ばんえいウマ娘、北の大地を駆ける 作:mzk_arachne
――4――
無惨な結果に終わった選抜レースから、しばらく経ちました。
あれ以来、ぼーっとしては寮の同室の子には心配されますし、教室でも上の空になって先生に何度も注意されました。
あたしの中で『9着』と言う結果が、ずっと尾を引いています。
悔いているだけでは何の意味もありませんし、自分なりに何度もレースを振り返っていますが、それが放心しているように見えているようで。
本音を言えば振り返るどころか、見なかったことにしたいですし、いっそ時間が巻き戻ってくれればとまで思いますけど、世の中にそんな便利なアイテムなんて存在しません。アニメのドゥラ衛門じゃありませんし。
思い返してみると、レース前、どうしてあたしの期待度はあんなに高かったのでしょうか?
それは、あたしのおばあちゃんのお陰だと思います。
おばあちゃんもばんえいウマ娘で、この帯広競バ場を含む四か所──当時は旭川、岩見沢、北見、そして帯広にありました──の競バ場で競走バとして戦っていました。
おばあちゃんの現役時代の戦績は、109戦50勝。
その成績と豪快な性格が相まって、当時は"上ノ国の女傑"の二つ名で呼ばれていたそうです。
あたしの実家はコメ農家なのですが、デビュー前からして既に10俵を積んだ荷車をはるばる函館まで曳いて行ったこともあるとか。
今でも実家で元気にお米を作っていますが「この米俵を担げなくなったら私も死ぬのね」と言って笑っています。大好きなおばあちゃんが亡くなるのは想像したくないですし、老人の死亡ジョークは一緒に笑っていいのかどうか悩むので、止めて欲しいのですけれど。ちなみに1俵は60kgです。
あとは上ノ国町でやってたレースと違ったから、というのもあるでしょうか。
上ノ国町は海からすぐに山塊になっていて平地が少ないです。
ですので、何人もが並んでレースが出来るような場所がありません。ちょっとでも開けていれば、畑や田んぼに使ってしまいます。
あたしも小さい頃から参加していた地元の草ばんえい競バでは、橇は使っていませんでした。山から切り出してきた一本が二、三百kgはある丸太に突カンと呼ばれる広刃の釘を打ち込んでチェーンをかけ、それをドッコイを介して引っ張って走り、一人ずつタイムを競う方式でした。今思えば、神社の参道をコースに使っていたので、障害もないですし、完全なダートコースよりも摩擦が少なくってそんなにパワーを使わずに引っ張れたんでしょう。
地元では何度も良いタイムを出していたのですが、流石に公式のばんえい競バとは勝手が違いすぎました。
で、そんな井の中の蛙も、良い結果を出していると自然に天狗になるもので。
帯広トレセン学園の入学試験前に参加したレースではとても快調でしたが、そこで調子に乗ったのは悪かったです。
あまりの快調さで勝利を確信して浮かれたあたしは、ゴールしたと同時に、トゥインクルシリーズで活躍するケイエスミラクルさんの勝利ポーズを真似たんです。
今の今まで曳いていた丸太を止めるのを、すっかり忘れて。
後ろから勢いが付いたまま滑ってきた丸太に、あたしは吹っ飛ばされました。
その時にぽっきりいきました。
肋骨を。
骨折がギプスで固定して治すものだと思っていましたけど、肋骨って、他に大した影響がない部分を折るとギプスとか何も無しで放置するしかないという事実を知ったのは、その時でした。
ちょっと深く息をするたびに「お゛っ!」って叫ぶ羽目になって、叫ぶと更に痛みが襲ってくるから気合で耐えるしかないのですが力むと痛いので、脱力したまま激痛に身を任せどうかする以外に手がない。
涙目で痛みを訴えるあたしに「頑張って!」と返すお医者さんのあんなにいい笑顔は、後にも先にもあれっきりでしたよ。
調子に乗るな、という三女神様のツッコミかもしれません。
今でも治り切っていない脇腹が疼くたびに、思い出します。
あとは、アレです。
我ながらちょっと子供じみていて恥ずかしいですけど……。
ナリタタイシンさんのどきゅーとが無いのが、自分で思ったよりも効いているような気がします……。
寮に帰ってきて、ドアを開けて、ベッドを見ても、空っぽ。
子供の頃からいつも一緒に寝ていたのに、居ないんです。
あたしのどきゅーと……。
いつも一緒だったのに……。
試しに寮の同室の子を抱っこして寝れば何とかなるかなと試してみましたが、あまり効きませんでした。