさんが苦労して用意してくれた舞台です。存分に先輩達の走りっぷりを肌で勉強させていただきます。
本日の模擬レースは練習コース1番、5人立て。
ほんのちょっと前までにこやかに一緒に準備を行っていた先輩達の雰囲気が、ゲートに入った途端、一変しました。
ずしりと空気が重い。
まるで、こちらを喰い殺そうとしている猛獣が隣にいるかのよう。
本当に、隣のゲートにいるのは、ばんえいウマ娘ですか。
ぐびりと勝手に喉が鳴ります。ふと、自分の手に視線を落とします。小刻みで不規則な振動。
ふへっと肺から空気が抜けるような妙な笑いが出てきたのが分かりました。
身体は狭いゲートに満ちた殺気じみた雰囲気に拒否反応を起こしかけている。でも、心は違っていました。
走りたい。
何故かなんて知りません。
走りたい。
そのあまりの差に、あたしは自分で自分がおかしくなっただけでした。
その望みはまもなく叶うでしょう。
鶏の骨格のような細く頼りないスターター台に立ったトレーナーさんが、赤旗を振り上げます。
ゲートが開きました!
一戦やって結果は1着。しかも十バ身以上の着差で。
我ながら信じられないくらいの着差です。
いや、ぶっちぎり過ぎでしょう。練習のために先輩方がばんえい重量を重く設定しすぎだったのでは、と勘繰ってしまいます。
まさか、こんなに調子よく走れるとは。
これ以上ない、というくらいの会心の走りでした。普段より重い癖に、橇を曳くのが爽快ですらありました。ゲートの中で感じた先輩達の凄まじい圧から、逃げ出したかっただけかもしれませんが。
走りたいという胸に込み上げる衝動。
そこに、猛者と走っている高揚感というピースがカチリとハマった結果。
疲労も忘れて走ったのはとても心地よい感覚でしたが、実際に疲労はしているので気が付けば体の方はヘトヘトです。
それでも、やはり走るのは、輓曳するのは楽しい。まるで、幼い子供にでも戻ったような心境です。
自分自身でも思ってもみなかった結果と感情に、思わず笑顔とガッツポーズが出ます。
ゾクリ。
不意に冬の寒気を貫いて、背筋が冷えました。流れる汗で急速に冷やされたわけではありません。
振り返って目に入ってきたのは、先輩達の凄い獰猛でにこやかな笑顔。
「やるな、さすがはジュニアの台風の目。あの"上ノ国の女傑"の孫。そういう動きだ」
「スノウちゃんやるじゃない。お姉さん、ちょっと驚いちゃった」
「ひ、ひゃい……ありがとうございます」
おかげでクラシック級の先輩と、シニア級の先輩の労いに応える言葉が縺れました。シニア級Bクラスの先輩は、フェアリーナナセ先輩。先日、装蹄所で悩みを聞いてもらった人です。
虎や熊が笑うとあんな感じなのでしょうか。
近づいてきた先輩達が頭を撫でてくれたり、健闘を称える様子でポンポンと肩を叩いてくれたりします。
雰囲気は穏やかなはずなのに、どこかに剣呑な気配が隠れているような気がします。面倒を見てくれる先輩に甘えるとかそんな気持ちになりません。なんか怖いのですが!
これからどうやって取って喰おうかと品定めをされているようにすら感じます。
「さ、もっと走りましょ。次はスノウちゃんにいいところ見せてあげられるように頑張るからね」
頭を、肩を撫でてくれていた手がいきなり動きを変えて、ガシッと万力のようにあたしを掴みました。
「えっ」
「おいおい、ライジンムーン。一戦だけって話だったじゃないか」
「そうだったなトレーナー、了解した。それじゃ、続きといこうか」
「「えっ」」
その後、コースの端っこで食べたお昼ご飯と再会するくらいボロボロになるまで存分に模擬レースさせられました。むしろ、お昼ご飯と再会するのがスタート地点と言わんばかりの練習量でした。
「ぅお゛っ、お゛ぁりがとう、ございばじだ……」
走りの技術がどうこう言うのではなく、ひたすらに先輩達はタフでした。
あれがクラシックとシニアの肉体。
一年以上のトレーニングの差なのかとたっぷりと理解させられました。
とは言え、模擬とは言え、ぶっ倒れるほどにレースをして楽しかったのは確かです。
そして、模擬レースで何度も何度もフルパワーを絞り出して走ったにも関わらず、大きく調子を崩すほどの疲労が残りませんでした。
自分の身体の中は、自分の知らないところで少しずつ成長していっている。その事実に、あたしは寮の広い浴槽に浮かびながら、感動と激しい筋肉痛を覚えたのでした。