ばんえいウマ娘、北の大地を駆ける 作:mzk_arachne
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第2R、個人協賛競争、赤鼻のトナカイ特別。
本日のメインレースは第11Rのオープン戦ですので、あたし達はそれよりもだいぶ早い時間の出走です。
基礎ばんえい重量は、2900kg。
ただし、あたしは重賞を勝っている為に重量を追加されて100kg増の、3000kg。
天候は、曇り。
重いのは強さの証。あたしのやる気は削がれません。絶好調です!
『どんよりとして今にも雪が舞い降りてきそうな空模様、帯広競バ場。ダート直線200m、10人のばんえいウマ娘たちが挑みます。第2競走、個人協賛競争、赤鼻のトナカイ特別。Aクラス戦となります。バ場水分は1.7%。バ場状態の発表はやや重となっています』
『観客席では、赤鼻のトナカイの着ぐるみが両手を振って、出走を今や遅しと待ち構えるばんえいウマ娘達を応援しております。毎年この協賛をしてくれる方ですね。ご協賛頂き、ありがとうございます。えー、曇り空とは言えだいぶ乾燥しています。バ場が乾いていますから、力のいるレースになりそうですね』
流れるアナウンスに場内がぱらぱらと沸きます。
まだ開場してから間が無く、そこまでお客さんは多くありません。メインレースまでは時間がありますので、そのうち増えるでしょう。声援が少なくても、あたしの気合の入りは変わりません。お客さんが多くても少なくても沸かせて魅せましょう。さぁ、見ていてくださいよ!
ナイターではないレースは久しぶりです。
北海道の冬の太陽は落ちるのが早い。十二月なら16時前には日没です。まだ第2競走なのに、曇天の切れ間から届く、西に傾きかけた熱の無い紅い光が眩しい。
ふーっと大きく息を吐き、ゆっくり大きく吸う。
あたしは握った左右の拳で、自分の太腿をトントンと軽く叩きます。
そのまま右拳で左肩、左拳で右肩を。
最後に両手が頬を張った乾いた音が、辺りに響きます。
眼の奥から後頭部にかけて、じわりじわりと熱くなる感覚。
自分の眼付きが、きりきりと引き絞られつつ弓のように、どんどんきつくなっていくのが分かります。
しかし、それは周りの気配も同じ。
普通のAクラス戦とは言え、これから重賞を狙っている子達だって出走しています。けして侮っていい相手ではありません。
『注目の1番人気は、10番カミノクニスノウ』
『前走の南北海道地区選抜特別を熱戦の末に制し、同室のシャコータングラムとワンツーフィニッシュとなりました。既にヤングチャンピオンシップへの出走権を得ていますが、今回の対戦相手達もいずれ劣らぬ実力者揃いです。熱い競り合いが見られそうですよ』
一般競争ファンファーレのトランペットとホルンの音が高らかに響きます。
スターター台の上で、発走委員が睨みつけるかのように真剣な眼差しでゲート周辺を見ながら、発走合図の赤い旗を振ります。
『さぁ各ウマ娘、ゲートイン完了の様子。すべての係員が離れまして……出走の準備が整いました』
ガコン!
居並んだ10人のばんえいウマ娘達の視界を塞ぐ、金属の扉が一斉に開きます。
『各ウマ娘、一斉にスタートしました』
橇とウマ娘をつなぐ装具が一斉に、サンタクロースを乗せた橇を曳くトナカイの鈴のように、盛大に鳴り響きます。
観客席の最前列で、赤鼻のトナカイがひときわ大きくジャンプしたのが目に入りました。
『お待たせしました、帯広競馬場。第2競走、個人協賛競争、赤鼻のトナカイ特別。協賛者様の見守る中、さあ10人がスタートしました。基礎ばんえい重量は、2900kg。10番カミノクニスノウは一人、ジュニア級にとっては重い重い3000kgの橇を引きます』
重い!
前走とばんえい重量は変わらない筈。体に食い込むハーネスの痛みは変わりません。でも、前に進みづらい。
先輩方との模擬レースがちょっと尾を引いているような気がします。オーバーワークとまではなっていませんが、中一週あけてのレースとほとんど変わりません。やり過ぎた感は否めません。
しかし、今さら言ったところでどうにもなりません。
トレーナーさんが言っていたように現場判断で何とかします。とりあえずは前に出て全体のペースを掴み、こちらのスタミナをなるべく温存したい。
『各ウマ娘、並んで1障害に向かいます。おっと1番人気の10番カミノクニスノウ、やや遅めの出だしか』
いけない。
逃げている子らのペースが早い。
こちらもペースを上げようとしますが、ばんえい重量の差がきつく圧し掛かってきます。
ペースを取りにいかなければ!
『2番が先行して1障害を下りました』
こちらも第1障害を越えにかかります。
腰と足に力を込めて、斜面に蹄鉄をかけて、一気に越えます。
『2番手以下もほとんど離れず。全ウマ娘、最初の障害を降りています』
ここから第2直線。
この段階で差しの子達と同列に並んでいるのでは、最終直線でヤバい。未だに前方に出れていない状態です。得意の速度を活かして、ここで前に出ておきたい。
ググッと足の回転を上げていきます。
前が刻み始めました。
『一旦刻んだ2番。2番手以降も一旦刻んで……また歩きます』
Aクラスとは言え、やはり重賞戦に近いばんえい重量はきついのでしょう。前の子達が次々に刻みます。
しかし、あたしの方は、ここは無理してでも前に出たい。
『各ウマ娘、吐く息が白く見えます。ここで10番カミノクニスノウ追い上げてきた、直行するか……ためます』
足を止めて深呼吸を一つ。
ブハーッと真っ白い呼気が、あたしの口元に広がります。
それは白い柱のよう。
『お昼頃は最高気温プラスでしたが、日が傾き始めてからマイナスに向けて冷え込んでいる帯広競馬場です』
全身の露出している肌からもゆらゆらと白いものが立ち上っては、風に消えます。
体が熱い。
この間の模擬レースでこれより重いのを散々曳いたとはいえ、さすがの3000kg。
体が重い。
『十人がややばらけ気味で今、1障害の中間。そこから9番のアンデスレッドが出てきましたが、止まります』
他の子が刻んでいる間に前に出ようとします。
しかし、あたしが歩こうとすると、常に誰かが歩いている。
ゆっくりと競り合うように、一歩、二歩。さらにもっと。ザシ、ザシ、と冷たく柔らかい砂を踏みしめて進みます。
限界近くまで歩みを進めることになり、そして無理やりに近い形で、刻む。
しかし、あたしが刻もうとすると、常に誰かが歩き始める。
「くっ!うぅ……いかせません!」
いけません。
満足に刻めない。ためている隙が無い。喉から肺までのすべてが熱く湿った空気で満たされていて、体の中の熱が逃がせない。肺に新鮮な空気を満たせない。
何かがおかしいです。
筋肉に酸素を持っていかれて酸欠気味の頭では、何かがおかしいのは感じますが、違和感の正体までは分かりません。
自分の身体が自分の物でないような違和感。
自分の意志で身体を動かしている筈なのに、誰かに動かされている。
『まもなく2障害の手前』
でも、まだ勝機はあります。
『各ウマ娘、刻みながら来ましたが、9番のアンデスレッドが先頭できました。前半52秒で来ています』
第2障害を上手くこなせば、降りる際のスピードを上手く使えば、挽回のチャンスはある。
第2障害の手前で足を止め、正念場に向けて刻みます。
腰に手を当て、障害を透かしてゴールを見るかのように、斜面を睨みつける。
ス、ハッ。ス、ハッ。浅く早い呼吸。
貪るように呼吸を繰り返して筋肉と血液に、冷たい空気を少しでも送り込みます。
『2番手以下ほどなく集まって……さあ問題はここから。アンデスレッド、挑戦始まったか』
「まだです!まだ、勝てます!」
遅れは取らない。
そう思ってバイキをかけるべくググっと、身体を下げ始めた矢先。
「お先に失礼。勝つのはオレだ」
「え、あっ……!」
「ダメだ!スノウ君!いくなぁ!!」
隣から聞こえた余裕の声。
酷く遠くから聞こえた切羽詰まった声。トレーナーさんの静止の叫びが聞こえたような気がしましたが、もうどうにもなりません。
先行される。
頭が抑えつける前に、酸欠と疲労で言う事を聞いていない足が、勝手に進み始めてしまいました。
バイキをかけようと中途半端に下がった身体。
前に進もうとする足。
回復途中の呼吸。
すべてが噛み合っていない。なのに、前進した。
「ぐ、くあぁぁぁっ!!」
『アンデスレッドを追ってカミノクニスノウも挑戦する』
バネを縮めて伸ばす要領がバイキなのに、伸びきった状態からさらにバネを伸ばすような動きで、まともな力がかかる筈がありません。
その無茶の反動は、すぐさま現れます。
『しかし、これは、もっていかれた形だ。足が止まる』
準備が整っていないのに隣に釣られて障害を登り始めてしまうことを"もっていかれる"と表現します。
第2障害の砂に刻み蹄鉄が沈み込みますが、息も力も吐き出しきって弛緩したタイミングで登ればどうなるか。
『カミノクニスノウが膝を折ります。そこを後続が追い抜いていく』
「……負けま、せん、負けませんよぉ」
膝に両の掌をついて、足を地面に押し込むような形で、無理くり上半身を起こします。
『9番アンデスレッドにすぐ続いて5番インカアウェイクン。すんなり来た9番アンデスレッド先頭で2障害を下ります』
しかし。
酸素がなくなって、視界はゆらゆらと揺らめく陽炎の如く。
第2障害の稜線の向こうに、他の子の橇の最後端が消えていきます。
『そして、こちらもすんなり5番インカアウェイクン』
淡々と実況が響きます。
『2番手の後ろ2番。3番手から少し間があいて7番、今、2障害を下りました。注目の10番カミノクニスノウ、2障害で苦戦か。まだ上がってこない』
血反吐を吐きそうなほどに痛む喉。
『前は間もなく残り20mのハロン棒を通過。先頭9番アンデスレッド、二バ身のリード。2番手は5番インカアウェイクン』
どうにか第2障害の天板にまで辿り着きます。
『残り3から4メートル。今、9番アンデスレッドが入線しました。そのまま止まらず歩を進めてゴール!9番のアンデスレッド、余裕の勝利です』
第2障害を滑り降ります。
『2番手の5番インカアウェイクンがなんとか歩を進めますがぁ、際どいところで止まった』
まだです。
まだまだ、いけます。
『3番手も詰まっていますが、どうか?2番手どうか。インカアウェイクンが先に入線しています。インカアウェイクンが懸命に歩を進めます。今、インカアウェイクンが完全にゴール』
でも、足は言う事を聞いてくれません。
腿が上がらず、立ち尽くすかのように、刻みます。
『その後で、7番が3着。2番手争いが際どくなりましたが、これを尻目に9番アンデスレッドが悠々と勝利です』
「しゃーっ!!トったぜ!!あとオレの名前はアンデスレッドじゃねえ!アン=ザ=デス・オブ・レッド!死の赤だ!覚えやがれ!!」
アンデスレッドが勝利の雄叫びを上げる遥か後ろ。
あたしは倒れ込むようにして、ゴール板を通過しました。
結果は、8着。
『観客席、ゴール板前では、赤鼻のトナカイの着ぐるみが飛び跳ねて喜んでおります。赤鼻のトナカイ特別。来年もお会いすることが出来るでしょうか』
淡々として実況が、ひどく遠くに聞こえました。
「あーあースノウったら完全に包囲されてるじゃん。クラスメイトながら、みんなえげつねーべさ」
「仕方ありませんわぁ。クラスの中ではご友人でも、レース場に立てばぶっ潰すお相手ですからぁ」
「お、ローズじゃん、そっちもスノウのレース見にきたん?偶然だなー」
「これが偶然だと思えるようでしたらぁ、貴女は次のヤングチャンピオンシップでぶっ潰すまでもないですわねぇ」
「まーねー。北央地区選抜特別は勝ったんだっけ?おめっとー。しっかし、スノウもあれだけ無理やり動かされたら、きついっしょ」
「カミノクニスノウさんは一つとは言えGⅢ勝利済み、次のGⅡの出走確定済み、加えてこのレースの1番人気。これで彼女に注目しないのは、よほどの豪胆かよほどのバ鹿かのどちらかですわぁ」
「ばんえい重量差を利用して、早めのペースに引っ張り込んで、スノウのスタミナを早めにすり潰す。他の足が止まるまで曳こうとしても誰かが歩き続けてるから、足を止めるタイミングが取れない。十分に刻もうとしても誰かが歩き続けてるから、切り上げざるを得なくて碌に息を入れられない。平地みたいにコース塞がれるのはウチらにはないけど、ペースの握り合いはどこでも変わらんしょ。9人から明確に対策ぶっつけられるなんて、いやぁ、怖いねぇ」